光と影の軌跡Ⅱ

つれづれなるおじさんの写真日記

海の民・木更津のつなはりと山の民・ネパールのつな飾り

2025年01月29日 | 日記

 2014年10月にツレとネパールに行ったのですが、そこで千葉県木更津市のつなはりと良く似たツナ飾りを見ることができました。訪問したときネパールはダサインという祭りが始まったときでした。このツナ飾りはその祭りと深い関係があるようです。

 トップとその下の写真はダンプス村で撮影した物ですが、ネパールではこのツナ飾りの後ろの山は、神聖な山として尊敬されているマチャプチャレです。現在も政府によって登山が禁止されており、未踏峰となっています。標高は6993mです。

 ダサインとはネパール最大の祭りで、毎年9月半ばから10月にかけて行われ約15日間続きます。そしてダサインは善が悪に勝った事を祝う祭りで、ドゥルガという女神が水牛に変化した阿修羅を退治したのを祝う祭りです。

 上と下の写真はカトマンズで撮影した物ですが、木更津のつなはりと良く似ています。ただ縄に吊した物が草やマリーゴールドの花、木更津は海の物エビや蛸が主題です。

下3枚は2016年1月に木更津のつなはりを撮影したものです。

 ネパールに行ったのはもう11年も前、この時木更津のつなはりに良く似ているから撮影したのではありませんでした。ただこのツナ飾りが霊峰マチャプチャレを囲むように配置されたり、家の入口に吊られていたので撮影したのです。

 この上1枚と下2枚はダンプス村周辺で撮影しました。

 下3枚は木更津市牛込地区で撮影した物ですが、3枚目のつなはりは現在撤去されて見ることが出来ません。

 最後の3枚はダンプス村郊外で撮った物です。家の入口にツナ飾りが吊してありました。もう少しどんな意味があるのか聞いてみれば良かったのに、今となっては悔やむしかありません。もしもう1度行く機会があれば詳しく調査したいと思う今日この頃です。


木更津の不思議な行事つなはり②-牛込地区

2025年01月27日 | 日記

 木更津市中島区のつなはりを5ヶ所撮影した後、今度は牛込地区にあるつなはりを見てきました。最初は木更津市牛込1000番地、天満宮側のつなはりです。ここのつなはりは丁寧に作ってあり、個人的な感想ですが木更津市の中で一番のつなはりです。

 つなつりの由来ですが、古来疫病神は道を伝って集落に入り込むと言い伝えられて来ました。そこで集落では道の辻に縄を張り、蛸やイカ、サイコロ等を吊して疫病神を封じ込めたそうです。それが中島やこの地区で行われてきたつなはりです。

 天満宮裏手の三叉路にもつなはりがあります。この藁縄に吊り下げられた蛸は末広がりを表し、エビは腰が曲がるほどの長寿、サイコロは幸福と安全を意味しています。そして鹿島人形(ワラ人形)は子孫繁栄、災いを避けると言う意味が込められています。

 またこのつなはりの側にカーブミラーがあり、つなはりが写っていました。これなら車を運転していてもつなはりが目に付きます。

 次は牛込地区最後のつなはりです。それは牛込地区集会所の近くにあります。このつなはりからキサラピアの観覧車が見えます。近代的な観覧車と古から続くつなはりとのコラボ、これも不思議な光景です。

 このつなはりを潜っていくと、入口に藁縄が張られた家がありました。丁度この家の方が出て来たので聞いてみました。この藁縄はつなはりではなく、個人の家で吊す疫病よけとのことでした。ここで牛込地区の撮影は終了です。昨年はこの他に5ヶ所のツナ張りがあったのですが、今年は吊られていませんでした。残念ですがこの行事も後継者がいなくて毎年少なくなって行く宿命のようです。


木更津市のつなはり①-中島地区

2025年01月24日 | 日記

 国選択無形民俗文化財に選択された木更津市の神事「梵天立て」が1/11に終了したので、こん度はツレと中島地区や牛込地区に見られる「つなはり」を撮影に行きました。

 本当に木更津市には不思議な行事が残っています。今回撮影したのは中島地区で5ヶ所、牛込地区で3ヶ所です。最初に紹介するのは、金田と中島の境目にある電柱に付けられたつなはりです。トップと上の写真がそれですが、1本の電柱にワラ飾りがつけられています。何年か前迄は2本の棒の間につなはりが付けられていました。

 交通の激しい所では大型の車やバスに引っかけラれて切れてしまうので、1本の棒につなはりを付けた様です。この1本つなはりの道を500m位奥に行くと、今度は電柱の間に張られたつなはりがあります。狭い道なので、駐車出来ず車から出ずに車内から撮影しました。

 次は中島地区のメインストリートに張られつなはりです。竹内商店の横にあります。サイコロ、ワラ人形(鹿島人形)一対、エビと蛸が吊られています。写真を撮っていると横の民家からおばさんが出てきて「前はもう少しワラ飾りが綺麗で丈夫に作ってあったが、最近の物はできが良くない」と言っていました。

 この道をもう少し行くと1/11(土)金田海岸の梵天立てで使用した小梵天が立てられています。詳しくは分りませんが、このつなはりと梵天立ては深いつながりがあるようです。

 竹内商店横のつなはりを反対方向から見た写真です。このみちを200m位進み三叉路を左折すると2つのつなはりを見ることが出来ます。

 吉祥院というお寺の側に2ヶ所のつなはりが吊られているのです。一つ目は吉祥院の入口側の道路にあります。そしてこのつなはりの横には小梵天が置かれています。

下は吉祥院入口のつなはりを逆方向からみた写真です。

 吉祥院の反対側にもつなはりが貼られています。駐車場の入口に貼られているせいか、4~5mはある長いつなはりです。そして片方の根元には小梵天が置かれていました。

 ここのつなはりにもワラで作ったエビ、ワラ人形一対、蛸、サイコロ、絵馬が吊られています。

 エビと蛸のワラ飾りが40~50cm位と大きく他の物より丁寧に作ってありました。そしてこの後少し離れた牛込地区のつなはりを撮影に行きました。


何故梵天立てが始まったのか?-木更津市の梵天立て②

2025年01月22日 | 日記

 この「梵天立て」という行事は、江戸時代の元禄年間江戸幕府の船が金田沖で停泊中、錨が盗まれ村の漁師たちに疑いをかけられました。困った村人たちは、濡れ衣を晴らすよう出羽三山の行人に願い、行人たちの祈祷により、盗まれた錨が海中から浮かび上がって来たのです。その恩返しにと始まったのが「梵天立て」と言われています。

 これから海に入る若者に盛んに声援がとびます。元来この「梵天立て」は町内の男子が成人する際の一種の通過儀式でしたが、成人する人が少なくなり、この行事を継続するために、年齢を問わず広く参加する人員を募っているようです。

 これから海に入っていく組と、戻ってきた組が階段ですれ違います。戻ってきた組の若者は、余りの冷たさに言葉も出ないようです。

 次々に梵天を持った若者が海に入って行き、梵天を立てます。空気が澄んでいるせいか、対岸のビルやスカイツリーがクッキリと見え、ここが東京湾の海域という事がハッキリと伝わってきます。

 私たちは所用のため途中で帰りましたが、会場を後にする際アクアライン方向に美しい富士山が見えました。まるでアクアラインの橋脚の上に富士山が乗っているようでした。


江戸時代から続く厳寒の神事・木更津市中島の梵天立て①

2025年01月20日 | 日記

 年が明けた1月11日の未明・金田漁業組合近くの下海岸で江戸時代から続く「梵天立て」が行われました。これは金田・中島地区の若者が厳寒の海に梵天を立てるという国選択無形民俗文化財の神事です。この日は朝からよく晴れて気温が低くアクアラインも朝日に照らされて赤く輝いていました。

 ツレと私が会場に着いたのは午前6時55分頃。梵天と若者が海に入るコースには赤い絨毯がしかれています。その横には竹とわら縄で結界が出来ていて、中には法螺貝等を持った出羽三山の行人が10人近く入っていました。

  この「梵天立て」は1月の7日(今年は11日)早朝、木更津市中島区にある6つの町内(東、中宿、下宿、鯨、浜戸、森町)の若者が、長い竹の先に御幣をつけた「梵天」を海に立てる儀式。中島地区には6つの組織があり、梵天立ても6つの組みに分かれて行います。

 そして若者たちが梵天を立てる間、出羽三山の信仰者である行人が祈祷を行い、五穀豊穣や疫病退散を祈願します。

 午前7時になると梵天を持った若者が海に入って行きます。若者たちは晒木綿の褌、鉢巻、襷を見にまとい、午前7時の気温1.6度の中、遠浅の東京湾に梵天を立てます。

 6組とも色の違う鉢巻や襷を付けており、順番に海に入り海底に梵天を突き立てます。この時梵天の先を水につけてはならないという決まりがあり、さらに後から梵天を立てるグループは前のグループより、遠い場所に梵天を立てると言う習わしがあります。(続く)

 


新春の富津漁港-船祝いは今年も中止です

2025年01月17日 | 日記

 今年も1/2(木)ツレと「船祝い」を撮影に富津漁港を訪ねました。木更津の自宅を午前8時半頃に出て着いたのは9時15分頃でした。漁港には大漁旗が張られた漁船がたくさん停泊していましたが、人がいません。え~今年も船祝いは中止?何はともあれ人がいたら聞いてみようと思いました。

  そこで何時も漁師を卒業したおじさんたちが集まっている小屋を訪問し聞いてみました。今年も「船祝い」は中止ですか?と。すると「コロナ以降船祝いはやっていない、今年も中止のようだね」との由。

 船祝いの撮影は断念し、近くにあった金比羅宮をお参りし次の目的地、富津岬に向かいました。

 富津岬からは人工島の第一海堡がよく見えます。後ろには富士山も薄らと姿を見せていました。また左方向には明治百年記念展望塔があり、多くの人が登っていました。この展望塔は昭和46年(1197年)に完成、高さは21.8mです。

 そして右方向には富津火力発電所があります。この発電所の発電量は516万キロワット。国内第三位の総出力ですが、世界でも最大級の火力発電所でもあります。

 なお新型コロナ等で中止になる前に撮った富津漁港の「船祝い」の写真参考までに3カットUPしました。いずれも2020年1月2日午前8時~9時頃の映像です。


久津間海岸の赤鳥居と水神社そしてダイヤモンド富士

2025年01月15日 | 日記

 元旦にツレと木更津市郊外の久津間海岸に、富士山と海中電柱の撮影に行ってきました。久津間海岸はこれだけでなく広い海岸の入口付近に大きな赤い鳥居が鎮座しています。

 4~5年前に来たときこれは何だろうと思い、近くにいた漁師に聞いてみました。この海岸の後方700~800mに水神社という社があり、その神社の鳥居で昔は海の中に立っていたそうです。その後埋め立てられて現在の景観になったと言うことでした。

 この鳥居の近くに久津間海岸潮干狩り場の海の家があります。今は季節外れで使用されていませんがその窓にこの赤鳥居が映っていました。これもまた不思議な光景なのでUPしました。

 その後、その水神社を訪問しました。今日は元旦なので初詣と言うことになります。ツレと並んでお賽銭を入れお参りをしました。この社の入口に先程の海岸の鳥居と同じ形の鳥居があリます。鳥居に下げられたワラ飾りも同じ今年の干支で蛇のようです。海岸の方が一の鳥居ここが二の鳥居と言う事でしょうか。

 小さい社殿です。年末に訪問した袖ケ浦公園近くの「イナリマチ」を思い起こさせます。参拝して戻りましたが、そこから赤い鳥居がシルエットになって見えています。この鳥居の先に海岸の一の鳥居があり、その先には富士山を見ることが出来ます。

 久津間海岸でもダイヤモンド富士が見える様なので、2016年3月に一度挑戦したことがあります。

 ただその時は太陽の位置が少し右に行きすぎ、頂上に沈む太陽は見られませんでした。まわりに10人ぐらいの人が来ていましたが、皆ガッカリです。ただ聞くところによると1日後には、ここで富士山の真上に沈む太陽が見られたそうです。また何時かリベンジしたいと思っています。


元旦に見た久津間海岸の富士山と海中電柱そして野鳥たち

2025年01月10日 | 日記

 時の流れがますます早くなりますね。2024年から2025年にあっという間に突入。箱根駅伝を見ているうちに三が日もすぐに過ぎていきました。元旦は天気も快晴で少し風も吹いていたのですが、ツレと早朝久津間海岸に富士山と海中電柱のたおやかな姿を撮りに行きました。

 この4~5年は天候が悪くならない限り、富士山と海中電柱を撮影に久津間海岸に来ています。東京湾で海中電柱が見られるのはここと牛込海岸だけ。何年か前に隣の江川海岸の海中電柱が有名になりましたが、現在は撤去され跡形もなくただの潮干狩り場となっています。

 スタジオジブリのアニメ、「千と千尋の神隠し」で有名になった海の中に立つ電柱が今も残る久津間海岸。気温が低く風も強いので誰もいないかと思ったのですが、自転屋に乗ってきたおじいさんと車が一台駐車してありました。おじいさんはコンデジで写真を撮っていました。

 左側に目を移すと今USスチールとの合併問題で注目されている日本製鉄の工場が見えてきます。

 日本製鉄の工場を見ていたときに波間に白い野鳥の群れが出現しました。30~50羽位の群れですぐ浜に着水しました。ハマシギのようです。全長は鳩ぐらいでしょうか、盛んに砂浜で何かを啄んでいました。季節により冬羽と夏羽に生え替わりますが、今回は上面は焦げ茶色、下面は白い毛で覆われている冬羽です。

 この鳥は夏季にはユーラシア大陸と北アメリカのツンドラ地帯で繁殖し冬期は中国南部、中東、北アメリカの西海岸に南下し越冬します。日本には旅鳥または冬鳥として飛来し、日本で最も多く見られるシギの一つです。

  ツレが野鳥の近くに行って撮影していましたが、危険を察知してすぐに飛び去りました。


今年のサンマは豊漁?そこで思い出す8年前の袖ヶ浦・サンマ祭り

2024年12月25日 | 日記

 今年はサンマは豊漁との由。ただその実感がわきません。12/21(土)のことです。ツレがスーパーでサンマを購入しようとしたところ、生のサンマは入荷がなく、開きはあるが2尾で税込み539円と高いです。

 ネットで今年のサンマの漁獲量を調べて見ると8月中旬根室市の花咲港で初水揚げ量は約67トン、2023年の469kgと比べると140倍獲れています。ただ10月以降はまた漁獲量が減っているようです。まあ以前のように安くて美味しい魚の代名詞となるのはもう夢のまた夢でしょうね。

 そこで思い出すのは2016年10月1日、袖ヶ浦駅前で行われた袖ヶ浦チャリティーさんま祭りです。開催を知らせるポスターには「福島県楢葉町に希望の光を、熊本県の早期復興を」と書かれていました。

 なぜ袖ケ浦市で「さんま祭り」なのかと思って調べて見ると、現在の袖ケ浦市の「奈良輪」と「坂戸市場」は、昔「楢葉村」という地名でした。そこで福島県楢葉町と同じ地名の縁で復興支援をという事だそうです。

 この日は朝から小雨が降っていたのですが、福島県の復興とサンマを食べたいという気持ちに押されて私も参加しました。焼きサンマ2000匹を先着順で無料配布するそうなので、沢山の人が袖ヶ浦駅北口駅前広場に集まっています。

 そしてサンマは1度に180匹しか焼けないので、2000匹焼くには11回転以上時間がかかることになります。気が遠くなってきます。主催は袖ヶ浦商工会ですが、相当の人数を集めたようです。

 またさんまを焼くのに時間もかかりますが、ステージがもうけられ袖ヶ浦高校吹奏楽部や木更津高校ジャグリング部の演奏、フラダンス等も演じられていました。私はかなり早く引換券をもらえたので、最初に焼けた大きなサンマをいただきました。さすがほ東北産の獲れたてサンマ美味しかったです。

  サンマをいただいてから私は色々なところで写真を撮りました。サンマを焼く会場は煙が凄いです。これは後片づけが大変ですね。皆さん美味しそうにサンマをいただいていました。このイベントが長く続けばいいなと思いましたが、新型コロナやサンマの高騰でこれ以降は開催されなかったようです。残念です。

******本日を以て今年のブログの更新を終了せていただきます。新年は1月中頃より更新したいと思います。本年は大変お世話になりました。来年もよろしくお願い申し上げます。管理人*******