光と影の軌跡Ⅱ

つれづれなるおじさんの写真日記

御神水と鞨鼓舞(かっこまい)の古船浅間神社-富津市

2023年10月30日 | 日記

 このところ富津市の自然や遺跡・絶景を見ていないので、10/18(水)ツレと富津市郊外の紅葉ロードや道の駅「保田小学校」、保田漁協直営の「ばんや」等を巡ってきました。自宅を午前9時半に出発し国道127号内房渚ラインを南下し最初の目的地富津市鶴岡の古船浅間神社(こせんせんげんじんじゃ)に10時頃に到着しました。

 この神社に来たのは2回目です。以前御神水と鞨鼓舞が有名なので、市内関尻の「大わらじ」の作業風景を撮影の行った際に寄ったのです。そのときも他府県ナンバーの車が何台か来て御神水をペットボトル等に汲んでいました。今回も赤鳥居の前に1台車が止まり御神水を水のタンクに入れ車に運び込んでいます。

 ここの水は毎年水質検査を行っており、飲み水には問題ないことが公表されています。惜しむらくはこの御神水は井戸を掘ってポンプで汲み上げている水です。近年この周辺で道路工事や地殻変動があり、地下の湧き水が出なくなったので井戸を掘って無料で提供しています。(御神水の説明板より)

 カラフルな赤鳥居を潜ると本殿に続く40段の急な階段が目に飛び込んできます。階段横にはご神木のイチョウの大木が左右にそびえています。下は右側のイチョウの木。幹回り約3.4m、樹高約が24.5mあります。

 左手のイチョウの木は幹回り5.7m、樹高24.5mあり、左の方が少し大きいようです。2本とも樹齢は300年を超えています。

 なおこの広場では毎年7月の第一日曜日に鞨鼓舞(かっこまい)が行われています。これは明治以前より続いている行事で、雨乞い祈願のために奉納される踊りです。以前はこの地区の長男のみに伝承されていた舞とのことです。

 少しきついかと思ったのですが、階段を上ってみました。上から階段下を見るとちょっと怖いです。

 境内はそれほど広くなく、目の前に拝殿と本殿があります。ツレと2人でお参りをし建物を撮影させていただきました。本殿の梁に宝永9年(1709年)に建立したことが刻まれているそうです。しかし赤と黒のコントラストに塗られた本殿や拝殿が、とても現代的でモダンな雰囲気を醸し出していました。

 本殿の裏には、小さな鳥居と5つの石の祠が祀られています。そしてその横には「見ざる言わざる聞かざる」の三猿を納めた小さな建物がありました。この地方ではこの三猿像をよく見かけますが、なにか特別な信仰があるのでしょうか?

 最後にイチョウの大木を触ってパワーをいただき、次の目的地・もみじロードに向かいました。


雪化粧の富士山と青富士そして早朝の木更津内港

2023年10月27日 | 日記

 10/17(火)ツレと豆ボッチを撮影に行く予定でしたが、その前に自宅近くを散歩しました。この日はほとんど雲がなく、気温も25.5度まで上がってまた夏日です。朝から空気が澱んでいたのですが、雪化粧をした富士山が見えました。少し前の新聞には、富士山に雪が降り雪化粧をしたと報道されていましたが、これ程とは思いませんでした。

 この1週間前にも富士山を撮影しているのですが、その時はまだ山頂付近に雪は見られません。

 その後、車で木更津港の内港北公園に行きました。この公園は陸上自衛隊木更津駐屯地の近くで、中之島大橋や木更津港が一望できます。

 公園に着いたのは午前7時半頃。駐車場には他府県ナンバーの車があり、釣りをしている人が2~3人いました。

 また港内には細長いブイの様なものが沢山あり、海鳥の群れが翼を休めていました。このブイの様なものは牡蠣の養殖に使用するものだそうです。

 北公園から鳥のいるブイまでかなりの距離があるので、鳥の種類等ははっきりとは分かりませんが、カワウとカモメ、シラサギと思われます。

 沖から釣り人を乗せた小型の舟が戻ってきました。釣果はあったのでしょうか?木更津港ではハゼ、シロギス、カレイ、メバル等が釣れるようです。公園で釣っていた人に聞いてみるとハゼが2~3匹だけとのことでした。


晩秋の風物詩豆ボッチと赤く色づいたコキア-袖ヶ浦市

2023年10月25日 | 日記

 10/17(火)ツレとそろそろ上総地方の晩秋の風物詩・豆ボッチがみられるのではと袖ヶ浦市の三ッ作と蔵波地区を訪問して来ました。

 車で袖ケ浦公園の側を通り、三ッ作に入ったのですが豆ボッチがありません。漸く袖ケ浦給食センター付近で1つ豆ボッチを見つけました。いつもならこの周辺に沢山あるのですが、今年の異常気象の都合で遅れているのかもしれません。仕方がないので蔵波に行ってみました。

 JR長浦駅方面からくる道路を県道24号線方面に進んでいくとありました。豆ボッチが10~15個位見えてきたのです。

 

 そして豆ボッチの横には赤いコキアが植えられていました。綺麗ですね。コキアは和名をほうき草と言い、昔はこの茎を乾燥させてほうきを作っていたそうです。

 以前茨城の国営ひたち海浜公園で沢山のコキアを見て感動しましたが、ここのコキアと豆ボッチも負けていません。小さな畑の中ですが、季節の風物詩が素敵な2重奏を奏でていました。

 この後近くの新堰公園に行きました。この公園の側にも10個近くの豆ボッチが出来ていました。

 そして公園には幼稚園児が、大勢で遊びに来ていました。豆ボッチの側には来ませんでしたが、アングルを工夫して豆ボッチと子供たちの姿も撮影してみました。


長須賀のハス田でカルガモの大群に遭遇-木更津市

2023年10月23日 | 日記

 10/12(木)久しぶりにツレと木更津市長須賀地区を訪問しました。昔は長須賀地区はハス畑が広がりハスの一大生産地でしたが、現在は生産者の高年齢化と後継者不足でハス畑も瀕死の状態です。しかしこの使われていないハス田に野鳥が集まり、セイタカシギやカルガモ、シラサギ等を見ることができます。

 この日は午前6時30分頃長須賀に着きました。ここの野鳥を見るシーズンは夏と冬、秋も深まってきたせいかこの日は殆ど野鳥はいませんでした。先に来ていた野鳥撮りのおじさんに「何かいますか?」ときいてみると「いないね」と言う返事が返ってきました。何時もはカルガモやアオサギのいる農業用水にも何もいません。水面に映る雲が秋らしさを表現しているだけでした。

 いくらか残っているハス田のハスも殆どが枯れてきています。このところ急に気温が下がってきたので、そのせいかもしれません。

 長く伸びた雑草を踏み分けてJR内房線の線路の近くまで行った時でした。ハスが少ない溜池からカルガモが急に飛び立ちました。

 ハス池から次々にカルガモが飛び立っていきます。一体なん羽いるのでしょう?凄い数のカルガモ。今までどこにいたのか不思議です。

 最初は驚いたせいもあるのでしょうが、ばらばらに飛行していました。そのうち10羽位のグループに分かれて飛び去って行きました。半数位はもとの池に戻ったようですが、その他のカルガモは何処に行ったのでしょう。チョット心配です。


新しくなった田の神様-木更津市

2023年10月20日 | 日記

 10/12(木)ツレと以前田の神様の祠があった木更津市中里を訪問しました。トップの写真ですが、この写真は2011年2月にツレが撮影した物。その後老人福祉センターが付属する病院を建設するため、昔からあった祠と御神木を撤去したと思っていたのですが、新しく社と鳥居が設置されていたのです。

 以下のカットは2022年1月に撮影した工事中の病院の写真。

 その後、祠と御神木は撤去されてしまいました。

 この祠はどうなったのか工事関係者に聞いてみようと思っていたのですが、10月の初旬、ここの前を通ると立派な社殿とコンクリートの鳥居が出来ていたのです。

 後日この新しい田の神様の前を通ると年配の女性が、熱心に手を合わせていました。立派になりすぎたように思いますが、復活した田の神様に私たちも時々お参りをしています。

 またツレが出した写真集『木更津』に2009年1月に撮った木更津市畔戸の田の神様の写真が載っています。10/12中里の田の神様に行ったついでにここにも寄ってきました。2体の石仏はまだ同じ場所にありました。

 雑草もきれいに刈ってあります。2体の石仏の間隔が少し広がっていますが、それ以外は14年前と変わりません。ツレと今後もこのまま鎮座していることを祈願して帰りました。


高倉観音に咲く最後の白い彼岸花‐木更津市矢那

2023年10月18日 | 日記

 10/6(金)ツレと久しぶりに木更津市矢那の高蔵寺・通称高倉観音を訪ねました。まだ彼岸花が咲いているか見に行ってみたのです。

 ここ平野山高蔵寺・高倉観音は、真言宗豊山派の寺院。坂東三十三観音霊場第30番札所でもあります。創建は用明天皇の代(585~587年)に徳義上人が建立したと伝えられる古刹です。

 立派な山門の横に4年前の台風で倒れた寺のご神木の切り株があります。説明版には樹名は栂(ツガ)樹齢は400年以上とあり、手を当て古木の生命力を感じてくださいと書かれています。また切り株の横と下には小さな祠が置かれていました。

 山門を潜って本堂に行きましたが、山門の入り口付近でツマグロヒョウモン蝶を見つけました。ひらひらと飛び回り、砂利の間の水を吸っているようでした。前翅(まえばね)の先端部が黒く豹柄が派手なので雌のようです。

 以前は南西諸島や九州、四国でしか見られなかったのですが、地球温暖化で2006年位から関東や、福島県、宮城県、山形県でも普通に見られるようです。

 本堂でお参りをした後、境内を散策しました。境内には、石板や石仏が置かれ古い歴史を感じさせます。

 そして腰掛石という細長い石も置かれていました。側に説明版があります。それによると西暦650年7月に大化の改新で名高い藤原鎌足公が当地を訪れた際に、この石に腰を下ろし休憩をしたと伝えられる奇石だそうです。また境内奥には鎌足公にちなんだ鎌足桜の祖株もあります。

 また境内には珍しく犬がいました。柴犬ですが良く懐いた静かな犬で、犬好きのツレとしばらく遊んでいました。

  お目当ての彼岸花ですが、境内の隅に赤い彼岸花が少し咲いていました。ほとんど盛りは過ぎています。他にはないかと探したのですが、境内裏手に1輪白い彼岸花が残っていました。その周りには彼岸花の枯れた残りが、寂しそうな姿を見せ白い彼岸花を際立たせているだけでした。


延命寺の百地蔵-袖ヶ浦のパワースポット

2023年10月16日 | 日記

 毎年春と秋の彼岸には、お参りに行っている袖ケ浦市・高谷の延命寺ですが今年は少し遅くなって、10/3(火)にツレと訪問してきました。ここはお彼岸になると檀家の人達が、お地蔵札を裏山にある百地蔵に貼って供養するという地蔵参りが行われている場所です。

 延命寺は神亀元年(724年)行基上人によって創建された真義真言宗の古刹。また豊臣秀吉禁制の古文書を所蔵し、幕末には旧政府軍の歩兵隊が、寄宿中に官軍の攻撃を受けています。江戸時代になると三代将軍家光から寄進を受けるなどして、袖ケ浦では最も栄えたお寺の一つと言われています。

  本堂の横にはコロナ退散で知られたアマビエ像も祭られています。

 アマビエ像側の階段を上がると、もうそこに置かれた石板や石仏に無数のお札が貼られています。ただお彼岸からだいぶたっているので、剝がれたり落ちたりしているお札が目立ちます。

 裏山には小高い山に沿って細い道が整備されています。その横には沢山のお地蔵様や石板が置かれ、その石仏等に無数のお札が貼られています。

 道の途中に変わった形の古木がありますが、雷や台風の被害を受けてこんな形になってしまったのです。しかしまだ元気に生きており、春には桜の花を咲かせます。私はいつもこの木に触れてパワーをもらっています。

 裏山を登った途中から下を見ると、規則的に並んだお地蔵様や石板が見えます。そこに差し込んだ陽の光がまだらに影をつくり、神秘的な光景を見せています。

 そして百地蔵が置かれた山道の1番下の道には、大きなお地蔵様が鎮座しています。少し傾いていますが、私はこのお地蔵様に1番愛着があり親しみを感じます。

 そしてお地蔵様の中には、首から多くのお札が貼られた石仏や木の根に囲まれた愛らしいお地蔵様が目につきます。どれも素晴らしい石仏群です。

 最後は道が広がって両側にお地蔵様や石板が多数置かれた場所があります。先に本殿等の建物が見えますが、とても穏やかな気分になる場所です。私たちはここを通り境内に戻りました。あまり体調が良くなかったのですが、百地蔵尊の道を廻って来ると気分がスッキリして来ました。やはりここは袖ヶ浦のパワースポットです。


君津市広岡の銘菓「松丘とうふ」-松栄堂菓子舗

2023年10月13日 | 日記

 10/1(日)君津市松丘の鹿島人形を撮影した帰り、久留里線松丘駅近くの松栄堂により銘菓「松丘とうふ」を購入しました。

 この松丘とうふは知る人ぞ知るという幻の銘菓?です。君津市の山の中にある和菓子屋さんで作られるとうふに似たお菓子。4~5年前に食べログで偶然見かけたので、探して購入して食べてみたことがあります。見た目は白いプラスチックのケースに入った小さな豆腐のようです。

 食べてみるとスポンジの生地の中に餡が入ったお菓子で、生地はなめらかでまるで洋菓子のようです。餡はいろいろ種類があるので、今回はレモンと、パインとクリを購入しました。1個税込み200円前来たときは180円だったので、値上げをしたのですね。そして白い生地には豆乳が入っているようです。

 お店の方はとても丁寧な接客で感じが良かったです。また結構有名人やTV番組が取材に来ているようで、色紙や写真が沢山飾ってありました。

  店内には和菓子だけでなく、何故か子供向けの駄菓子も置いてありました。お一人様おひとつどうぞ!というのもあって感心しました。

 3種類の餡を比べてみましたが、私はクリが一番美味しいと思いました。他の2種類も美味しいのですが、爽やかな味がまるで洋菓子のよう。クリのこってり感が和菓子らしくてよかったです。


君津市広岡の鹿島人形②-お菓子(団子)の交換で福を呼ぶ

2023年10月11日 | 日記

 鹿島人形の行事は、武神鹿島神宮の神威を借りて疫病退散、五穀豊穣、家内安全を願って祭るもので、昔から小櫃川沿いの君津・袖ケ浦の各地で広く行われていました。

 しかし他の地区ではやらなくなりましたが、ここ広岡地区では毎年9/9に男女各1体を作り氏神様に祭っています。その後稲刈りの都合で10/9に変更になりましたが、現在は10月の第一日曜日に11世帯から1人出てこの行事が行われています。

 またこの日は「人形団子」と呼ばれていました。製作後団子を懐に入れます。後から村人が各自で団子を持参し人形の懐の団子を貰い、持参した団子を代わりに入れます。現在は団子の代わりにお菓子が入れられており、これを食べると病気にならないと言われています。

 午前11時頃になると鹿島人形の男性像も完成に近づいてきました。細かい部分を女性陣が仕上げていきます。

 人形の高さは約2m近くあり、朝8時頃から作成した力作です。まるでワラの仁王様の様です。

 できた鹿島人形と槍、薙刀(なぎなた)、お供え物をもって山王様の鳥居前に移動です。

 鳥居に鹿島人形が取り付けられ右の女性の人形には薙刀、左の男性の人形には槍が付けられ完成です。

 全員で鳥居の前の「三猿の庚申塔」にお参りして行事が終了。鹿島人形の前で記念撮影をして、公会堂で食事です。お疲れさまでした。


君津市広岡の鹿島人形①‐江戸時代から続く人形団子

2023年10月09日 | 日記

 10/01(日)ツレと君津市広岡の稲滝・鹿ノ畑地区で行われている「鹿島人形団子」と呼ばれるワラ人形作りを見学して来ました。ここで鹿島人形を作り疫病退散・五穀豊穣を願う行事が行われている事を知ったのは最近の事です。

 袖ヶ浦の春日神社の鹿島人形を撮影していた時、君津にも同じワラ人形を作る所があると言う事を知り捜していました。色々資料をあたったのですが、2021年10月にNHKがこの行事をとり上げている事が分かり、9/29ツレと君津市広岡地区に行き下見をして来ました。

 その時丁度鹿島人形を製作する稲鹿公会堂の前の家の方と、話をする事が出来ました。その人によると鹿島人形は10月の第一日曜に、この付近11世帯から1人づつ出て製作をすると言う話でした。そして見学も歓迎するとの由、勇んで木更津から出かけました。

 この行事は以前は9月9日に行われていたのですが、稲の取入れの都合で10月9に変更し現在は10月の第一日曜日に行われています。毎年国道410号線沿いの稲鹿公会堂で、制作し隣接する山王神社の鳥居に立てられます。小さな神社で三猿の庚申塔(トップ下の写真)と石の祠が置かれています。

 製作している稲鹿公会堂に入ると床一面にワラが広げられ、男性5人と女性4人が2体の鹿島人形を製作中でした。時間は午前10時10分頃、午前8時頃から始めているそうなので、女性人形は殆ど完成していました。

 椅子に座って長老の方がワラの刀や薙刀(ナギナタ)を作っていました。細かい細工がとても綺麗です。このかたは木更津市役所に勤務していたそうなので、ツレが出版した『木更津』の写真集をさし上げると、とても喜んでくれました。

 男性陣はワラ人形の男の方を作成中です。色々取り付ける物があり、大変苦労していました。

 人形の指も制作されていましたが、袖ヶ浦の鹿島人形と異なって指はちゃんと5本付けられていました。袖ヶ浦の人形は人間より1本少ない4本でした。

 女性の人形が完成し表に出されました。そして鳥居の方に移動しました。1人で運んでいますが、ワラで作られているので軽いです。私も持たせてもらいました。

  鳥居に固定されていきます。女性の人形は右側に取り付けられています。これで後は男性の人形の完成を待つばかりです。