霜が降りるようになると地物は出回らなくなるので、今の内にとついつい買ってしまうパクチー。
嫌いな人も多いと思うのだが、僕は大好きだ。
薬味として汁物の麺類に乗っけても良い感じだけど、茎は結構筋っぽいから、さてどうしたもんかと考えて、刻んでオリーブオイルと粉チーズ、ツナをいれてミキサーにかけてパスタソースに。
茹で上げたスパゲッティーと和えて葉っぱをひとつかみ乗っければ完成だが、これ、旨いす!
パクチーとツナのグリーンパスタ。
昼間から白ワインでも飲みたくなってしまうが、グッと我慢、涙
因みに根っこは天ぷらが絶品
時々ラーメンスープをとっている。
鶏ガラ、或いは豚骨、或いはその合わせ技。
最終的に煮干しなどの魚介を入れることもある。
基本的には保温が出来る魔法鍋で時々火を入れてはほったらかすと言うのが僕のやり方で、澄ましスープなら半日ぐらいで出来上がる。
白湯スープをとるにはなんと二日以上の時間がかかる。
本格的ラーメン屋のように、一日中グラグラと寸胴鍋に火を入れとくわけにもいかないので、僕はこのほったらかし法が一番楽ちんで省エネなのだ。
ところが、最近家の納戸で古い圧力鍋を見つけたのだ。
「あらあ、家にあったんだ!使えるのかなあ?」
外観は古びているがゴムパッキンはまだしっかりしているし何とか使えそうだった。
むかし、山小屋の厨房で圧力鍋の目詰まりによる爆発事件があって、それもあって怖くて、手を出すことがなかった圧力鍋。
二日かかるほったらかし法によるラーメンスープ、圧力鍋だったらいったいどのくらいで出来るのだろう?
フツフツと興味が沸いてきた。
早速豚骨を買いに行き、ハンマーでたたき割って下茹でして茹でこぼしたら、圧力鍋に豚骨と水を投入、強火にかける。
ほどなくして、圧力弁からシュッシュッシュッシュッと小気味良い蒸気の音。
鍋は正常に働いてくれているようだ。
弱火にしてそのまま45分加熱していったん火を落とした。
30分ほどして圧力が下がったところで蓋をあける。
「おいおい、すごいぞこれ!」
まだ白濁はしていないが、軟骨や骨髄までもドロリと溶け出して良い感じになっているではないか!
硬い骨だけを取り除いてから再び30分圧力鍋を火にかけてから最後にザルで濾して出来上がりだ。
醤油ダレと合わせて丼に張る。
麺はストレートの極細麺は残念ながら手に入らなかったので、縮れ極細麺を茹でがまんする。
チャーシューにキクラゲ、小ネギに味玉、そして紅ショウガを乗せれば、長浜ラーメン風の一丁出来上がりだ。
麺がのびる前に食べねばと気持ちはやるが、それをグッと堪えて写真撮影する手も震える。
みめ麗しき長浜ラーメンだ。
さっぱりしているが旨味充分のクリーミーな白湯豚骨スープはなかなかのもんだった。
しかもこれが二時間ほどで出来てしまうとは!
恐るべし、圧力鍋。
あれやこれや作ってみたいと、夢はひろがる。
新米にイクラ。
生筋子をほぐして漬け込む、この時期ならではのチョー贅沢。
毎年ちょっと奮発して買うのだが、昨年より若干安かったかな。
今日ぐらいはメシが見えないくらいにぶっかけてヤレ!と思ったのだが、やはりちょっとビビリました。
残りは冷凍して正月用に。
私が所属する有明登山案内人組合は大正7年、燕山荘創業者赤沼千尋によって組織され、日本では二番目に古い山岳ガイド組合とされていて、今年創立100年を迎えました。
一口に100年と言ってもその歴史は長く、悲しい出来事なども実はあったのですがここまで山を志すもの達の情熱が 続いて来たことを私も誇りに思っています。
と言うことで、9月30日(日)〜10月1日(月)に記念登山ツアーを行います。我が案内人組合の名物ガイド達が楽しく皆さんを御案内します。地元のガイドならではの御案内が出来ればと思っております。
もちろん私も参加の予定です。
なおこのツアーには今をときめく後藤郁子デザインの限定100周年記念手ぬぐいのプレゼント付です!
ふるってご参加ください。
お申し込みは安曇野市観光協会まで
先日は常念山脈からの槍ヶ岳を堪能したのだが、今回はとうとうその穂先に立つことが出来た。
今年の猛暑が少し一段絡した日のことだったので、例年通りの気温でなかなか快適に槍沢を登ることが出来た。
それにしても、山というのは例えそれがどんな低山でも頂上直下というのはあえぐようにきつく、早くあの天辺に立ちたいと、身も心も焦がれて苦しむものだが、 ここ槍ヶ岳は特にキツイ。
やっぱり3000メートルの世界は少し違う。
2500メートルとは雲泥の差だ。
一歩一歩進める脚は鉛のように重く、呼吸を深く心がけても、十分な満足感はえられず、息も絶え絶え ただひたすら己の肉体との会話に没頭しなくてはならない。
当然お客さん達もキツイはずだが僕もキツイ、おそらく苦悶の表情を浮かべたまま後をふり返ったのだが、幸い全員下を向いてそれぞれの肉体との会話に没頭なさっている様で誰にもそれと悟られずにすんだ。
「さあもう少し、がんばれー!」
と大きな声で檄をとばしたら、 槍沢カールに僕の声がこだました。
山荘到着後、槍ヶ岳の天辺を往復してきて部屋にはいって寝転がると、窓から槍の穂先が丸見えだった。
「ふう、なんて良い部屋だ。」
陽が西に傾いてくると次第に飛騨側には雲海が入り、満ちて溢れた雲の波がこぼれる様に西鎌尾根を乗り越していく。
雲の流れが速く目で観てもその流れがわかるほどの滝雲だ。
傾く太陽は徐々にその力を失って、ふり返れば岩だらけの槍ヶ岳の穂先は茜に色づいてそれでもなお胸を張りスクと立っている。
この世のものとも思えない美しさだ。
思い起こせば怪我をする前、仕事が終わると飲んだくれては夕焼けなどはチラと観たらハイ終わり、ご来光もやはり二日酔い気味の僕にはほぼ無縁で、ギリギリまで惰眠を貪るのが常だったが、これからは少し改心して写真なども沢山撮ってみるか。
さて、いつまで続きます事やら、請うご期待。
気分が良くてやっぱり少し飲み過ぎた僕は早々消灯前に撃沈したせいで夜半には目が醒めてしまった。
月は西に沈んはずだなどと布団の中で思いながらさっきの素敵な窓から槍を見上げると、空は綺麗に晴れて天辺に星が降り注いで居る。
「うわー、行かなきゃ」
僕はトイレをかねて撮影する決意を固めた。
外には他にも寝付かれない人達が結構いて、撮影をしたりたベンチに座ってただだまって空を見上げていたりしている。
それにしても凄い星の数だ。
ぼんやり雲のように見える帯はまさしく天の川だ。
「うわーすげー!」心の中でつぶやく。
一枚撮る度に液晶画面に映し出される星空の写真には、肉眼で見えない世界まで映し出されて、その度息を呑んでしまうほどだ。
しかし、 撮影前の液晶画面には暗すぎて直接夜空は写っていないのでアングルを決めるのは至難の業で、一枚とっては微調整して感で撮るしか無い。
流石にここまで来ると街の光も殆ど気にならず、空は暗く深く辺りは漆黒の闇だ。
遠く宇宙の隅々からやってくる光が時を越えてここに集っている。
「すげーな、全く。」
夢中で何枚も撮影した。
気が遠くなったところで冷えた体を布団に滑り込までせて再び朝までの短い眠りについた。
追伸:星空の写真にアンドロメダ大星雲が写っています。さあ、どれだかわかりますか?
ほんのお隣の銀河です。とは言っても254万光年離れているそうです。
つまり、光の速度で254万年かかる距離って事ですね。
アンドロメダ銀河は我々の天の川銀河と急速に接近中で、秒速300㎞の速度で近づいていて40億年後にはこの二つの銀河は衝突しやがて一つになるのだそうです。
あわわっ
第二回「夏の終わりの山の風フェス」、とっても楽しくてあったかな雰囲気でおわりました。
一年ぶりにあった人達も懐かしく。
来てくれたお客さん達も昨年の倍はいたなあ。
美味しい食事や飲み物や、足裏リラクゼーションとかリース作りのブースや朝ヨガとかもあったりして、昨年よりぐんとパワーアップした今年の山の風。
もちろん力のある音楽家達の演奏も心地よく、ごっちゃん制作の影絵パフォーマンス「大きな木と月」だったかな?は最初からもうウルウル状態。
ずるいよ爪ちゃん(北爪清史君、写真の青いシャツを着たサンダルおじさん、主催者で黒戸尾根七丈小屋の小屋番)
ごっちゃんは切り絵作家の 後藤郁子さんと言うのですが、今出てるランドネに作品が掲載されているようです。
そして我が有明登山案内人組合の創立百周年記念手ぬぐいや、サコッシュのロゴも作ってくれました。
ランドネ、私も買いに行かなくちゃ!
入場無料で音楽家達やスタッフ達はみんな手弁当でやってる本当の手作りフェス。
みんなが協力し合って分けあってとっても楽しい二日間でした。
この分だと噂が噂を呼んで、来年は更に倍以上のお客さんが集まってくれることでしょう。
昨年一年間は僕にとって空白の一年間となった。
五月末に富山の毛勝山を下山中シュルンド(雪渓が融けるのに伴って出来る雪の穴)に五メートル落ちて脊椎を破裂骨折し二ヶ月の入院、その後、上半身をガチガチに固めていたプロテクターが外れたのは12月の初めだった。
とはいえ、僕の背骨は全く万全ではなくて、少し負荷がかかるとギリギリとした違和感が背骨を走るのだった。
横になっていて起き上がるのにも先ずグルリと寝返りを打つ要領でうつ伏せになり膝を立て、手を伸ばしてから立ち上がる。
チタンプレートとボルトで固定した背骨は曲がりにくく、体をねじる事は主治医に禁止されていた。
長時間椅子に座ることさえ辛くて直ぐ横になりたくなるし、背骨を丸く曲げなければならないあぐらはかけなかった。
とにかく、自分の背骨が信用ならず、もし転んだら接合部分が外れてしまうのではないかと言う不安がいつもつきまとった。
そんな僕だったが怪我から一年を経過してみると、そんな漠然とした不安を感じることが 段々と減って、背中の違和感もいつの間にやら無くなって、草刈り機を背負って畦道の草刈りをしたりちょっとした力仕事もこなせる様になってきたし、ボチボチだが山にも登っている。
ようやくチタンプレートと仲良くなれてきたのかな?
手術直後不安だらけの僕に主治医が言った、
「手術は成功したし、二年はかかるけど、また普通に山登れるよ。だいじょぶ、だいじょぶ!」
実際そうなってきているような気がする。
今でもあの時の事を思い出すと 底知れぬ恐怖が蘇ってくる。
それにしても僕は本当に運がよかったのだ。
今あぐらをかいてこれを書いている。
まだまだ暑いですね。
と言うわけで本日のお昼御飯は冷やしぶっかけ蕎麦を作ってみた。
手打ち蕎麦に昆布だしベースの冷え冷えお汁。
茄子の揚げ浸しなど夏野菜を添えて。
京都の黒七味をバサバサ振る。
猛暑続きで今年のトマトはとても美味しい。
口に含めば広がるあまみと酸味。
エッジの立った蕎麦が喉を心地よくくすぐり、後から追いかけてくる昆布と鼻にぬける蕎麦の風味。
蕎麦には薬味など不要!シンプルに濃いめの鰹出汁にちょこんとつけてザザッとすすり込むのが 醍醐味と思っていた。
故に、この手の蕎麦は邪道扱いしていたのだが、、、、、、、意外と良いなあ、笑
コロコロ大きくなって大分それっぽくなってきた家の燕の子等。
最初五羽いたはずなのだが、いつの間にか三羽になってる。
二羽は一足先に巣だったのかなあ?
親たちは一日中せっせと餌を捕獲しては雛に運ぶ。
朝から晩まで殆ど休まず運び続け、それを年二回。
この子達が巣立つと、兄弟親戚交えての空中戦さながらのトレーニングの日々が始まる。
夏の終わりには海を渡り遠く南へ旅立たなくてはいけないからねえ。
若い頃、3月初旬沖縄の波照間島で更に南から渡ってきた燕の集団に出会ったことがある。
海の上を飛び続けやっとたどり着いた島で数百羽(いやもっとだったかなあ)の燕が一休みしていくのだ。
この子等もきっとあの島を通過していくのだろう?
ふと思いついたらやらずにはいられなくなる性分てどんなモンなんだろう?
外は猛暑!
冷たいモノでも喰いたいなあと。
ネットで調べたら意外と簡単ジャンと言うことになって、昼飯は蕎麦粉も使って自家製手打ち麺の冷麺。
僕が初めて冷麺なるものを食べたのは二十代半ばのことで、友人の結婚式のために神戸を訪れた時の事。
その友人が連れて行ってくれたお店で、冷やし中華でなく冷麺てなんじゃあと思って食べてみてびっくり。
凄い麺のコシ、冷たくてなんか漬け物の汁みたいな味のするスープ。
美味い!ともいえず、まずい!とも言えず、要するにその頃の僕には理解の出来ない不思議な食べ物だったことを覚えてる。
それから時たま焼肉屋などにあるのを見つけては食べるようになって、なんとか冷麺を理解しようと現在も時々食べてみるが、まだ、冷麺というモノをわかった気にはならない。
そんな僕がふと思ってしまったのだ。
冷麺を打とう!麺は麺だ!
やれば出来るもんだ。
多少なりとも麺打ちの心得があるからかなあ、割とサクサク作業は進んでそれなりの麺が打ち上がった。
さて、そのお味は?
言っても改善の余地ありだらけなんだけど、まあまあ美味かった。
と言うわけで
韓国冷麺はじめました!
ゆで卵忘れたw