光と影の軌跡Ⅱ

つれづれなるおじさんの写真日記

今年のサンマは豊漁?そこで思い出す8年前の袖ヶ浦・サンマ祭り

2024年12月25日 | 日記

 今年はサンマは豊漁との由。ただその実感がわきません。12/21(土)のことです。ツレがスーパーでサンマを購入しようとしたところ、生のサンマは入荷がなく、開きはあるが2尾で税込み539円と高いです。

 ネットで今年のサンマの漁獲量を調べて見ると8月中旬根室市の花咲港で初水揚げ量は約67トン、2023年の469kgと比べると140倍獲れています。ただ10月以降はまた漁獲量が減っているようです。まあ以前のように安くて美味しい魚の代名詞となるのはもう夢のまた夢でしょうね。

 そこで思い出すのは2016年10月1日、袖ヶ浦駅前で行われた袖ヶ浦チャリティーさんま祭りです。開催を知らせるポスターには「福島県楢葉町に希望の光を、熊本県の早期復興を」と書かれていました。

 なぜ袖ケ浦市で「さんま祭り」なのかと思って調べて見ると、現在の袖ケ浦市の「奈良輪」と「坂戸市場」は、昔「楢葉村」という地名でした。そこで福島県楢葉町と同じ地名の縁で復興支援をという事だそうです。

 この日は朝から小雨が降っていたのですが、福島県の復興とサンマを食べたいという気持ちに押されて私も参加しました。焼きサンマ2000匹を先着順で無料配布するそうなので、沢山の人が袖ヶ浦駅北口駅前広場に集まっています。

 そしてサンマは1度に180匹しか焼けないので、2000匹焼くには11回転以上時間がかかることになります。気が遠くなってきます。主催は袖ヶ浦商工会ですが、相当の人数を集めたようです。

 またさんまを焼くのに時間もかかりますが、ステージがもうけられ袖ヶ浦高校吹奏楽部や木更津高校ジャグリング部の演奏、フラダンス等も演じられていました。私はかなり早く引換券をもらえたので、最初に焼けた大きなサンマをいただきました。さすがほ東北産の獲れたてサンマ美味しかったです。

  サンマをいただいてから私は色々なところで写真を撮りました。サンマを焼く会場は煙が凄いです。これは後片づけが大変ですね。皆さん美味しそうにサンマをいただいていました。このイベントが長く続けばいいなと思いましたが、新型コロナやサンマの高騰でこれ以降は開催されなかったようです。残念です。

******本日を以て今年のブログの更新を終了せていただきます。新年は1月中頃より更新したいと思います。本年は大変お世話になりました。来年もよろしくお願い申し上げます。管理人*******


袖ケ浦市の船の門とワラの祠

2024年12月23日 | 日記

 初冬らしい気温の中12/13(金)の午前10時半頃袖ケ浦市の蔵波にツレと出かけました。落花生の購入と珍しい光景を訪ねてのドライブです。

 最初に袖ケ浦市のぞみ野の外野交差点の角にある落花生屋さんでピーナツを購入。向かいにあるセブンイレブンに車を止め、道路沿いにある漁船を門の代わりにした面白い光景を見に行きました。

 最初にこの光景を見たときは驚きました。車窓から見ただけですから、何故こんな物が置かれているのか?と思いながら通り過ぎていきました。船の側には立ち入り禁止と書かれているので、中に入る訳にもいきません。船体の横に「あおき」と書かれているので門に使用していると思われますが、機会があったら近所の人にでも聞いてみようと思います。

 漁船の門から今度は袖ケ浦公園方面に向かいました。旧鎌倉街道沿いにあるワラで作った小さな祠を見るためです。

  このワラと細い木で出来た祠は毎年、お正月頃になると作り替えられるようです。近くにある袖ヶ浦郷土博物館に行ってみると昔から、同じような風習があったようで、その写真が展示されていました。下の写真です。

 写真の説明によると、家敷内に祀られる稲荷様の祭りをイナリマチという。甘酒と赤飯をお供えし、稲刈りなどを手伝ってくれた親戚を呼んでもてなす、との由。どうやらこれはイナリマチという風習のようです。このワラの祠があるのは家の中ではなく、畑の中で周りを樹木が囲んでいます。

 このワラの祠を覗いてみると中に丸い石が入っています。端が欠けていますが、昔から石には霊力があると言われているので、それを祀っているのでしょうか。なんとも不思議な祠です。また2022年の2/22にもこの祠を撮影しているので、参考までに下にUPしました。


木更津市・長楽寺の紅葉

2024年12月20日 | 日記

 時期的には少し遅くなったのですが、ツレと12/11(水)午前11時頃木更津市請西の長楽寺の紅葉を訪ねました。お寺右側入口の木々が太陽光に照らされとても綺麗、丁度逆光になってモミジの葉が浮かび上がってくるようです。モミジにはプロペラのような種が付いている物も在り、それが光を浴びてメカニックな感じに輝いています。

  長楽寺の開創は鎌倉時代、最初は稲荷山長国寺と称し現在地の東方約1Kmの場所にあったのですが、永禄年間(1558年~1570年)現在の場所に移動し長楽寺と改称したそうです。

 お寺の境内ではイチョウやモミジの紅葉が何本か見られましたがもう見頃は過ぎています。ただ陽の光が当たっている樹木は、黄色や赤が際だって過ぎゆく秋を演出していました。

 

 そしてマ二車を回しながら手水舎の方を見ると、猫が石塔の上で日なたぼっこをしていました。このお寺は沢山の猫の世話をしているようです。

 この後境内の左側を通って裏庭に行きましたが、途中石仏や石版のある場所で、サザンカとこれらの石版等のコラボを撮影。

 そして裏庭の古都の庭園を思わす景観には、もう紅葉を示すような木々がなくミカンか柚子の実がなっている姿しかありませんでした。

 少し訪問するのが遅れたことを悔やみながら出入り口に向かいました。お寺の出入り口にある石仏とその右側の美しい紅葉が、また来年来るようにと言っているような気がしたので、それぞれに向けて何枚かシャッターを切り帰宅しました。


11/22の富津市のもみじロード-関東一遅い紅葉

2024年12月18日 | 日記

 気温の高い日が続いていた11月ですが、22日に富津市の紅葉で名高いもみじロードにツレと行ってきました。しかしここは関東で一番紅葉の遅い場所と言われているので、下見がてらのドライブです。

 もみじロードとは全長約11Kmの県道182号線(上畑湊線)のことで、富津市山中の県道34号交差点から、富津市大森の国道465号線交差点に至る一般県道。志駒川に沿って走る片側1車線の道路で、約1000本のもみじが植えられており「もみじロード」と呼ばれ、県内屈指の紅葉の名所として知られています。

 もみじロードには上総湊方面から入ったのですが、最初に志駒不動様の霊水でトイレ休憩をとりました。

 私たちがこの水汲み場に駐車したときは誰もいなかったのですが、トイレから出てきたときには2台の車があり、霊水を汲んでいました。上の写真は水汲み場左手方面の光景、下は右手保田方面、まだ紅葉は進んでいません。

  この水汲み場には何回か来ているのですが、何時もコーヒー屋さんがテントを張っていて淹れたてのコーヒー等を飲ませてくれたのですが、今日はいませんでした。

 水汲み場から少し下ると舟戸橋。この辺になると紅葉が見られます。また道路際にはコスモスの花も咲いていてとても綺麗です。

 そして地蔵堂の滝が見えてくると右側に黄色く色づいた何本ものイチョウが見えてきました。上郷公会堂のイチョウの木です。

 11/22現在で紅葉といえるのはここのイチョウぐらいでした。ここからさらに保田漁港方面に進み、紅葉の名所の中にある竹ノ内米店に寄りました。

 ここに来たのは三度目。来るたびに長狭米を買っていきます。ここの長狭米は「日本の米作り百選」に選ばれた千葉のブランド米。お米の博士号「お米マイスター」の資格も取得しています。なにしろとても美味しいお米です。

 店の入口には山羊が出向かえてくれます。ただこの日は機嫌が良くないようで、ズーッと座って草を食べていました。

 


妙に懐いてる袖ケ浦公園の野鳥たち

2024年12月16日 | 日記

 気温がまだ例年より高い12/04(水)ツレと袖ケ浦公園を訪ねました。何故かと言うと、例年のように冬の渡り鳥が遊漁池に来ているのではないかと思ったからです。ここの野鳥は何故か人を怖がらず、餌をあげると手の平にのったりする面白い野鳥です。池には午前10時頃に着いたのですが、予想どおり沢山の野鳥たちがいました。そして年配の男性の側にオナガガモのオスが来て餌をねだっていました。

  オナガガモはメス、オス共になれなれしいです。次の図は池の側に立ててある袖ケ浦公園に来る野鳥たちの一覧表です。これを見るとオナガガモはオスの方が派手なようです。

 下の写真は昨年の11月29日に同じ場所で撮影したものです。オナガガモのメスがツレから餌をもらっているところです。

 鳥の餌の自販機で餌を買って、餌をやりながら撮影していたのですが、真っ白い髪のおばさんが来て餌を与え始めました。鳥がよく懐いているので、何時も餌をあげている常連さんのようです。

 遊漁池の側のモミジが紅葉して綺麗です。この後下池にも行ってみたのですが、ここもモミジが見頃です。そしてその下には餌を持つ野鳥がたくさん集まっていました。

 


記憶のかけら③-南房総市の富浦漁港

2024年12月13日 | 日記

 おさかな倶楽部で昼食をとった後、富浦漁港を散策しました。少し離れていますが先程行った原岡桟橋が良く見えます。やはりこの桟橋は少し離れてみた方が風情があります。

 そして砂浜を散策していると、4~5人のおじさんたちが漁師小屋で寛いでいるところに出会いました。私たちを見ると綺麗な桜貝がこの浜にあるから、土産に拾っていったらと教えてくれました。海の近くの老いた男性は暇で奥さんは忙しく働いているというのはよく聞く話。なるほどと思わせる場面でした。

 漁港ってどこに行っても散らかっていますね。こんな看板もよく見かけます。

 漁港の空いた場所に定置網と思われる巨大な網が置かれていました。側では日陰で網を繕っている漁師さんがいたので写真を撮らせてもらいました。

 そして富浦漁港の荷捌き所に行ってみました。しかしお昼のせいか誰もいません。富浦漁港のことを色々聞いてみたかったのに残念です。

 漁港のある多々良海岸や原岡桟橋付近の海は海水がとても綺麗です。最近キリンの酎ハイ・氷結のCMがこの原岡桟橋を使っていました。桟橋と海が綺麗でロマンチック。こんなに美しい場所にツレともう一度行きたいね、と話しあっている今日この頃です。


記憶のかけら②-漁師飯のおさかな倶楽部

2024年12月11日 | 日記

 原岡桟橋を撮影した後富浦漁港を訪ねました。しかし時間が午前11時を過ぎていたので昼食をとることにしました。ツレがせっかく富浦まできたのだから新鮮な魚が食べたいと言うので探していると、漁港の側にクリーム色の大きな建物があり、中に沢山の人がいるのが目に付きました。表に回って見ると「浜の台所 おさかな倶楽部」と言う看板が飛び込んできました。

  クリーム色の建物の前が駐車場で多くの車が停まっていました。他府県ナンバーの車もあるので観光客も来ているようです。

 入店すると「満席なので少し待ってください」と言われたのですが、直ぐに席が空いたので着席して注文をお願いしました。私は特製旬盛天丼、ツレはツル舌平目、メイタカレイ姿唐揚げ定食をオーダーしました。

 おさかな倶楽部は岩井富浦漁協直営の食事処。新鮮なお魚が手軽な値段で食べられるので大人気。またそのボリュームが半端ないです。

天ぷらが山盛りの天丼には、味噌汁と小鉢、香の物が付いています。

 ツレが頼んだカレイと舌平目の唐揚げ定食も凄いです。2種類の大きな魚が唐揚げになって出てきました。他にミニサラダと小鉢、味噌汁とライスです。

 材料は側の富浦漁港で水揚げされたばかりの新鮮なおさかなさん、とても美味しくいただきました。しかし私は天丼にのった魚が多くて、持ち帰りにしました。持ち帰りのパック代は別料金で、たしか50円だったと思います。

 こんなにコスパの高いお店は初めて。帰りに入口を見るとこんな看板が立っていました。さすがに漁組の直営店らしいお知らせです。また営業時間も11時~15時と短いです。


記憶のかけら①-8年前の富浦町原岡桟橋(岡本桟橋)

2024年12月09日 | 日記

 8年前の8/31ツレと南房総市富浦町を散策しました。最近青山学院大学が箱根駅伝等で注目を集めていますが、8年前に富浦町原岡に行った時、海に突き出た桟橋の根元の部分に、青山学院のプレートが埋め込まれたのを思い出ししました。

 この青山学生キャンパスストアというのは、1963年から15年間、森永製菓がスポンサーとなった青山学院大学の海の家で、それがこの周辺にありました。その後森永製菓がスポンサーをおりたので、単独でストアーを続け2008年に幕を閉じるまで頑張っていたようです。私たちはまずJR内房線富浦駅で下車しました。

 富浦駅を出て約140m位直進すると国道127号内房渚ラインに突き当たります。国道には浜に出る細い道が沢山あり、少し太めの道を200m行くと原岡海岸です。そこに沖に突き出たコンクリートと木製の桟橋が見えてきます。ここが話題の原岡桟橋、正式名称は岡本桟橋です。日が暮れると桟橋の裸電球が灯ってノスタルジック、そして時期がきて、運が良ければダイヤモンド富士を見る事が出来ます。

 この桟橋は大正時代に魚の水揚げの為に整備された桟橋で、1961年に漁港が移転するまで使用されていました。

 訪問した8/31は結構波も荒く桟橋の先端に行くのは勇気がいりました。この桟橋は長さが約160m、巾は2m位です。

 特にコンクリートの部分と木製の部分のつなぎ目を渡るときはヒヤヒヤでした。下が砂浜なので、落ちたときはなんとかなるだろうという気持ちでやっと先端まで行きました。(桟橋の高さは1.5mだそうです)

 先端から戻るときも風が吹いていて大変でした。ツレと2人でゆっくり時間をかけて戻りました。その後は富浦漁港とデカ盛りで有名なおさかな倶楽部に向かいました。


漁師が集結・木更津沖の網の修理ー初冬の風物詩

2024年12月06日 | 日記

 11/26(火)ツレとカインズ木更津金田店に買い物に行ったついでに、金田漁港に寄ってみました。このところ渋滞が起きる連休や天候不順で雨にたたられたせいもあり、漁港に行ったのは一ヶ月ぶりです。

 金田漁協に着いたのは午前10時頃、何故か漁港には殆ど漁船が停留していませんでした。港に何隻か漁船がいたのですが、すぐに出港してしまいました。何か沖で作業をしているようです。

 その後畔戸漁港に行く海岸道路を走っていると、沖に漁船が一直線に並んでいるのが見えました。そして船から下りて海に入って作業をしている漁師もいました。この日の干潮は木更津沖で午前7時20分、海に入った漁師の腰辺りに海面がきていました。

 

 アクアラインの橋桁近くでは漁船が縦に等間隔で並んでいます。

 どうやら海に何本も棒を立てそこで網を修理しているようです。

 翌日知人に焼き海苔を送るので金田漁協を訪問。ついでに昨日撮った木更津沖の写真を漁協の職員に見てもらったのです。

 これは何をしているところですかと聞いてみました。「この作業は国の事業で沖に敷いてある網を漁師総出で直しているのです。国の費用から日当も出るんですよ。」とのことでした。珍しい光景なので写真を撮りましたと言うと、係の人は「空気が澄んで対岸のビルも見える初冬の綺麗な光景ですね。」と答えてくれました。


證誠寺の狸囃子で有名な木更津市(自宅)で狸を撮影!

2024年12月04日 | 日記

 11/22(金)のことです。午後5時頃自宅の庭で3匹のネコに餌をあげ、家の中に入ったときでした。窓から猫を見ると、子猫のモコモコが庭木に向かって唸り声をあげていました。何かがいるようです。

 暫く見ていると体調1m位の茶色の動物が出てきました。そういえば最近近くでツレがアライグマの写真を撮っているのを思い出しました。側にあったカメラで連写したのですが、少しピントが合っていませんでした。残念です。

 その時大きな声を出したのでタヌキはすぐ姿を消しました。最初見た時はアライグマかと思ったのですが、シッポがシマシマでなく茶色でかなり太かったです。顔もアライグマより可愛らしく見えました。

 木更津市と言えば童謡「證誠寺の狸囃子」で知られています。そして毎年10月の第3土曜日に證誠寺でたぬき祭りが開かれており、今年も10/19に開催されました。私たちは今年は所用で行けなかったのですが、8年前の2016年10/15見物と撮影に行きました。

 證誠寺は木更津駅西口徒歩10分位の場所にあります。その證誠寺は狸囃子の伝説で知られていますが、それはこの寺の和尚さんと大ダヌキが連夜腹つづみを叩き続け、ついには大ダヌキの腹の皮が破れて死んでしまったと言う可笑しくも悲しい話しです。

 たぬき祭りは市内の小学生が独特の衣装とメイクで大ダヌキ、子ダヌキ、和尚さんに扮し「證誠寺の狸囃子」の童謡にあわせて踊るという祭りです。

 また境内には屋台も出て賑わっていました。珍しい祭りのせいか県内外から見物客が沢山訪れ、子どもたちも楽しそうに遊んでいました。