「 我が家の台風被害 」
家の前のセレモニーホールの駐車場に関係ない車はとめないようにと言う札を付けたパイロンがありましたけど昼間見ると歩道を塞いで倒れていましたので飛ばないようにビニールひもで掲示板の足元に固定しました。
その時我が家に異常はありませんでした。
早め風に飛ばされそうな門の上のモミジ、その他を降ろしたのですけど、夕方見るともう片方の門の上に置いているプランターが道路に落ちていました。
重いので大丈夫と思ったのですけどムラサキシキブなどが茂っているので風を受けたようです。
南風でしたので内側に落ちても良さそうな物ですけど外側に落ちていたのです。
外側に葉が多かったので雨で重くなったせいもあるのかも知れません。
合羽を着て道路に散らかった枝やプラスチックの割れを片づけました。
誰も教えてくれなかったので夕方見て良かったです。
雨の中門扉の内側のポーチに置きました。
ムラサキシキブがずいぶん折れていたので整理するのが大変です。
今日雨が上がったら新しいプランターに移せるものは移そうと思います。
今度は通行する人が危険なので落ちないようにコンクリートドリルで固定する金具を付けておかねばと思います。
門柱の上に固定してその下のブロックまで落ちたら大変ですからどう固定するか考えなければなりません。
その後また外を確認に出たら塀の内側に吊ってあった大型のジョウロがエアコンの室外機の上に飛ばされていましたので地面に降ろしました。
今まで門の上のプランターが落とされたことはありませんので暴風域はかかりませんでしたがかなり強い風と言えます。
「 打ち上げ花火のような 」
最近のテレビを観ていると昔と違って多くの人が出ていますが、特にお笑いの人は一発芸で売れると出ずっぱりであっという間にすぐ飽きられて出なくなる人が何と多いことか。
流行、 流れゆくものは儚いですね。
ま、人の夢とかいてはかないでしょうけど。
残っていくのはすごく難しいことです。
昔ダイビングをやっていた頃、だんだんブームになって女性が増えてきました。
女性が興味を持つとその趣味は終わる と良く言ったものです。
女性は流行に敏感です。
男性は生まれてからずっと人生を引きずっていますけど、女性は子供から少女期、思春期、そして結婚、夫の介護をして看取り、一人暮らしと言う環境の変化に実に適応力があるなと思います。
それだけに新しいものに対する興味も敏感なのでしょうね。
男性がずっと続いている西暦だとすると女性は年号みたい。
そうすると日本は女性的なのかな。
「 ちょっこっと教育論 」
これからは人でなければ出来ない仕事が生き残って行くのかなと思います。
創造的な仕事とか、医療、看護、介護、接客あたりかな。
これらは機械で出来るようになったとしても、どうです?抵抗ありませんか。
病院に行って箱に入ると色々機械に診察、分析されて入院したら機械が看護するとか、機械に介護されるのどう思います?
亡くなったら病室からベルトコンベアで運ばれ全自動火葬とか そこに愛はあるんか? ですよね。
今の教育は全員横並びを目指して個人の優れた部分を伸ばすと言うものではありません。
私は息子に対して良いところだけを褒めました。
例えば良かったら科目は褒め、悪いものに関して何も言いませんでした。
良いところを出来るだけ伸ばすのが良いと考えていたからです。
それは私が子供の頃、通信簿を持って帰ると父に長いことねちねち言われて嫌な思い出しか無かったのです。終業式の日は嫌だったな~。
その点と喫煙(私も息子も生まれてこのかた喫煙は一切していませんし、大嫌いです)に関して父は反面教師だったわけです。
不得意を追及して小言を言うのは違っているよな、得意を褒めてもっとやる気にさせくれたら良かったのにと思います。
まあ、父も仕事が忙しい年齢だったので仕方ありません。
家計的にも年齢的にも厳しい時代に私を東京の大学に行かせてくれたので私の今があるのは父のおかげです。
あの頃父は胃潰瘍になって手術するなど父なりに大変だったのだろうなと思います。
父が74歳で亡くなったのは私が苦労をかけたせいでしょう。
反面教師にもどります。
そう考えると私の子供時代は息子を育ている事に役立っているのです。
親の役目は子供の特性を見ぬき、伸ばしてあげる環境を作ることだと思います。
お母さんがたに多いと思いますけど、 国語は良いけど、数学と英語をもっと頑張りなさい と言ったような 言い方をするのは反対です。
勉強は強制されても身に付きません。
苦手科目をやるように強制したらその教科はますます嫌いになります。
後に興味を持ち自主的に勉強しようとする芽を摘み取っているのです。
必要だと思って自主的に勉強して初めて自分のものになります。
息子は大学の学部の時まで英語は苦手科目でしたが大学院に行って自分で必要性を感じて勉強し始めて、博士課程の時には留学、今は人に教えたり翻訳や通訳が出来るほどです。
もちろんこれは息子の努力に他なりません。
私は環境を整えただけです。
おかげで私が生きてきた甲斐はあったのかなと思えるので息子に感謝なのです。
さすがにキャットドアをそのままにしたら雨が吹き込んでくるので外の雨戸を閉めました。
ニャンは困るかなと思いましたが強風の雨の中を出すのはちょっとまずいので我慢してもらう事にしました。
( 追記 )
「 ニャンの飼い猫暮らし 」
ニャンは夜外出させなかったのでいました。(当たり前)
起きてすぐプランターを門の上に戻し、落ちにくいように確保し折れた枝などを整理して外の葉っぱなどちらかったものを掃除、何事もなかったかのように復旧しました。
プランターが外に落ちないように細工する良い方法を思いついたので金具が届いたら細工します。
今までプランターが落ちたことはなのでそうとう風が強かったのです。
テレビのアンテナも外から確認して異常なし。
電線類も大丈夫でした。
家の前のセレモニーホールの駐車場の関係ない人は止めないようにという張り紙のあるパイロンは掲示板の足にビニールひもで縛っておいたのでそのまま無事、飛ばされなかったです。
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