ぶうちん村、風わたる。

風の吹くまま、気の向くままなんて、なかなかできませんが、楽しみを見つけながら過ごしたいものです。

国鉄・宮之城線の今  126

2009年12月25日 23時45分37秒 | Weblog
 さて、築堤の上に戻ります。

 枯れているとは言え、葛は私の足にからみつき、オモナミなどの種がスボンにたくさんはりついてきます。
 
 それは、奥へ進めば進むほど、しだいに厳しくなってきました。

 完璧に足をつかまれて倒れたり、靴の中にまぎれこんだ野バラのとげでとても痛い思いをしたり、少しでも楽な方へと考えて藪をもぐったら野バラのとげで頭をひっかいたり・・・
 どなかが「気合を入れて立ち入っても、草木が生い茂るばかりで難渋する結末が待つだけである」と述べていましたが、なるほどと思いました。

 しかし、ここに入るチャンスもあまりないだろうという思いに突き動かされて、退却はやめて、前進あるのみとしました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国鉄・宮之城線の今  125

2009年12月25日 23時41分35秒 | Weblog
 季節が冬になり、枯れた葛が道路に近い部分だけ払われました。
 すると、藪の中から境界標が2つ出現しました。

 邪魔な物は排するはずですが、こうして境界標を残してくれた方に感謝です。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国鉄・宮之城線の今  124

2009年12月25日 23時26分10秒 | Weblog
 お待たせしました。
 これが夏の姿です。
 葛がもこもこと山を作っています。

 これでは接近・進入しても、手と足をとられるだけでなんの情報収集もできません。
 それだけならまだしも、藪の下にひそむヘビやムシたちに襲われる可能性も大です。

 しかし、この藪に覆い隠されたものを、寒い冬になってやっと見ることができました。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国鉄・宮之城線の今  123

2009年12月25日 23時14分17秒 | Weblog
 夏の姿をお見せすると言ったのに、あれっと思われたと思います。
 ごめんなさい。これは現在の姿です。

 私はてっきり左側の山の一部分を削って路盤を造成していると思っていたのですが、実際には、盛り土をして築堤になっていました。
 杉の木が根っこからではなく、途中から出ていることからも分かると思います。 実際には下をのぞき込むと、けっこう高く盛り土されていることが分かります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国鉄・宮之城線の今  122

2009年12月25日 21時53分52秒 | Weblog
 121の撮影場所から100mほど進むと、左側に登っていくコンクリート道路があります。
 もちろん、これは線路跡ではありません。
 ここから築堤に登ることができます。

 次の123で紹介しますが、夏は葛が山のようにほこっていて、全く進入できませんでしたが、今回はすっかり枯れてつぶれており、簡単に登っていくことができました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国鉄・宮之城線の今  121

2009年12月25日 21時49分04秒 | Weblog
 橋台があったであろう場所から坂道を戻り、道路に出ました。線路は橋を渡りながら、上り坂になっていたんでしょう。
 道路になっている部分は現在はフラットになっていますが、当時は築堤になっていたのではないかと思われます。
 その証拠に、軽自動車が走っている辺りから少しずつ線路の路盤が土手の上に現れてきます。
 もちろん、それは手前から奥に向かっていっても分かりません。
 奥から手前に向かって戻ってくると、そのことがよく分かります。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国鉄・宮之城線の今  120

2009年12月25日 00時16分22秒 | Weblog
 登っていく線路の左右の国鉄敷地はけっこう広いものです。
 他の場所でもそうですが、単線プラスα分の敷地ではなく、どう考えても複線を志向していたのではないかと思われる敷地の広さ。

 それを示すのが、この境界標。

 私は国鉄・JR・私鉄など鉄道業界に仕事として関わったことはないのでよく分かりませんが、単線の路線を建設するのに、わざわざこんな広い敷地を確保する必要があるのかなと考えてしまいます。

 すぐに想像力をたくましくさせてしまうのですが、もしかすると、将来のよき変化を見込んで、これだけの敷地を確保したのではないかと思うのです。

 そう、現・肥薩線ルートにとって代わる新・鹿児島本線ルートとして、あらかじめ用地を確保しておこうとしていたのではないかと思うのです。
 (勝手な妄想~~~!)


 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする