光と影の軌跡Ⅱ

つれづれなるおじさんの写真日記

木更津市郊外の野鳥たち①-7年前目撃したチュウシャクシギ

2024年02月28日 | 日記

 最近自宅側の田んぼに、あまり野鳥の姿を見かけなくなりました。そこで何年か前の撮影データーを調べ以前飛来していた野鳥の写真を探してみました。目に付いたのは2017年5月20日の7時頃撮影した「チュウシャクシギ」です。体長は40cm位で、くちばしが曲がっている野鳥です。

 最近の研究では鳥同士で、会話をしているという説が有力だそうです。このチュウシャクシギも2羽や3羽で何か相談をしているように見えました。

. チュウシャクシギはユーラシア大陸と北アメリカの寒帯から亜熱帯にかけての地域で繁殖し、冬期はアフリカや中東、オーストラリアに渡り越冬する旅鳥。日本には春に多数飛来するが秋に飛来するという記録は少ないそうです。

 渡りの時期には数羽から数十羽の群れで干潟、水田、川等に生息します。

 ツレと私がチュウシャクシギ見たのは5/12と5/17、そして5/20です。それ以来この鳥を見かけたことはありません。

 また51/12に目撃したときには、ムナグロの群れと一緒でした。喧嘩もせずに水田で一緒に餌を探していました。出来ればもう一度、曲がったくちばしのこの鳥を見てみたいです。

 ただムナグロの方は律儀に?毎年春になると同じ場所にやって来ます。そして2~3日でどこかに飛び立っていきます。


袖ケ浦市のタコ飾り②-神納地区

2024年02月26日 | 日記

             

 2/14(水)はツレと袖ケ浦市のタコ飾りを撮影してきました。最初は市内坂戸市場・小櫃橋側のタコ飾リ、次は中川原橋の物、そして市内神納地区のタコ飾り2カ所を見てきました。まず袖ケ浦市営総合運動場側多田商店横のタコ飾りです。このタコ飾りは太い巨木に付けられています。この木の根っこも凄いです。

 この木の樹齢は不明ですが、相当古い木です。こんな木に付けられたタコ飾りは強いパワーを放出し、疫病退散等の願いを聞いてくれそうです。

   

 次に袖ケ浦バスターミナル近くの浮戸川に架かる栄橋に向かいました。

 橋の側で関電工の工事が行われており、警備員の人が立っていました。その人に橋の中央のタコ飾りを知っているか聞いてみました。「私は君津市に住んでいますがあのような物は見たことがないです。珍しいですね。」と言っていました。

 警備員の方が見ていてくれるというので橋の横に車を止め、タコ飾りの側に行ってみました。ここでこのタコ飾りを見るのは3回目。大きさも形も何時もと変わらない、可愛らしいワラのタコです。遠くにアクアラインが見え、家の陰には富士山の姿も確認できました。

 袖ケ浦のタコ飾りは、坂戸市場で2カ所、神納地区で2カ所合計4カ所しか確認できません。ただ文献によると他にも何カ所か在るようなので、こまめに探してみようと思っています。

         


袖ケ浦市坂戸市場のタコ飾り①-疫病退散・大漁祈願

2024年02月21日 | 日記

 2/14(水)ツレと袖ケ浦市のタコ飾りを撮影してきました。2/6に袖ケ浦市のタコ飾りがある所を回ったときにはまだ飾っていなかったので、この間に設置されたようです。まずは小櫃川に架かる小櫃橋の交差点側のタコ飾り。

 ここのタコ飾りは名人が作っているので丈夫で長持ちし、形も綺麗だと言うことです、それに赤いハチマキも締めていました。

 タコ飾りは春祈祷と呼ばれる行事で、ワラを使ってタコを作り、その地域に入る道や辻にタコ飾りを吊るし疫病退散・大漁祈願を祈ると言う行事です。

 小櫃橋の次は中川原橋です。小櫃川の近くを流れる浮戸川に架かる橋ですが、この橋にもタコ飾りが取り付けてありました。またこの日は富士山が良く見えました。昔の人はこのタコ飾りと富士山を見て何を思ったのでしょうか。

 タコ飾りが置かれている道は殆ど人が通りません。静かな住宅地のはずれのような場所ばかりです。

 以前紹介しましたがこの近くの木更津市中島や牛込地区には、ツナハリと呼ばれる行事があります。タコ飾りと似ていますが、行われるのが毎年1月で、道幅いっぱいにワラ縄が張られそこにエビやタコ、サイコロ、そしてワラ人形が吊り下げられています。これも五穀豊穣、疫病退散の行事です。一説によると昔は木更津の漁業は規模が大きく、網元も沢山いたのでいろいろな物を吊るし、袖ケ浦では細々と漁をしていたのでタコだけ吊したと言われているそうです。


我が家のネコたち-木更津市

2024年02月19日 | 日記

 陽気も2月中旬だというのに、20°を超えようと春めいている今日この頃。我が家のネコたちの近況をUPしました。初めの3カットは「ミケッチ」です。トップは塀で居眠り、次は猫小屋の屋根にのって日なたぼっこです。カメラを向けたのに気付き私の方を眠そうな目で見ています。

 次はベッドで寝ている「チビタ」アメショウのメスです。人に懐かない猫らしいネコ。

 1/29のブログで紹介した子ネコの「モコモコ」とりあえずこの名前で行くことにしました。沢山食べるので太って親と変わらない大きさです。

 日に当りながら顔を洗っていました。

 あくびをしてもう一眠り、寝てばっかりです。

 ネコの餌を買うと付いてくるオモチャ。モコモコにあげたら喜んで、遊んでいました。

 時々庭にいる虫や野鳥を追いかけています。飽きてくるとミケッチと睨み合いじゃれ合っています。見ていると飽きのこない我が家のネコたちです。


行基上人一夜の作か?-富津市岩谷観音堂の磨崖仏

2024年02月16日 | 日記

 2/3(土)もみじの里で休憩した後、県道182号線を国道465号線方向に戻り、この道を上総湊方面に向かいました。暫く走ると岩谷観音堂という大きな木製の看板が見えてきました。ここが観音堂の駐車場です。普通車5台、大型バス1台が止められます。この日は横浜ナンバーの小型車が1台駐車していました。

 階段と途中から坂道になりますが、これをゆっくり登るとお堂と石碑が立っています。石碑の上には可愛らしい像が置かれています。行基上人でしょうか?

 石碑の反対側には不思議な横穴が無数に空いています。一見すると埼玉県の吉見の百穴を思い起こさせる景観です。

 最初にお堂をお参りしました。ここは大慈山岩谷堂清巌寺とも呼ばれており、本尊は十一面観世音菩薩です。

 本堂付近には古墳時代の横穴があり、そこには中世から江戸時代にかけて掘られたという沢山の磨崖仏が存在しています。伝説によると奈良時代の行基上人が一夜で彫り上げた物と言われています。そして行基上人は、奈良の大仏を制作指揮した高僧です。

 

 まず本堂裏のコの字型回廊に入りました。ここを訪問したのは十数回になりますが、そのたびに新鮮な驚きに包まれます。初めはこんな近くにこれ程の遺跡があるとは信じられませんでした。そしてシルクロードの敦煌を思い出した程です。また今回私はカメラの設定ミスで、この磨崖仏を撮影することが出来ず、ツレの映像を使用しました。体調も良くなかったのでこの第2回廊(コの字型回廊)の見学だけで帰宅しました。

 コの字型回廊の右端の仁王像が今日も異彩を放っていました。観音堂遺跡の磨崖仏の中では最大の物です。この像を見るたびに勇気づけられます。また岩谷観音堂に上る階段側に早咲きの川津桜が咲いていました。今度はソメイヨシノの開花頃に再訪したいと思います。


新御堂寺の節分-木更津市本郷

2024年02月14日 | 日記

 2/3(土)は節分です。この日はツレと富津市を撮影して回ったのですが、体調が不十分なので、ツレに頼んで予定していた新御堂寺の節分会(せつぶんえ)を撮って来てもらいました。

 房総のPR誌ファミリア新聞によると、節分会は16時~となっていたのですが、お寺のホームページによると護摩祈祷が16時からで豆まきは16時40分頃との由。しかし16時頃になると境内は豆まきを待つ人たちでいっぱいです。

 16時50分位になると豆や餅、お菓子を持った年男や年女が姿を見せました。会場は一気に盛り上がります。

 節分は立春、立夏、立秋、立冬の季節の分かれ目を示す言葉で、年4回あります。その中で立春が新しい1年の始まり意味するものとして大切にされ、立春前の節分がいろいろな行事とともに残されてきました。

 節分には神社仏閣では炒った豆をまき、家庭でも「福は内 鬼は外」のかけ声とともに豆をまきます。豆をまくのは、そもそもは鬼を追い払うためでなく神仏に対する供物の意味であったと言われています。

 また今年の恵方は「東北東」だそうです。我が家でも恵方巻きを東北東に向いていただきました。

 いよいよ豆まきが始まりました。境内は豆や餅をゲットする人で大混乱。凄い熱気です。

 ツレは17時頃まで撮影をして帰宅しました。餅や豆、お菓子も沢山頂いたそうで喜んでいました。友人や親戚も来ていてとても面白かったとのことでした。


もみじロードにある志駒川渓谷の霊水ー富津市

2024年02月09日 | 日記

 2/3(土)ツレと富津市巡りを楽しみましたが、はじめに江戸時代から続く宮醤油店を見学した後に県道182号線通称もみじロードを走行しました。当然紅葉等はありませんでしたが、よく行く志駒川渓谷の霊水を味わってきました。

 土曜日のせいか沢山の人たちが霊水を汲みに来ていました。それにここは「もみじの里」と言う公園になっており綺麗なトイレも設置されており、休憩するには持って来いの場所です。

 なおここの霊水は、約1km離れた水室山の中腹にある、稲子沢不動側の岩の間から湧き出る水が水源。未だかってどんな日照りにも涸れたことのない湧水です。

 このもみじの里の左端に三角錐のテントが立っていました。前来たときは四角いテントだったのですが、YAMASOBU COFFEEのテントです。今回はタコスも販売しているようです。

 私たちは何時も注文するカフェオレをホットでお願いしました。一杯税込み600円です。結構強気の値段ですが、それに見合った美味しさがあります。そして使用している水は当然ここの霊水です。

 カフェオレを入れてくれたのは前回は男性でしたが、今回は女性が丁寧に入れてくれました。とても感じの良い接客でした。

 

 隣のタコスの店(店というより、小さな小屋)には家族連れが来て注文していました。私たちも今度来たらここのタコスを味わってみようと思います。


190年続く江戸の味-富津市・宮醤油店

2024年02月07日 | 日記

 2/3(土)体調が良かったので、ツレと久しぶりに富津市を巡ってきました。少し寒かったのですが天候も快晴に近くドライブ日和です。出発したのは午前9時半頃、最初に富津市佐貫の宮醤油店を訪ねました。

 宮醤油店の駐車場にはまだ車が止まっていなかったので、私たちが1番乗りのようです。

 駐車場の右端には大きな樽が横倒しで2つ置かれています。醤油醸造用の樽でしようが、ツレの背丈から推定すると、直径2~3mはあるようです。

 また国道127号線の交差点・佐貫に面した宮醤油店の駐車場入り口には大きなお釜が置かれています。大釜には「江戸の味を今に伝えて189年」と書かれており、宮醤油店のランドマーク?のようです。

 樽の横が工場のようですが、土曜日のせいか閉まっていました。いつか工場見学をしてみたいです。

 富津市のホームページによると、ここは江戸時代の天保5年(1834年)創業の老舗醤油店で、平成19年(2007年)宮醤油店の建物9軒が国の登録文化財に指定されています。

 現在残る建物のうち、店蔵が江戸末期に、西蔵が明治5年に、店舗・主屋・脇蔵が明治25年に、東蔵・旧米蔵が明治40年に、奥蔵が大正8年、離れが大正14年にそれぞれ建てられ、江戸から明治・大正期の集合的な建築物として貴重な存在になっています。

 宮醤油店では、伝統の木桶と土蔵にすみついた無数の酵母が、鉄分の少ない佐貫の湧水とともに、味わい深い「たまさ醤油」が作り出されています。この日は醤油と味噌、のり佃煮を購入しました。私たちの後から来た客は、車のナンバーがほとんど横浜や他府県ナンバーの人たちでした。醤油のリピーターの方たちのようです。

 店の前には国の登録文化財の碑が立てられています。また斜め前にも古い蔵造りの建物がありました。ただ現在お店ではなく住居として使用しているようです。この先の県道163号小櫃佐貫停車場線にも古い建物があるようでしたが、他に行くところもあるので宮醤油店に戻って、国道127号線を上総湊方向に進みました。

 


弟橘媛の吾妻神社と不思議な石灯籠の在る熊野神社

2024年02月05日 | 日記

 1/26(金)ツレと袖ケ浦公園の野鳥を見た帰りに、袖ケ浦市の三黒地区にある吾妻神社を訪ねました。ここは比較的新しい鳥居と小さな社殿そして境内の南西に円形の塚があり、祭神は弟橘媛。

 古事記と日本書紀に登場するヤマトタケル尊。実在の人物ではないと言われていますが、いろいろな場所に詳細な記述があります。この伝説もその一つです。

 浦賀水道を尊と航行していた弟橘媛が嵐に遭遇した際に人柱になり、海に飛び込み一命を捧げました。その後木更津の畔戸(くろと)海岸に媛の亡骸が流れ着き、そのご遺体を埋葬する為に長生郡本納(現在の茂原市本納)の橘樹神社に、陸路を運んだと伝えられています。

 しかしその途中亡骸を運んでいる御車がこの地で止まってしまったので、亡骸をこの地に埋葬する事になり、本納には首飾りだけを運ぶようになったとの由。

 この御陵が神社の南西にある塚、臂松古墳です。弟橘媛を埋葬する際、墓標に松の木を植えたところ、その枝振りが臂(ひじ)の形に似ていた事から臂松古墳と呼ばれました。(上の写真)

 しかし寛文年間(1661~73年)にこの松は枯れてしまったと伝えられています。またこの地は、弟橘媛の遺骸を納めるのに御骸(みくろ)と称されされ、それが三黒(みくろ)に転じ現在に至っています。

 この後木更津市大寺の熊野神社を訪問しました。

 この寺院周辺には奈良時代に上総大寺廃寺(かずさおおでらはいじ)があったと言われ、木製の層塔に使用された石製の露盤が置かれています。

 また出羽三山信仰が盛んだったようで、鳥居の横にはその石碑が建てられています。

 

  この熊野神社の歴史も古く、千葉県君津郡中郷村の村社だったようです。

  この神社の社殿前には左右に不思議な形の石灯籠?が置かれています。上が左の物で、下が右側に置かれた物です。明りを入れるところがないので灯籠ではないのかも知れませんが、あまり見たことのない形をしています。

 また境内には石を並べたストンサークルのような物も在りました。この周辺は奈良時代から古代文化が栄えていた場所です。不思議な物があってもおかしくない聖域なのかも知れません。


袖ケ浦からの富士山眺望と野鳥たち

2024年02月02日 | 日記

 1/26(金)今日はツレと袖ケ浦公園に散策です。自宅から袖ケ浦公園に向かう途中、雪化粧した富士山が見えていました。木更津の散歩道で見かける富士山より大きく見えます。

 もしかして袖ケ浦の方が富士山までの距離が近いのでは、と思い調べてみました。概算の距離しか分かりませんでしたが、袖ケ浦から富士山頂上までは約111km、木更津からは約107km。木更津の方が若干近いようです。すると袖ケ浦から見た富士山が大きいというのは錯覚でしょうか?まあ私たちの気のせいかも知れませんね。

 次に袖ケ浦公園の野鳥を見に行きました。11月に行ったきりなので約2ヶ月ぶりです。訪問したのは午前10時頃でしたが、強風のせいか見物人は2~3人しかいませんでした。早速ツレが側に設置された野鳥のおやつと言う販売機に100円を入れて野鳥のおやつを購入。すると気配を感じて鳥が集まり始めました。

 いろいろな野鳥がいます。袖ケ浦公園の案内に寄れば、マガモ、オナガガモ、カルガモ、キンクロハジロ等が来ているようです。

 急にオナガガモのオスがテラスにのってきました。メスは良くテラスや手すりにのってきますが、オスは珍しいです。テラスに落ちた餌をしきりに食べていました。

 暫くすると野鳥のおやつ販売機に、補充と集金の係の女性がやって来ました。公園の人ではなく、販売業者のようです。またネコも寄ってきました。相変わらずネコをここに置いていく人がいるようで、野良猫が沢山います。