以前、114、115で樋脇川の川面まで下りたり、道路から見下ろしたりしました。
鹿児島県は高い山は少ない県ですが、かと言って、平野部もまた思ったほどは広くはない県です。
シラス台地が広がっている県でもあります。
中途半端に山があり、平野部がありということで、結果、何が起こるかと言えば、河川からの水資源確保の難しさにつながります。
シラス台地では水がどんどん地面に吸い込まれてしまいます。大隅の方では野井倉台地の開発が有名です。
この辺りでも樋脇川がかなり低い所を通っているために、田んぼのある所の高さまで水を引くことが難しくなっています。
そのため、古くから用水路の開発・確保は農民に課せられた重大な使命でした。というより、用水の確保の有無が死活問題に直結していました。これが複雑な住民感情につながり、生活水準の格差や地域に対する差別の温床になったことは、歴史上の事実として否定できません。
145の交差点の辺りは元村下という集落です。
ここに、生産力維持・向上のために建設された用水路があります。
この交差点から直線距離で200mほどのところに、川と用水路を交差させている施設があります。
左側が川になります。奥から手前に流れています。
そして、右から左へと流れているのが用水路です。
右上は遊水池になっています。
ここで水量の調整が可能なようです。
用水路は、ここから南東に直線で約1100mほど行ったところに樋脇川からの取水口を作っています。
そして、20mほどの高さの断崖の内側を直径1m程度のトンネルとしてくりぬき(これがすごいと思います)、人家の下をくぐり、用水路としての姿を見せた後、再び地中をもぐって、ここに流れ込んでいます。
そして、写真左側の川の下をくぐり、何度かトンネルとなりながら、私が藪こぎを始めた辺りで再び田を潤すと、川筋を北に向け倉野方面へと流れて行きます。
また、覚えていたら、また番外編として扱うかもしれませんが、宮之城線沿線では用水路と同様に石橋もあります。
生きていくために、人々が知恵を働かし、工夫を重ねて、この郷土を作り上げていった「証人」たち。
宮之城線の集客にはつながらないことですが、「沿線の景色は人々の生きる姿」と考える私にとっては、避けて通れないテーマです。