ちょっと前に、柳田国男の本の中から、帰国した上山草人さんが東京人の眼が怖くなっていると語ったという逸話を紹介したわけですけれども、そこには何かヒントが隠されていないでしょうか? ちなみに上山草人さんが帰国したのは1929年(昭和4年)ですから、時代的には支那事変の少し前ということになります。
注意深く読んでみると、次のようなくだりが見つかります。
上山草人さんの逸話と同じ「世間を見る目」という一節です(再掲)。同じ村の、普段見慣れている「顔」は何ともないけれども、見慣れない顔を見ると「恐れ」に似た情動が沸き起こった…。まあ当たり前といえば当たり前ですし、くだらないといえばくだらない話です。
どうしても人間は、二次的な反応の方、つまり「あの人は怖そうだなあ」とかそっちの方に意識が行ってしまうわけですけれども、実際には何か新奇なものを見た瞬間に活発化する脳の部位があるわけです。ましてやそれが人間の顔ともなると表情は重要な表現手段ですから、その脳の部位の影響は決して小さくないはずです…。
ところで「眼」というのはものすごく高度で便利な感覚器官ですけれども、単純に眼だけが発達すればそれを利用できるかというとそうではありません。そこにはさまざまなクリアすべき課題が立ちはだかっています。どうしても、神経系と肉体は複雑化せざるを得ません。
「臭い」つまりアミノ酸などの濃度勾配によって餌資源を探索する場合は、アミノ酸自体が低エントロピー資源のために、「近付いてみたらそれが利用価値のないものだった」という、「行動の間違い」が起きることは基本的にないわけですけれども、「眼」つまり視覚情報を用いて餌を探す場合は、行き当たりばったりではどうしても「行ってみたら、餌じゃなかった」という「行動のエラー」が多く発生することになり、効率が悪いです。そこで利用価値のあるものとないものを「賢く」選り分けるという情報処理が必要になってきます。そして「これ食べられるかなあ」とか「あれは食べられないぞ」という判断が生じてきます。
「食える」と「食えない」。「生きる」という目的のために、これほど重要な基準があるでしょうか。最も重要な要素だからこそ、その機能は生物が多様化してくにつれて、ますます発達していくわけです。
首の長い動物、肺活量の大きい動物、あるいは肝臓の大きい動物、これらは「眼」を有効に働かせるのにより有利であったと思われます。脊椎動物が眼を発達させるに従って、判断に「予測」という要素が入ってきます。それまで「食える」「食えない」だったものが「食えるだろう」「食えないだろう」、さらには「好感・嫌悪感」に発展してくるわけです。
脊椎動物が「眼」を進化させていくに従って、「予測」という神経活動の重要性がますます大きくなり、それに伴ってこの種の「好感・嫌悪感」の感覚も深まっていった…。例えばシママングースのように「群れ」を作る段階になると、自分が属している群れなのか自分が属していない群れなのかという判断がまさしく死活問題でして、同類の姿を見たら、まず「敵か味方か」というのが一大関心事なわけです。
コミュニケーション能力が発達したり分析能力が備わる以前に、眼に飛び込んできたものに対して、それが危険なのか危険じゃないのか判断できるようになっている必要があったわけです。そういうふうに考えると、海馬と扁桃体が直接つながっているのも頷けます。
そして、群れを作る動物というのは、何よりも「声」を出さなくてはならないわけです。哺乳類において、声は攻撃と大体ワンセットになっています。
ゴジラやガメラなら吠えますが、爬虫類というのは基本的に吠えないわけです。だから「吠える」というのは基本的に哺乳類特有の性質。「吠える」とか「叫ぶ」という行動は、もともとは哺乳類が自分が属していない群れと出会った時に大声を出していた、そういう目的だったと思うのです。イヌだって自分の身内には吠えません。よその人が来ると吠えるわけです。
鳥は、別に力を込めなくても、普通に呼吸しているだけで鳴き声が出るわけですけれども、哺乳類が「吠える」場合は特別に普段とは異なる呼吸の仕方をしなければ声が出ないわけです。まず息を大きく吸う、そして止める、そして大声を出す。それを身内でない個体と出会った時に無意識的にスッとやらなくてはならないわけですから、当然「吠えさせる」ためのニューロンがあったでしょう。
「吠える」というのは、なかなか体力の要る仕事です。そうではありますけれども、群れを形成して生活することの必然性から、「鳴く」とか「呼び合う」という、より体力の少なくてすむ行動よりも先に獲得されていたというふうにも考えられるわけです。「鳴く」とか「呼び合う」という行動を繰り返しているうちに肺や声帯が発達して「吠える」に至ったのではなくて、もう哺乳類出現当初から「吠える」があったのだと…。
ですから、大脳辺縁系は、比較的後期の哺乳類、つまりコミュニケーション能力がある程度発達してきてから大きくなったと考えられますので、「呼び合う」ような感情のニュアンスを含んだ発声様式よりも、「吠える」のような一方的な発声様式の方がより原始的といっていいかもしれません。
私たち人間は、何か怒ったり、叱ったりする場合、怒りという感情によって顔が赤くなるわけですけれども、よくよく考えてみると、大脳辺縁系が働いたから顔が赤くなるというのはおかしいわけです。顔を赤くさせているのは、どう見ても視床下部としか思えません。扁桃体からの信号が視床下部に行っているから、代謝や血圧が変化して顔が赤くなるわけです。顔を真っ赤にして本気でキレているならば、それは理由がどうであれ、感情に先立って扁桃体が発火しているということになるのではないでしょうか。
扁桃体は海馬と直接つながっている…そうすると、嫌な人と出会って、「あの時ああいう嫌なことがあった」などと思い出す前に、扁桃体の方では「敵だ」という判断を下している…そしてそれが運動ニューロンに伝わって、肩が緊張したり、大きく息を吸い込もうとしたりする、そういうふうに考えることができると思います。
そういうことは他にもいろいろなところで現れている可能性もあるわけです。例えば眼からの感覚入力の要素に、何らかの新奇性がある場合、緊張し過ぎて固くなってしまうとか、声がいつもよりも大きくなってしまうということ、あるいはまた、よそ者や新参者に対して無意識に反応してしまう、そういう感じではないかと思います。また何かパッと眼に飛び込んでくるとはずみで力が入り過ぎてしまうとか、猪木さんにビンタをもらうと元気になるとかいうことも、結局は同じことでしょう。
そうしてみると、この非常事態を判断する扁桃体という部位というのは、意外と私たちは日常的に使っているのかもしれません。分かりやすい例は、力仕事をする時とか、試合の時に大声で声援を送ったり、店頭で客を呼び込んだりという時です。
上山草人さんの逸話の少し手前に、内地雑居の問題と称して、日本政府で意見が分かれ、延々ともめたことを柳田国男は書き留めているのですけれども、これもまたなるほどという感じを受けるのです。この内地雑居というのは、外国人に日本に住んでもらうのに、どこでも構わず住まわせてよいのか、それともどこかにまとめて住んでもらうのかということでして、昔の日本人がこんなことを大真面目に議論していたのかと思うとビックリさせられるのですけれども、これが事実だったわけです。
神戸などに「居留地」などというものがあったということが、今では全く信じられないことですが、法律とか便宜上の理由ではなくて、気分感情の理由が背景にあったのだということが分かると、妙に納得させられる気がいたします。
注意深く読んでみると、次のようなくだりが見つかります。
今まで友人ばかりの気の置けない生活をしていた者が、初めて逢った人と目を見合わすということは、実際には勇気の要ることであった…。
上山草人さんの逸話と同じ「世間を見る目」という一節です(再掲)。同じ村の、普段見慣れている「顔」は何ともないけれども、見慣れない顔を見ると「恐れ」に似た情動が沸き起こった…。まあ当たり前といえば当たり前ですし、くだらないといえばくだらない話です。
どうしても人間は、二次的な反応の方、つまり「あの人は怖そうだなあ」とかそっちの方に意識が行ってしまうわけですけれども、実際には何か新奇なものを見た瞬間に活発化する脳の部位があるわけです。ましてやそれが人間の顔ともなると表情は重要な表現手段ですから、その脳の部位の影響は決して小さくないはずです…。
ところで「眼」というのはものすごく高度で便利な感覚器官ですけれども、単純に眼だけが発達すればそれを利用できるかというとそうではありません。そこにはさまざまなクリアすべき課題が立ちはだかっています。どうしても、神経系と肉体は複雑化せざるを得ません。
「臭い」つまりアミノ酸などの濃度勾配によって餌資源を探索する場合は、アミノ酸自体が低エントロピー資源のために、「近付いてみたらそれが利用価値のないものだった」という、「行動の間違い」が起きることは基本的にないわけですけれども、「眼」つまり視覚情報を用いて餌を探す場合は、行き当たりばったりではどうしても「行ってみたら、餌じゃなかった」という「行動のエラー」が多く発生することになり、効率が悪いです。そこで利用価値のあるものとないものを「賢く」選り分けるという情報処理が必要になってきます。そして「これ食べられるかなあ」とか「あれは食べられないぞ」という判断が生じてきます。
「食える」と「食えない」。「生きる」という目的のために、これほど重要な基準があるでしょうか。最も重要な要素だからこそ、その機能は生物が多様化してくにつれて、ますます発達していくわけです。
首の長い動物、肺活量の大きい動物、あるいは肝臓の大きい動物、これらは「眼」を有効に働かせるのにより有利であったと思われます。脊椎動物が眼を発達させるに従って、判断に「予測」という要素が入ってきます。それまで「食える」「食えない」だったものが「食えるだろう」「食えないだろう」、さらには「好感・嫌悪感」に発展してくるわけです。
脊椎動物が「眼」を進化させていくに従って、「予測」という神経活動の重要性がますます大きくなり、それに伴ってこの種の「好感・嫌悪感」の感覚も深まっていった…。例えばシママングースのように「群れ」を作る段階になると、自分が属している群れなのか自分が属していない群れなのかという判断がまさしく死活問題でして、同類の姿を見たら、まず「敵か味方か」というのが一大関心事なわけです。
コミュニケーション能力が発達したり分析能力が備わる以前に、眼に飛び込んできたものに対して、それが危険なのか危険じゃないのか判断できるようになっている必要があったわけです。そういうふうに考えると、海馬と扁桃体が直接つながっているのも頷けます。
そして、群れを作る動物というのは、何よりも「声」を出さなくてはならないわけです。哺乳類において、声は攻撃と大体ワンセットになっています。
ゴジラやガメラなら吠えますが、爬虫類というのは基本的に吠えないわけです。だから「吠える」というのは基本的に哺乳類特有の性質。「吠える」とか「叫ぶ」という行動は、もともとは哺乳類が自分が属していない群れと出会った時に大声を出していた、そういう目的だったと思うのです。イヌだって自分の身内には吠えません。よその人が来ると吠えるわけです。
鳥は、別に力を込めなくても、普通に呼吸しているだけで鳴き声が出るわけですけれども、哺乳類が「吠える」場合は特別に普段とは異なる呼吸の仕方をしなければ声が出ないわけです。まず息を大きく吸う、そして止める、そして大声を出す。それを身内でない個体と出会った時に無意識的にスッとやらなくてはならないわけですから、当然「吠えさせる」ためのニューロンがあったでしょう。
「吠える」というのは、なかなか体力の要る仕事です。そうではありますけれども、群れを形成して生活することの必然性から、「鳴く」とか「呼び合う」という、より体力の少なくてすむ行動よりも先に獲得されていたというふうにも考えられるわけです。「鳴く」とか「呼び合う」という行動を繰り返しているうちに肺や声帯が発達して「吠える」に至ったのではなくて、もう哺乳類出現当初から「吠える」があったのだと…。
ですから、大脳辺縁系は、比較的後期の哺乳類、つまりコミュニケーション能力がある程度発達してきてから大きくなったと考えられますので、「呼び合う」ような感情のニュアンスを含んだ発声様式よりも、「吠える」のような一方的な発声様式の方がより原始的といっていいかもしれません。
私たち人間は、何か怒ったり、叱ったりする場合、怒りという感情によって顔が赤くなるわけですけれども、よくよく考えてみると、大脳辺縁系が働いたから顔が赤くなるというのはおかしいわけです。顔を赤くさせているのは、どう見ても視床下部としか思えません。扁桃体からの信号が視床下部に行っているから、代謝や血圧が変化して顔が赤くなるわけです。顔を真っ赤にして本気でキレているならば、それは理由がどうであれ、感情に先立って扁桃体が発火しているということになるのではないでしょうか。
扁桃体は海馬と直接つながっている…そうすると、嫌な人と出会って、「あの時ああいう嫌なことがあった」などと思い出す前に、扁桃体の方では「敵だ」という判断を下している…そしてそれが運動ニューロンに伝わって、肩が緊張したり、大きく息を吸い込もうとしたりする、そういうふうに考えることができると思います。
そういうことは他にもいろいろなところで現れている可能性もあるわけです。例えば眼からの感覚入力の要素に、何らかの新奇性がある場合、緊張し過ぎて固くなってしまうとか、声がいつもよりも大きくなってしまうということ、あるいはまた、よそ者や新参者に対して無意識に反応してしまう、そういう感じではないかと思います。また何かパッと眼に飛び込んでくるとはずみで力が入り過ぎてしまうとか、猪木さんにビンタをもらうと元気になるとかいうことも、結局は同じことでしょう。
そうしてみると、この非常事態を判断する扁桃体という部位というのは、意外と私たちは日常的に使っているのかもしれません。分かりやすい例は、力仕事をする時とか、試合の時に大声で声援を送ったり、店頭で客を呼び込んだりという時です。
上山草人さんの逸話の少し手前に、内地雑居の問題と称して、日本政府で意見が分かれ、延々ともめたことを柳田国男は書き留めているのですけれども、これもまたなるほどという感じを受けるのです。この内地雑居というのは、外国人に日本に住んでもらうのに、どこでも構わず住まわせてよいのか、それともどこかにまとめて住んでもらうのかということでして、昔の日本人がこんなことを大真面目に議論していたのかと思うとビックリさせられるのですけれども、これが事実だったわけです。
神戸などに「居留地」などというものがあったということが、今では全く信じられないことですが、法律とか便宜上の理由ではなくて、気分感情の理由が背景にあったのだということが分かると、妙に納得させられる気がいたします。