関東大震災から、今年で100年だそうです。
100年と聞いて、そんなに、とちょっと驚いてしまった。
というのも、いろいろな写真が残っているので、100年も昔とは思えなかったです。
その100年目で、長野県で新たな発見がありました。
それは、長野市の医師が救護隊として東京に赴いた時に書いた日記が公開されました。
100年前なのに、救護隊として長野県の医師が被災地である東京におもむいた、なんて初めて知りました。
この大震災で、長野県にも75人とか亡くなった人がいたらしい。そんな中、どうやって東京に行ったのかと思ったら、信越線は被災を免れており、その信越線で関東に向かったということだそうですが、信越線でどこまで行けたんだろうと思います。
皇居前の臨時救護所には数百名の患者さんがいて、その患者さんの間を医師や看護師がせわしなく動き回っていたようです。
災害が起きた時に良く見るような光景ですが、これだけの患者さんをかかえて、一体どれくらいの医療従事者がいたのか、また、ほとんどの患者さんの症状が火傷だったようですが、治療の手段があったのか、興味があります。また、食事やトイレや入浴などはどうしていたのでしょうか。食料は確保出来ていたのでしょうか❓
この100年の間、東日本大地震を筆頭に数多くの地震による災害がありました。
それらの全てを乗り越えてきた日本ですが、これからも多くの災害に見舞われる可能性もありますが、乗り越えていってほしいですね。
しかし、100年前にすでに救護隊が派遣されていた、ということを聞き、安心しました。復興にも、各地から人々が集まったでしょうね。