港町のカフェテリア 『Sentimiento-Cinema』


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『5月8日』

2019-05-07 18:48:48 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆ロベルト・ロセリーニ Roberto Rossellini (1906.5.08~1977.6.03)



ドキュメンタリー・タッチで世界の映画界を震撼させたイタリアのネオ・リアリズム映像作家です。
著名な建築家の長男としてローマに生まれ、少年期は恵まれた家庭環境で好奇心にあふれ好きな実験に没頭していました。
高校を卒業すると映像に興味を持ちカメラマンの世界に飛び込み、装置係から始まって撮影技術、編集技術をマスターし、
1934年にはドビュッシーのバレエ曲『牧神の午後への前奏曲』をモチーフとした短編映画(非公開作品)を制作しました。
その後も幾編かの短編を制作していましたが、第二次大戦が始まると1941年に海軍省から海戦記録映画の制作を依頼され
その時に撮った膨大なフィルムを編集してドラマ仕立てにした長編『白い船』を完成させました。
やがて、戦争が激化してイタリア降伏と共にナチドイツ軍に占領されたローマに残り、占領下のナチの横暴による惨状の
現実を映画にするんだという強い意志でローマ解放の日を待ち続けます。
そして遂にローマがドイツ軍から解放されると、映画は生きる時代の現実の社会や人生の目撃者・報告者・証人でなくては
ならないという信念のもとに、レジスタンスに対するナチのすざましい弾圧とそこに巻き込まれる市民や子供たちの悲劇を
ドキュメンタリー・タッチで描きあげた『無防備都市』を制作、既往のペシミズムとは一線を画する悲劇の実録とするために
モンタージュによる現実の歪曲を極力避け、祖国の恥部ともいえる生々しい傷跡を直視した衝撃の作品に仕上げました。
ここに世界の映画界を驚愕させたネオ・リアリズムの誕生となりました。
更に翌年には『戦火のかなた』で祖国の生々しい傷あとを直視しながら戦いの再現を求めてイタリアを縦断し、この二作
により真の映画作家たちが映画の使命を再認識して、さらなるリアリズム芸術の追求が加速するきっかけを作りました。
1948年にはまだ戦禍の残る瓦礫と化したベルリンに入ってドイツ少年の心の荒廃を描いた『ドイツ零年』を発表、いわゆる
「ロセリーニの戦争三部作」を完成させました。
その後も、ドキュメンタリー作家としての立場から戦後の厳しい現実とその後遺症に苦しむ人々を描き続け映画史に残る
作品群を撮り続けていましたが、1977年のカンヌ国際映画祭に出席した直後に心臓発作でこの世を去っています。

【主要監督作品】
1941年『白い船』 La nava bianca
1945年『無防備都市』 Roma, città aperta

1946年『戦火のかなた』 Paisà

1948年『アモーレ』 L'amore

1948年『ドイツ零年』 Germania anno zero

1950年『ストロンボリ』 Stromboli

1950年『神の道化師フランチェスコ』 Francesco, giullare di Dio
1952年『ヨーロッパ一九五一年』 Europa '51
1954年『イタリア旅行』 Viaggio in Italia
1959年『ロベレ将軍』 General della Rovere

1960年『ローマで夜だった』 Era notte a Roma


☆フェルナンデル Fernandel (1903.5.08~1971.2.26)



フランスの人気コメディアンでシャンソン歌手、喜劇を得意とする映画俳優です。
ミュージック・ホールで歌っていたシャンソン歌手を父としてマルセイユに生まれました。父親の影響もあって子供の頃から
大衆を恐れぬ度胸で舞台で唄ったり物まねなどをし、喜劇役者になる決意を固めました。
1922年にはニースのキャバレーでコミカルなシャンソンや寸劇を演じ、1928年にはパリに出てポリノ座の人気者になり、
1930年にマルク・アレグレ監督の ”Le blanc et le noir" (白と黒)で映画俳優としてデビューを果たしました。
1951年からは『司祭ドン・カミロ』シリーズが始まり、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督による『陽気なドン・カミロ』を
はじめとして『ドン・カミロ頑張る』など続編が作られましたが、シリーズ6作目の完成後に癌に倒れて作品を見ることもなく
永遠の眠りにつきました。

【主要出演作品】
1934年『沐浴』L'Ordonnance
1937年『舞踏会の手帖』Un Carnet de Bal
1951年『陽気なドン・カミロ』Le petit Monde de Don Camillo

1952年『禁断の木の実』Le Fruit defendu

1953年『ドン・カミロ頑張る』Le Retour de Don Camillo
1956年『八十日間世界一周』Around the World in 80 Days
1957年『殺人狂想曲』L'Homme a L'Impermeable
1960年『牝牛と兵隊』La Vache et le Prisonnie

1961年『ダイナマイト・ジャック』Dynamite Jack

1962年『フランス式十戒』Le Diable et les 10
1962年『殺人紳士録』The Murderer is in the Directory


☆リッキー・ネルソン Ricky Nelson (1940.5.08~1985.12.31)



アメリカの芸能一家に生まれ育った元祖アイドルの青春ポップシンガー、俳優です。
父親はバンド・リーダーで母親は女優兼歌手という芸能一家の次男としてニュージャージー州ティーネックに生まれました。
8歳の時から表舞台に立ち、1949年から両親のラジオ番組に長兄と共に参加するなど歌手兼俳優として活躍しました。
1956年にレコード会社ヴァーヴと契約を交わし、『十代のロマンス』でデビュー、その後インペリアルに移籍し、1958年の
『プア・リトル・フール』が全米No.1となってアイドル歌手としてスターダムに駆け上がり、日本でも1960年代の初めには
ベストテン番組の常連となりました。
一方、1959年には映画『リオ・ブラボー』に準主演しディーン・マーチンと挿入歌の『ライフルと愛馬』をデュエットして
その端正なマスクでファンを魅了し、1960年にはTV番組の『陽気なネルソン』に出演して高い人気を誇るようになりました。
しかし、1963年頃から人気に陰りが出始め、その後の活動は殆ど耳に入らなくなってしまいました。
そして1985年の大晦日に飛行機事故で45歳という若さでこの世を後にしています。
(註・彼が21歳になった時に芸名を愛称のリッキーからリックに変更したのですが日本ではその後もリッキー・ネルソンの
名前でレコードがリリースされ続けていましたので、敢えて全盛期のリッキー・ネルソンとして取り扱いました)

【主要鑑賞曲】
1957年『アイム・ウォーキン』I'm Walkin'  全米17位
1957年『十代のロマンス』Teenager's Romance  全米8位
1957年『ビー・バップ・ベイビー』Be-Bop Baby 全米5位
1958年『くよくよしないぜ』Stood Up 全米5位
1958年『プア・リトル・フール』Poor Little Fool 全米No.1
1961年『トラベリン・マン』Travelin' Man 全米No.1

1961年『ハロー・メリー・ルー』Hello Mary Lou 全米9位

1961年『きみは世界一』Wonder Like You 全米11位
1962年『ヤング・ワールド』Young World 全米5位

1962年『ティーンエイジ・アイドル』YTeen Age Idol 全米5位

【主要出演作品】
1953年『三つの恋の物語』The Story of Three Loves
1959年『リオ・ブラボー』Rio Bravo

1960年『南太平洋ボロ船作戦』The Wackiest Ship in the Army


【ご命日】

★ダーク・ボガード Dirk Bogarde (1921.3.28~1999.5.08)



1960年代にイギリスをはじめ欧州で活躍したロンドン生まれの映画俳優です。
主な出演作品として『召使』『ダーリング』『唇からナイフ』『できごと』『フィクサー』などがある。