結婚してどちらかの姓に統一する、という現在のシステムが男女不平等だ、というのは前から議論されており。
そして、法律的にはどっちに変えてもいいんだから法の下の平等は侵害されてないと返されるのまでがほぼ様式美。
なのに、政治家まで含めて、これを男女平等論に持ってきてイデオロギー的に話をする、というのがふと不思議に思えまして。
なんせ、日本は婚外子が極端に少ない国で、とにかく子供を増やすには結婚してもらうしかない国。
自治体主催の合コンやら、国の結婚支援まで進めてるわけです。
まぁ、身の回りに確かに「姓で揉めて結婚『しなかった』」人はいませんが、逆に、地味に「揉めた」人はうちを含めて複数名います。
結婚なんて基本的にノリと勢いだと思いますが、そこで揉めてるうちに勢いが止まっちゃう人は割にいるんじゃないでしょうか。
また、子供を産むまでは通称使用で旧姓を使ってた場合でも、もし子育てに専念するなどの目的で仕事を止めちゃえば、再就職するときは旧姓は使えない会社が多いです。
それに違和感があるし、どうせ働かなくても節約すれば生きてけるし。って人も、場合によっちゃ居そうです。
(少なくとも私はそういう意味でも転職はやだなぁ…)
産めよ殖やせよ働けよと言うのであれば、せめて産みたい、働きたいと思う人が少しでも増えるようにすべきではないでしょうか。
つまり、夫婦別姓は経済政策として考えた方がいいんでないかしら。
アイデンティティーとかに関しては、まぁ人によるんでしょうが現行制度であっても、5年も使ってりゃ、割とどっちにも馴染みができてきます。←私の場合
でも、2つ取った修士号の学位記の名前が違うとか、予約や会員カード忘れなんかの時にどっちを名乗ったか忘れるとか、書類もらう度にどっちで書くか確認するとか、氏名の連続性とか同一性が断たれるとめんどくささが半端ない。
正直、いまの制度は通称使用という美称で、改姓した側に負担を負わせてるだけで、我慢して使ってます。
そういうところを我慢させてまで維持すべき制度なのかなぁ、という、これまたコスパ的な意味での疑問がどうも拭えません。もう、ちゃんと大本から見直さないと、制度疲労を起こしてるんじゃないかなぁ。
ちなみに必ずこういう議論では「子供の姓は~」って議論が出ますが、国際結婚の場合と同様にとりあえずどっちかにしといて、成人くらいの時に本人が決めたらどうですかね?
そして、法律的にはどっちに変えてもいいんだから法の下の平等は侵害されてないと返されるのまでがほぼ様式美。
なのに、政治家まで含めて、これを男女平等論に持ってきてイデオロギー的に話をする、というのがふと不思議に思えまして。
なんせ、日本は婚外子が極端に少ない国で、とにかく子供を増やすには結婚してもらうしかない国。
自治体主催の合コンやら、国の結婚支援まで進めてるわけです。
まぁ、身の回りに確かに「姓で揉めて結婚『しなかった』」人はいませんが、逆に、地味に「揉めた」人はうちを含めて複数名います。
結婚なんて基本的にノリと勢いだと思いますが、そこで揉めてるうちに勢いが止まっちゃう人は割にいるんじゃないでしょうか。
また、子供を産むまでは通称使用で旧姓を使ってた場合でも、もし子育てに専念するなどの目的で仕事を止めちゃえば、再就職するときは旧姓は使えない会社が多いです。
それに違和感があるし、どうせ働かなくても節約すれば生きてけるし。って人も、場合によっちゃ居そうです。
(少なくとも私はそういう意味でも転職はやだなぁ…)
産めよ殖やせよ働けよと言うのであれば、せめて産みたい、働きたいと思う人が少しでも増えるようにすべきではないでしょうか。
つまり、夫婦別姓は経済政策として考えた方がいいんでないかしら。
アイデンティティーとかに関しては、まぁ人によるんでしょうが現行制度であっても、5年も使ってりゃ、割とどっちにも馴染みができてきます。←私の場合
でも、2つ取った修士号の学位記の名前が違うとか、予約や会員カード忘れなんかの時にどっちを名乗ったか忘れるとか、書類もらう度にどっちで書くか確認するとか、氏名の連続性とか同一性が断たれるとめんどくささが半端ない。
正直、いまの制度は通称使用という美称で、改姓した側に負担を負わせてるだけで、我慢して使ってます。
そういうところを我慢させてまで維持すべき制度なのかなぁ、という、これまたコスパ的な意味での疑問がどうも拭えません。もう、ちゃんと大本から見直さないと、制度疲労を起こしてるんじゃないかなぁ。
ちなみに必ずこういう議論では「子供の姓は~」って議論が出ますが、国際結婚の場合と同様にとりあえずどっちかにしといて、成人くらいの時に本人が決めたらどうですかね?