今日は、大将の叔父さんの命日で、
うちの家族と叔父さんの家族とで
お墓参りをしました。
叔父さんは震災で亡くなったのではないけれど、
叔父さんにとっては、一生忘れられない生涯の中で一番ジレンマと屈辱を感じた日の始まりだったとおもいます。
叔父さんは、震災が起こった日に、自宅で被災、
幸い家族は皆無事でしたが、自宅はほぼ全壊で、
その自宅の周りが火事に遭い、
叔父さんの自宅から近くの町が大火事で、
そちらの消火に時間がかかってしまったために、周りの消火がなかなかすすまなくて
どんどん焼け野原になっていく町を見かねて
叔父さんは身近にまで迫る火の側で
はよ消したらんかい‼️
と、
そういうことを言っても、
消防隊にもどうすることもできないことを解っていながらも
必死に叫ぶことしかできない、
叔父さんの悲しい顔と疲れた姿が、
今も脳裏に焼きついています💦
だから、毎年1.17が来る度に、
あの日のことを思いだし、忘れてはいけないという教訓を家族に残すために
自らの命の終る時の命日に選んだのではないかと。。