光と影の軌跡Ⅱ

つれづれなるおじさんの写真日記

ぶらっと船橋③-戦後の昭和が香る仲通り商店街

2022年05月31日 | 日記
  
 船橋散策の最後は仲町通り商店街。本町通りから山口横丁に入り、駅に向かって100m位進むと大きな仲通り商店会のレトロなアーチが目を引きます。狭い道路の両側に店が並び猥雑な雰囲気の商店街です。

  大戦後、戦災を免れた上に物資の集散地だったことから船橋は、闇市が隆盛を極め「日本の上海」と言う異名を付けられたこともありました。駅前の商業ビル「フェイス」が建つ前の商店街や、仲通り商店街はこの闇市がはじまりと言われています。





  仲通り商店街に入ったのは午前10時半頃、結構人通りが多いですね。飲食店が軒を連ねています。時間が早いせいか開店している店は少ないです。





 商店街は途中で2つに分かれますが、その手前には杉山畳店が在ります。しかし驚いたことにシャッターが閉まっていました。年中無休の店と聞いていたので、閉店してしまったのでしょうか?残念です。下は何年か前に撮影した杉山畳店の写真です。仲通り商店街のシンボル的な店舗だったのに、これにはガッカリしました。





  シャッターが閉まった店舗の前には綺麗な鉢植えの花が咲いていました。また開店と同時に満席になるという居酒屋・加賀屋では、もう開店準備をする人が店の前で、仕事をしていました。





  昭和にタイムスリップしたような商店街を抜け、駅前通りに出ました。すると通りに面した中華屋に行列が出来ていました。コロナ禍の中珍しいので、2~3枚撮影。そしてJR船橋駅から電車に乗り、松戸に向かいました。

                        

ぶらっと船橋②-レトロな建物が残る本町通りと船橋地名発祥の地

2022年05月30日 | 日記
 
 船橋大神宮の見学が終わり、小高い裏参道にまわると船橋の街並みが良く見えます。階段を降りると大神宮下の交差点、直進すると船橋駅方面に向かう本町通りです。この地域は旧成田街道の宿場町、そして船橋大神宮の門前町として江戸時代から栄えてきた商業地です。





 本町通りに出て振り返ると大神宮の森の緑が、町に潤いを与えているのが分かります。そこを買い物車を押すおばあさんが通りかかりました。顔を覆う黒いマスクにちょっとビックリ。



      

  そこに今度は自転車に乗った黒ずくめのおばさんが走り去っていきました。荷台に何かいろいろな物をぶら下げ、奇妙な格好の不思議な人でした。



  交差点から約150m位進むと海老川橋。橋の中央に船の形のモニュメントが作られています。右側には「船橋地名発祥の地」と刻まれていました。昔この海老川は今より、川幅が広く水量も多かったことから、橋を渡すのが難しかったそうです。そこで、川に橋を数珠つなぎにに並べ、橋にしたことから「船橋」と言う地名が付いたとの由。

    

  この海老川橋を渡り駅方面に進むとレトロな店が姿を見せてきます。最初に目に付いたのは、創業明治37年(1904年)という精古堂印舗。現在も色々なハンコを置いて、商いを続けているようです。





  2~3軒進むとビルの谷間に旧い和菓子屋が見えてきます。ひろせ直船堂です。建物は大正7年(1918年)に建築されたものですが、創業年度は不明で、江戸時代以前からあったと言う説もあるそうです。





  道の反対側には重厚な建物の呉服店が在ります。「森田呉服店」です。着物、和装小物、手拭いの専門店で、創業140年余、建物は明治5年(1872年)に建てられた物だそうです。店のショーウィンドウに昭和37年(1959年)の本町通りを描いた手拭いが飾られていました。何気なく通り過ぎてしまいましたが、今度訪問したら購入しようと思います。1枚1100円でした。




ぶらっと船橋①-大神宮と明治の灯台・灯明台

2022年05月27日 | 日記
 
 5/26(木)松戸に行く用事もあったので久しぶりに船橋の大神宮周辺を散策してきました。とくに境内の右手奥の明治時代に設置された灯明台をまた見学したいと思い船橋駅から京成線に乗り換え、大神宮下駅で下車しました。



  大神宮下駅は大正10年7月開業の京成電鉄の駅です。そこから100m位の位置に大神宮があります。開業が古いので、駅周辺にレトロな建物が目につきます。もう営業はしていないようですが、昭和の香りの写真館が異彩を放っていました。





  2年ぶりに大神宮の鳥居を潜りました。鳥居の側には「感染拡大予防にご協力ください」と言う看板が立っていて、神聖な神社には場違いの様に感じました。参道を進むと右手に土俵が見えてきました。以前ここで行われたケンカ相撲をツレと撮影に来たことを思い出しました。



  そして参道の突き当りが本殿です。御夫婦と思われる方がお参りをしていました。それに続いて私も参拝してきました。身が引き締まる思いです。



  本殿の左手に行くと不思議な神社が在りました。小さなお社「船玉神社」。社殿の一部が船の先端の形をしているのです。こんな形の社殿は初めて、調べてみると船玉神社は漁業の安全を司る神社との事でした。





  そして本殿の右手に明治13年(1880年)船橋市民の手によって建設された灯明台があります。この灯明台は明治28年(1895年)に停止されるまで約15年間東京湾を照らし続けたのです。今は使用されていませんが、以前はお正月に内部が公開されていました。下の写真は2018年1/1に公開された灯明台の中から撮影した3階の発光室。ここには入れないので下から撮っています。





 また以前は毎年1/15に灯明台祭りが開催されていました。、いろいろな儀式が行われ最後に年に1度だけ灯明台に灯りが灯ったのです。現在はコロナ禍で行われているのかどうか分かりませんが、また見学したいものです。(上下の写真は2017年1/15に撮影)


富津市の絶景ポイント・燈籠坂大師の切通しトンネル

2022年05月26日 | 日記

  5/19(木)富津市最後の訪問地は燈籠坂大師の切通しトンネルです。上総湊海浜公園から国道127号内房なぎさラインを館山方面に20分位走ると城山隧道が見えてきます。その手前左側に赤い鳥居のような物があり、ここを潜ると燈籠坂大師の切通しトンネルの入り口。入ると直ぐに10台近く停められる駐車場があり、5~6台の車が停車していました。


 
 その中のワゴン車に大型カメラや撮影機材が積まれ、前で4~5人が打ち合わせをしていていました。何かのCM撮影が行われ、丁度終了して帰るところのようでした。ここも有名になりましたね。コロナ禍で少なくなりましたが、バスツアーの観光コースにも入っているようです。





 入口から緩い坂道を40m位進むと1つ目のトンネル。燈籠坂大師入り口と言う石碑が立っています。このトンネルの下には内房線が通っていて、時どき電車の通過する音が聞こえてきます。20m位の短いトンネルを抜けると、右側が燈籠坂大師の切通しトンネルです。

    



  このトンネルは最初に明治から大正時代にかけて掘られました。その後昭和初期に地元住民によって、鋸山の石切の技法を用いて切り下げられ、現在の形になったとの由。切通した部分とトンネルの部分を合わせると長さが約100m、高さが約10m程あるそうです。





  トンネルの中に入ると大型のバイクが2台停まっていました。記念撮影をしているようです。ここが有名になったのもバイクのライダーがバイクとトンネルの写真をSNSに投稿したのが最初の様です。





 トンネルを抜けると燈籠坂大師堂の鳥居。弘法大師(平安時代初期の僧・真言宗の開祖)が行脚中ここに腰を休めたと言う伝説の地で、階段を上って行くと太子堂があります。ここにも数台のバイクが止められ、4~5人のライダーがいましたが、全員女性でした。

  暫く撮影して駐車場に戻りましたが、また2人乗りの大型バイクがやって来ました。ここは本当にバイク乗りのメッカのような場所です。


ハマヒルガオの群生地・上総湊海浜公園-富津市

2022年05月25日 | 日記
 
  5/19(木)せっかく富津市まで来たので上総湊に行き、大野屋の絶品だんごと柏餅を購入しました。この日は午前11時半頃入店したのですが、残念ながらつぶ餡だけでみたらしの方は売り切れていました。大野屋は知る人ぞ知る🍡屋、午前中で売り切れになると言う伝説のダンゴ屋です。そして大野屋の先がハマヒルガオ群生地の上総湊海浜公園。平日のせいか110台以上停められる駐車場には車が2~3台だけ、ゆっくり見学出来ました。



  車を降りて海の方に向かうと20~30mで遠浅の海水浴場。綺麗な波が打ち寄せていました。



  砂浜を南の方に進むとハマヒルガオの花が見えてきました。ハマヒルガオはヒルガオ科ヒルガオ属の多年草の海浜植物です。茎は砂の上を這い、葉はやや丸くてつやのある緑で、厚みがあります。花は5~6月に咲き淡紅色。5/19に行ったのですが,花ガラが目立ち、旬は過ぎているようです。





 ハマヒルガオの写真を撮っていると、海水浴場の方で犬の鳴く声が聞こえてきました。カップルが犬と遊んでいました。ハマヒルガオも見つけて2人で綺麗だねと感心していました。





  この海浜公園は3.6ヘクタールの広さを誇り、ハマヒルガオの他ハマボウフウ等も見る事が出来ます。



  また広大な砂浜からは東京湾観音も眺望できます。ここ上総湊は江戸時代の嘉永6年(1853年)には防波堤が築かれ、明治25年(1892年)には東京湾汽船も寄港が始まっていました。昔は栄えた港でしたが、今はその面影はなく海水浴場と釣り船の母港になっています。

 

ブラタモリで放映された富津岬を訪ねて-富津市

2022年05月24日 | 日記
 
 9/14(土)のNHKブラタモリを見ていると、富津岬と第一海堡や第ニ海堡が紹介されていました。テーマが「海の玄関口・東京湾 原点は川にあり?」で東京湾の成り立ちに富津岬が重要な役割を果たしているという内容でした。またあまり知られてない人工島・第二海堡に上陸し、その景観をリポートしていました。

  富津岬には良く出かけるのですが、コロナ禍の中であり今年の船祝の際に行ったきりでした。そこでツレと相談し5/19(水)に行って来ました。



  富津岬には木更津の自宅から車で40分位で到着。先端にある明治百年記念展望台に上りました。ここは高さが約21.8m。明治100年を記念して昭和48年(1973年)に造られた五葉松をかたどった展望台です。展望台の骨組みの間から人工島の第一海堡が見えていました。





  タモリ一行もこの展望台の頂上に上がり、先が細くなった富津岬を見て驚いていました。岬の先端から少し手前には窪んで、木々が無い場所が在りますが、これは昔の沼の跡地との事でした。





 展望台の頂上から下を見ると、岬の先端まで舗装された堤防が続き、家族連れやカップルの姿が見えます。海を隔てた正面が第一海堡、左が第二海堡です。





 展望台の左側には大きな駐車場が整備されています。約100台が停められ出口にはトイレもあります。この日は平日なのに他府県ナンバーの車が来ていました。これもブラタモリで紹介された効果でしょうか?

 またこの先の海上には大きな砂州が出来ています。干潮だったので、何時もより大きな砂州を見る事が出来ました。





 展望台からは、ひょうたん島の様な第一海堡と戦艦のような第二海堡が良く見えます。第一海堡は明治23年(1890年)12月に完成した東京湾防衛の為の人工島(上の写真)。第二海堡は1914年(大正3年)6月に完成、戦後は灯台が設置され消防訓練場としても利用されています。

 タモリたちが第二海堡に上陸し、古代遺跡のようになった軍の遺物を紹介していました。私たちも昨年第二海堡上陸ツアーに参加しようとしたのですが、コロナの為断念しました。コロナが終息したら再度挑戦したいと思っています。

 

シラサギの語らい-木更津市郊外の野鳥たち

2022年05月23日 | 日記
 
 雨の日が多く五月晴れは何処に行ってしまったのかと思う今日この頃。雨が降らない限りツレと早朝散歩を日課にしていますが、途中自衛隊隊員の出勤に出会います。田舎道を迷彩服を着た隊員が基地に向かって行く光景は、つくづく木更津は基地の町と言う事を実感させられます。何人もの隊員が自転車やバイク、自動車で引っ切り無しに進む姿は、まるで軍隊の行進を思わせチョット不気味です。



  5/18(水)の事ですが、何時もの様に田んぼ道をツレと散歩していると、反対側から犬を連れた顔見知りのグループがやって来ました。挨拶をして話の輪に加わったのですが、ふと農道の右手を見るとシラサギが沢山いるのに気付きました。





  見つけた時は畔に5羽のシラサギがいました。最近シラサギをあまり見なくなったので、どうしたのだろうと思っていた矢先でした。



  そこにカルガモがやって来ました。この2種類の鳥は縄張り争いはしないのですが、この時はカルガモが騒いでいました。





  上空には大きなアオサギが優雅に飛翔していました。爆音がするので、陸上自衛隊の基地方面を見ると3機のヘリコプターが飛び上がってきました。写真には2機しか映っていませんが、鉄塔の横にもう1機いたのです。





  その後左側の田んぼに3羽のシラサギが降りてきました。植え終わった苗の間を器用に歩きながら餌を獲っています。帰りには近所のゴールデンレトリーバーが、私たちにシッポを振って見送ってくれました。愛想は無いのですが面白い犬です。


木更津市郊外の野鳥たち-人に慣れたカルガモ

2022年05月20日 | 日記
 
   5/17(火)午前7時20分頃、自宅付近の田んぼ道をツレと散歩中の事でした。前方から犬を連れた2人がこちらに向かって歩いてきました。。すると突然1羽のカルガモが右手の水田から農道に飛び上がり、農道を横切って隣の水田に入って行きました。犬を連れた方達もカルガモに気付き、驚いていました。この辺のカルガモは人間を前にしても、全然動じません。人に慣れているのです。





   5/15(日)朝の散歩に出ようと、家の前の路地を下水道に沿って進んで行きました。するとどこからともなく、ガァガァと言うカルガモの鳴き声が聞こえてきたのです。探してみると巾1mにも満たない下水道を、2羽のカルガモが悠然と泳いでいました。こんな所にもカルガモが来るのですね。餌を捜しているようです。カルガモの口には水草のような物が引っかかっていました。





  田んぼ道に出ると、さかんにカルガモが飛び回っていました。殆どペアか3羽で飛んでいます。更にその上空には、エアドゥのボーイング767が飛行して行きました。随分派手にラッピングした目立つ旅客機でした。





  田植えの済んだ水田にカルガモが泳いでいます。その中の1羽は足を怪我したらしく、右側の足を水面から出して移動しています。可愛そうですが、どうする事も出来ません。



  そして畔でうずくまっているカルガモが多くなってきました。卵を温めているのでしょうか?もう直ぐカルガモのヒナが見られそうです。


雨の日の高蔵寺・通称高倉観音を歩く-木更津市

2022年05月19日 | 日記
 
5/17(火)は終日曇りと言う天気予報は外れて、雨が降る中ツレと木更津市矢那の産直市場で買い物です。最近バカ高くなった野菜もここでは結構新鮮な物が安く購入できます。そして気晴らしに、近くの高蔵寺(こうぞうじ)を散策してきました。



  高蔵寺は木更津市矢那にある真言宗豊山派の古刹です。山号は平野山(へいやさん)、本尊は全長4寸(約12㎝)の小さな観音菩薩で、行基上人が刻んだ観音像の中に収められているそうです。創建は用明天皇の代(585~587年)に徳義上人が建立したと伝えられています。坂東三十三観音霊場第30番札所であり、通称高倉観音と呼ばれ親しまれています。





  雨の中の高倉観音境内も風情があります。ハスの葉に落ちた水滴が水玉になりとても綺麗。ここは藤原鎌足伝説があり、大化改新後の650年7月に鎌足公が来訪し、腰を下ろしたと言う腰掛石があります。また鎌足公の使用していた桜の杖が根付いて、鎌足桜になったと言う桜の祖株も現存し、4~5月にかけて美しい花を咲かせます。





  境内には巨木や石仏が沢山あり、散歩するには静かでとても良い所です。





  境内には山野草も多く、ウラシマソウなども見られます。本日は、キイチゴが真っ赤な実を付けていたのが印象的でした。山門横には、御神木(御霊木)の栂(ツガ)の木がありましたが、数年前の台風で倒れてしまいました。樹齢は約400年と言われ、今は倒れた根本だけが残り、以前の威容を伝えています。



        

ダイゼンが来た!-木更津市郊外の野鳥たち

2022年05月18日 | 日記
  
5/11(水)午前6時半頃、ツレと木更津市郊外の自宅近くを散歩中の事でした。何時もの田んぼ道に通りかかり、畔にいるカルガモを撮影していると、もう少し小型の野鳥の群れが目に入りました。中には胸と頭が黒い鳥もいます。ダイゼンかムナグロのようです。







  ムナグロは体上面が黄色みがかった白黒模様なので、この鳥はダイゼンの様です。丁度羽ばたいている所を撮れたのですが、羽の上部は白黒の模様がはっきりしていました。ダイゼンは全長が29~29.5㎝、夏季にカナダ北部やアラスカの北極海沿岸で繁殖し、冬季になると太平洋、大西洋、インド洋の沿岸部で越冬。日本には渡りの途中で飛来する旅鳥です。



  近くにジャーマンアイリスの花がさいていました。もう春も終わり、梅雨の季節が近づいているようです。





  田んぼの畔の側にダイゼン2~3羽が並んでいました。黒い夏羽と薄茶の冬羽のダイゼンがいますが、その割合は半々と言ったところです。





  目では確認できなかったのですが、写真で見ると畔にいたダイゼンだけでなく、田んぼの中にも4~5羽いたようです。全部で10羽位の群れでした。





  この野鳥は昨年も同じ場所で目撃しました。2021年4月26日午前7時20分に撮影しています。それがこの上の写真ですが、来年も見る事が出来れば最高です。帰り際に農業用水際を通ると、少し濁った水の中に2~3匹の錦鯉が泳いでいました。巾が1~2m位の用水路にこんな鯉がいるなんて信じられません。誰かが放したのでしょうか?不思議です。