【誕生日】
☆オスヴァルド・フレセド Osvaldo Fresedo (1897.5.05~1984.11.18)
バンドネオン奏者で、1920年代にアルゼンチン・タンゴの新たな側面を開発したマエストロです。
ブエノスアイレスのラヴァジェ街に生まれ、少年時代からバンドネオンを学び、1913年に組んだコンフントでプロとして
デビュー、まだ半ズボンの少年だったことから「パテルナルの坊や」の愛称で人気を集めました。
1918年に「クァルテート・デ・ロス・マエストロス」を組織して名実ともに一流プレイヤーの仲間入りを果たし、1922年に
オスヴァルド・フレセド楽団を結成、ヴィクトルと契約を交わしてマル・デル・プラタで華々しいデビューを飾りました。
1927年頃からはヨーロッパ、北米に遠征して多大の成功を収めています。
楽団の特徴としてはバンドネオンを強調せず、美しいハーモニーにきめ細かいスタッカートを多用して独特のムーディーな
スタイルを創り上げました。これによってタンゴの新たな側面を開発した功労者となりました。
また、作曲者としてはタンゴの四大描写曲である『機関車』のほか、『エル・オンセ』『アラバレーロ』など二十数曲の
名曲を残しています。
↓はオスヴァルド・フレセド楽団の『機関車』 【YOUTUBEより】
↓はオスヴァルド・フレセド楽団の『エル・オンセ』 【YOUTUBEより】
↓はオスヴァルド・フレセド楽団の『アラバレーロ』 【YOUTUBEより】
☆タイロン・パワー Tyrone Power (1914.5.05~1958.11.15)
「ハリウッドのキング」に選ばれるほどの人気者でありながら絶えず出演作品に不満を抱いていた男優です。
舞台俳優のタイロン・パワー・シニアを父としてオハイオ州シンシナティに生まれました。10代からシカゴのシェイクスピア
劇団で子役として舞台に立ち、ハイスクール卒業後に父と共にハリウッドに出て映画界に入りました。数本の端役を得た後、
1936年の『勝鬨』及び1938年の『スエズ』が好評となって若手スターとして売り出しました。その後はヒット作に恵まれて
1939年には「ハリウッドのキング」に選ばれる人気者になりました。しかし、本人は自分の出演作品に対して愚作ぞろいだと
自嘲したコメントを残しているように出演した映画作品に対して大きな疑問を持ち続け、舞台出演にこだわって一時的に
舞台に戻っています。
1957年にはビリー・ワイルダー監督の『情婦』で演技派として新たなるスタートになるかと思われたのですが、翌1958年の
『ソロモンとシバの女王』の撮影中に心臓発作で急死してしまいました。
【主要出演作品】
1933年『シカゴ』In Old Chicago
1936年『勝鬨』Lloyd's of London
1938年『スエズ』Suez
1938年『世紀の楽団』Alexander's Ragtime Band
1938年『マリー・アントアネットの生涯』Marie Antoinette
1940年『快傑ゾロ』The Mark of Zorro
1941年『血と砂』Blood and Sand
1946年『剃刀の刃』Razor's Edge
1947年『征服への道』Captain from Castle
1955年『長い灰色の線』The Long Gray Line
1956年『愛情物語』The Eddy Duchin Story
1957年『陽はまた昇る』The Sun Also Rises
1957年『情婦』Witness for the Prosecution
【ご命日】
★ジヨージ・シドニー George Sidney (1916.10.04~2002.5.05)
一貫してB級ミュージカル映画を撮り続け、ハリウッドでは要職をもつとめた映画監督。
主な監督作品として『アニーよ銃をとれ 』『ショウ・ボート』『愛情物語』『夜の豹』などがある。