今日は、戦争を知らない人達には
なんのこと??って感じなのでしょうが。。
戦火を目の当たりにした人にとっては
一生忘れられない
8月15日の終戦記念日。。
母から色んな話を聞かされて育った私。。
お盆が近くなると
決まって話してくれるのは戦争の事。。
終戦を迎えた時、母は八歳だったそうで
近所の人達が集まっている中に正座させられ、
聞こえにくいラヂオから流れる、
天皇陛下の
耐ヘガタキヲ耐へ、、忍ビ難キヲ忍ビ、、
の、終戦を伝える声を聞き
回りの大人達からは
嗚咽が漏れてきたとかで。。
だけど、
幼い母にはそれが何かわからなくて、
隣の祖母(私の曾祖母)の着物の裾を引っ張って
ばあちゃん、なんのこと言うとるの?
と、尋ねたら、
シーッ🤫戦争が終わったのや、
日本は負けたのや❗
と、小声で教えられたとか。。
それを聞いた母は、祖母に
そしたら、
もう夜に逃げんでもええのやな?!
起きんでもええのやな?!
わーーい\(^o^)/
と、思わず大きな声で叫びかけて、
祖母に頭を押さえられて叱られたとのこと💧
でも、子供心に
ゆっくり眠れる夜、
もう逃げなくていい。。ということが
嬉しくて嬉しくてたまらなかったのだそう。
生まれて物心ついた時から
ゆっくり眠れた夜と言うのを知らなかったし
明かりを灯すことも許されない夜もあったし
眠っていると突然起こされて、
洞穴みたいな防空壕に連れていかれて
声も出せなかったこと、、
暗い夜の空に無数の戦闘機が飛んできて
上からパラパラと沢山の焼夷弾を落とす、
その落ちた爆弾が夜空に光って
花火みたいだった。。
見知らぬ田舎に疎開したこともあったり、
そんな話もきかされたけれど、
母はまだ幼かったのと、
比較的ひもじい苦労が少なく済んだことは
本当に幸いだったと言っていた。。
反対に、
大将のお母さんは
年頃の娘の時代に幼い弟と妹を連れて
戦禍の中を逃げ惑い、
目の前で真っ黒焦げになって
亡くなった死体を目の当たりにして
腰を抜かしそうになったこと💦とか、
うちの母とは違う目線の話しを聞かされ
同じ戦争の体験でも
年齢や住んでいた場所で
感じ方は色々なのだと。。
今の日本は戦争こそ無いものの、
各地では今回の大雨や、その前の台風や
地震で家が、橋が、山が、道路が壊され、
沢山の被害が出ていて胸が痛みます😣
戦争も震災も天災も、、
自分の身に降りかかったことがないと
他人事でかたずけられそうで😣
今の世の中はコロナ一色で
自由が無いと、
ストレスを感じている人が殆どだけど
自分達が
いかに平和に慣れてしまっているか💧
私も大将も戦争を知らずに育ったけれど
毎年訪れる終戦の日を迎える度に思うことは
自分達の惨事を決して繰り返すでないぞ!
という、
昔の人の教訓なのだと捉えて
娘や孫たちに平和な生活ができるように、
そんな時代が続きますように。。と
亡きご先祖さまに
供養と共に願うのであります。。🙏
いつまでもこの平和な寝顔が見れますように