山岳ガイド赤沼千史のブログ

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14岩殿山と白沢天狗岳

2014年07月03日 | ツアー日記

 六月は里山が楽しい。緑はいよいよ勢いを増し、野も山も谷も尾根も、ありとあらゆるところで自分の居場所を見つけようと、その枝を伸ばす。その戦略は他に先んじて芽を出し早めに事を済ませるモノ、横に広がり陣地を占領するモノ、ゆっくりスタートして上へ茎を伸ばし高さでその場を確保するモノと様々だ。そんな植物たちが作る緑の立体パズルの中を、様々な虫や鳥や獣たちがゴールを目指して飛びまわり歩き回ると、受粉は完了し次なる世代へ命は受け継がれていくのだ。

 僕ら人間も本来はそんな立体パズルの中を歩き回る一員のはずだったのだが、何時の日からか自然とは切り離された環境でしか生きていられなくなってしまった。だが時々こうやって森を歩き、緑のパズルを解きに来なくては気持ちの置き所が無くなってしまう様になってしまった人間達がいる。それが登山者というものだ。

 取り立てて勉強などをしてこなくても、緑の中をずっと何年も・・・・・・それは同じ所だってかまわない、むしろ同じ所を何度も歩く方が良いのかも知れない・・・・・・歩き回っていると、ふとそのパズルの仕組みに気づく事がある。

「あれ?こいつ、こんなことしてるんだ、すごいな。」

そんな風に感じるにはむしろ里山が良いのかも知れない。まだまだ、ぼくは何も知らないのだと思っている。だが、何となく脈絡無く散らばるそんな気づきの欠片が、いつか繋がると良いなとも思っている。ジグソーパズルの最後の一片をパチンとはめ込めたらいいなと思うのだ。

 岩殿山は我々安曇野に住むものからは「東山」と呼ばれる、筑摩丘陵の一角にある標高1,000メートルほどの岩山だ。筑摩丘陵は松本盆地、長野盆地、上田盆地に挟まれた丘陵地で1,000メートル程の山といくつかの村で成り立つ地域だ。岩殿山と沢をひとつ隔てて兄弟のように京ヶ倉という岩山が連なり、どちらに登ってもその兄弟の存在が気になって、次はあっち登ろうと思わせてくれるのも面白い。

 別所ルートから登って紅葉イチゴをつまみながら登る。美しい宝石のような果実は爽やかな甘さで実に旨い。実が柔らかくて、摘んで帰る頃にはぐずぐずになってしまって、持ち帰りは難しい。ましてや、栽培し、流通などには向かないだろう。湿った梅雨の空気に山の香りが漂っていた。

見事に削り込まれた石階段

 登山道には拝み所や石仏が配置されて居る。結構大きな石碑もある。これらをいったいどうやって設置したのだろうか?と感心する。ここは里にある岩殿寺(がんでんじ)の奥の院という位置づけで、別所から岩殿山、そして奥の院を巡り岩殿寺へ至るひとつの伽藍を形作っている。歩けば現れる奇岩が実に楽しく非日常的で、そこには何かの力が備わっていると、岩殿山の開祖開祖慈覚大師円仁も感じたのだろう。彼はこの山に出会い、きっと夢中になってここを開いた。この伽藍の核心である奥の院には、庇のように大きく張りだした砂岩の洞がある。その高さは20メートルにもなるだろうか。岩肌には泡だったような穴がボコボコと空いて、不可思議と神秘と畏敬の念が沸き上がるようだ。その成り立ちを想像するのは困難だ。円仁もきっとこの岩洞に驚愕したに違いない。そして、この山を開く事にのめり込んでいった。ぼくの勝手な想像である。

 

 

兄弟 京ヶ倉が見える

 翌日は「西山」へ向かう。西山とは安曇野から見て西側の山、つまり北アルプスの事だが、その前山である白沢天狗岳へ。この山はわりと最近登山道が整備され登りやすくなった。それ以前は残雪期に登る人が多く、ぼくも山スキーで登ったことがあった。里山と言うには若干標高が高く、それなりに頑張らなくてはならない山だ。

 爺ヶ岳スキー場から登り始める。夜中に降った雨が止んで陽が差し始めると一気に気温が上がり始め、湿った空気が肌にまとわりつく。でも日帰りだから濡れようが汗だくだろうが平気だ。登山道はその殆どが自然林でとても気持ちが良い。春ゼミが辺り一面で鳴き耳が痛いほどだ。遠い昔を思い出させるようなその鳴き声がぼくは好きだ。

 取り立て難しい所は無いが、道は次第に急になり最後は梯子を登って稜線に出る。そこにはまだ雪をまとった爺ヶ岳があった。尾根を左に辿ると岩峰がひとつあって、それを回り込むように梯子やロープを伝って越える。稜線の冷たい風の中シャクナゲが満開だった。青空の領域が次第に広がってきて大町から安曇野までずっと見渡せる。胸のすくような思いだ。ひと登りで山頂だ。山頂の木立が若干切り払われ、展望が良くなっていた。爺ヶ岳を初めとして、餓鬼岳や野口五郎岳、鹿島槍など、北アルプスの山を間近に望める良い展望台だ。足下の安曇野の眺めも伸びやかだ。

深いピンクが印象的なシャクナゲだった

春ゼミの声満ちる森

山毛欅

 この山には新しい標柱が何本もあるのだが、それはことごとく何者かによって引き裂かれ、無残なモノになってしまっている。それは、他の山でもよく見かけるものだが、その原因は熊の仕業に因るものだ。熊はなんとガソリンや有機溶剤の匂いが大好きで、新たに設置されたペンキ塗り立ての道標は、彼らにとってとても魅力的な匂いを放っているのだ。その愛しい匂いがたまらなくて、道標をペロペロやりに来る。だが、それは一応乾いたペンキだから、思うようにはそれを味わえず終いにはカンシャクを起こして、それをその爪で引き裂いてしまうのだ。この爪で顔を叩かれたら、ひとたまりもない事はすぐ想像出来る。山で出会わないことを祈るばかりだ。幸運にも熊にも会わずに、すたこら下山。大町温泉郷薬師の湯にて入浴、信濃大町駅解散。

ある日の赤沼家のおもてなし

梅雨の安曇野の庭先で