先日ネットでテクタイトという隕石の衝突で出来た、ガラス状の物を探していたら、南米コロンビアのポゴダにある黄金博物館に展示されている小さな魚形の物体を見つけ驚かされました。まるで古代の飛行機のようです。
これはイバン・T・サンダーソンという動植物の専門家が発見した物。三角翼と垂直尾翼があり、どの生物にも似ていない飛行機のような物です。この黄金細工は南米コロンビアのシーヌ地方の古代遺跡から発掘されています。よって造られたのはシーヌ文化(紀元500~700年)という説と、さらに古いプレ・インカ文明という説が在るそうです。
そしてサンダーソンはこれを「ベル・ヘリコプター」の設計者として著名なアーサー・ヤングに見せて飛行できるか、検証を依頼したのです。彼の検証結果は航空力学の理にかなっていると言う答えでした。またこの黄金細工を基に翼長80cmから100cmの模型飛行機が作られ、飛行に成功しているそうです。
上の図はアメリカ空軍の戦闘機F106の三面図。下は飛行中の写真。よくこの黄金細工と似ています。ただこの古代版飛行機の推進力(エンジン)が問題です。グライダーのような滑空機なら翼がデルタ翼でなくて翼面積が多い直線の翼にしたはずです。このデルタ翼を見る限り、この機はかなりスピードが出たのではないでしょうか?ちなみにF106は1956年12月に初飛行し、最大速度は2455km/hです。
次は1975年にトルコのオスマニエ県トブラッカレで発掘されたロケット型の彫刻です。上の部分が欠けているのですが、乗員は蛇腹状の宇宙服のようなものを着ています。
この遺物を発表したのは作家で、考古学研究者のゼカリア・シッチンという人物。2010年に亡くなっていますが、「The Earth ChroniclesExpeditons」という本を出版しています。
その本によるとこの彫刻は長さ23cm、幅8cm、現代のロケットと形が似ており、最後尾に3つの排気筒が刻まれているとの由。ただ不明な点が多い事から、イスタンブール考古学館に納められたままで、展示されずに保管されているだけのようです。そしてパイロットの頭部の部分が欠けています。
この下の図は旧ソ連の有人宇宙船ボストークです。上のトルコのロケットとよく似ています。
そして1952年6月にメキシコのパレンケに在る古代マヤ遺跡「碑文の神殿」の地下から考古学者アルベルト・ルスによって不思議な石棺が発見されました。石棺は縦3m、横2.1m、高さ1.1m、重さ5.5トンもある1枚岩を刳りぬいた物で、その石棺の蓋には見事な彫刻が施されていました。
これに彫られれた絵は、暫くは注目されませんでしたが、1970年に入り作家のエーリッヒ・フォン・デニケンが、その著書『未来の記憶』でこれを「マヤのロケット」として取り上げ、古代宇宙考古学がブームになりました。以下はその本の抜粋です。
***現代の宇宙飛行士がロケットに乗っている絵とそっくり。このような図柄が、はたして素朴な想像力の産物だろうか?最下部の奇妙な模様は推進ユニットから噴出する炎とガスを表しているとしか思えない。****
上の写真はこの石棺に葬られていた7世紀マヤの国王パカル一世です。豪華な翡翠の仮面を被っていました。石棺の蓋に刻まれた人物もパカル王です。
しかしこの「マヤのロケット説」は考古学者によって否定されています。まずこの蓋の図は、飛行しているように見える横ではなく縦から見るもの。
パカル王が胎児のような姿勢をとっているのは、夕日と共に地下世界に下り、そこで新たに生まれ変わると言う考え方によるもの。中央のロケットのような物は生命の木と呼ばれるトウモロコシを様式化した物だそうです。先端の鳥は聖なる鳥ケツアルコアトル。
しかしこの石棺の図を見ると、マヤの王が炎をはくロケットのような飛行体に乗り、空中を飛んでいるとしか思えませんね。王が操作しているのは本当にトウモロコシの化身なのでしょうか?
この王がパレンケを統治したのは西暦615年から683年までだそうですが、その頃このような文化があったというのは信じられませんが、別の星からの援助があったかも知れません。
ここまで何点か古代の飛行機や宇宙船の様な物を紹介してきましたが、果たしてこれらは本当に存在した飛翔体でしょうか?何時かわかる日が来るといいのですが、これからの展開を待つ今日この頃です。下の写真はパレンケの宇宙船と似ている旧ソ連のボストーク宇宙船です。