【誕生日】
☆ハーマン・クレバノフ Herman Clebanoff (1917.5.02~2004.1.13)
美しい旋律を重視した独特の重みがある演奏スタイルが特徴のクレバノフ・ストリングスのリーダーです。
ロシアの移民の両親のもとにシカゴで生まれました。5歳の時にバイオリンのレッスンを始め、20歳でシカゴ・シビック・
オーケストラのコンサートマスターとなった後、シカゴ・シンフォニーの最年少ヴァイオリニストとなりました。
やがて独立してクレバノフ・ストリングスを立ち上げ1950年代半ばからラテン・ミュージックや映画音楽など幅広い演奏で
活躍、雄大で情熱的な演奏家としてポピュラー界では貴重な存在となりました。
録音年月は不詳ですがクレバノフ・ストリングスの主要演奏曲を列挙しておきます。中でも『ベサメ・ムーチョ』は絶品です。
【主要演奏曲】
『ベサメ・ムーチョ』Bésame Mucho
『イパネマの娘』 The Girl from Ipanema 視聴
『アドロ』Adoro 視聴
『マラゲーニャ』Malagueña 視聴
『ソラメンテ・ウナ・ヴェス』Solamente Una Vez 視聴
『マイショール』My Shawl 視聴
『チャチャチャ・フラメンコ』 Cha Cha Cha Flamenco 視聴
『ポインシアナ』Poinciana 視聴
『ラ・パロマ』La Paloma 視聴
『クマーナ』Cumana 視聴
『魅惑のワルツ』Fascinationi 視聴
『ルーシーのテーマ』Lucy's Theme 視聴
『アパートの鍵貸します』Theme from The Apartment 視聴
『タミー』Tammy 視聴
『月下の蘭』Orchids in the moonlight 視聴
『スターダスト』Stardust 視聴
『ミザルー』Misirlou 【YOUTUBEより】
☆エンゲルベルト・フンパーディング Engelbert Humperdinck (1936.5.02~ )
1960年代後半にイギリスでトム・ジョーンズと人気を二分したポップ・シンガーです。
軍人の父親がインドに駐留していた時にマドラスで生まれました。英国に戻ってサックスの練習をしたり歌マネなどをして
いたときにデッカ・レコードにスカウトされました。1958年にデビューはしたものの殆ど売れない時期を過ごします。
心機一転して芸名を「Jerry Dorsey」から「Engelbert Humperdinck」と改名し、1967年に "Release Me" が英国1位、米国4位を
記録して頭角を現わし、同年の『ラスト・ワルツ』翌年の『愛の花咲くとき』で一躍売れっ子になりました。
また、ロス・マルチェロスの『太陽は燃えている』のカヴァー・ヴァージョンは1971年に日本だけのヒットになりました。
↓はエンゲルベルト・フンパーディングの『ラスト・ワルツ』 【YOUTUBEより】
☆レスリー・ゴーア Lesley Gore (1946.5.02~2015.2.16)
1963年の『涙のバースデイ・パーティ』のヒットで注目を集めたアメリカの女性ポップ・シンガーです。
衣料品会社の社長令嬢としてニューヨーク市ブルックリンに生まれ、1963年にバンドのリードヴォーカルとして唄っていた
ところをマーキュリー・レコードにスカウトされ、クインシー・ジョーンズに預けられました。その年の4月にクインシー・
ジョーンズがプロデュースした初シングル『涙のバースデイ・パーティ』が全米No.1の大ヒットになりました。
次いで二枚目のシングル『涙のジュディ』も全米5位、翌1964年の4枚目のシングル『恋と涙の17才』も全米2位の大ヒット
となり、高校生アイドルとしてトップスターの仲間入りを果たしました。
しかし、日本では『涙のバースデイ・パーティ』をはじめとする彼女の曲は【今週のベストテン】のトップ10に入ることもなく、
アメリカの活躍に比べるとさほど人気も高くありませんでした。
↓はレスリー・ゴーアの『涙のバースデイ・パーティ』 【YOUTUBEより】