ここ数日で、いろいろ書きたい事、書く事、が、山積みになっているのに!
日付け順で書くとするなら、これは最後になってしまうはずなのに!
ダメなの。今日の話題は全てを押し退け、これ。
蘇我鞍作邸跡
まだ、確定はされておりませんけどね。7世紀代としか確定されておりませんし、礎石も、鞍作邸にしては小規模なものばかりなので、これは従者の住居跡であるのでは、というのが有力だとか。
それでもね、鞍作に関する「何か」が発見されるってのは、鞍作ファンとしては、ごっつ嬉しい事なんです!!もぉ、ハフハフするくらい!
今後の『谷の宮門』の発掘に期待がかかります。
どうなるんだろう。。。
蘇我鞍作をしらない人の為のワンポイント
一番ポピュラーな呼び名は蘇我入鹿である。
時の天皇をも凌ぐ大豪、蘇我家宗家の最後の大郎(たいろう)。
642年、聖徳太子の子、山背大兄皇子を襲い、上宮王家を滅亡させる。この後、宝皇女が皇極天皇として即位、年号を皇極に改める。
643年、父、蝦夷(豊浦大臣・とゆらのおとど)より紫色の冠を頂き、大臣として働きを行う。積極的な外交と仏教の普及に勤め、飛鳥板蓋宮(あすかいたぶきのみや)の建設等にも携わる。
葛城山に蘇我氏の祖先を祀る神社を作ったのもこの頃。また、蝦夷の邸宅(上の宮門・かみのみかど)と自身の邸宅(谷の宮門・はざまのみかど)を甘橿の丘陵の上に築く。周りに柵をめぐらし、漢氏を指揮とした兵を置いたその造りは、要塞の様であったとも。さらに雙墓(ならびのはか・蝦夷と鞍作の墓)の作成も行う。
645年、乙巳の変にて中大兄皇子(後の天智天皇)並びに中臣鎌足らによって宮中太極殿にて暗殺される。この後に年号を大化と改め、改革が行われる。この改革を明治以降『大化の改新』と呼ぶ事となる。日本古代における最大のクーデター。
655年(斉明元年)、葛城山より青い笠をかぶった鬼が龍に乗り生駒山の方へと飛び、大阪方面、住吉から西に向かって飛び去るのが目撃される。
661年(斉明7年)、斉明天皇(皇極天皇が重祚)が百済援助の兵を挙げた時、九州にて鬼火が見られ、その頃から兵が病で次々と死んでいく。九州へと赴いていた斉明天皇も病没。この時、笠をかぶった鬼が再度現われ、斉明帝の葬儀をジッと見ていたという。
葛城山、生駒山共に蘇我系の山である。鬼=蘇我の怨霊と言う説も。。。
(参考資料:日本書紀、古事記、日本霊異記、古代史の秘密を握る人達、飛鳥王朝史、等)
杉本苑子さんの「天智帝をめぐる7人」で、鞍作への認識を変えたオイラである。(風鐸・軽皇子の章に出てくる)
読んだ後に、早速調べてみることに!しかし…あまりにも有名なのに、全然資料がないのはどういうこった?授業で習った通りなら、史上稀に見るワルモノ。しかし、歴史には常に表と裏がある。もしかすると、とても斬新で、熱血で、切れ者すぎたのかもしれない。時代にマッチングしなかったそういう人は、えてして、時の流れからはじき出され消えゆく運命である。勝てば官軍、負ければ賊軍。死人に口無しだもんね。
・・・言う事で、オイラの中では鞍作は『時代を先取りし過ぎた切れ者』と認識されている。一番のバイブルは関 裕二さんの著書達である。関さんの本を読むと、歴史は表ばかりでなく、裏側からも見なければ。。。と言う気持になる。
・・・あぁ、単なる歴史オタクのたわ言じゃ。
日付け順で書くとするなら、これは最後になってしまうはずなのに!
ダメなの。今日の話題は全てを押し退け、これ。
蘇我鞍作邸跡
まだ、確定はされておりませんけどね。7世紀代としか確定されておりませんし、礎石も、鞍作邸にしては小規模なものばかりなので、これは従者の住居跡であるのでは、というのが有力だとか。
それでもね、鞍作に関する「何か」が発見されるってのは、鞍作ファンとしては、ごっつ嬉しい事なんです!!もぉ、ハフハフするくらい!
今後の『谷の宮門』の発掘に期待がかかります。
どうなるんだろう。。。
蘇我鞍作をしらない人の為のワンポイント
一番ポピュラーな呼び名は蘇我入鹿である。
時の天皇をも凌ぐ大豪、蘇我家宗家の最後の大郎(たいろう)。
642年、聖徳太子の子、山背大兄皇子を襲い、上宮王家を滅亡させる。この後、宝皇女が皇極天皇として即位、年号を皇極に改める。
643年、父、蝦夷(豊浦大臣・とゆらのおとど)より紫色の冠を頂き、大臣として働きを行う。積極的な外交と仏教の普及に勤め、飛鳥板蓋宮(あすかいたぶきのみや)の建設等にも携わる。
葛城山に蘇我氏の祖先を祀る神社を作ったのもこの頃。また、蝦夷の邸宅(上の宮門・かみのみかど)と自身の邸宅(谷の宮門・はざまのみかど)を甘橿の丘陵の上に築く。周りに柵をめぐらし、漢氏を指揮とした兵を置いたその造りは、要塞の様であったとも。さらに雙墓(ならびのはか・蝦夷と鞍作の墓)の作成も行う。
645年、乙巳の変にて中大兄皇子(後の天智天皇)並びに中臣鎌足らによって宮中太極殿にて暗殺される。この後に年号を大化と改め、改革が行われる。この改革を明治以降『大化の改新』と呼ぶ事となる。日本古代における最大のクーデター。
655年(斉明元年)、葛城山より青い笠をかぶった鬼が龍に乗り生駒山の方へと飛び、大阪方面、住吉から西に向かって飛び去るのが目撃される。
661年(斉明7年)、斉明天皇(皇極天皇が重祚)が百済援助の兵を挙げた時、九州にて鬼火が見られ、その頃から兵が病で次々と死んでいく。九州へと赴いていた斉明天皇も病没。この時、笠をかぶった鬼が再度現われ、斉明帝の葬儀をジッと見ていたという。
葛城山、生駒山共に蘇我系の山である。鬼=蘇我の怨霊と言う説も。。。
(参考資料:日本書紀、古事記、日本霊異記、古代史の秘密を握る人達、飛鳥王朝史、等)
杉本苑子さんの「天智帝をめぐる7人」で、鞍作への認識を変えたオイラである。(風鐸・軽皇子の章に出てくる)
読んだ後に、早速調べてみることに!しかし…あまりにも有名なのに、全然資料がないのはどういうこった?授業で習った通りなら、史上稀に見るワルモノ。しかし、歴史には常に表と裏がある。もしかすると、とても斬新で、熱血で、切れ者すぎたのかもしれない。時代にマッチングしなかったそういう人は、えてして、時の流れからはじき出され消えゆく運命である。勝てば官軍、負ければ賊軍。死人に口無しだもんね。
・・・言う事で、オイラの中では鞍作は『時代を先取りし過ぎた切れ者』と認識されている。一番のバイブルは関 裕二さんの著書達である。関さんの本を読むと、歴史は表ばかりでなく、裏側からも見なければ。。。と言う気持になる。
・・・あぁ、単なる歴史オタクのたわ言じゃ。
感動ですよね。行きたいです。奈良。
でも、お名やら、生涯やらは、知りませんでした。
勉強になりました。
私の中では、山岸涼子の「日いづる」の人でした。
尊敬です。
是非是非、杉本苑子さんの小説を読んでみてください。鞍作の新たな一面を想像する事が出来ます。
「日いづる」では、蝦夷の印象が強くって、息子までは記憶に無いんですよね^^;今度読み返してみよう~。
奈良、イイッスよ。時間がゆぅるりと流れている気がする。京都の平安的な緩やかさではなく、古代の「古(いにしえ)」という言葉が似合う時間です。奈良をブラブラ歩くのも大好きなの。田んぼの中とかに古代の古道があったりするので^^
歴史マニアを自称する人は、私のまわりにはいないし、
日本史の授業での知識レベルすら維持するのが困難な環境ですが、
この記事読んだら、ちょっと歴史好きになりそうだ。
蘇我さんちはみんなワルモノだって習った気がするんだけど、
すんごいかたよった知識だよね・・・
勉強勉強。
素敵なお式だったようで
既に、新妻ですな
鞍作に限らず、必ず出来事には表と裏があるじゃないですか。忠臣蔵だって、吉良さん側から見たら、浅野さんちの方が悪いってなるんだろうし。両方を見て、フムフムって思ったほうが、歴史は面白いなぁ、って最近思うようになったんですよ
オイラも、歴史のテストは好きなところ意外は最悪でしたよ
殆どテストに出ない部分ばっかり調べてたから、意味なしだったし。
世界史選択だった私は日本史にまーーっったくうといんだけど
この間、草なぎ君がやってたTV「日本の歴史」で
蘇我入鹿の出てくるドラマやってるの見たら
結構面白そうだなあって思ったよ~。
(すごい馬鹿っぽいコメントでゴメン)
いやいやいや。おいらも、興味を持って調べ始めたのは殆ど社会人になってからだよ
元々、宇宙皇子という小説で大津皇子が好きになって(ただし、2巻で亡くなりましたが)、友達の影響で新撰組にハマった中学時代。新撰組から、薩長土及び皇族アタリにも興味が出てきた高校時代。ついでにその頃に安倍晴明にも傾倒し大学になる頃には、聖徳太子アタリに興味が移ったのね。社会人になってすこしして国造りの神話の時代くらいまで遡りましたの。でも、また、大津に戻り大津の時代を調べているうちに鞍作に及んだと・・・。
あっちこっちに興味が移りつつも、だんだん歴史が一本に繋がってきていて、おぉ!とか思ってる、今日この頃なのですわ。
テレビの影響(特に誰が演じたか)も大きいよ~。それで、時代背景調べだすもの^^