【誕生日】
☆マルセル・ムーシー Marcel Moussy (1924.5.07~1995.8.10)
トリュフォー監督と親交のあった脚本家、そしてヌーヴェルヴァーグ手法による映画作家です。
アルジェリアに生まれ、大学卒業後は数年間英語教師をつとめました。1956年にテレビの脚本家として映像の世界に入り、
1959年にフランソワ・トリュフォー監督の『大人は判ってくれない』と『ピアニストを撃て』の脚色を担当し、1960年に
初の長編監督となる『赤と青のブルース』を発表しました。この作品は公開当時はあまり良い評価を得ておりませんが、
ヌーヴェル・ヴァーグ独特の時が流れるようなタッチでひと夏の青春が描かれており、映像としては隠れた佳作でした。
その後は主としてテレビに移り、映画としては『パリは燃えているか』の台詞を担当したのみで、日本公開作品も前述の
『赤と青のブルース』の一編のみで、もう少しその手腕を見てみたかったです。
敢えて功績を述べるとすれば、「歌手マリー・ラフォレ」を誕生させたことかもしれません。
【監督作品】
1960年『赤と青のブルース』Saint₋Tropez Bleus
☆ゲイリー・クーパー Gary Cooper (1901.5.07~1961.5.13)
二枚目で善良な英国紳士のイメージが強いハリウッドを代表するトップスターです。
イギリス移民の両親の元にモンタナ州ヘレナで生まれ、教育を重んじる母とともに9歳の時に渡英して3年間英国式教育を
受けました。後年の英国紳士としてのイメージが強いのはこれが理由であろうといわれています。
大学では美術を専攻しシカゴで商業美術家を目指しましたが失敗し、ロスの父親のもとに戻りました。1924年にエキストラを
していた旧友の紹介で映画界に入り、1926年には『夢想の楽園』の主役という幸運にありつけました。
翌年には『あれ』や『つばさ』で人気者になり、1930年『モロッコ』で世界的な大スターの仲間入りを果たすとそれ以後は
巨匠監督の話題作に恵まれて若手のトップスターへと昇り詰めました。
戦後はやや低調期が続くものの、1952年の『真昼の決闘』以降は人間味を漂わせた初老の円熟味を発揮して人気を保って
いたのですが、1961年に患っていた癌が全身に移転し、「すべては神のおぼしめしだよ」という言葉を残して帰らぬ人と
なりました。
【主要出演作品】
1926年『夢想の楽園』The Winning of Barbara Worth
1927年『あれ』IT
1927年『つばさ』Wings
1928年『大尉の娘』Doomsday
1928年『空征かば』The Legion of the Condemned
1928年『店曝しの天使』The Shopworn Angel
1930年『モロッコ』Morocco
1931年『市街』City Streets
1932年『戦場よさらば』A Farewell to Arms
1933年『今日限りの命』Today We Live
1933年『或る日曜日の午後』One Sunday Afternoon
1933年『生活の設計』Design for Living
1935年『ベンガルの槍騎兵』The Lives of a Bengal Lancer
1936年『真珠の頚飾』Desire
1936年『オペラハット』Mr. Deeds Goes to Town
1936年『平原児』The Plainsman
1938年『青髭八人目の妻』Bluebeard's Eighth Wife
1939年『ボー・ジェスト』Beau Geste
1940年『西部の男』The Westerner
1940年『北西騎馬警官隊』North West Mounted Police
1941年『群衆』Meet John Doe
1941年『ヨーク軍曹』Meet John Doe
1941年『教授と美女 』Ball of Fire
1943年『誰が為に鐘は鳴る』For Whom the Bell Tolls
1945年『サラトガ本線』Saratoga Trunk
1946年『外套と短剣』Cloak and Dagger
1947年『征服されざる人々』Unconquered
1948年『善人サム』Good Sam
1949年『摩天楼』The Fountainhead
1952年『真昼の決闘』High Noon
1954年『悪の花園』Garden of Evil
1952年『ベラクルス』Vera Cruz
1956年『友情ある説得』Friendly Persuasion
1957年『昼下りの情事』Love in the Afternoon
1958年『西部の人』Man of the West
1959年『縛り首の木』The Hanging Tree
1961年『六年目の疑惑』The Naked Edge
☆テレサ・ブリュワー Teresa Brewer (1931.5.07~2007.10.17)
1950年代に活躍した米国を代表する女性ポップシンガー、ソングライターです。
オハイオ州トレドに生まれ、2歳でタップダンスを習い始めたことで幼少時から少女歌手として活躍し、1948年頃から本格的な
歌手活動を始めロンドンレコードと契約、1949年の「Music! Music! Music!」が翌年に全米1位となりデビューに成功します。
これによって「ミス・ミュージック」と呼ばれるようになり、1953年の『想い出のワルツ』が最大のヒットとなりました。
以降1961年までに6曲が全米トップ10ヒットを記録していますが、その後は家庭に入り歌手活動から退きました。
↓はテレサ・ブリュワーの『Music! Music! Music!』 【YOUTUBEより】
↓はテレサ・ブリュワーの『想い出のワルツ』 【YOUTUBEより】
【ご命日】
★ジョニー・アルビノ Johnny Albino (1919.12.19~2011.5.07)
1958年〜1966年、全盛期のトリオ・ロス・パンチョスの第一ボーカルであった歌手。
パンチョスのヒット曲として『キエン・セラ』『ある恋の物語』『キサス・キサス』『ベサメ・ムーチョ』などがある。