光と影の軌跡Ⅱ

つれづれなるおじさんの写真日記

富津市大貫漁港の海苔の種付け-上総・秋の風物詩

2024年10月30日 | 日記

 10/5(土)新富津漁港から今度は大貫漁港に向かいました。ここでも海苔の種付け(陸上採苗)が行われていたのですね。今まで一度も来た事がありませんでした。

 海苔の種付けの方法は新富津漁港や金田漁港とおなじですが、規模が違います。ここは水車が3基しかありません。それに作業は新富津漁港より1日早い10/4午前5時頃から始まったようです。

 作業をしている女性の方に海苔作りについて聞いてみました。ここ大貫漁港では陸上採苗(海苔の種付け)が始まったのは10年以上前、海苔作りの1番大事な作業と強調していました。女性にはきつい仕事、でも頑張らなくちゃと張り切っていました。

 ここで作業をしているのは、大佐和漁協の組合員約20名です。海苔の養殖網が新富津や金田と違いオレンジや紫のカラフルな網が使われています。水車にまかれて、海苔の胞子がついたこの養殖網は別の水槽に移され、その後冷凍庫に運ばれていきます。

 冷凍保存された海苔の養殖網は、水温が23度を下回る頃を見計らって海に張られ、11月中旬から収穫が始まります。こうして育てられた千葉の海苔は香りも味も一級品、我が家でも美味しくいただこうと思います。


新富津漁港の海苔の種付け-この笑顔に会いたくて!

2024年10月28日 | 日記

 10/5(土)は小雨が降るあいにくの天気でした。しかしこの日が新富津漁港、海苔の種付け(陸上採苗)の開始日です。今年は何時までも気温が下がらず10月に入ってからの海苔の種付けです。

 この日雨が降っていたので、私たちは行くのをやめようかどうしようか迷っていたのですが、8年も続けて撮影しているので、意を決して出発しました。それに隣の大貫漁港でも種付けが行われていると新聞に出ていたので、そちらにも行くことにしました。

 海苔の種付けとは、直径約2mの水車に網を巻き付け、海苔の胞子の入ったプールを潜らせ胞子を網に付けるという作業。手間と緻密で根気のいる仕事です。しかし8年も通っていると顔見知りの方も出来てきます。お疲れのところを、沢山の方がニッコリとポーズをとってくれました。

 恐縮なことに、私たちが忘れているとこっちも写真を撮ってと声をかけてくれる漁師さんもいます。ありがたいことです。

 変わった髪型の方に素敵なヘアーですねと、感想を言うと嬉しそうに「ありがとうございます」という声ががかえってきました。

 仲のいいご夫婦のツーショットも撮らせていただきました。

「俺も撮ってよ」と言われた顔見知りのおじさんです。また何時も顕微鏡のところで胞子を見せていただく方も、毎年決まったポーズで撮影しました。そして撮影した方から来年プリントしてきてと言われながら、大貫漁港に向かいました。


古都の趣を持つ長楽寺の彼岸花-木更津市

2024年10月25日 | 日記

 10/2(水)は高温だった夏を引きずり、まだ気温が25度を超えた蒸し暑い日でした。この日はツレと高倉観音の後、木更津市請西の長楽寺を訪問しました。

 今年の彼岸花は高温が長く続いたせいで、何時もより開花が遅いようです。右側の入口から入るともうそこには、沢山の彼岸花が咲いていました。花にはアゲハチョウがとまっており、とてもフォトジェニックです。

 長楽寺には午前11時10分頃到着。高倉観音から車で約30分程です。ここは真言宗豊山派の寺院。鎌倉時代後期の嘉元年間(1303~1306年)に、融源上人によって上総国望蛇郡請西本郷に創建され、その後元禄年間にこの場所に移転したと伝えられています。

 境内を進み本堂でお参りです。本堂の前には高さ1m位の塔の上にマニ車が置かれていました。このマ二車を回すと回しただけお経を唱えるのと同じ功徳があるとされています。

 境内の左側から裏庭に行くのですが、途中に石版が並んだ所があります。

 裏庭は彼岸花が真っ盛り、多少盛りが過ぎた花もありますが、とても綺麗。

 彼岸花が似合うのは木更津ではここ長楽寺が一番です。そして境内に一輪だけポツンと咲いている彼岸花にアゲハチョウが止まって居たので、それを撮影して帰宅しました、

 


袖ケ浦市の百地蔵-彼岸花も咲いています

2024年10月23日 | 日記

 私とツレは、お彼岸には袖ケ浦市の延命寺にある百地蔵尊をお参りに行きます。ただ今年はお彼岸の前後に台風や低気圧の接近で雨が多く、訪問できたのは10/4(金)になってしまいました。

 ただ延命寺に行く道の両側には彼岸花が咲き、まるで道しるべのようです。

 延命寺は小高い丘の上に建つ寺院。登って山門から見ると、田んぼの緑と赤い彼岸花のコントラストがとても綺麗です。

 何時ものようにツレと本堂でお参りし、裏山の百地蔵尊に向かいました。途中アマビエ像が目に付きます。新型コロナ全盛の頃置かれたので、もう3年以上立っています。

  裏山にある百地蔵尊は右側の方から登りました。

 石仏や石版に貼られたお札はお彼岸の物ですが、日が経っているわりに沢山残っていました。

 延命寺は神亀元年(724年)行基上人によって創建されたと伝えられる古刹です。ここには豊臣秀吉が出した禁制の古文書が所蔵されています。この古文書は天正18年(1590年)発行の文書で、36x48.5cmの紙に乱暴、狼藉、放火は厳罰に処すると書かれています。

 そして幕末には、旧幕府軍の歩兵隊が寄宿中に、官軍の攻撃を受けたようです。

 お彼岸になると裏山の百地蔵尊に、参拝者によって無数のお札が貼られます。江戸時代には三代将軍家光から寄進を受ける等、袖ヶ浦で最も栄えた寺院の一つでした。

 この日境内には誰も居ません、私たちだけでした。1時間ほど滞在して撮影しましたが、訪問した時より元気になりました。やはりここは袖ヶ浦のパワースポットのようです。お寺の前は彼岸花が沢山咲き、秋の訪れを告げていました。


高蔵寺(通称高倉観音)の巡礼と彼岸花

2024年10月21日 | 日記

 10/2(水)ツレと彼岸花を求めて、木更津市矢那の平野山高蔵寺通称高倉観音を訪問しました。時刻は午前10時頃、駐車場には見慣れない大型バスが停まっており、ナンバーを見ると熊谷ナンバーです。

 バスから沢山のお遍路さん姿の人たちが降りて来て、寺院の階段を上っていきました。こんな光景を見たのは初めてです。

 ここ高倉観音は坂東三十三観音の三十番札所です。坂東三十三観音は神奈川県、埼玉県、東京都、群馬県、栃木県、茨城県、千葉県の1都6県にまたがる33ヶ所の観音霊場。源頼朝によって発願され、実朝によって礼所が制定されたと伝えられています。

 常香炉の前で巡礼がお線香をあげていました。正確な数は分かりませんが十数人は居たようです。

 私たちもお参りしてから、彼岸花が咲く裏庭に向かいました。

 境内の裏手にはカラスウリがなっています。その下にはポッンポツンと彼岸花の姿がありました。

 高倉観音は白い彼岸花が多いですね。個人の趣味から言うとやはり彼岸花は、赤が良いと思います。

 石仏の置かれた場所から白黒のネコが出てきました。首輪をしているのでお寺のネコのようです。近くに赤い彼岸花が咲いていて、ネコと彼岸花のコラボです。


木更津郊外でアライグマを撮影!-ハクビシンは捕獲しました

2024年10月18日 | 日記

 9/20(金)ツレが午前6時頃早朝散歩していた時のことです。県道270号線をわたり、田んぼ道を進んでいると道にネコか犬のような生物が居るのを発見。ニコンのコンデジで2カット撮影しました。

 その後自宅に帰り私に先程撮った物を見せてくれたのですが、拡大してみるとアライグマでした。このような外来生物を撮ったのは初めて、撮った本人が驚いていました。

 木更津は関東地方に接近した台風のせいで、農業用水や田んぼが水につかりました。しかしもう稲は収穫が済み実質的には被害はなかったようです。

 ただこの場所に生息していた色々な生き物は大分影響を受けていると思います。アライグマは夜行性ですが、ツレは早朝に遭遇しているし台風の影響で餌をとるのが難しくなっているのかも知れません。

 少し前の話になるのですが、庭に何かが居るような気配がするので、市役所に電話して外来生物を捕らえる罠を借りました。大きなネズミ取りという感じですが、中にトウモロコシを入れ庭に置いておきました。すると翌日ハクビシンが入っていました。こんなに早く入るとは,ビックリです。

 体長は約40~50cm、中型犬くらい。顔の真ん中に白い線があり、まさしくハクビシンです。可愛らしい目をしていて捕まえたのが少しかわいそうでした。ハクビシンは日本で唯一のジャコウネコ科の哺乳類で、外来種との由。

 早速市役所に連絡すると直ぐに係の人が来て持って行ってくれました。その様子を家のネコが窓越しに眺めています。何を考えているのでしょう。


送電鉄塔の変身-まるで墓標のよう

2024年10月16日 | 日記

 前回UPした袖ケ浦市の白い円筒形の稲発酵粗飼料と一緒の頃ですが、木更津市牛袋の送電線鉄塔2基がグレーのシートに覆われ不思議な様相を呈していました。9月の中頃のことです。

  シートの中で何か作業が行われているようです。

 上部の半分はシートが貼られていません。調べて見ると鉄塔の防錆塗装のようです。この場合片回線の半分を送電停止にして塗料等の飛散防護を施します。その為に片側のシートは外してあるとの由

 鉄塔の高さは通常約40~60m位。そして日本一高いのは瀬戸内海の大久野島にある鉄塔で226mだそうです。また送電線の電圧は最高50万ボルトです。このような危険な場所での作業は大変でしょうね。因みに工期は2週間位だそうです。

 鉄塔工事と言えば2017年に自宅裏の田んぼに立つ送電鉄塔の入れ替え工事が行われた際のことです。古い鉄塔を撤去し隣に新しい鉄塔を建てたのですが、1年ほどかかった大きな工事でした。その間いろいろな作業を見て撮影しましたが、中々フォトジェニックな場面がありました。

 その工事期間中、沢山写真を撮影しました。その内の5点をUPしましたのでご覧下さい。


袖ヶ浦市の不思議な白い筒ー稲発酵粗飼料(稲WCS)

2024年10月11日 | 日記

 先月末頃から気になっていたのですが、袖ケ浦公園やひらおかの里農村公園に行く途中、田んぼの中に白い円筒形の物が綺麗に整列して置かれています。ツレとあれは何だろうと言いながら写真を撮っていました。結構フォトジェニックな光景です。

 この円筒形の物の側では、コンバインが稲を刈っていました。

 調べて見るとこの白い円筒形の物は、稲発酵粗飼料(ホールクロップサイレージ)で牛の飼料。食用米の減少によって空いた水田を活用し飼料用の稲を生産、それを加工して高くなる一方の外国産にかわる画期的な飼料です。

 この稲発酵粗飼料(稲WCS)は農家が育苗、移植から収穫前までの管理を行い、収穫期を迎えると「袖ヶ浦WCS生産利用組合」が専用の機械を使って収穫からラッピングまでを行います。

 白くラッピングされた稲WCSは約2ヶ月間の乳酸発酵を経て、乳牛の飼料として市内の酪農家で利用されます。農業も工夫し発展しているのです。この白い稲WCSのそばを通るたびに、感心する今日この頃です。


金田漁港の陸上採苗(海苔の種付け)②-木更津秋の風物詩

2024年10月09日 | 日記

 水車を回転させ海苔の胞子がついたら、今度は水車から網を外します。この海苔網は大きさが色々あるようですが、巾1.8mX長さ20mが一般的のようです。

 外した網は台車に乗せて大きな水槽に入れられます。

  網を固定すると同時に1人が水槽に入り、網を広げます。暫くここで養生させ、胞子をしっかり根付かせます。その後水槽から出して-20度の冷凍庫に保管され、海水の温度が下がり海苔が育つ環境になると、海の柵に海苔網が張られます。海苔の胞子は-20度でも生きているのです。

 また不思議なことに大きな水槽に、アサリを入れた袋が網と一緒に入っていました。漁師さんに聞きそびれましたが、ここで砂抜きをしているのでしょうか?

 海苔編みを外した水車には次々に新しい網が取り付けられていきます。

 海苔網は大きな水槽側に山のように積んであります。この山のように積んである網が終了するまで作業が続きますが、1日で終わるわけはなく2~3日かかるようです。(作業日程はグループによって異なります)

 また今回も日除けのために顔をマスク等で隠した方がいらっしゃいました。許可をいただいたので最後に4人と海苔の種付け場をUpして金田の陸上採苗を終わります。


木更津市金田漁港の陸上採苗(海苔の種付け)①

2024年10月07日 | 日記

 9/21(土)真夏のような日差しの中、金田漁港を訪問しました。20日から陸上採苗海苔、いわゆる海苔の種付けが行われているので、ツレと午前8時30分頃種付け場にお伺いしました。

 最初は漁師兼市会議員、そしてカメラマンの斉藤高根さんに挨拶に行きました。何時もこの種付けの時にお世話になり、以前ツレが『木更津』と言う本を出版をする際にも色々指導していただいています。

 とてもひょうきんでユーモアのある方です。

 今年も種付け場には沢山の人が集まり仕事をしています。ツレが常々、毎日食べる海苔がこんなに手間がかかるとは思いも寄らなかったと言っていますが、確かに凄く手間のかかる仕事です。

 この陸上採苗通称海苔の種付けは、海苔網に海苔の胞子を着生させる作業です、海苔の胞子は牡蠣殻に着いた外注品を使います。

 

 水車が入った水槽には胞子の着いた牡蠣殻が吊されています。水車は直径約2m位あり、それをゆっくりと回転させ水車に巻いた網に付着させます。牡蠣殻は時々点検して胞子がなくなると交換します。

 網に胞子が着いたかどうかは、網を少しカットして顕微鏡で確認します。

 水車の側には胞子の着いた牡蠣殻が沢山水槽に入れられ置かれています。なるべく太陽光を受けないように黒い膜で覆われています。太陽光に当たると海苔網につく前に胞子が活発になり放出する量が増えてしまうからだそうです。(続く)