今日は大潮なのでアサリを獲ってきました。獲れすぎて食べきれないぐらい。
身離れもよくプリプリで、ダシがビックリするぐらいよく出ます!
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ちょっと前に、柳田国男の本の中から、帰国した上山草人さんが東京人の眼が怖くなっていると語ったという逸話を紹介したわけですけれども、そこには何かヒントが隠されていないでしょうか? ちなみに上山草人さんが帰国したのは1929年(昭和4年)ですから、時代的には支那事変の少し前ということになります。
注意深く読んでみると、次のようなくだりが見つかります。
今まで友人ばかりの気の置けない生活をしていた者 . . . 本文を読む
釣り道具屋さんに行くと「サシ」と称して人工的に飼育したハエの幼虫を手に入れることができるんですけれども、こいつをもてあそんでいると、とても面白いことが分かります。
ハエの成虫は手を近付けると逃げてしまいますが、幼虫は逃げません。けれども光を嫌がることから幼虫にも眼があることは明らかです。幼虫は成虫に比べて眼や筋肉が発達していないのは当然ですけれども、一番の違いは神経系の違いだと思います。
カエ . . . 本文を読む
もうずいぶん昔から、「ストレスを溜めないように」ということが繰り返し言われて来ました。もし溜まってしまったら早めに解消しないと病気になる。「ストレス=悪」という図式です。
ですが、神経科学ふうに言えば「ストレス」は「代謝モードを切り替える要因(刺激)」ですから、ストレス自体は善いものでも悪いものでもないわけです。
ところが現代では、「ストレス」と「快・不快」を直接関連付けて考えることが当たり前に . . . 本文を読む
生物学的に「目的」について説明するという、ユニークな説が書かれていた先日の「唯脳論」ですけれども、その前節(242ページ)に次のような一節があります。
運動ないし行動には、始めから「間違い」が許されている。〔中略〕知覚系にも同じようなことがある。しかし、視覚とくに擬態について述べたように、感覚系が自身の判断を訂正するためには、異質の感覚(1)にしばしば頼らざるをえない。少なくとも感覚器の末端は . . . 本文を読む
「唯脳論」では、目的意識の発生について、視覚系と聴覚系、それに運動系を対比させて、以下のように説明しています(242ページ)。
「運動系は別である。間違った行動をして、餌をとり損なった動物なら、行動を訂正する必要がある。しかし、たとえば行動全体は間違っていても、筋肉は言われたとおり動いている。その点で筋肉を叱るわけにいかないとすれば、運動系はその都度の運動全体の適否の判断を、どこかに預けざるを得 . . . 本文を読む