先日、また1つ年を重ねました。
新年と誕生日は、近年、わりと丁寧にマインドマップを書いています。
今年の誕生日のセンターイメージは、「足」でした。
ちょうど、直近のロルフィングのセッションは2回目で「足(Foot)」でした。
近年続けていた背骨の矯正では、当然のことながら「足」は扱いません。
ただ、腰の緊張は足の影響を受けているなとは実は気づいていて、
原因は膝のロック。
膝緩めると腰がめっちゃ楽で、めっちゃゆるむ~。
でも、そもそもの問題は、「足(Foot)」の部分です。
ロルファーさんのフィードバックによると、太もも、上半身の割に薄っぺらくて貧弱なんですって。
以前から、足のグラウンディングの悪さは自覚がありました。
身体の上の方にエネルギーがあるということも感じ取っていました。
具体的には、頭、そして胸式呼吸になっている胸。
つまりは、「頭でっかち」とか息が浅いという意味で「恐怖」に苛まれている感じというか。
「頭でっかち」は、認めます(汗)
人前で話をしたりする仕事であれば、何らかの知識のインプットは継続的に必要なので疑いもしませんでした。
今でも、それに「ある意味しょうがないんじゃないか?」とか「上には上がいるし」とか思ってますし。
でも、プライベートで、
素の自分になりたいのに、自分の感情と身体の感覚に「生」を感じないってどうよ。。。
思考や知識、あるいはとっても拙速な無意識で反射的な行動によって十分味わえていない。。。
自分の中で分離している感じを、身体を通して気づけたのは成長!
で、
問題は「恐怖」
これは、「怖い~」と露骨に言えるタイプではない分、これも自己欺瞞、虚栄的に「そんなことないよ~」「大丈夫です~」
ってまた演じてるでしょっ?
勝手にネガティブ厳禁みたいなね。
恐怖=ネガティブみたいな勝手な選別してるんだと思うけど、仕事柄感情を2分類する風潮って自分ではあまり好きではなく
この手のコンテンツを扱うことにすら最近は抵抗を感じてしまっている私。
最終的に自分が「今、ここ」を幸せに生きられていない感情なのであれば、長く浸るのは止めた方がいいけど、一旦は味わわないと壊れてしまう人もいるんじゃないかと。
例えば、メンタルが悪化した人が心理療法としてシステマティックに認知を変えるというのはもちろんありだと思う。
でも、本物の感情を味わう余力のある人は、そこを味わわないと根本的な行動変容につながらんでしょってこともありませんか?
って、言いたいはずなのに、自分ではなかなか気づかない。
で、本当に何とかした方がいいんじゃない、って時が到来して気づく。
で、ちょっと味わうとすると
あんまり自覚はないんですが、45歳、おひとりさまなり不安とかもあるんでしょうかね~
過去を振り返って、極端なこと言うと「停まったら死ぬ」ぐらいの呪縛から過活動になっていたことは認めます。
不安だから動く、動くから不安がまぎれ、そしてまた動く、だから疲れる、そして寝る、でも休むと不安、だから動く。
げーーーーーーっ、
これは終わりのない、システム思考のシステム原型でいうならさしずめエスカレートか?
身体の痛みこそロジカルシンキングではなく、システム思考で考える必要がある。
これは自分にとっては素晴らしい学習でした!
ということで、
「過剰感のあることを止める・減らす」「何が過剰かの見つめ直し」が第一歩の解決策。
それによって諸々の活動の中でもお蔵入りになったものが幾分あります。
欲求不満になるかも。。。と思っていましたが、
案外大丈夫(苦笑)
で、本題の「足」の話に戻すなら、足で大地を掴む感じを掴むために、中足骨の関節の曲げ伸ばしをゴリゴリとやっております。
それから、右足首が内反しがちなので、踵骨の内側に体重が乗る感じで身体の内側に軸を作るように修正中。
靴の中で、足の指がちょっと動くようになっているかも。。。
そんなことをしながら、少しづつ身体と対話したことで、気持ちと身体と大地のつながりってこういうことかね?的な
感じをじっくり感じつつあります。
もっと早く気づいていればよかったのになとも思うけど、
必要なことは本当に必要な時になって起きるもの。
だから、今、必要じゃないことって無理矢理やらなくてもいいし、
「○○に備えて準備しとこう」も杞憂に終わっては、あの時費やした「今、ここ」は2度と戻ってこない。
「今、ここ」を精一杯感じられる足を作ってみたい。
新年と誕生日は、近年、わりと丁寧にマインドマップを書いています。
今年の誕生日のセンターイメージは、「足」でした。
ちょうど、直近のロルフィングのセッションは2回目で「足(Foot)」でした。
近年続けていた背骨の矯正では、当然のことながら「足」は扱いません。
ただ、腰の緊張は足の影響を受けているなとは実は気づいていて、
原因は膝のロック。
膝緩めると腰がめっちゃ楽で、めっちゃゆるむ~。
でも、そもそもの問題は、「足(Foot)」の部分です。
ロルファーさんのフィードバックによると、太もも、上半身の割に薄っぺらくて貧弱なんですって。
以前から、足のグラウンディングの悪さは自覚がありました。
身体の上の方にエネルギーがあるということも感じ取っていました。
具体的には、頭、そして胸式呼吸になっている胸。
つまりは、「頭でっかち」とか息が浅いという意味で「恐怖」に苛まれている感じというか。
「頭でっかち」は、認めます(汗)
人前で話をしたりする仕事であれば、何らかの知識のインプットは継続的に必要なので疑いもしませんでした。
今でも、それに「ある意味しょうがないんじゃないか?」とか「上には上がいるし」とか思ってますし。
でも、プライベートで、
素の自分になりたいのに、自分の感情と身体の感覚に「生」を感じないってどうよ。。。
思考や知識、あるいはとっても拙速な無意識で反射的な行動によって十分味わえていない。。。
自分の中で分離している感じを、身体を通して気づけたのは成長!
で、
問題は「恐怖」
これは、「怖い~」と露骨に言えるタイプではない分、これも自己欺瞞、虚栄的に「そんなことないよ~」「大丈夫です~」
ってまた演じてるでしょっ?
勝手にネガティブ厳禁みたいなね。
恐怖=ネガティブみたいな勝手な選別してるんだと思うけど、仕事柄感情を2分類する風潮って自分ではあまり好きではなく
この手のコンテンツを扱うことにすら最近は抵抗を感じてしまっている私。
最終的に自分が「今、ここ」を幸せに生きられていない感情なのであれば、長く浸るのは止めた方がいいけど、一旦は味わわないと壊れてしまう人もいるんじゃないかと。
例えば、メンタルが悪化した人が心理療法としてシステマティックに認知を変えるというのはもちろんありだと思う。
でも、本物の感情を味わう余力のある人は、そこを味わわないと根本的な行動変容につながらんでしょってこともありませんか?
って、言いたいはずなのに、自分ではなかなか気づかない。
で、本当に何とかした方がいいんじゃない、って時が到来して気づく。
で、ちょっと味わうとすると
あんまり自覚はないんですが、45歳、おひとりさまなり不安とかもあるんでしょうかね~
過去を振り返って、極端なこと言うと「停まったら死ぬ」ぐらいの呪縛から過活動になっていたことは認めます。
不安だから動く、動くから不安がまぎれ、そしてまた動く、だから疲れる、そして寝る、でも休むと不安、だから動く。
げーーーーーーっ、
これは終わりのない、システム思考のシステム原型でいうならさしずめエスカレートか?
身体の痛みこそロジカルシンキングではなく、システム思考で考える必要がある。
これは自分にとっては素晴らしい学習でした!
ということで、
「過剰感のあることを止める・減らす」「何が過剰かの見つめ直し」が第一歩の解決策。
それによって諸々の活動の中でもお蔵入りになったものが幾分あります。
欲求不満になるかも。。。と思っていましたが、
案外大丈夫(苦笑)
で、本題の「足」の話に戻すなら、足で大地を掴む感じを掴むために、中足骨の関節の曲げ伸ばしをゴリゴリとやっております。
それから、右足首が内反しがちなので、踵骨の内側に体重が乗る感じで身体の内側に軸を作るように修正中。
靴の中で、足の指がちょっと動くようになっているかも。。。
そんなことをしながら、少しづつ身体と対話したことで、気持ちと身体と大地のつながりってこういうことかね?的な
感じをじっくり感じつつあります。
もっと早く気づいていればよかったのになとも思うけど、
必要なことは本当に必要な時になって起きるもの。
だから、今、必要じゃないことって無理矢理やらなくてもいいし、
「○○に備えて準備しとこう」も杞憂に終わっては、あの時費やした「今、ここ」は2度と戻ってこない。
「今、ここ」を精一杯感じられる足を作ってみたい。
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