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『5月16日』

2019-05-15 16:50:26 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆マリオ・モニチェリ Mario Monicelli (1915.5.16~2010.11.29)



風俗喜劇を得意とする息の長い堅実なイタリアの映画監督です。
著名なジャーナリスト兼劇作家のトマーゾ・モニチェリの子息としてトスカーナ地方のヴィアレッジョに生まれました。
ローマ大学で哲学を専攻していたときに友人と16ミリ劇映画 " I ragazzi della" を制作、これが国際的な評価を受けたことで
映画界入りしました。その後、助監督や脚本家になり1949年のピエトロ・ジェルミ監督の『無法者の掟』の脚本で高評価を
受けた後に監督に転身して数本の喜劇や風俗描写作品を撮りました。1959年に代表作となる『戦争』を監督、第一次大戦中
でのイタリア軍の前科者と臆病衛生兵のコンビによる喜劇タッチの作品ですが、二人の軍隊行状記に中に人間の心理の触れ
合いが描き上げられました。
1962年にはオムニバス作品『ボッカチオ'70』全四話の第一話を監督したのですが、日本での公開においては第1話がカット
されて、デ・シーカ、フェリーニ、ヴィスコンティの三話のみが上映されました。言ってみればこの段階でこれら三巨匠と
肩を並べるには早すぎるという配給会社の判断だったのでしょうか。
そして同年に工場労働者組織と資本主との闘争をリアリズムタッチで描いた『明日に生きる』を監督、時代の教訓を現代的に
厳しく世にさらけ出し、以後は『ゴールデン・ハンター』をはじめとした風俗喜劇作家として数他の作品を監督し続け、息の
長い堅実な映画作家としてイタリア映画界で存在感を示しました。

【主要監督作品】
1959年『戦争』La grande guerra
 
1962年『ボッカチオ'70 (第1話)』 Boccaccio '70
1962年『明日に生きる』  I compagni 

1965年『ゴールデン・ハンター』  Casanova '70



☆マルティーヌ・キャロル Martine Carol (1920.5.16~1967.2.06)



ブリジット・バルドー以前の1950年代に妖艶な容姿を武器にしてフランスのセックス・シンボルと言われた女優。
ヴァルドマルヌ(一説ではバーズ・ピレネー)に生まれ、中等教育を終えてからパリに出て看護婦、歯科助手などの勉強を
していましたが、ルネ・シモンのもとで演劇を学び1941年にガストン・バティの劇団員となり、地方公演の舞台に立つ
ようになりました。
1949年にアンドレ・カイヤット監督の『火の接吻』で傍役として映画デビューを果たし、1952年にルネ・クレール監督の
『夜ごとの美女』、続くジャン・ドヴェヴル監督の 『浮気なカロリーヌ』で魅惑的なセクシー女優として大きく花開き、
強い集客力を持つ稼げる女優としてトップスターに昇り詰めました。
しかし、1950年半ばに同系のブリジット・バルドーが台頭して人気に陰りが出始めてから主演作品が激減し、挙句の果てに
自殺未遂や薬物乱用などのスキャンダルもあって1967年に46歳の若さで心臓発作でこの世を去りました。

【主要出演作品】
1949年『火の接吻』Les Amants de Vérone
1952年『夜ごとの美女』Les Belles de nuit
1952年『愛すべき御婦人たち』Adorables créatures
1952年『面の皮をはげ』Miroir
1953年『浮気なカロリーヌ』Un caprice de Caroline chérie

1953年『ボルジア家の毒薬』Lucrèce Borgia
1954年『寝台の秘密』Secrets d'Alcove
1955年『女優ナナ』Nana

1956年『歴史は女で作られる』Lola Montès
1956年『八十日間世界一周』Around the World in 80 Days
1960年『フランス女性と恋愛』La Francaise et L'Amour


☆ヘンリー・フォンダ Henry Fonda (1905.5.16~1992.8.12)



素朴さと繊細さを兼ね備えた若手として売り出し、ハリウッドの中心的役者として活躍したアメリカの映画俳優です。
イタリア系移民のアメリカ人としてネブラスカ州グランド・アイランドで生まれました。セントラル高校卒業後、新聞記者を
目指してミネソタ大学でジャーナリズム学科に籍を置きましたが、中退してアマチュア劇団に参加、1929年に端役として
ブロードウェイの舞台に立ちました。1934年にブロードウェイの舞台劇『運河のそよ風』で主役を演じていた時に、これが
映画化されて映画界に入り、翌年のフリッツ・ラング監督の『暗黒街の弾痕』が当たり役となってスターの仲間入りを果たし
ました。1939年の『若き日のリンカーン』以降はジョン・フォード監督に可愛がられて『怒りの葡萄』『荒野の決闘』などで
大スターの道を歩きはじめましたが、1955年の『ミスタア・ロバーツ』撮影後にジョン・フォードと決別してしまいました。
(フォンダがフォードの演出に難癖をつけたことから暴力沙汰になったようで、映画は監督の作品であることを理解せずに
ハリウッドのスター主義で天狗になっていたフォンダの態度に原因があったのではといわれています)
その後、シドニー・ルメット監督の『十二人の怒れる男』と『女優志願』の主役で輝きを取り戻しましたが、1958年には
映画から離れてTVドラマやブロードウェイでの仕事を選びました。約5年間の空白の後にハリウッドに戻って映画俳優として
復帰しますが、大役に恵まれず徐々に人気も落ちてしまいました。

【主要出演作品】
1935年『運河のそよ風』The Farmer Takes a Wife
1936年『丘の一本松』The Trail of the Lonesome Pine
1937年『暗黒街の弾痕』You Only Live Once

1937年『或る女』That Certain Woman
1938年『黒蘭の女』Jezebel
1939年『モホークの太鼓』Drums Along the Mohawk
1940年『怒りの葡萄』The Grapes of Wrath

1942年『運命の饗宴』Tales of Manhattan

1946年『荒野の決闘』My Darling Clementine

1947年『逃亡者』The Fugitive
1948年『アパッチ砦』Fort Apache
1955年『ミスタア・ロバーツ』Mister Roberts
1956年『戦争と平和』War and Peace
1956年『間違えられた男』The Wrong Man
1957年『十二人の怒れる男』12 Angry Men

1957年『女優志願』Stage Struck

1962年『野望の系列』Advise & Consent

1962年『史上最大の作戦』The Longest Day
1962年『西部開拓史』How the West Was Won
1963年『スペンサーの山』Spencer's Mountain
1965年『バルジ大作戦』Battle of the Bulge
1966年『テキサスの五人の仲間』A Big Hand for the Little Lady
1968年『ウエスタン』C'era una volta il West


【ご命日】


★ジュゼッペ・デ・サンティス Giuseppe De Santis (1917.2.11~1997.5.16)


第二次大戦後のイタリアに起こったネオ・リアリズムの一翼を担った映画監督。
主な監督作品として『荒野の抱擁』『にがい米』『オリーヴの下に平和はない』『女の部屋』などがある。