山岳ガイド赤沼千史のブログ

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14岩殿山と白沢天狗岳

2014年07月03日 | ツアー日記

 六月は里山が楽しい。緑はいよいよ勢いを増し、野も山も谷も尾根も、ありとあらゆるところで自分の居場所を見つけようと、その枝を伸ばす。その戦略は他に先んじて芽を出し早めに事を済ませるモノ、横に広がり陣地を占領するモノ、ゆっくりスタートして上へ茎を伸ばし高さでその場を確保するモノと様々だ。そんな植物たちが作る緑の立体パズルの中を、様々な虫や鳥や獣たちがゴールを目指して飛びまわり歩き回ると、受粉は完了し次なる世代へ命は受け継がれていくのだ。

 僕ら人間も本来はそんな立体パズルの中を歩き回る一員のはずだったのだが、何時の日からか自然とは切り離された環境でしか生きていられなくなってしまった。だが時々こうやって森を歩き、緑のパズルを解きに来なくては気持ちの置き所が無くなってしまう様になってしまった人間達がいる。それが登山者というものだ。

 取り立てて勉強などをしてこなくても、緑の中をずっと何年も・・・・・・それは同じ所だってかまわない、むしろ同じ所を何度も歩く方が良いのかも知れない・・・・・・歩き回っていると、ふとそのパズルの仕組みに気づく事がある。

「あれ?こいつ、こんなことしてるんだ、すごいな。」

そんな風に感じるにはむしろ里山が良いのかも知れない。まだまだ、ぼくは何も知らないのだと思っている。だが、何となく脈絡無く散らばるそんな気づきの欠片が、いつか繋がると良いなとも思っている。ジグソーパズルの最後の一片をパチンとはめ込めたらいいなと思うのだ。

 岩殿山は我々安曇野に住むものからは「東山」と呼ばれる、筑摩丘陵の一角にある標高1,000メートルほどの岩山だ。筑摩丘陵は松本盆地、長野盆地、上田盆地に挟まれた丘陵地で1,000メートル程の山といくつかの村で成り立つ地域だ。岩殿山と沢をひとつ隔てて兄弟のように京ヶ倉という岩山が連なり、どちらに登ってもその兄弟の存在が気になって、次はあっち登ろうと思わせてくれるのも面白い。

 別所ルートから登って紅葉イチゴをつまみながら登る。美しい宝石のような果実は爽やかな甘さで実に旨い。実が柔らかくて、摘んで帰る頃にはぐずぐずになってしまって、持ち帰りは難しい。ましてや、栽培し、流通などには向かないだろう。湿った梅雨の空気に山の香りが漂っていた。

見事に削り込まれた石階段

 登山道には拝み所や石仏が配置されて居る。結構大きな石碑もある。これらをいったいどうやって設置したのだろうか?と感心する。ここは里にある岩殿寺(がんでんじ)の奥の院という位置づけで、別所から岩殿山、そして奥の院を巡り岩殿寺へ至るひとつの伽藍を形作っている。歩けば現れる奇岩が実に楽しく非日常的で、そこには何かの力が備わっていると、岩殿山の開祖開祖慈覚大師円仁も感じたのだろう。彼はこの山に出会い、きっと夢中になってここを開いた。この伽藍の核心である奥の院には、庇のように大きく張りだした砂岩の洞がある。その高さは20メートルにもなるだろうか。岩肌には泡だったような穴がボコボコと空いて、不可思議と神秘と畏敬の念が沸き上がるようだ。その成り立ちを想像するのは困難だ。円仁もきっとこの岩洞に驚愕したに違いない。そして、この山を開く事にのめり込んでいった。ぼくの勝手な想像である。

 

 

兄弟 京ヶ倉が見える

 翌日は「西山」へ向かう。西山とは安曇野から見て西側の山、つまり北アルプスの事だが、その前山である白沢天狗岳へ。この山はわりと最近登山道が整備され登りやすくなった。それ以前は残雪期に登る人が多く、ぼくも山スキーで登ったことがあった。里山と言うには若干標高が高く、それなりに頑張らなくてはならない山だ。

 爺ヶ岳スキー場から登り始める。夜中に降った雨が止んで陽が差し始めると一気に気温が上がり始め、湿った空気が肌にまとわりつく。でも日帰りだから濡れようが汗だくだろうが平気だ。登山道はその殆どが自然林でとても気持ちが良い。春ゼミが辺り一面で鳴き耳が痛いほどだ。遠い昔を思い出させるようなその鳴き声がぼくは好きだ。

 取り立て難しい所は無いが、道は次第に急になり最後は梯子を登って稜線に出る。そこにはまだ雪をまとった爺ヶ岳があった。尾根を左に辿ると岩峰がひとつあって、それを回り込むように梯子やロープを伝って越える。稜線の冷たい風の中シャクナゲが満開だった。青空の領域が次第に広がってきて大町から安曇野までずっと見渡せる。胸のすくような思いだ。ひと登りで山頂だ。山頂の木立が若干切り払われ、展望が良くなっていた。爺ヶ岳を初めとして、餓鬼岳や野口五郎岳、鹿島槍など、北アルプスの山を間近に望める良い展望台だ。足下の安曇野の眺めも伸びやかだ。

深いピンクが印象的なシャクナゲだった

春ゼミの声満ちる森

山毛欅

 この山には新しい標柱が何本もあるのだが、それはことごとく何者かによって引き裂かれ、無残なモノになってしまっている。それは、他の山でもよく見かけるものだが、その原因は熊の仕業に因るものだ。熊はなんとガソリンや有機溶剤の匂いが大好きで、新たに設置されたペンキ塗り立ての道標は、彼らにとってとても魅力的な匂いを放っているのだ。その愛しい匂いがたまらなくて、道標をペロペロやりに来る。だが、それは一応乾いたペンキだから、思うようにはそれを味わえず終いにはカンシャクを起こして、それをその爪で引き裂いてしまうのだ。この爪で顔を叩かれたら、ひとたまりもない事はすぐ想像出来る。山で出会わないことを祈るばかりだ。幸運にも熊にも会わずに、すたこら下山。大町温泉郷薬師の湯にて入浴、信濃大町駅解散。

ある日の赤沼家のおもてなし

梅雨の安曇野の庭先で  

 


遙かな尾瀬 遠い空~~♪

2014年05月21日 | ツアー日記

 ♪遙かなお~ぜ~~、遠いそら~~~♪

 と言う歌があるが、それは本当のことだ。鳩待峠から残雪の斜面を尾瀬ヶ原に降りて、山の鼻からひたすら竜宮を目指す。五月あたまの尾瀬ヶ原は、ほんのわずか水たまりのような湿地が顔を覗かせ始めてはいるが、その殆どはまだ一面の残雪に覆われていて、僕等はひたすらそのザラメ雪の雪原を歩いて行く。尾瀬ヶ原の夏道と言えば木道だが、それに沿って歩いて行くと、時々雪が薄いところがあって突然落っこちたりする。初めは笑っていたお客さん達も、度重なるそんな事に次第に口数が少なくなる。緩んだザラメはズムズムとして足が取られるから、一歩が一歩というわけにも行かず、体感的には二倍の距離を歩いたような感じする。常に次の一歩がボコッとはまらなないかどうか心配しながら歩くのはかなり疲れる。水芭蕉も、ワタスゲも、リュウキンカも、僕等を励ましてくれる物は殆ど何も無い一面雪の尾瀬ヶ原は確かに美しいのであるが、何とも退屈でもあるのだ。遙かに遠くぽつりと見える竜宮小屋までの長かったこと。遙かな尾瀬は、本当の事である。

冷たくないのかね?水に浮かんでて、雨も降ってるし・・・動物たちは何一つ持たず暮らしている

所々川に出くわすから,やはり歩くのは木道沿いになる 

 明るくなるのを待って竜宮小屋を出る。僕等が目指すのは景鶴山。一応この山は登山禁止と言うことになっている。ここ尾瀬ヶ原一帯はご存じのとおり、あの東京電力の私有地で、それを管理する東京パワーテクノロジー(旧尾瀬林業)と言うところが景鶴山だけを登山を禁止としているのだ。その理由はよくわからない。

 景鶴山に登るためにはどうしても通らなくてはならないヨッピ川にかかるヨッピ橋と言うのがあって、数年前のことだが、鳩待峠に「ヨッピ橋は工事のために通れません」と言う張り紙がされた事があったが、実際行ってみると工事など何もやってなくて、いつもと変わらぬ敷き板が外されたヨッピ橋がそこにはあった。

 最近はそんな嫌がらせも何も無いが、そこまでしてここを登山禁止にする理由はいったいなんなのだろう。山頂までは100パーセント雪の上だ。東京電力が言うような植生破壊の危険性などあるはずもない。まあ、私有地だから、所有者が勝手な事を言えるのは解ってる。だが具体的に我々の登山を阻止する行為を何もしていないのなら、お目こぼしに与っていると考えて、ありがたく登らせて頂こうと思うのだ。もちろん自己責任で。

ヨッピ橋を渡る、敷き板は雪の重みで壊れるのを防ぐため毎年外される。川に落ちればただでは済まない。

景鶴山山頂には誰かが設置した小さな看板があるのみ、ひっそりとした雪稜上のピークだ。

 この日景鶴までの雪の状態は非常に良くて、心配していた山頂直下の雪稜も問題なく登ることが出来た。残念ながら山頂からの展望は無かったが、再びヨッピ橋に戻る頃には青空が戻ってきた。ここからは再び遙かな尾瀬を満喫する。今度は山の鼻を目指して、ズムリズムリと歩いて行く。今回は正面に至仏山が迎えてくれてはいるが、行けども行けどもその大きさが変わらない。またしてもぼくらは雪穴にはまりつつ歩く。沼を渡る木道に残るわずかな雪がまたやっかいだった。それはまるで綱渡りの様である。落ちたら大変なことになる。山の鼻に着いて、最後は鳩待峠まで登り返して登山は終わる。

至仏山

首まで落っこちてしまったお客さん、おいおい、なんでそこ踏むねん?(笑)

 尾瀬ヶ原は阿賀野川の上流只見川の源流に当たる。その昔燧ヶ岳の火山活動によって谷がせき止められ出来たといわれる広大な高層湿原地帯だ。上高地なども似たような成り立ちの歴史があるのだろうが、この広さは僕等人間の想像を超えたものだ。東京電力がここを手に入れた時、ダムにしてしまえと言う計画があったそうだが、それは幸いにも実現しなかった。この貴重な大湿原がダムに?・・・・・・人間とは恐ろしい事を考える動物だ。神をも恐れぬ行為の結果が今同じ福島県で起きている。

端午の節句は旧暦に限る。鯉のぼりは五月の空をずっと泳ぎたいんだ、きっと(花咲の湯)


テント泊残雪の笈ヶ岳4月29、30日

2014年05月18日 | ツアー日記

 新緑がようやく芽吹き山桜もちらちら見える隣の尾根を眺めながら急峻な尾根を行く。樹林の尾根とは言え、粘土混じりのこの尾根は気を抜けない岩稜だ。登りはまだしも下りは妙に恐くて、疲れた体でこれを最後に下りきらなければいけないのだから、このルートは一筋縄ではいかない。

 笈ヶ岳には登山道が無い。だからこの時期残雪を利用して登る。このルートは頑張ればなんとか日帰りも可能だが、僕はテント泊が良いと思う。山毛欅の巨木の冬瓜平(かもうりだいら)で幕営し、ゆっくり時間を掛けて遙かなる山を楽しむのだ。

 白山一里野から部分開通したスーパー林道を走って、自然保護センターからカタクリが一面咲き乱れる遊歩道を歩くと野猿公園に達する。そこはジライ谷の出会いで、最近では笈ヶ岳へ向かう最も最短のルートとして使われるようになった。僕のツアーでも以前は一里野を基点として山毛欅尾山を越え長大な尾根を縦走して笈ヶ岳を目指していた。アップダウンもかなりあって、雪の状態が悪い時は登頂できない事もあった。山毛欅尾山から見る笈ヶ岳はうんざりするほど遙か遠くに見えたものだ。それに比べたら、このジライ谷ルートと呼ばれるこの尾根は圧倒的に短く画期的なコース採りとは思うが、いかんせんこの樹林の岩稜はいやらしい。不条理はどこにでも転がっている。とは言えそんな不条理をなんとか克服するのが登山の楽しみであり,僕の仕事ではあるが。

タムシバの蕾

春の花たちに励まされて登る イワウチワ

タチツボスミレ

冬瓜平 笈ヶ岳も見えるが奥に見えるのは大笠山だ

 夜半から降り始めた雨が時折フライシートを叩いた。そんな事もまどろみの中で全部覚えている。テント泊ではいつもそんな感じで熟睡とはほど遠い僕だが、だからと言って日中の登山が出来ないかと言えばそんな事は無い。体は横たえているだけでも充分に回復する。長期の登山であればまた別だろうが一泊ごときで、「眠れなかった」と落胆する事はない。その落胆する心持ちの方が登山の妨げとなるから、そんなことは一切気にしないことだと思っている。

明け行く笈ヶ岳

 未明からもぞもぞやり始めて出発する頃には雨は一応収まってくれた。降りが酷くなれば帰ってこようと決めて出発した。雲の流れは速く、白山には雨雲が懸かりっぱなしだが、その北方に位置する笈ヶ岳周辺は時折青空も見えて不安定ながらも登山は可能だった。冬瓜平を抜け急な沢へ下り、対岸の雪の斜面を登る。尾根に出て再び反対側のコルへ下り良さそうな斜面を登って、ようやく白山から連なる北方稜線に達した。この稜線は石川県と岐阜県の県境で、東側の谷は荘川の流れる白川郷あたりだ。稜線を北へ辿る。柔らかめの雪に足を取られながらなんとか山頂に到着した。パラパラと断続的に雨が降るが、時折抜ける青空が僕等を励ましてくれた。

 再び登ったり下ったりしながらテントサイトまで戻って、全ての装備をザックに詰め込んで下山した。ここまでは余裕みんな余裕もあったのだが、やはり下りが大変だった。昨日4時間半で登り上げたジライ谷の尾根を、4時間掛けて下山した。下部岩稜帯は降った雨に濡れて、粘土が滑る。木の根も岩も、確かな感じがあまり感じられないそんな尾根だ。左右の斜面はさらにかなりの急斜面で、谷底には雪解けの沢が轟音をたてている。それを見ながら下るのはあまり気持ちの良いものではない。野猿公園に降り立つ斜面では雨に濡れた粘土質の道がずるずるに緩んでいて、僕は豪快に尻餅をついてしまって、最近流行の細身ののズボンにはすっかり泥まみれだ。ついでにジライ谷の渡渉ではお客様がひとり足を滑らせほぼ水没というオチまでついて、やっぱり、この尾根の下りは妙にいやらしいと思うのだ。車に帰りついた時の安堵感もまたひとしおであった。

ハルリンドウ・・・・・かなあ?

ネコノメソウ

 

 

 

 

 

 


北アルプスの秘境「初雪山」4月5,6日

2014年05月07日 | ツアー日記

 これは少し前のことである。時は四月の初旬。日本列島が最後の本格的な冬型の気圧配置に覆われた時の事、僕等は自称北アルプスの秘境「初雪山」に向かった。縦走路の主脈から外れているため、登山道は無く雪を利用して登るしかない。栂海新道の犬ヶ岳辺りから見ると、その大きな山体がとてもよく目立つ。小川温泉から登るのが一般的だが、長大な尾根の横移動がまどろっこしいので僕は大平集落から入山する。

 この記事はもっと早く書こうと思いながら、この山行の直後に行った山スキーの事を先に書いてしまった後は、何か気持ちが纏まらなくて、僕はものを書くことにあまり集中出来なくなっていた。4月と言えば、田植えに向けてのアレコレがあって、それは、慣れた仕事とはいえ一つ一つをこなしていくのにはちょっとした緊張感があるのだ。失敗したら段取りが全て狂ってしまう。仕事の順序を考え、日にちを設定し、その合間も山に行ったり、スキーに出かけたり、僕は結構綱渡り的な生活をしていのだ。加えて春というのは、何か急き立てられる様な気分がする。ぼんやり冬にはまっていた僕は、いよいよそんな春の爆発に置いてきぼりにならぬようにしなければならないのだが、それがなかなか上手く行かない。そんな季節と僕自身の心の中のズレがありありと見えて少し憂鬱になってしまうのが、この四月なのだ。そんな春が僕は少し疎ましい。ずっと冬でも良いのに・・・・・・・・まあ、そんなわけ無いわな。これは毎年の事である。そして自営業者はまた走り続けるのだ。

 強い冬型の気圧配置が列島を覆い、日本海には怒濤が押し寄せていた。冬の日本海はたまに見る分には素敵だ。うねる海が、陸の近くで急に競り上がり、砂を巻き込んだ波頭が激しく崩れ落ち砕け散る。海に縁のない長野県に住む僕にはびっくりするような迫力だった。ずっと眺めていたい気分になる。

 新潟と富山の県境の境川を上流に向かうと大平の集落に入る。少し先のゲートから雪が残った川沿いの林道をてくてく歩いた。所々雪崩後が道を塞いでいて、上流では林道は完全に埋まって斜面をトラバースしながら進む。滑落したら雪解け水の大平川へ呑み込まれて瞬く間に低体温症となって命を奪われてしまうのは確実だ。

 初雪山北尾根は末端こそ急で複雑な地形なのだが、そこだけ我慢すれば、後はブナとミズナラの快適な斜面が延々と続く。テントサイトはそこここにあるから、疲れたら何処で泊まっても良いのだが、これから強まる冬型が少し心配で出来るだけ上に登っておくことにした。明日の行動を短めににする為だ。途中熊の足跡を横切る。目覚めた熊がうろつき始めているのだ。春だからねえ。テントサイトはいよいよブナが疎林となる辺りに設けた。千切れた雪雲が時々辺りを覆い雪を降らせるが、比較的穏やかな夜。意外にも寒いことは無かった。

 目が醒めると辺りは10センチ程の積雪に覆われていた。明るくなるのを待って山頂を目指す。テントサイトから上部は見事な雪面が広がっている。時々刺す朝の斜光が新雪を照らしてキラキラと光る。ここは山スキーなら絶叫モノの極上斜面だ。最初にここを訪れたのは山スキーだったが、その時の感動は今でも覚えている。素晴らしいパウダースノーを、まるで日本海に滑り込むような錯覚に陥りながら滑る最高の斜面だった。またいつか、そう、来年辺り滑りに来ようかななどと思った。

 山頂直下はかなりの急斜面だ。そして明らかな雪崩地形。左の尾根から右の尾根に乗り移らなければならないが、ルート取りはかなり難しい。視界が悪い時は絶対に行かない方が良いだろう。さらに北西の支尾根に登ると雪は堅く緊張を強いられた。かと思うといきなり穴に落っこちてみたり、一歩一歩がロシアンルーレットのようだ。最後は傾斜は落ちたが、ボコボコの雪に苦しめられる。足は遅々として進まない。やはり昨日頑張って上部まで登っておいて正解だったなと思う。次第に降る雪が強まってきた。そして、いつもより時間を掛けて喘ぐように山頂に着く頃にはとうとう吹雪となってしまった。見えるはずの雄大な北アルプス最北の山々や青い日本海は、残念ながら打ち付ける様に降る雪のカーテンの向こうだ。体が冷える前に早々に下山するしかなかった。

 自分たちの踏み跡を頼りに下るが、見る見る降り積もる雪にそれはどんどん希薄になり、所々道を見失ってしまう。雪崩地形のところでは、霧も出て完全なホワイトアウトになってしまった。こんな時は慌てず、近くを探す。お客さんにはじっとしてもらって周囲を行ったり来たりすると、わずかに残る踏み跡を見つけた。慎重にそれをたどってなんとかテントサイトまでたどり着くことが出来た。何度も経験してはいるが、ホワイトアウトはほんとに恐い。三半規管が正常を保てなくなれば頭の中は混乱を極める。それはまるで真っ白な闇だ。慌てず事態を把握するしかない。落ち着こう。

 帰り道、大平川沿いの林道では、ミゾレまじりの猛烈な吹雪となった。既に標高は100メートル程だというのに、今回の寒気は相当なものだ。標高の高い栂池や、白馬辺りではかなり良い雪が降っていることだろう。「明日は最後のパウダーを楽しみに行こうかな」などと考えながらミゾレ降る林道を大平集落へ下山した。 

 因みに、僕はこの初雪山に7,8回訪れているが、誰ひとり登山者に出会った事はない。ただ人に会ったと言えば林道で猟犬を連れた鉄砲猟師には3回会っている。それは多分同じ人物で、「熊の足跡無かったけ?」と富山弁で僕に話しかけるのだ。猟期はとっくに過ぎている。多分法令で着なければ行けないと決められているはずのオレンジ色のジャケットや帽子も身につけず、鉄砲はケースに入れたままそれとなく藪に隠していたり。あのオヤジは間違いなく密猟師だ。今回林道を下山中、山スキーを担いだ登山者に初めて出会った。・・・・・・・・・誰もそんな事は言っていないのだが、僕は勝手に認定する。初雪山は秘境である。

 


大阪毎日ツアー赤岳と硫黄岳

2014年03月29日 | ツアー日記

 日本海側では、再び大雪となったのだけれど、一夜明けてみれば素晴らしい快晴の朝になっていた。やはり3月にもなれば冬型の気圧配置は長続きしない。放射冷却できりりと冷えた日の空は格別で、空気は限りなく澄んで、自分の目が良くなったような気がする程に、全てのものがクッキリと見えた。八ヶ岳は内陸に位置するからもともと晴天率は高い。だが、その中でも特別な1日というものがある。この日こそ、まさにその1日だったのだと思う。

 3月の三連休、好天に恵まれて八ヶ岳赤岳周辺は賑わった。テントは赤岳鉱泉と行者小屋を合わせて、100張り以上も有ったと思う。カラフルなテント場は華やいだ雰囲気で、赤岳、阿弥陀岳、バリエーションルート、アイスクライミングなど、それぞれの目的に向かってみな出発していく。

 僕らが泊まった赤岳鉱泉も満室状態だった。部屋は暖かく、食事はバツグンに豪勢で美味しい。ここに泊まった二日間1日目は豚しゃぶに巨大なサンマの塩焼き。二日目はなんと霜降りステーキだった。まだ冬なのに、こんなに人が来て、八ヶ岳って凄いところだね。いや冬だからこそこんなに賑わっているところなのだ。雪は少なめでアプローチは簡単、好天率高く、小屋の設備も充実、アイスクライミングや冬のルートにも事欠かない。全てを持っているそんな場所なのだ。

 前日降った雪が八ヶ岳の岩壁に吹き付けて、全山エビの尻尾に覆われていた。そのエビの尻尾が光を拡散させ宇宙が透けて見える程の青空に映えて眩しい。赤岳に一番登りやすいと思われる文三郎道は数珠つなぎの状態で、ロープを使うもの使わないものが交錯して赤岳を目指す。雪面は堅く締まっていて滑落したらひとたまりもないから、ロープは使うべきルートだと思うのだが。

 この時、赤岳鉱泉で出会ったばかりの野田賢君(31)が27日鹿島槍ヶ岳で滑落死した。夏は岳沢小屋、冬は赤岳鉱泉で働きながら先鋭的登山を試みていたクライマーだ。昨年アジアの優れた登山家に送られる「ピオレドール・アジア」も受賞している。そンな彼がなんで?心がざわついてならない。登山をするものの傍らにはいつも死が寄り添っているのだと思い知る。・・・・・・・合掌。

 


青い夜明け 雲上の世界3月18,19日

2014年03月24日 | ツアー日記

 未明に雪洞を抜け出して栂池自然園の雪原を行く。昨日降り続いた霰はようやく止んで風もおさまったが、辺りは深い霧に包まれていた。だが時々すっと霧は晴れて、西に沈もうとしている月が小蓮華岳辺りの稜線を照らしているのが見える。幻想の夜明け。ホワイトアウトした広い雪原を時々見える月を頼りに進むと、次第に夜が明け始めた。上空は晴れているに違いない。最高の1日になる予感がした。

 雪は締まっていてワカンなしでも歩くことが出来た。全山がアイスバーンか堅いクラストの状態だ。昨日の霰は強い風に吹き飛ばされみんな何処かへ行ってしまったようだ。快適に雪原を行く。楠川の源頭を左に見る頃には朝日が辺りの山を照らし始め金色に輝き始める。その美しさは言葉にすることが出来ない。こんな夜明けは今までも何度も見たはずだが、今日は何故か特別な夜明けのように感じる。それは毎回の事かも知れないが、この高鳴る気持ちはいったいなんなのだろう。何度目だろうと、そしてこれからもずっと、こんな朝に僕ら登山者は興奮するのだろう。みんな廻りをキョロキョロ見回しながら、ぽっかり空いた霧の間から垣間見える朝の光に歓声を上げる。

 船越の頭への尾根を緩やかに登っていくと、僕らはなにひとつ遮るものもない晴れの領域に入って行った。ふり返ればそこは遙かまで雲海に埋め尽くされていた。朝日が雲海の表を眩しく照らしている。夕べ泊まった雪原はその雲海の端っこで、今まで僕らはその波打ち際にいたのだ。なんて素晴らしい光景だろう。言葉を失ってしまう。

 適当な斜面を登っていく。どこを歩こうが自由だ。道はない。道は自分たちが道と決めたところが道になる。あの尾根も、この谷も、自分で行けると思えばそこが僕らの道になる。雪山は限りなく自由で、僕らの想像力を際限なくかき立ててくれる。これが、雪山の醍醐味なのだ。

 下界では天気予報通り午前中は曇りなのだろう。この一面の雲海では、晴れ間など何処にもないぐらいにどんよりとしているのかもしれない。ところがそれを突き抜けたここは全くの別世界。何度見てもため息が出るほどの素晴らしい雲海に、山々が島のように浮かんでいる。これぞまさしく雲の海だ。

 船越の頭への最後の急登を登り切って、稜線に飛び出す。いきなり雪倉岳や朝日岳が見えて胸のすくような気持ちだ。風は若干強いが、さらに進んで、僕らは小蓮華岳に到着した。夕べの雪洞泊を悪天候で上部に上げられなかった為今回はここまでとする。白馬岳はもうすぐそこに見えるし、もったいないぐらいの好天だが、お客さんも満足げだった。

 船越の頭から下降する頃には雪が腐り始めていてアイゼンに特大の雪団子がつく。傾斜も急だが、雪団子でアイゼンの爪が効かない事の方が余程恐い。一歩ごとにカツンッ、カツンッとピッケルで雪を払わなくてはならないほどだ。失敗したら数百メートルは滑落してしまうだろう。5ピッチほどロープを使い支点をとりながら慎重に降りる。傾斜も落ち着いたら後は大シリセード大会だ。

「おら!いけーーーーーーーー!」

数百メートルを一気にお尻で滑る。沸き上がる歓声。やっぱ雪山は楽しいね。

14白馬岳雪洞

 

 

 

 


雪洞を掘る

2014年03月21日 | ツアー日記

 予報が悪い。寒冷前線が通過するのだ。午前9時30分に白馬駅で待ち合わせる頃には既に雨が降り始めていた。歩いた後に雪洞を堀り上げ、そこに泊まり翌日白馬岳を登頂する予定の今回のツアーだが、栂池ロープウェイを降りて自然園付近で直ぐに雪洞堀り作業に取りかかった。今日はお客さんとガイド合わせて7名が泊まる巨大雪洞を掘らなくてはならない。適当な吹きだまりを見つけてスコップを突き刺す。

 今年は雪の絞まり方が早いのか、雪は堅く手強い。だがそれは最初だけで、奥に行けば大概柔らかく掘りやすくなるものだ。掘っては投げる。また掘っては投げる。二人がスコップを使えば後の人間はそれをコンロ台にしてるアルミ盆で遠くへ追いやる。お客さん達も楽しそうにこの建築作業に従事してくれた。なかなか頼りになる面々。

 しかし問題のその雪の堅さだが、一向に柔らかくなってこないのだ。登山用のスコップはアルミ製で、大した打撃力もないのでこの雪の堅さには難儀する。サクサクっと4隅にスコップを入れ、ごそっとブロックを掘り出せれば仕事はどんどん進むのだが、渾身の力で打ち込んでも、欠片が剥離する程度しか取れないので、息は上がり、手首は腱鞘炎にでもなりそうだ。だが、何がなんでも掘り上げなくてはならない。途中からは全員が意地になってきた。次々交代をして力を合わせてひたすら・・・・・・・

掘る、投げる、掘る、掘る、送る、投げる、送る、送る、投げる、送る、掘る、掘る投げる、掘る、掘る、投げる、送る、送る、送る、投げる、送る、掘る、掘る、掘る、掘る、投げる、送る、送る、投げる、送る、送る、投げる、掘る、掘る、掘る、投げる、掘る、送る、投げる、送る、送る、送る、掘る、掘る投げる、、掘る、掘る、投げる、送る、送る、投げる、送る、送る、掘る、掘る、掘る、掘る、送る、投げる、送る、送る、投げる、投げる、送る、掘る、掘る、投げる、掘る、掘る、投げる、送る、投げる、送る、送る、送る・・・・・・・。

降りしきる霰、轟く雷鳴の中の作業

掘る、投げる、掘る、掘る、送る、投げる、送る、送る、投げる、送る、掘る、掘る投げる、掘る、掘る、投げる、送る、送る、送る、投げる、送る、掘る、掘る、掘る、掘る、投げる、送る、送る、投げる、送る、送る、投げる、掘る、掘る、掘る、投げる、掘る、送る、投げる、送る、送る、送る、掘る、掘る投げる、、掘る、掘る、投げる、送る、送る、投げる、送る、送る、掘る、掘る、掘る、掘る、送る、投げる、送る、送る、投げる、投げる、送る、掘る、掘る、投げる、掘る、掘る、投げる、送る、投げる、送る、送る、送る・・・・・・・。 

 こうして僕らは3時間余りを費やして四畳ほどの空間を作り上げた。高さは1,5メートルほどだ。ここからは拘りの仕上げ作業だ。四隅までカチッと角を出し、ほぼ完璧な箱形にする。天井は仕上げが悪いとコンロの熱や湿気で次第に水を含み水滴が垂れる様になるから、丁寧にデコボコを削り取り奥から入り口にかけて微妙な傾斜をつける。壁には靴や小物を収納できる棚を三つと、これも欠かせないローソクのための小さな棚を二つ設けた。最後に作業のために広く開けた入り口を掘り出したブロックで半分程塞いで、ツエルトを垂らせば完成である。寒冷前線の通過でここ栂池自然園では霰が降り、時折雷鳴までが轟く中、僕らの白いホテルはついに竣工したのである。

拘りの仕上げ作業に没頭する赤田ガイド(別名 南極1号)

 うーん、広くて快適。雪の堅さが幸いして背中でもたれ掛かっても崩れたりないし床も見事に平らだ。蝋燭の炎が美しく掘り上げられた壁をゆらゆらと照らす。外では依然として霰が降っていて風もあるが、ここは完全な静寂の世界・・・・・・・・・お客さん以外はネ。

うっとりする蝋燭の炎

 雪洞の中は暖かいのかと言えばそうでもない。では寒いのかと言われればそうでもない。だが水は決して凍ることはない。湿気は多い。あれ?これはなんか知ってるぞ・・・・・・そう、それは冷蔵庫のチルド室みたいなものだ。刺身の気持ちがよく解るってもんだ。テントの中ではコンロを焚けば厳冬期でも即座に室温は上がるが、雪洞では室温は決して上がることはない。だが、この中は吹雪とは無縁だし、シュラフに入れば朝まで快適に眠れるのも雪洞の素晴らしさ。全員が雪洞初体験で、皆さん楽しそうだった。この日も早朝の出発に備えて三時半に起床するまで、実に暖かく静かな夜だった。

 一晩だけではもったいない程の完璧な雪洞ホテル。栂池ロープウェイ自然園駅から徒歩5分、最高の物件である。良かったらどうぞ。

蝋燭に照らされる美しい壁面。横に何本か見える筋のようなものは雪の年輪だ、この時天気が良くて融けた部分は氷の層となり光を通しやすくする

 


全身筋肉痛 地獄のラッセル冬甲斐駒ヶ岳

2014年03月16日 | ツアー日記

強くなった陽射しが射し色を増す尾白川 

 朝目覚めてみると体が鉛のように重い。何とか体を起こし立ち上がろうとしのだが、足がハンパ無く痛い。腕や背中や肩までもバキバキである。跪いてそれからようやく立ち上がる。階段を降りる時など苦痛に顔を歪めずにはいられない。誰かの介助かせめて杖でも僕に与えてくれないだろうか?

 原因は酷い筋肉痛である。昨日予定を一日早めて甲斐駒ヶ岳黒戸尾根にある七丈小屋から下山してきた。もともと、2泊3日の予定で甲斐駒ヶ岳を目指したのだが、予想外のラッセルに苦しめられた僕らは、11時間半を費やしてようやく七丈小屋にたどり着いた。通常なら7時間ほどの行程である。

何かの鳥の巣が落下していた。右側が下地で左のは多分お布団だ。愛の巣。

 2月15日には甲府地方で113センチの観測史上最高の積雪を記録した。ひと月がたってもその影響は未だにあって、甲府盆地からグルリ見渡す山々の様子はいつもの年とは全く違って見える。富士山や八ヶ岳などは斜面全部が真っ白な状態で、樹林の低山などにも雪が目立つ。

 黒戸尾根の登山口である竹宇神社から尾白川を吊り橋で渡って反対側の斜面はすっかり雪に覆われていた。例年なら、2~3時間ほど登り詰めないと雪は現れない。雪も堅いので迷わずアイゼンを装着する。だがこれがこの地獄の一日の始まりであった。

いちいち踏み込まなくてはならない雪質

 黒戸尾根は駒ヶ岳までの標高差は2,200メートル。途中の登り返しまで含めると2,300メートルを越す日本屈指の急登である。今夜宿泊予定の七丈小屋まででも1,600メートルの標高差を一気に登らなくてはならない。しかも、今年は初っぱなからアイゼン行動だ。最初のうちこそなんと言うこともなく僕らは登って行ったのだが、このアイゼン歩行がボディーブロウの様に次第に僕らの体力を奪って行く。 

 始め薄かった雪は徐々にその厚さを増していった。前日は平地では大雨であったが、標高の高いところでは湿った積雪となっていて、それが朝方の冷え込みで冷やされてバリバリのクラストになっていた。いわゆる最中雪である。上に乗れたり落っこちたり、不安定な足場は何とももどかし。途中で単独の若い男性登山者が僕らを追い抜いたが、結局ラッセルがきつくて直ぐまた僕らが追いつき、先頭を交代しながら登って行くことになる。いつもより大分時間が掛かっている。半ばを過ぎた辺りから僕は常に最終到着時間を計算していた。何とか日没までに七丈小屋に到着したいが、もしかしたら引き返した方が良いのかも知れないなどと考えていたのだ。

アイゼンワカン、ベルトをしっかり締めないとワカンのベルトを傷めてしまう

 八丁坂でアイゼンの上にワカンを履く。この日のように雪が堅かったり柔らかかったりする時に使うやり方だ。通常なら雪など何もない刃渡りは立派な雪稜になっていた。それでも、男性登山者という力強い相棒を得て、僕らは虫のように標高を上げていく。彼がいなかったら、おそらく撤退していたかも知れない。彼はもうぼくらのパーティーの一員となっていた。同じ目的を持つ同志だ。どこに行ってもラッセルとはそういうものだ。ラッセル出来る奴がパーティー関係無く踏む。グルグル交代しながらキャタピラーの様に踏んで前へ進むのだが、着かず離れず後を着いてくるような小賢しい登山者も稀に存在する。

桟橋を渡る、墜ちたら谷底までまっしぐら

 五合目小屋跡まで来ればもう引き返す気は無くなる。だがここからが大変だった。小屋まではコースタイムで1時間半ほどのところだ。ここからはロープを装着する。横殴りの雪の中、梯子、鎖場、桟橋、屏風岩の岩場、そして深い最中雪の超急坂ラッセル、滑落は許されない難所が続く。腕で崩し、膝蹴りを食らわし、足でガンガン踏んで足場を作る。コースタイムの3倍もかけて、ようやく七丈小屋にたどり着く頃には辺りは殆ど暗くなっていた。所要時間11時間30分、みんなバテバテでの到着だった。

屏風岩をロープで

 本当ならメシも喰わずに、ビールなど煽って寝てしまいたいところだが、食事を作る。ジンギスカン、麻婆春雨。一緒に頑張った彼、品川さんにも振る舞って無理矢理食べる。そうじゃないと明日の活力は絶対生まれない。小屋の大将によると、2月の大雪の後ひと月も経つが登ってきたのは10人ほど。小屋から上部、甲斐駒ヶ岳までは誰ひとり行っていないとのこと。一日かけても頂上にたどり着けないだろうと言う。それは僕らでも簡単に予想できた。と言うか、明日の朝から再び猛烈なラッセルをする気力はもう誰にも残っていなかった。なんとなく明日は帰ろうねみたいな話になって、言葉少なく夕食を済ませ全員撃沈。

月光の七丈小屋

甲府盆地の夜景

 と言うわけで翌日快晴の黒戸尾根を僕らは迷わず下った。土曜日だから15名ほどの上山者にすれ違った。昨日僕らが踏んで来たから、楽ちんそうだった。いいなあ。来年は日曜日スタートにしようなどと小賢しいことを考える僕であった。

快晴の駒ヶ岳を後にする、頑張ったから未練はないのだ

 

 


14冬期西穂高岳3月8~9日

2014年03月11日 | ツアー日記

明け行くピラミッドと西穂、奥穂

 2月末に訪れた西穂高岳に再び訪れた。この冬4回目の西穂である。前回まではBSTBSのロケだったが今回は僕の企画するツアーだ。3月にしては強い寒気の流入が始まって、しばらく冬型の気圧配置が続くという予報である。風がそこそこで青空が顔を出してくれれば、力強さを増した太陽がぼくらの体を温めてくれるはずだが、そうでなければ依然厳冬期の稜線で有ることは間違いない。僕らは不安を半分抱いて西穂山荘に到着した。

 西穂山荘の支配人である粟澤さんは気象予報士の資格を持っている。テレビのロケの時も悩ましい天候の中、非常に詳細で緻密な予報をして頂いた。山の天気は通常我々がテレビなどで見る天気予報が当てはまらないことがよくある。下界は曇ったりしとしと雨が降っていても、山の上は雲海の上で快晴だったりすることさえもある。風の動きも低層、中層、高層ではまた違うらしくて、それらを立体的に捉えないと、山の天気の予報は難しいのだそうだ。ロケの時は粟澤さんの予報は見事的中した。2日目の登頂日は風雪強く、午後は更に風が強くなると言うように、数時間単位で予報されていた事がほぼその通りに現実のものとなった。

 今回も粟澤予報士に全てをゆだねる。それによると明日は風はあるものの若干冬型は緩んで晴れ間も見えそうで、明後日は再び風雪が強まり、もしかしたらロープウェイが運休するかも知れないとのこと。僕の考えでは明明後日に天候は回復すると言う予報だったので、三日目の登頂の方が有利なのではないかと思っていたのだが、そうではないと言うことだ。それではと言うことで朝食を朝弁当に替えて未明に出発することにした。明日は3時半には起床しなくてはいけないのだが、折しもこの日大阪毎日旅行のご一行様がこの山荘にやって来ていた為に、馴染みの添乗員やガイド達と少し飲み過ぎてしまった僕だった。

 午前三時半に起床して先ず外に出てみると空には星が輝いていた。風も大したことはなさそうだ。「よし!行こう。」朝食を済ませアイゼン、ピッケル、ハーネス、ヘルメットのフル装備で未だ明けやらぬ山荘を出発する。この時間に出かけたのは僕らだけだった。僕はよくこんな事をする。この朝の1時間、2時間の早立ちが心に余裕を持たせてくれるから。テント泊でも大概ヘッドランプで出発する。夏の事ではあるが、夕方まで歩いている人をよく見かける。まだ明るいんだから良いじゃないかと彼らは言うのだ。暗くなって山小屋に到着する人も。だが、それは大きな間違いだと皆さんはお解りいただけるだろうか?

 前日までのトレースは殆ど消えていて、時々ウロウロ彷徨いながら独標基部にたどり着く頃ようやく明神岳辺りから太陽が昇ってきた。ロープを装着し独標に取り付いた。雪は堅く蹴り込むアイゼンに力を込める。ピッケルもかなり強く打ち込まないとしっかりと効いてはくれない。今日は少し手強いかも知れない。厳冬期が過ぎて時々暖かな日がやってくる頃になると、こんな山の上とは言え日の当たる場所では雪が融ける。その融けた雪が夜間の冷え込みで再凍結するものだから、雪は次第に氷へと変化してくるのだ。完全な青氷になってしまえば、アイゼンの爪など全く刃が立たない程になる。そうなると、登降の難易度は格段に上がることになる。今回はそこまでではないのだが、アイゼンを数回蹴り込まなくてはならぬ場所も頻繁にあった。おまけに新しく着いた雪がサラサラで固まらず、足下がグズグズでいやらしい場所も多い。足下が不安定というのはどうにも心許ないものだ。しっかりと足場をつくり、時に岩角や肩がらみでロープ確保しながら僕らは進んだ。登りはまだいいのだが下りは恐い。先日のロケの時と比べると明らかに難易度が高い。この間何でもなかったところが、やけに恐く感じる。見下ろす谷は同じはずなのに、まさに奈落の底のように見えるのだ。もし滑落したらどこまで行ってしまうのだろう等とあらぬ事が時々頭をよぎる。いやいや余計な事は考えない。いつもの通り体を立てて、アイゼンをしっかり蹴り込むだけだ。びびった奴が失敗する。風はこの時期にしてみればそよ風みたいなものだ。日向は暖かい。先人が誰もいない稜線を行くのは気分がいい。この緊張感をスパイスにして刺激的に登った。

 頂上直下のスラブ(一枚岩)に張り付いた雪は相当堅く、一回のケリ込みでは爪の先がわずかに入る程度だった。おまけにところどころ雪が薄いところがあって、下の岩に爪がカチンと当たったりするといやな感じがするものだ。慌ててはいけない。落ち着いて足場を作って突破するとようやく山頂だ。そして思わずやはりハイタッチ!!達成感は格別だった。

 この日の復路、少し恐い目にもあった。ロープと言うのは凄いものだなあと改めて思うのだった。下山して行くに従って僕の膝が悲鳴を上げ始めた。おそらくアイゼンを蹴り込みすぎたせいだ。長年酷使してきた僕の膝は 少しいたわってあげなければいけない時期に来ているのかも知れない。

巨大なエビの尻尾。幅30センチもある。風の方向に向かって発達するのだ。

14西穂高岳


BSTBS西穂高岳リベンジロケその1

2014年03月07日 | ツアー日記

 1月にBSTBSのロケで西穂高岳を目指した。当日は強い冬型の気圧配置になり、この山域では猛烈な風が吹き荒れた。西穂山荘での朝の気温はマイナス19℃。山頂を目指した僕らが体験したのは、体感温度マイナス40℃の世界だった。時折歩けないほどの風に僕らは翻弄され耐風姿勢をとる。露出した頬や鼻の頭が猛烈に痛い。指先も千切れんばかりに痛む。指先を温めるため行動中も必死で指を動かす。独標を折り返し点として下山してみれば、撮影班の大方のメンバーが顔面に凍傷を負っていた。僕はその後鼻の頭の皮がすっかり剥けてしまった。

 リベンジロケは2月24日からとなった。冬山の登頂率は天気が良くて五割ぐらいだと僕は思っている。過酷な冬山で登頂するには、晴れて、風がなくて、雪の状態がよくて、しかもメンバーが充実している事が不可欠だ。その全がそろう確率はそう高くはない。果たして今回はどうだろう?天気予報では登頂予定日の二日目は予報が悪い。

 初日夕方から雪と風が強まり、二日目の朝出発をする時点ではまたしても天候は雪で、絶望的な程風が吹き荒れていた。気温は前回に比べればずっと暖かいが、それでもマイナス12℃だ。ガイド達で打ち合わせをし、出発を遅らせる。リベンジでもあるし、何とか登頂を実現させたいとスタッフ全員が思っているのだが、思うにままならない。明け行く空が恨めしい。未明の出発予定はどんどん繰り下がって、とうとう午前9時になってしまった。今日の登頂は時間的にもう無理かもしれない。しかし午後になれば若干天候は回復してくると言う目論見もあったので、トレーニングと割り切って取り敢えず僕らは出発した。

 前回よりは大分ましだが相変わらず風は強い。だが、顔面や手足の指先に感じるその体感気温は前回ほどではない。強いながらも風は安定していて、耐風姿勢を取るような事も無い。登るにつれ時折青空も顔を見せてはいるのだが、この状況に一日晒されていれば、スタッフの体力は持たないであろう。歩きつつも番組制作を取り仕切る川原ディレクターの頭の中にはいろんな思いがグルグル巡っているのだろう。何とか番組を成立させなければならない訳だから、その責任は重大だ。彼の葛藤が伝わって来る。演者の海洋冒険家白石康次郎氏も今回こそ登頂したいという並々ならぬ意欲を持っている。全員が良い画を撮りたいと思っている。しかしそれが自然相手となるとどうにもならない事もみんな知っている。そこまでこのスタッフ達は成長してきているのだ。いろんなパターンを考え話し合いながら、時折撮影を交え僕らは上を目指した。

 独標基部でガイドと一対一或いは一対二でロープを装着し雪と岩の混じった独標に登る。そして行けるところまでと言うことで、僕らは更に上部に踏み込んだ。強い西風が斜面を駆け上がり、激しいブリザードが砂嵐の様に容赦なく僕らの顔面や目を刺す。前回ゴーグルを着けたメンバーのみ凍傷を負った事を検証するため、今回僕はゴーグルはしていかなかったので、その痛さと来たら半端ではない。ただただ目を細めるしかなかった。視界の悪い足下には雪庇が発達し、もし踏み抜いてしまえば僕らはたちまち奈落の底に引きずり込まれてしまう。ピッケルを刺してみたり、足で蹴ってみたりして、一つ一つ足場を確かめるのだ。左は風に磨かれた岩混じりのアイスバーン、右手は大量の雪が降り積もった70度もある雪壁だ。どちらに墜ちてもただでは済まない。

 小ピークを四つほど行くとピラミッドピークだ。時間的なことも有り、本日はここまでとした。明日は天候が回復するはずである。早朝の出発で何とかやっつける。スタッフの意志は固まった。雪煙の中に西穂高岳の山頂が見え隠れしていた。

・・・・・・・・・・・つづく