光と影の軌跡Ⅱ

つれづれなるおじさんの写真日記

石仏の集い-木更津市牛袋と十日市場周辺

2023年11月29日 | 日記

 11/13(月)昼過ぎに木更津市の小櫃川周辺をツレと散策しました。中郷大橋が架かり木更津市老人福祉センターがある場所です。この周辺は弥生時代からの考古学的遺跡や神社仏閣も多々保存されている地域です。

 私たちが今回訪問したのは、石仏が多く集められている場所で、ほとんど一般には知られていません。最初の写真は石仏が5体並んでいる場所で、周りに木が茂り、その隙間から光が差し込んでいるとても神秘的な処です。

 

 それぞれの石仏の前には献花された後が残っているので、時々どなたかがお世話をしている様です。

この石仏たちの隣にも同じ様な石仏が置かれています。

 石仏の中に百地蔵のある袖ケ浦市・延命寺の石仏とよく似た道標を見つけました。何か関係があるのか分かりませんが興味深い石造記念物です。

 この場所から直線距離で、1㎞位袖ケ浦方面に進むとコの字方に置かれた石仏群があります。ここは何度か紹介していますが、場所は木更津市の十日市場で鉄工所と田んぼの間に位置しています。

 袖ケ浦方面に行く時によくここを通りますが、この先には新しく見つけた観音様に似た田の神様や、弟橘媛の御陵といわれる吾妻神社等があります。これらの遺跡との関係も多少はあるのかもしれません。

 この石仏群もお盆やお彼岸になると、お線香や献花が置かれているので関係者の方が管理をしているようです。

 木更津郊外にはこのように石仏を収めた場所が沢山あります。一部の人の間で信仰され未来に繋いで行くのでしょうが、私たちはこんな歴史の陰に隠れた素晴らしい遺跡が、日の目を浴びるようにできるだけ紹介していこうと思っています。壊れたり破壊される前に撮影し残したいものですね。


我が家の猫と新しく来た猫たち

2023年11月27日 | 日記

 半年近くUPしていなかったので、家で飼っている猫の近況を紹介します。上の2枚は相撲のTV中継を見る・妹猫ポンタです。TVを見ているところを急にカメラの方に顔を向けさせたので、少し怒っています。

 9月のある日、ツレが猫のTシャツを着ていたので、近くにいたぽんたを抱いてもらい撮影しました。

 10月のある日、姉さん猫のチビタが椅子にのり、下を頻りに気にしていました、虫を見つけたのです。名前を呼ぶと私の方に首を向けてニャンと鳴きました。愛想のない猫です。

 7月のある日、白黒でシッポが黒い猫と、小型の三毛猫が家にやってきました。白黒猫は黒シッポ、三毛はミケッチと名づけられ我が家の猫の仲間入りです。ミケッチは顔全体が黒いので、目が何処にあるのか分かりません。

 この2匹はとても仲がよくて、餌を食べる時も少し年上と思われる黒シッポが食べ終わるまで待って、それから食べます。2匹はほとんど外にいますが、中にいる先輩猫にはほとんど近づきません。多少の猫の礼儀は心得ているようです。


上総晩秋の風物詩・落花生の豆ぼっち②-袖ケ浦市

2023年11月24日 | 日記

 11月中旬になっても、近所で落花生の豆ぼっちを見かけないので、ツレと袖ケ浦市ミツ作や蔵波地区に行ってみました。ミツ作では見られなかったのですが、蔵波でやっと見る事が出来ました。落花生屋側の落花生畑で、4~5個の豆ぼっちが残っていました。

  畑の隅では、農家の人が作物の取り入れをしていました。落花生かも知れません。

 手前の畑には落下生が実を上にして干してあり、その手前はトウモロコシが実を付けていました。トウモロコシ今年は実がつくのが少し遅いようです。

 

 落花生屋には、プラスチック製の容器に落花生が沢山入れられ、積み上げられていました。乾燥させているようです。。

 撮影の後落落花生店に入りました。残念なことにもう落花生は売り切れていました。現在販売しているのはゆで落花生で、店の中に置かれていた大きな釜でゆでたそうです。焙煎さや付き落花生は12月になったら売り出すので、早めに来て購入しようと思います。


不思議な石灯籠のある神社-木更津市大寺・熊野神社

2023年11月22日 | 日記

 木更津市大寺の熊野神社を訪ねました。11/13(月)のことです。以前に何度か訪問しているのですが、境内にある不思議な石灯籠(?)を見たくてまた来てしまいました。

 この神社の社殿右には上総大寺廃寺露盤と呼ばれる、1辺約135cmの石造物が置かれています。これは7世紀後半上総国最古の寺院に建造された5重の塔の最上部にあった四角い盤で、防水の役目を果たしていたと言われています。この周辺には上総大寺廃寺の中心部が置かれ、繁栄していたようです。

また手水鉢には安政5年(1776年)7月と刻まれており、この神社自体も古くて由緒ある寺院のようです。

 上は神社社殿の右側に置かれた物。下は左に置かれた物です。両方とも幅は60cm位あります。

  石灯籠の様な建造物には丸い車輪を思わせる物が4つ付いています。

 2つともほとんど同じ形ですが、微妙に違っているのでUPしておきました。上が右側の物。下が左側の物です。不思議な形の石造物です。神社に誰かいればいいのですが、いつも誰もいないので聞くことが出来ません。

 境内にはイチョウの葉や銀杏が沢山落ちていて晩秋の景観です。お正月にでも来てみようかと思っている今日この頃です。


ヤマトタケルと弟橘媛伝説を訪ねて②-もう一つの弟橘媛遺跡

2023年11月20日 | 日記

 袖ケ浦市の吾妻神社を訪ねた2日後の11/13(月)、ツレとそこから東に約800~900mの場所にある御鉾神社(みほこじんじゃ)に行きました。ここは県道145号線と143号線から延びた道路が交差する地点にあります。

 その交差点には、信号に三黒宮の前(みくろみやのまえ)という信号機の名称が付けてありました。神社の前には金属製の鳥居が立てられ、その奥の社殿も立派な物が建てられています。三黒の吾妻神社より大事にされているようです。

 この御鉾神社は口碑(こうひ)によると、吾妻神社東方七~八丁(一丁は約109m)の所に御鉾社と称する社あり、弟橘媛・御葬事の際、尊御鉾を立てし所なり。二社東西の相対せるを以て村民、之を東宮西宮と称すと伝えられています。ただ由緒書もありません。それでこの神社をぐるっと回ってみたのですが、神社の名称はどこにもありませんでした。不思議な神社です。

 神社の境内には、石で出来た小さな祠等が数点おかれていました。

 またこの2つの神社の地名は三黒ですが、他にも弟橘媛に因んだ地名があったようです。姫子添(ひめこぞえ)や休所(やすみどころ)。そこはヤマトタケルが弟橘媛の亡骸とともに休憩した場所といわれています。

 この神社の鳥居の前から、吾妻神社の森を見ることが出来ます。真ん中の高圧電線の鉄塔の右側が吾妻神社です。下の写真では乗用車の向こう側の森がそれてす。こうしてみると2つの神社があるのには、特別な意味があったのかも知れません。古代日本の葬儀の際の儀式でしょうか?

 またこの2つの神社の側を小櫃川が流れています。小櫃川は千葉県では利根川に次いで2番目に長い川です。清澄山系に源を発し、木更津の久津間、畔戸海岸から東京湾に注いでいます。

 海に身を投げた弟橘媛の亡骸が、7日後にこの畔戸海岸に打ち揚げられました。それを見つけた付近の住民が、哀れに思い山で木を切り、それをこの川に流し媛の亡骸を納める「小さな櫃」を作ったとの由。以来その川を小櫃川と呼ぶようになったそうです。この周辺はヤマトタケルと弟橘媛伝説に満ちており、住民はその伝説を大切に守りながら生きてきました。下は今年3月に撮影した桜咲く小櫃川です。


ヤマトタケルと弟橘媛伝説を訪ねて①-吾妻神社・弟橘媛の御陵

2023年11月17日 | 日記

 11/11(土)以前から調べてみようと思っていた袖ケ浦市三黒(みくろ)417に在る吾妻神社をツレと訪問しました。ここは先日撮影した袖ケ浦の田の神様近くにあります。一見田んぼの中の小山のような森ですが、妙に目を引く場所です。

 鳥居を潜るといろいろな巨木や石の祠等がありました。江戸時代には松見寺というお寺が建てられており、富士塚碑や虚無僧に関する説明板が設置されています。

 

 広い境内の左端に社がありました。木造の小さな社で、大分傷んでいます。ここが吾妻神社の社殿のようです。

 ここでヤマトタケルと弟橘媛ついて説明をしておきます。ヤマトタケルは景行天皇の次男と言われていますが、実在の人物ではないというのが学問上の定説。従ってヤマトタケルの東征伝説も架空の作り話というのが一般論です。しかし日本各地に数多く残っている証左は、何もないところに在る話にしてはつじつまが合いません。確かに元になる人物や物語が存在したのです。

 この神社には臂松古墳(ひじまつこふん)という古墳があります。この臂松古墳という文字が刻まれた石柱の向こうに、2~3mの高さの円墳が鎮座しています。これが妃の弟橘媛を埋葬した御陵と言われているのです。

 ヤマトタケルが東征の際、速水の海(浦賀水道)で嵐に遭い、妃の弟橘媛が海に飛び込み漸く上総の地に着かれました。弟橘媛の遺骸は七日後に木更津の畔戸(くろと)の浜に流れ着きました。この遺骸と櫛を茂原市本納の橘樹(たちばな)神社に移動する際、この地で御車が動かなくなってしまいました。その為本納には櫛(一説には首飾り)を送り、亡骸(なきがら)はここに葬ることになりました。これが臂松古墳です。そしてこの地は御骸(みくろ)村と名付けられ、やがて三黒(みくろ)となりました。

 この上下の写真が臂松古墳です。あまり手入れがされていないので、木や草が茂っています。

 またこの近くで年配の男性が田んぼの手入れをしていました。そんなのどかな光景を見ながら、ツレとこの古墳にお参りし、4世紀に造られたと言う弟橘媛の御陵が本当にここなのか、それともただの伝説なのか?考えながら帰宅の途につきました。


袖ケ浦市三黒(みくろ)の田の神様

2023年11月15日 | 日記

 11/3文化の日ツレと農村公園・ひらおかの里に行った帰り、田んぼの中にポツンとある田の神様をお参りに行きました。

 本当に不思議な神様です。稲刈りが終わった田んぼにポツンと周りを見渡しているように佇んでいます。

 周りには高圧電線の鉄塔か、白い台形をした家畜用飼料が並んでいるのが見えるだけです。

 田の神様の周りの田んぼは、焼け焦がした後があるので野焼きをしたようです。

 田の神様の後ろに回り撮影してみました。

 100m位先に道路があり、その向こうには館山自動車道が走っています。道路際に置かれているのならわかるのですが、田んぼの中にひっそりと立っている不思議な神様です。そしてお地蔵様のように見えますが、近くに行って確認すると観音様のようなお姿をしています。

 前の道路も車がひっきりなしに通ります。車の中からこの田の神様を見る人がいるでしょうか?もっと注目されてもいいのではと思います。

  でもこの田の神様はこんな鄙びた光景がよく似合います。このまま変わらずに、通りゆく人や車をを守っていただきたいと思う今日この頃です。


ひらおかの里で大根とサツマイモを購入・河津桜も咲いてます

2023年11月13日 | 日記

 11/3文化の日、この日は晴れの特異日だと聞いたことがあるのですが、それが当たり気温も25度を超える晴れの日になりました。それでツレと袖ケ浦市の農村公園・ひらおかの里を訪問しました。何か農業関連のイベントが行われているのではと期待していったのですが、空振りでした。

 ただ管理棟に行って見ると張り紙があって、サツマイモ1kg100円、ダイコン1本120円と書かれていました。野菜が高騰している今日この頃、これは見逃せないと思い購入することにしました。管理棟にいた方にサツマイモ2kgとダイコンを2本お願いしました。

 サツマイモは女性が倉庫に取りに行ってくださり、ダイコンは男の方が畑に行きましょうと行って案内してくださいました。そこで植えられたダイコンを2本引き抜いてくれたのです。「新鮮ですよ」と笑って袋に入れてくださいました。帰宅してからフロフキダイコンや煮物で頂きましたが、新鮮で実に美味しい大根でした。

 また管理棟の前には落花生が干してありました。ここは何でも作っているようです。その後公園内を散策しましたが、まだコスモスが咲いていました。

 今年は馬来田の武田川コスモスロードに行きませんでしたが、ここのコスモスも十分楽しめる美しさです。

 最後にひらおかの里を流れる小川の側を通って駐車場に行きましたが、川沿いに河津桜が咲いていました。この桜は11月にも咲くのですね。感心しました。11/7の東京新聞にも八千代市の新川沿いに、河津桜が咲いているという記事がありました。これも異常気象のなせる技のようです。


オスプレイの飛ぶ町・木更津③-畦戸漁港上空

2023年11月10日 | 日記

 11/2(木)ツレと久しぶりに畦戸(くろと)漁港を撮影に行きました。午前11時頃、ホテル三日月横の畦戸漁港に到着。相変わらず静かな漁港です。

 この日は満潮が午前7時56分、それから約3時間後ですから漁港周辺はまだ海水に覆われています。この漁港は砂が漁港内に入り込み、船の入出港が出来なくなって現在は使われていません。それでほとんど漁師の姿が見えないのです。

 暫くこの鄙びた漁港の写真を撮っていると、上空から甲高い爆音が聞こえてきました。陸上自衛隊木更津駐屯地のV-22オスプレイです。

 オスプレイのエンジンは英国のロールス・ロイスホールディングスが製造するT-406。高性能のエンジンなので、爆音も通常のヘリコプターより一段上の喧しさです。

 市街地からオスプレイがアクアライン方向に飛行してきました。オスプレイの全長は約17.5m、全幅が25.54m、全高6.73mです。

 アクアライン上空を飛行するオスプレイを撮影すると残念ながら、オスプレイが小さくてはっきりとは写りません。下は風の塔を入れて撮ったのですが、オスプレイの飛行位置がわからないので、風の塔と大きさは比べられないですね。

 その後オスプレイは海の方向に飛行して行き見えなくなりました。

 暫くすると先程と同じ場所にオスプレイが姿を現しました。何度も同じコースを飛行して訓練しているのでしょうが、この飛行コース周辺に住む人たちは轟音で大変でしょうね。それにしても最近よくオスプレイを見かけますが、戦争が多発している今日この頃、何か有事が起こらないことを祈ります。


灯籠坂大師の切通しトンネル-富津市

2023年11月08日 | 日記

 10/18(水)ツレと保田漁港を撮影した後、国道127号内房渚ラインを一路木更津に向けて走行しました。途中JR竹岡駅付近で、この近くにある灯籠坂大師の切通しトンネルのことを思い出し、寄ってみることにしました。

  竹岡駅から4~5分127号線を上総湊方面に走ると城山隧道です。隧道の出口側に赤い鳥居のようなゲートがあり、それを入ると灯籠坂大師の駐車場です。駐車場には乗用車が2台とバイクが3台止まっており、バイクの周りにはライダーが数人いて雑談をしていました。駐車場の先に灯籠坂大師入り口と刻まれた石柱があり、その横のトンネルを進みます。

 このトンネルの下にはJR内房線が通っており、運がよければ列車の通過音と振動が味わえます。

 このトンネルを出るとT字路になっており、右が灯籠坂大師の切通しトンネル。すごい迫力のトンネルで、霊気が風になって押し寄せてくるようです。

 上を見上げると切り通し部分から光が綺麗に差し込んでいます。この切り通し部分とトンネルの部分を合わせると長さが100m位になり、高さは約10mもあるそうです。

 ゆっくり写真を撮りながらトンネル内を進みました。すると後ろから1台のバイクが私たちを抜いていきました。このトンネルは最初バイク仲間の口コミで有名になった場所で、よくバイクとトンネルの写真がUPされているのを見ます。

 トンネルを抜けると左に鳥居があリ、上の灯籠坂大師堂に行く階段が続いています。この大師堂付近で弘法大師空海が行脚中に腰を下ろしたという伝説が有る場所で、切り通しトンネルは大師堂に続く参道となっています。

 バイクの人も鳥居付近で自撮り写真を撮影していました。

 トンネルや太師堂そして周囲の光景を撮影した後、涼風の吹き抜ける灯籠坂の切通しトンネルをくぐり駐車場まで戻りました。不思議なことにトンネルの中を歩くだけで、パワーを頂いたよう感じます。そして気合いを入れてハンドルを握り、木更津の自宅に戻りました。