( 写真は昔のものです )
学校では意匠設計を専攻していましたが、現場も知らなければと思って最初はゼネコンに就職し、現場に回されました。
画家が人物を描くのに着衣だけでなく人体の構造から研究するのに似ています。
紙に書いたものがどう作られるのかはやはり見ておくべきだと思ったのです。
その頃はまだまだ 現場 と言う感じ、もっとも卒業してすぐ仕事が出来る訳では無いのですけど学生時代と全く違った世界でした。
一日ごとに有名建築家たちにあこがれていた夢がどんどん崩れていく感じでした。
高専の子と私の二人がその現場の新卒での配属でした。
工事は躯体が七割程度出来た頃、その頃は新卒の現場監督は常雇の土工の立場でした。
都心のビルでしたがエレベーターピットにははつりガラが溜まり、毎日それをシャベルで上にあげる作業、また職人さんから例えばセメントが足りないと言われたら担いで足場を登って届けたり、左官屋さんに壁から鉄筋が出ているから塗れないと言われたら酸素とアセチレンを持って行き切断、まさに便利な土工です。
夜遅くまで現場事務所にいて、休みは第一と第三日曜だけ、早朝搬入してくる材料などがあるのと警備の為に交代絵現場に泊まり込み。
泊まり込みと言っても躯体だけの階にベニヤで囲っただけのところです。
その頃現場では盗難が多く、ある日ベニヤの囲いの先の現場事務所がこじ開けられて作業服が盗まれていました。
どうせ現場担当者だと言う事で警察には届けられませんでした。
顔を合わせていたら大変だったでしょう。
現場事務所では 所長がタバコ買ってきてくれ などと言います。
私はタバコは持つのも汚らわしいと思っているほどなので預かったお金すべて買って、買い置きですと渡しました。
その頃の現場監督は小間使いだったのです。
私が嫌がったのでその後は先輩の監督が買いに行かされていました。
体力的にもきつく、一度通勤電車でつり革につかまって本を読んでいたら失神したことがあります。
職人さんがしたミスをどう補修するか、カバーするか、ごまかすかと言うテクニックは覚えました。
3現場目の所長と主任は現場はほったらかしで、設計事務所の接待と下請けと儲け話などばかりしていて日曜日に出ていても事務所に出てきて電話で競馬をしていました。
それで事務所に行くのが嫌になりました。
設計も収まりの悪いもので打ちっぱなしにペンキ仕上げ、当然雨がしみ込んでぷっくり膨れてしまう始末、間取りも不自然なものが多くて職人さんたちもいい加減で近隣に迷惑をかけ、鉄筋をつり落して地面に刺さったり、今から思うとひどい物でした。
卒業して1年になるかならないかの監督、それも先輩監督のいない中でですから。
流石に嫌になり、所長と喧嘩してその会社は辞めました。
所長とか会社にしてみればひどい社員だったことでしょう。
そして住宅メーカーに少しいた頃、一級建築士の受験資格卒業後2年が経過し運よく一発で合格出来ました。
建築士会で第一回欧州建築事情調査団と言うのが企画され、参加したいと思いました。
若い時期に外国を見ておきたいと思ったのです。
有休もありましたので営業所の所長に行きたいと言ったら前例になるから駄目だと言われました。
会社のお金ではなく自費の参加でその頃50万円を超える費用でした。
45年前の頃です。
その時休暇願と退職届を持っていました。
どうしても行きたいのですけど と言ったら 辞めてもろて結構 と言われたので片方のポケットに入れていた退職願を じゃ、辞めます と出しました。
銀行でお金を借りて行きましたが、やはりあの年齢で外国を見たのは勉強になりました。
帰って街の設計事務所にほんの少しいましたがそこで同じ市の先輩建築士と知り合い、独立するなら協力するよと言われ独立しました。
その人にはずいぶん教えて貰ったり助けて貰いました。
家も そろそろ建てたらと言われ、その人の関わっている住宅地だったら自分で設計できるよ と言われたのですけど、横田の滑走路の延長で航空騒音があるところだったのでもっと東が良い と言ったらそう言えば建売が残っているかもと地元の工務店のやって先輩の事務所が確認を取った建売が3棟建築後1年たっても残っていました。
駅にも近く、スーパーや病院、銀行もすぐそばで便利な場所、その頃市の地価では一番高い当たりでした。
その頃は地価も高く、住宅ローンの金利は8パーセント、借りた倍返す勘定でした。
他の2棟よりやや敷地は小さいのですけど当然東南の角地にして現在に至るです。
私が買って1年後に1棟、その1年後にもう1棟が売れました。
その頃の建売ですから品質と言えば今と雲泥の差でひどいものですが、住宅は何とか住めるものです。
ただ、現在また外回りの水道配管が老朽化して漏れています。
全体的に老朽化しているので直してもまた別の場所から来る可能性が高いので、修理代と水代のどちらを取るかで今は水代のほうが治すより安いので様子を見ています。
家の中の水漏れだとすぐ直さなければいけませんが、土の中なので気にはなりますがそんなに慌てなくてもよほどひどくなったら考えることにしました。
お世話になった先輩はヘビースモーカーでお酒も多かったのが原因だと思いますけど60代半ばでガンになって亡くなりました。
お陰様で仕事は切れることが無く、何とかやって来れました。
その先輩と出会っていなかったら今の私はありません。
ざっと卒業してから今までの事です。
昨日受託先の会社から同業の委託評価員がコロナになり今は入院しているとの事。
感染経路は不明と言う事で、手洗い、消毒、ソーシャルディスタンス、マスク着用に加えて手袋着用と言う事になったようです。
まだ東京の感染者は100名を超えているので油断できないと言う事ですね。
手袋は会社から配布との事。
ニャンがベッドに飛び乗ったりするので、土足で出歩いているのでダニとかついているんじゃね?
と思って、寝ていもなんだかムズムズしてきました。
m、気のせいだと思うのですけど、それでそう言えば昔、手でペコペコ押す 蚤取粉 なるものがあったなと思い出しました。
殺虫剤も手押しポンプでした。
学校で女子はシラミ退治の為に頭にDDTを振りかけられて手ぬぐいを被っていたような。
わ~、自分はずいぶん昔から生きているのだなと改めて思いました。