西長堀にある細野ビルジング。昭和11年に建造されたビルジングである。
このビルジングにて、大阪楽座事業採択事業『林英世 ~ひとり語り~』の最終公演
『江戸川乱歩・芋虫』が九月九日に行なわれた。
昭和初期の建造物の持つ、近代的な造り。実際に事務所として使われていた歴史の染み付いた空間。
英世さんが建物の下見に来た時に、パッとインスピレーションを感じられたらしい。ここで語るのは『芋虫だ』と。
開場1時間前くらいに、一転にわかに欠き曇り・・・といった感じで夕立ちが来た。雷を伴って。
バケツをひっくり返したように振る雨と、稲光り。
それが会場につくとピタっと止んでいた。
雨に洗われた細野ビルジングに乗り込んだ私を出迎えてくれたのは、セピアの空間。
外界と扉一枚で区切られたその空間で、語られる。
渋い紫の着物を纏い、英世さんが淡々と語る。
私は江戸川乱歩を読んだことがなかった。初めての出会いが、この『芋虫』なのだ。
タイトルの印象だけで、かなりグロテスクな内容をイメージしていた。
実際、出会ったそれは違っていた。
確かにグロテスクな物語ではあった。しかし、そこにはそれのみが語られていたのではなく、もっと人間の内面的な心の動きが記されていた。
主人公のトキコの心の動きは
言葉によって記される。
もう一人の主人公、夫の心の動きは多分行間に記されていたのだろう。
五感のウチで
視以外の感覚を無くした夫。最期には光さえも失って、彼が感じたものは何だったのかは解らない。でも、最期の力を使って彼が選んだものに、私は涙した。
静かな静かな、スローモーションのようなラストであった。
窓に掛けられた日よけから差し込み壁にうつるトラックのライトなんかも一種の演出に感じられた。
光を失った夫のシーンでふっ・・・と過ったりして。
途中、うわぁ・・・と思うシーンもあったが、聞き終わった時には何故か清々しい感じさえ覚えた。
実際の乱歩の作品は推理小説が軸なので、コレはある意味異例の作品だと一緒に聞きに行った京ちゃまが教えてくれた。
人間の内面をえぐり出す作品。非常に素晴らしく、面白かった。
英世さんが最期の挨拶の時におっしゃっていた。
作品の持つ空間・語る英世さんの作り出した空間・建物の持つ空間・・・そこに客の持つ想像力が引き出され今回の語りの作品は出来上がっている、と。
英世さんのブログにも書かれている『言葉の世界と人が出会うとき、私たちの想像力が働く時、感動が生まれます。』
とても濃厚な時間を共有させて頂けた。
そして、この日は千秋楽であったこともあるのか、語りの後に飲み物が用意され、閑談できるようになっていた。アルコールも入り、各々友達同士喋りあったり英世さんと話したり・・・なんだかとても素敵。
京ちゃまとワインをいただいてから帰路についた。
重陽の節句。乱歩の世界を聞き、人間の内面を浮かせつつ、ワインをいただいた。
もちろん家に帰ってから、秋刀魚を突きつつ菊酒も飲んだ。
仕事も微妙に順調で、非常に旨い一日であった。
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細野ビルジングの外観