トーク・アバウト・アメリカン

トークアバウトボーラ→300C→アメリカン。最近はアメリカからだいぶ外れてきています(笑)

アンコール遺跡の四方山話

2009-12-16 23:56:00 | アジアン
出張続きで・・しかも休みがなく300Cネタは進展ありません。よって、画像整理がてらアンコールトム、ワット内の四方山話です・・。

downまずは、アンコール・トムにあるこの仏顔像ですが・・
ガイドさん(クメール人)は京唄子さんだと言ってました。
クメール人のあなたが京唄子をなぜ知ってルカ?若い日本人は知らないぞ(笑)

おっと、彼の営業ネタを・・こんな所で公開してはいけなかったのかもしれません(笑)

downこれはアンコールワット内に彫られた乳海撹拌の図。全長49メートルに渡って彫られています。

乳海撹拌とは、
海をかき混ぜることで得られるという不老不死の薬を求め、善の神(88体)と悪の神(91体)が大蛇で綱引きをして、やがて海から太陽や月、宝石や女神達が飛び出し世界が誕生したのだと言う、(ヒンドゥーの世界観である)世界の始まりがあらわされています。
善の神は88体なのに対して、悪の神は91体なのは、人生は悪い事や、つらいことが良い事よりも多くて当たり前。と言う事らしいです。う~ん、深い。

downこちらは日本人向けの観光ガイドにも載っている、日本人だけが反応する落書き(笑)
今から、380年も前の1632年にアンコールワットを訪れた肥前松浦藩士の森本右近太夫が残したものです。落書きも時を経ると遺産になるんですね(笑)

実物は、カンボジア内戦時に立てこもったクメール・ルージュによってスプレーで塗りつぶされたのでこのように見難いですが、下のような事が書いてあるようです。
「寛永九年正月初而此所来 生国日本/肥州之住人藤原之朝臣森本右近太夫/一房御堂心為千里之海上渡/一念之儀念生々世々娑婆寿生之思清者也為/其仏像四躰立奉者也」

「寛永九年(1632年)正月初めてここに来る。生国は日本。肥州の住人藤原朝臣森本右近太夫
御堂を志し数千里の海上を渡り。一念を念じ世々娑婆浮世の思いを清めるために
ここに仏四体を奉るものなり。」

簡単にまとめると父母のお骨を祇園精舎に納める為にここに来ました。と言う事ですね。
当時の東南アジアには多数の日本人(商人や浪人)が住んでいました。(アユタヤの日本人町や山田長政が等が有名ですね)
そんな日本人達からこのアンコール・ワットを祇園精舎だと聞いて訪れたのでしょう。(当時はもう廃墟だったとはいえ、この壮大なアンコールワットを祇園精舎と思ったのは無理ありませんね。)
その後、森本右近太夫は無事に帰国したようですが、当時日本は鎖国中。(外国に行った事自体内緒なので)このアンコール・ワットが日本で書物などに著されることはなく、日本人に広く知られる事はありませんでした。
こうしてアンコールワットは1800年代後半にフランス人に発見されるまで、忘れ去られること(ジャングルの奥深くに眠ること)になるのです。

こういうネタは出張続きや休みが取れない日々の手抜き記事・・みたいな位置づけなのですが・・デジカメ画像を加工したり、メモ見返したり、調べたり・・でこちらの方が大抵大変です(笑)

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