光と影の軌跡Ⅱ

つれづれなるおじさんの写真日記

もうすぐ満開です。袖ケ浦市飯冨の30万本のヒマワリ

2024年07月31日 | 日記

 昨年の夏、野田の虫送りの写真を撮影中、役員の方からこの近くの飯冨に約6000坪の敷地に30万本のヒマワリが咲いている場所があると教えていただきました。昨年行こうと思っていたのですが正確な場所が分からず、時期も少し遅かったたので、来年行くことにしました。

 最初にツレと訪問したのは7/21(日)。住所も調べて行ったので場所は直ぐ分かりましたが、まだ開花していませんでした。上下の写真がその時の物です。しかし足場材で組んだ見晴台が出来ていました。ただまだ入れないように入り口が2本の棒で止めてありました。

 次に訪問したのは7/28、1週間後の日曜日です。このところ暑い日が続き、日照時間も長かったので見頃かと思ったのですが、まだ2~3部咲きでした。

 それにまだ花が小さいですね。でも開花したてのヒマワリも力をためているようで見応えがあります。

 28日に行った時には先に3台の車が来ていました。そしてヒマワリ畑は何区画かに分かれており、1つの区画にはひとり1~2本持ち帰っても良いという看板が立てられていました。何人かのグループは鎌や植木ばさみを持ってきており、切っていました。

 広いヒマワリ畑ですね。6000坪の敷地に30万本のヒマワリが植えられているそうです。6000坪というと東京ドームの42㌫分だそうです。(東京ドームの約半分弱)最後にはこのヒマワリは刈られてキャベツ畑の肥料になるとの由。もう少したったら満開になるようですから、また行ってみようと思います。


木更津レンコンの地・長須賀のハスの花

2024年07月29日 | 日記

 木更津郊外ではあまり野鳥を見かけなくなりました。それで何時もは何かしらの野鳥がいる、木更津市長須賀のハス田をツレと訪ねました。7/20(土)の午前5時40分頃何時もの場所に到着。ここでセイタカシギを最後に撮ったのは6/6(木)あれから1ヶ月半くらい時間が進みました。

 野鳥がいないか暫くハス池の周りを散策したのですが、何もいません。先日まで大きな声で鳴いていたヨシキリの姿さえも見られなくなっていました。たくさんいたカルガモやセイタカシギはどこへ行ったのでしょう。

 野鳥の代わりにハスの花が咲き始めました。白い花が殆どですが。ピンクの花も頑張っています。比率は5対1程度でしょうか?

 ハスの花托(かたく)も沢山できていました。小さい頃友人とこれを摘み、中の実を取り出しおやつ代わりに食べたものです。それとハスとレンコンの違いですが、レンコンは漢字で書くと蓮根。ハスの根っこのことです。ハス(蓮)は葉や花、実や根っこ等全部の総称です。

 午前6時頃には木更津駅に向かう久留里線が2両編成で通過して行きました。また近くを親子ずれが虫網を持ってトンボをを追いかけています。その時何故か井上陽水の「少年時代」のイントロが浮かび、口ずさんでいました。気分はもう夏です。隣でシャッターを切っているツレに「暑くてもう夏だね」と声をかける今日この頃。


木更津総鎮守・八剱八幡神社例大祭④-港の側の小粋な祭り

2024年07月26日 | 日記

 いよいよ八剱八幡神社例大祭も最終日です。午前9時頃ツレと車で木更津港の内港公園に向かいました。ここは木更津内港に面した公園で、中の島大橋が良く見えます。そこの駐車場に車を停め水門近くで大神輿がくるのを待ちました。

 この公園の駐車場にはあまり来たことがないのですが、廃船になった漁船や漁具が無造作に置かれていました。対岸には八剱八幡神社の例大祭に参加している新宿区の人たちが大神輿が来るのを待っています。はっきりとはわかりませんが100人近い人が集結していたようです。

 午前9時45分頃になると、ここ新宿区の受渡し場所にお囃子の音と共に大神輿が姿を現わしました。

 しばらくこの場所で大神輿のもみ合いがあり、その後大神輿を固定する台が置かれ、大神輿が鎮座しました。

 大神輿の周りにはいろいろな人たちが集まって来ました。中々大神輿を見る機会がないので、その前で記念写真を撮る人でいっぱいです。

 木更津市には陸海空の各駐屯地があり、住民の比率も自衛隊員が多いせいか、専用のはっぴを着た人たちもいました。自衛隊のPRも兼ねているようです。

そして午前10時10分頃になると大神輿の周辺に、各町内のはっぴ姿の若い衆が集まって来ました。

 2本の本棒に若い衆の肩がはいり大神輿がゆっくり動き始めました。「木更津担ぎ」の見せ所です。

暫く船溜り前の広場で大神輿がもまれ、その後北片町へ移動して行きました。

 大神輿の後には所属の人たちが付いていきます。木更津の祭りは他の町とは違い、町全体はとても静かです。屋台が出たりしているのはあまり見たことがありません。この祭りを今を時めく「アウトレット」やアクアラインの海ほたるで開催したらどうでしょうか?なーんて夢のようなことを考える今日この頃です。


木更津総鎮守・八剱八幡神社の例大祭③

2024年07月24日 | 日記

 八剱八幡神社の例大祭、今年は7/12(本殿祭)7/13(発輿祭)7/14(還御祭)の3日間にわたって開催されました。私とツレは7/13(発輿祭)宮出しと14日午前中の大神輿の渡御・新宿区の儀(中野畑沢線区界受渡)を撮影しました。14日の宮入りも撮影したかったのですが、外せない用事がありパスしました。

 7/13の午前7時5分頃宮出しです。神社でこの神事が終わった大神輿は、鳥居を潜り古くからの道「房総往還」に出て駅からの道「富士見通り」に向かいました。房総往還は道路の占有許可を取っていないので路線バスが入ってきました。しかし細い道を現代のバスと江戸時代の大神輿が並んで通るという珍しい光景が見られました。

 大神輿が富士見通りに出ると直ぐ左に曲がり100m程で止まりました。八幡町区の受け渡しです。役員や氏子が整列し祝詞があげられました。

 小さい子供たちも並んでお祓いを受けています。この子たちも、もう直ぐ祭りの輪の中に入って神輿等を担ぐのでしょうね。その姿が今から目に浮かんでくるようです。

 八幡町区の式典が終わると大神輿を先頭に、次の受け渡し場所に向けて進んでいきました。

 

 大神輿はこの上下の写真から分かるように2本の本棒しかありません。神輿に担ぎ手の背中を見せないように向かい合わせで担ぐ「木更津担ぎ」という独特の担ぎ方です。ただこの時は移動中のため1列に並び移動しています。

 私たちはこれで帰宅したのですが、駅の近くに来ると顔見知りの役員さんに出会いました。ここも受け渡し場所のようです。側に中型と子供用の神輿が置いてありました。祭りはまだ始まったばかり、これからますます大変になってきます。役員さんに頑張ってくださいと声をかけ車に向かいました。


八剱八幡神社の例大祭②-関東一の大神輿

2024年07月22日 | 日記

 猿田彦の大御神や氏子の人たちが見守る中、社殿前に置かれた神輿に神社の御霊が移されます。社殿から白い膜を持った役員たちが御霊を囲んで出てきました。

 御霊を囲み大神輿の前面に出て神主が大神輿に御霊を設置しました。

 この後担当氏子が御神酒を配り乾杯の準備です。

  そして年番役員のかけ声で乾杯が行われました。いよいよ木更津総鎮守・八剱八幡神社例大祭の始まりです。境内では「いなり囃子保存会」によるによる木更津囃子も最高潮。

 そして猿田彦の大神を先頭に、大神輿が動き始めました。

 行列は最初に鳥居を潜り鳥居崎公園の方に向かいます。ただ大神輿の背丈が高いので、鳥居と接触しないように神輿の上に氏子2名が乗っています。

 鳥居に付けられたしめ縄をかき分け漸く大神輿が通過していきました。

 少し時間はかかりましたが、鳥居を無事に通過。大神輿は鳥居崎方面に向かいUターンしてきました。

 富士見通りの受渡場に向かったのですが、神社前ではお囃子の人たちが大神輿を待ち構えていました。神輿の後を演奏しながらついていく為です。

この頃になると神官の人たちも余裕が出来たのかスマホで大神輿の写真を撮っていました。

 そして最後尾の舎人の人たちも撒かれたお賽銭を集めながら、元気よく大神輿を追いかけていました。


木更津総鎮守・八剱八幡神社例大祭①-宮出し

2024年07月19日 | 日記

 7/13(土)曇りがちで時折小雨がぱらつく日でしたが、午前6時40分頃八剱八幡神社の氏子によって、関東一の大神輿が神輿殿から担ぎ出されました。6時50分頃から、八剱八幡神社例大祭の宮出しです。

 境内を稲荷町の氏子によって社殿前に移動していきます。新緑に関東一の大神輿がよく映えています。

 神輿には若い氏子が2名乗っていました。

 この大神輿は江戸時代の嘉永3年(1850年)に造られた関東3大神輿の一つ。重さ1.5トンもある現役の神輿としては関東一を誇っています。

 そして神輿の最上部にある鳳凰に、先程から神輿に乗っていた2名によって、稲の初穂が取り付けられます。

鳳凰に初穂が取り付けられると神輿と記念撮影が行われ、先導役の猿田彦の大神も付き人と共に姿を現わしました。

 そして祭りの関係者が境内に勢揃いすると、神輿に御霊を移す神事が始まりました。


古代にあった飛行機と宇宙船・そして宇宙飛行士

2024年07月17日 | 日記

 先日ネットでテクタイトという隕石の衝突で出来た、ガラス状の物を探していたら、南米コロンビアのポゴダにある黄金博物館に展示されている小さな魚形の物体を見つけ驚かされました。まるで古代の飛行機のようです。

 これはイバン・T・サンダーソンという動植物の専門家が発見した物。三角翼と垂直尾翼があり、どの生物にも似ていない飛行機のような物です。この黄金細工は南米コロンビアのシーヌ地方の古代遺跡から発掘されています。よって造られたのはシーヌ文化(紀元500~700年)という説と、さらに古いプレ・インカ文明という説が在るそうです。

 そしてサンダーソンはこれを「ベル・ヘリコプター」の設計者として著名なアーサー・ヤングに見せて飛行できるか、検証を依頼したのです。彼の検証結果は航空力学の理にかなっていると言う答えでした。またこの黄金細工を基に翼長80cmから100cmの模型飛行機が作られ、飛行に成功しているそうです。

 上の図はアメリカ空軍の戦闘機F106の三面図。下は飛行中の写真。よくこの黄金細工と似ています。ただこの古代版飛行機の推進力(エンジン)が問題です。グライダーのような滑空機なら翼がデルタ翼でなくて翼面積が多い直線の翼にしたはずです。このデルタ翼を見る限り、この機はかなりスピードが出たのではないでしょうか?ちなみにF106は1956年12月に初飛行し、最大速度は2455km/hです。

 次は1975年にトルコのオスマニエ県トブラッカレで発掘されたロケット型の彫刻です。上の部分が欠けているのですが、乗員は蛇腹状の宇宙服のようなものを着ています。

 この遺物を発表したのは作家で、考古学研究者のゼカリア・シッチンという人物。2010年に亡くなっていますが、「The Earth ChroniclesExpeditons」という本を出版しています。

 その本によるとこの彫刻は長さ23cm、幅8cm、現代のロケットと形が似ており、最後尾に3つの排気筒が刻まれているとの由。ただ不明な点が多い事から、イスタンブール考古学館に納められたままで、展示されずに保管されているだけのようです。そしてパイロットの頭部の部分が欠けています。

 この下の図は旧ソ連の有人宇宙船ボストークです。上のトルコのロケットとよく似ています。

  そして1952年6月にメキシコのパレンケに在る古代マヤ遺跡「碑文の神殿」の地下から考古学者アルベルト・ルスによって不思議な石棺が発見されました。石棺は縦3m、横2.1m、高さ1.1m、重さ5.5トンもある1枚岩を刳りぬいた物で、その石棺の蓋には見事な彫刻が施されていました。

 これに彫られれた絵は、暫くは注目されませんでしたが、1970年に入り作家のエーリッヒ・フォン・デニケンが、その著書『未来の記憶』でこれを「マヤのロケット」として取り上げ、古代宇宙考古学がブームになりました。以下はその本の抜粋です。

 ***現代の宇宙飛行士がロケットに乗っている絵とそっくり。このような図柄が、はたして素朴な想像力の産物だろうか?最下部の奇妙な模様は推進ユニットから噴出する炎とガスを表しているとしか思えない。****

 上の写真はこの石棺に葬られていた7世紀マヤの国王パカル一世です。豪華な翡翠の仮面を被っていました。石棺の蓋に刻まれた人物もパカル王です。

 しかしこの「マヤのロケット説」は考古学者によって否定されています。まずこの蓋の図は、飛行しているように見える横ではなく縦から見るもの。

 パカル王が胎児のような姿勢をとっているのは、夕日と共に地下世界に下り、そこで新たに生まれ変わると言う考え方によるもの。中央のロケットのような物は生命の木と呼ばれるトウモロコシを様式化した物だそうです。先端の鳥は聖なる鳥ケツアルコアトル。

 しかしこの石棺の図を見ると、マヤの王が炎をはくロケットのような飛行体に乗り、空中を飛んでいるとしか思えませんね。王が操作しているのは本当にトウモロコシの化身なのでしょうか?

 この王がパレンケを統治したのは西暦615年から683年までだそうですが、その頃このような文化があったというのは信じられませんが、別の星からの援助があったかも知れません。

 ここまで何点か古代の飛行機や宇宙船の様な物を紹介してきましたが、果たしてこれらは本当に存在した飛翔体でしょうか?何時かわかる日が来るといいのですが、これからの展開を待つ今日この頃です。下の写真はパレンケの宇宙船と似ている旧ソ連のボストーク宇宙船です。

 


早朝の千葉フォル二ア-袖ケ浦市

2024年07月12日 | 日記

 07/05(金)ツレと久しぶりに袖ケ浦市の通称千葉フォル二アを訪問しました。名前の知れた観光地なので、混まないように早朝午前6時頃に家を出て20分位で到着しました。

 ここは最近国道16号線と県道143号線が交わる交差点を海の方に向かうと新しく袖ヶ浦海浜公園に向かう道が出来ています。まだあまり知られていないようで、下の写真がその道ですが結構すいていました。

 千葉フォル二アとは袖ヶ浦駅方面から袖ヶ浦海浜公園に向かう直線道路。その道路の海に面した側にワシントンヤシ98本が植樹され異国情緒たっぷりの道のことで、長さは約1100mあります。

 インスタ映えのする場所として著名でしたが、あまりにここに来るドライバーや観光客のマナーが悪く、違反や事故が頻発するようになり、2022年3月袖ヶ浦市役所は、ヤシの木に警告の黄色いシートを取り付けました。

 その後事故や苦情は減っているようですが、ヤシの木に巻かれた警告シートはそのままです。SNSを見てみると「どこを撮っても黄色いシートが写り残念」等という書き込みが見られます。まあ純粋に写真を撮る人たちにとっては迷惑千万な話しですが、早く撤去してほしいものです。

 袖ヶ浦海浜公園に車を停めてアクアライン方面の写真を撮影しました。平日の早朝のせいか人はまばらです。また気温が高いので対岸のビルも薄らと靄がかかっているように見えます。

 何時もは見える東京スカイツリーも見えません。しかし海中の「海ほたる」や「風の塔」はクッキリとしていてよく確認できました。

 風の塔を撮っていると近くに小さな船を見つけました。小型の漁船のようで、乗員は2名。付近に他に漁船はなく何を獲っているのかはわかりませんでした。

 海浜公園から見る千葉フォル二アも異国情緒たっぷり。ここで開催された氣志團万博に矢沢永吉が出演した際「ここはハワイかよと感じた」と話し話題になった程です。

  


我が家のネコたち-木更津市

2024年07月10日 | 日記

 大体2ヶ月おきに我が家のネコたちをUPしていますが、前回のUPが4/3なので3ヶ月が経っていまいました。今年はカルガモ家族との出会いが少なく、代わりにセイタカシギの親子を見つめる機会が多くなりました。その為かネコたちとのふれあいも減って、スナップも少なめです。

 上の2枚の写真は1番上のお姉さんネコのチビタです。最近変わったところで寝ており、下はプリンターの上で寝ていたのですが、プリンターを使うのでおこしたところです。

 モコモコは相変わらず元気で、庭を駆け回っています。疲れると横になってゴロゴロ。

 部屋の絨毯の上で寝ているのはポンタ。最近情緒不安定で今までいかなかったところ、台所の換気扇の上で寝たりして探すのが大変です。

 先日モコモコが庭で何かを追っかけていました。目をこらしてみるとアゲハチョウです。何にでも興味を持つ子ネコなので、自分の近くに来た蝶をターゲットにしたようです。

 アゲハチョウはしきりに、モコモコの攻撃を避けていましたが捕まってしまいました。それをみていたツレが可愛そうなので、蝶を逃がしてやるとモコモコは残念そうに蝶の行方を見ていました。とりあえず元気な我が家のネコたちの今日この頃です。


中世絵画に描かれた不思議な球体-コンピューターと通信機器かも

2024年07月08日 | 日記

 ヨーロッパの中世絵画をジックリ見ていくと、不思議なものが描かれているのに驚かされます。昔はそれが何かわからず、誰も気づかなかったものに漸く時代が追いつき、スポットが当たってきたようです。

 最近雑誌やミステリーの本でよく見かけるイタリア・モンタルチー教会にある三位一体の絵画。父と子と精霊を描いていますが、精霊を現わす鳩の下に丸い球体があります。1595年にベントゥーラ・サリンベー二が描いた絵画です。まるで父と子が何かをコントロールしているようです。

 2本のアンテナのような物に父(右の神様)と左の子(キリスト)の手が添えられています。以前から旧ソ連のスプートニク1号にそっくりで話題になっていた絵画です。そして中央の鳩(精霊)は、現代のドローンのようなカメラを搭載した飛行物体を思わせます。

 三位一体を描いた絵画を調べて見ると、このような球体を描いた絵が沢山見つかりました。トップのフレスコ画も1663~1665年にピエール・ミニャールが描いた「聖三位一体」ですが、右の神が球体を抱えています。

  上の絵画はスペインのバロック時代の画家、アントニオ・デ・ペレダによって17世紀に描かれた「聖三位一体」です。中央には直径1m位の球体があります。これは何でしょう。説明によると世界を現わす球体との由。しかしどの球体にも地図は描かれていません。

 地球儀と言うのは調べてみると紀元前から在ったようで現存する最古の物は、1492年にドイツで製作された物が残っているそうです。絵画の球体はそれよりもっとメカニックな物と言う感じを受けます。世界中の人から神への願い、神から人への教えを集約するスーパーコンピューターのようなマシーンとは考えられないでしょうかうか?

 この上下の写真は17世紀ファン・カレーニョ・デ・ミランダという人が描いた「三位一体修道会創設のミサ」です。バロック時代のスペイン絵画の傑作と言われています。他の三位一体と同じように父とキリストの下に球体があり、下界に光を注いでいます。

 地上には光る小さな長方形の物を持った人物が、それを見つめています。まるで現代のスマートホーンのようです。不思議な球体から、情報を伝える光線がそれに送られているように見えるのは、穿ちすぎでしょうか?

 先に紹介したサリンベー二が描いた三位一体ですが、球体の下には丸い鏡のような物が描かれています。周りが光っていてまるでディスプレイ。何かの情報を受けとっている最中の様に見えます。

 中世にこのような物があったのでしょうか?不思議な絵画たちが興味のある話題を投げかけてきます。興味が尽きないので、今後もこの不思議な物の正体を追ってみようと思っています。