昨日のお話に続き、
今日は何気ないことに「ふと思うこと」をお話したいとおもいます
これは誰でも思うことかもしれませんが、
美味しいものを食べた時に感じる「美味しい」は
食べられるから「美味しい」と感じることで
「美味しい」を認識しているから、食べることに幸せを感じたり
また、食べるものを見ただけで「美味しい」と思えるのですよね
これはあたりまえの事として毎日繰り返されていることだから、
「美味しい」は、「あたりまえ」になってしまっていて
「美味しい」と感じても、さほどの感激もなく過ごされていることが日常かもしれません
けれど、その「美味しい」がもしも感じられなくなってしまったら・・・
5年前に私の母は脳梗塞で倒れ、半身麻痺の体になってしまいました。
体が麻痺するだけではなく、物を飲み込むことが難しくなり
誤嚥肺炎を防ぐために食べもの全てには「とろみ」をつけなければならないという、
水も口にできない体になってしまったのです。
そのせいで母は、何を食べても「美味しい」を感じなくなり、
病院で出される食べものを受け付けなくなってしまったのです。
何を口にするにも、サラサラの水でさえも呑めないのですから・・・。
そんな母に、なんとか食べさせようと病院のスタッフさん達も頑張ってくれたのですが
我儘育ちの母は頑として「食」を拒み続け
とうとう胃ろうの身となってしまいましたが
胃の穴から補充するチューブの食事が母の体に合わなかったのか、
蕁麻疹で中断になり、最後は点滴のみで命を繋がなければならない体になり
鎖骨の辺りに太い糸で点滴の管がぬいぐるみみたいに縫いつけられていたことが
今も私の目に焼き付いています
けれどまた脳梗塞が再発してしまい、寝たきりになって半年で母は他界しました。
母が倒れて二年後の出来事でした。
倒れる前の、元気だった頃の母は、
兄が仕事休みの時は一緒に買い物に出かけては大好きなコロッケとパンを買い、
時々私にも持ってきてくれました。
嚥下が困難になった時も、真っ先に食べたいと言ったのは「パン」でした。
私は母に、少しでも元気になってもらいたい一心から
まだ食事が少し可能な時に
嚥下が難しい人でも食べられるパンをネットで検索して購入し、
病院に持って行ったこともありました。
けれど、そのパンは、パンを牛乳に浸した様なフニャフニャした食感で
母が好きだった、硬いベーグルやサクサクの焼きたてパンの食感には程遠いものだったから
最初の2口で食べることをやめてしまったのでした。
他にも、離乳食の様なおかずやスープ、雑炊も勧めてみたけれど
どれもこれも、母には気に入られるものがなくて
「食べんかったら死んでしまうで!」と
私はきつい言葉を投げかけたこともありました
意識がはっきりしている時、
母はよく「サラッとした水が飲みたい」「美味しいパンが食べたい」と言い、
そのたびに私は、元気だった頃の母が美味しそうに食べていた顔を思い出し、
思い出すたびに、もう食べられなくなってしまった母の姿、
「美味しい」の一言が言えなくなってしまった母に悲しくなり
母の前で泣いてしまったことも一度や二度ではありません。
だからなのか、如何なのか・・・。
お店の中で仕事をしている時に、目の前のお客さまが美味しそうにうどんを食べている、
その顔を見て幸せを感じるのかもしれません
私の母の様に、何かを食べたくても、「美味しい」と思いたくても
それを叶えられない状況にある人は世の中に沢山います。
今、何かを食べたり「美味しい」と感じられることがどんなに幸せか、
「食べる」ことが「生きる」ということに、どんなに大切なことか・・・。
そのことを教えてくれたのは母で、
「美味しい」の一言がどんなにありがたく貴いことかを教えてくれたのはお客さまの笑顔・・・。
そして、お商売の楽しさと難しさを教えてくれたのはお義母さんで
夫婦の絆を教えてくれたのは大将・・・って
最後はのろけになってしまいましたが・・・
さてと、
今夜も「美味しい」の一言と、お客様の笑顔を頂けるように
大将と二人で頑張ります