










2月13日、母の誕生日に母は旅立ちました。
90歳でした。
おはようございます。
受け入れ難いことですが、母は90歳の誕生日に旅立ちました。

こんなことって、あるんでしょうか。
母の90歳の誕生日を祝いたくて、帰省しました。
いつもより、弱った母を感じたのですが、
朝9時にヘルパーさん、11時に訪問看護、夕方5時にヘルパーさん。
私は、母との誕生日の写真を撮れると信じて疑いませんでした。
ヘルパーさんが来てくださり、今までの写真を振り返り
1年毎に、衰えていくことが否めないことを
夕方のヘルパーさんにお話ししていました。
ヘルパーさんが帰った時刻が分かからず、定刻の5時30分を過ぎてから
私は母の居る部屋に行きました。

すると、母は、額に汗をかいており、いつもより青白い顔をしていました。
この異変に気付き、すぐに、痰の吸引をしました。
その時は、かすかに、脈は感じました。
すぐに、痰の吸引を行い、2階にいる弟に異変を伝えました。
弟は、訪問看護に連絡し、訪問看護の方から、
かかりつけ医に連絡しました。
かかりつけ医は、あと2人の患者を診察しなければならず、
しかしながら、最短で自宅に駆けつけてくださいました。
その間、訪問看護の指導の通り、かかりつけ医が到着するまで
弟は人工マッサージ、私は人工呼吸を施しました。
かかりつけ医が駆けつけてくだだった時は、心音も停止しています。

母は誕生日の90歳に亡くなりました。
2月13日、午後6時10分に死亡が確認されました。
その後、訪問看護士さんが駆けつけてくださって
母の胃ろうの処置、オムツ交換、身体を拭いてくださりました。
私が母の最期に関われたことは、有難いことです。
1時間後には、葬儀屋さんが来てくださって、処置を施してくださいました。
ご住職さんの都合で、通夜は18日、告別式は19日に決まりました。
母は葬儀屋さんの霊安室で休んでいます。
かかりつけ医は、「子ども孝行のマサちゃんですね。
それにしても、誕生日に亡くなるなんて凄い!」
と呟かれました。
2年半ほど前に、誤嚥性肺炎で、救急車で運ばれ、
その時から、話すことができなくなりました。
胃ろうをつけたことで、私たちは母に「生きさせてしまったのではないか」と
時折、罪悪感に襲われます。
しかし、あの時点では、その選択しかありませんでした。
母は、生きられるまで、生きたいと言っていたので、
それはそれで、良かったと思うことにします。
母は安からな表情で眠っています。
丸4年間の自宅介護は、それなりに大変でした。
ここ半年の夜の介護は、修行と思うほど、
精神的にも肉体的にも堪えていました。
母は、そんな思いを察していたのですね。
亡くなる日に、私が、「口を開けていると、ゴミが入っちゃうよ」と言ったところ
母は、ちゃんと口を閉じたのです。
耳は聞こえており、ちゃんと伝わっていたのです。

私は、とても不安定です。
葬儀屋さんの日程のお話しを聴きながら、涙がこぼれます。
母との思い出をたどると涙があふれます。
弱い私で、そのままでいいと思っています。
ただ、ただ、かかりつけ医の先生には、感謝です。
母が誤嚥性肺炎で救急車を呼ぶときも、関わってくださいました。
そして、今回も早い対応で駆けつけてくださいました。
お陰様で、全てがすんなりと行ったのです、
ありがとうございました。感謝の思いでいっぱいです。
皆さん、よい一日をお過ごしください。
Copyright(2024 book-create

