竹心の魚族に乾杯

Have you ever seen mythos?
登場する団体名、河川名は実在のものとは一切関係ございません。

運動ニューロンのrenounce

2010年12月10日 22時41分39秒 | 竹田家博物誌
このところなかなか釣りに行けません。で、先週やっと釣友とシーバスに行ったのですが、見事に玉砕しました。ポイントと潮回りを読むことの難しさを痛感します。あ~メッキの方が全然楽だなあ~。


というわけで、お約束の桿体と錐体の話をしますね。

以前、日本の「相撲」というスポーツが、「はっけよい」でスタートするのではない、ということを書きました。
まあ、これには異論もあるでしょうけど、基本的には、向かい合った力士が、合図とは無関係に(それでいてしかも同時に)動き始めるわけです。そして、体と体がぶつかりあった時に相手に応じて態勢を作ります。ここには視覚・聴覚ではなく、感触と結びついた筋肉の運動があると思います。

動物の場合はどうでしょうか。ネコ科動物のように、動くものを自分の食糧にする種では、眼が頼りになります。視覚系と運動ニューロンの間の神経回路が強化されているはずです。ウサギのようにいつも頭上の猛禽類に狙われている動物ではどうでしょうか。やはり同じように、視覚系と運動ニューロンの間が強化されているはずです。おそらく危険を知らせる音も運動ニューロンと強く結びついていることでしょう。

餌を採るという積極的な行動も、危険を回避するというとっさの行動も、視覚・聴覚と強く結びついているということが言えるかと思います。反対に、純粋に視覚・聴覚と結びついていない行動というのは少ないようです。動物の場合“何か”に反応して動くというのが圧倒的多数の筋肉の使い方だと思います。

でも、昼寝から起きたネコがまず最初に伸びをするように、外からの情報に全然無関係に動く運動というのも確かに存在しています。
ということは、動物の筋肉の指揮系統には、視覚・聴覚と結びついた系統と、そうでない系統との2系統があるということになります。

そしてどちらかといえば、視覚・聴覚と結びついた指揮系統の方が鍛え上げられていて強い、という結論になると思います。それはそうでしょう、獲物を獲ったり、逃げる時の方が、より強いパワーが必要なのですから。


人間の場合、ダンスをしたり、大道芸や曲芸、書道などは視覚・聴覚と結びついていない“純粋な”運動だと言えます。人に見せるという要素がなければ、それこそただ“遊んでる”ように見える運動です。これには綱渡りをしたり、二足歩行をするときにバランスをとるというようなことも含まれるでしょう。考えて見れば、人間ほどこの2つ目の指揮系統を使う動物もいないように思いますね。


スポーツ競技では大ざっぱに言って、先に主導権を握ったほうが有利になります。というのは、やはり攻め込まれる方は相手の動きに注視して、そちらの視覚・聴覚系の指揮系統が活発になるからだと思います。
だから命令される人間というのは命令する人間よりも常に弱いわけです。日常的に、自分の内発的な指揮系統を使うことが少ないわけですから。


古武術研究家の甲野善紀さんがこんなことを言っています。
「未来を占わない」――。

これは、立ち合いの時に、「刀を動かそうとした、その行動の結果」に、つまりその「技」がうまく決まったのかどうかということに意識を持っていかないということでもありますけれども、タイミングよく決めてやろうとか、右と左、どちらから斬り込もうかということを全然意図しないということでもあると思うんですよね。

眼には桿体と錐体があるわけですけれども、相手の動きを「見よう」という意識が働くと、どうしても錐体を使いたくなります。錐体を使って動く物を見ると怖くないということもあります。ですが錐体は情報量が膨大なのでその処理に時間が掛かります。それが一瞬の遅れになっているわけです。自分が瞬間的に反応したと思うのは、脳の視覚系にその時間差を埋める仕組みが備わっているからです。

桿体で見ると怖いのに、錐体で見ると怖くない――桿体を使って見ても恐怖心を感じることなく、ありのままに「見ゆる」ことのできる域にまで到達すれば、「未来を占わない」こともできるということなのかもしれませんね。あえて不利な桿体を使って見て、恐怖心を克服するというのはある意味無謀なように感じますけれども、「怖い」ということ自体が、無意識に横隔膜が反応しているだけなのですから、練習すればできるのかもしれません。


運動ニューロンに関して言うと、アドリブで演奏するジャズのプレイヤーみたいな感じなのではないでしょうか。即興演奏ができるようになるには、相当練習しないとなかなかなれませんね。やはりその演奏の回数というか、第一指揮系統がrenounceされるまで長い年月が掛かる、ということなのかもしれません。

何年も何年も練習して、動物的な運動ニューロンが抑えられ、代わりに内発性の運動ニューロンが発達してくれば、こういう境地に達することができる――のかもしれませんね。


仕事でも、芸術家のように完全手仕事の場合はいいのですが、工場のラインで機械に合わせて手を動かすような使い方は、上記の動物的なニューロンを酷使する運動に該当するでしょう(本当は人間のリズムに合わせて動いてくれる機械があるといいのですけどね。過労死は相当減るでしょう)。

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