ぶうちん村、風わたる。

風の吹くまま、気の向くままなんて、なかなかできませんが、楽しみを見つけながら過ごしたいものです。

国鉄・宮之城線の今  110

2009年12月20日 21時33分22秒 | Weblog
 ロマンティックな感情にひたりがちな上樋脇駅ですが、実際、この駅に来て、真っ先に目に飛び込んでくるのは、プラットホームの途中が2箇所も削り取られていることです。

 駅の現役時代には、駅の「裏」だったんでしょうが、廃線になり、土地を買収したのでしょうか、プラットホーム横の住人の住宅の出入り口になっていました。
 (この家の方を責めようという意図は全くないので、誤解なく)
 残念ですが、これも廃線の現実として受け入れなければならないでしょう。

 さて、そろそろ上樋脇駅を出発の時になりました。
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国鉄・宮之城線の今  109

2009年12月20日 21時02分17秒 | Weblog
 乗降客数からすれば、これでもよかったのでしょう、これが上樋脇駅の駅舎になります。
 ちょっと大型のバス停みたいな建物です。
 こんなに簡易な駅舎というのは、宮之城線では他には薩摩湯田駅があります。
 
 かつては、壁に時刻表やポスターが貼ってあったんでょうが、何もありません。
 
 104で「この先行き止まり」の立て看が写っていましたが、あの交差点から一番奥まで約100m。その途中に駅舎があります。
 近隣の住民でなければ、通常は誰も入ってくることはない、現在のこの駅舎。
 
 何か絵になりますね。

 ドラマの舞台になりそうですが、文才のない私には、そうなりそうだなってことしか思いつきません。

 こうして見ると、一つ一つの駅にはいろいろと想像力をかきたてさせる何かがありますね。
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国鉄・宮之城線の今  108

2009年12月20日 16時57分13秒 | Weblog
 107の写真にも写っていましたが、プラットホームに上がってすぐのところには、この写真を撮影した季節がらカボチャがつるを伸ばしていました。
 大きな葉の下には、大きな実がありました。

 カボチャはさておき、写真の右側には柵の跡が残っていました。
 宮之城線には20の駅がありましたが、駅にこの柵が残っているのを確認できたのは、ここ上樋脇駅と薩摩永野駅だけでした。
 見落としたかもしれません。
 
 柵なんてと思われるかもしれませんが、作者が小さなディテールをきちんと描くことで物語にリアリティーを持たせるのと同じで、現在の姿から現役時代の姿をイメージするには、これも重要な遺構の一つです。

 
 

 
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国鉄・宮之城線の今  107

2009年12月20日 16時40分12秒 | Weblog
 上樋脇駅は無人駅でした。
 プラットホームに入るには、104の写真に写っている交差点側からです。
 「この先行き止まり」の看板の後ろ側にプラットホームへのスロープがあります。

 このスロープには上から3本の枕木らしき物体が埋め込まれていました。
 当初、廃線以降に土留めに埋め込まれた物かなと思っていたのですが、1986(昭和61)年当時の写真を見てみると、同じように埋め込まれていました。
 当時のままなんでしょうね。
 
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ピークは過ぎたはずですが・・・

2009年12月20日 09時44分46秒 | Weblog
 寒波のピークは昨日の朝までだったはずですが、今朝、目が覚めると、窓の外は真っ白。
 気温は3℃、それほどではありません。
 次第に晴れ間がのぞき始めました。
 木戸の坂道のわずかな積雪を取り除き、出かける準備をしていたのですが・・・

 再び降り出し、みるみる積もり始めました。
 天気予報では、山間部でもそれほど降雪・積雪のことは言っていなかったのですが・・・仕方がありません。
 
 
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