【誕生日】
☆フランク・チャクスフィールド Frank Chacksfield (1914.5.09~1995.6.09)
マントヴァーニーと人気を二分したイギリスのムード・オーケストラの指揮者です。
イギリスのイースト・サセックス州バトルに生まれ、少年時代には教会でオルガンを弾いて音楽家に強く憧れていましたが
両親の希望で法律家を目指し、大学卒業後には弁護士事務所に就職しました。しかし、生来の音楽好きから法律家を諦めて
1930年代半ばに音楽の道に転向しました。第二次大戦中はBBC放送の慰問ショーのアレンジャーとしてその才能を発揮し、
1951年にフランク・チャクスフィールド楽団を立ち上げました。1953年にレコーディングした "Little Red Monkey"が
英国10位の初ヒット、1953年の『ライムライト』が全米6位、同年の『引き潮』も全米2位を記録、イージー・リスニング・
オーケストラ」として大成功を収めました。
ほぼ同時期に活躍したマントヴァーニーが「カスケテイディング・ストリングス」と呼ばれたのに対して、オーソドックスな
ストリングスの美しさに斬新なアレンジで勝負し、お互いに良きライバルとして人気を二分しました。
↓はフランク・チャクスフィールド楽団の『ライムライト』 【YOUTUBEより】
↓はフランク・チャクスフィールド楽団の『引き潮』 【YOUTUBEより】
☆アルバート・フィニー Albert Finney (1936.5.09~ )
舞台出身で『怒れる若者たち』世代を代表するイギリスの俳優です。
英国ランカシア州サルフォード出身で、高校生の時に校長に勧められてロンドンの王立劇場学校に入学、卒業後バーミンガム・
レパートリー劇団に加わって初舞台を踏み、その後王位シェイクスピア劇団の一員となって舞台に出ていたました。
その頃のイギリスは『怒れる若者たち』の時代で、映画界でもニュー・シネマの強い波が押し寄せていた時期でした。
「怒れる若者たち文学」のジョン・オズボーン原作『寄席芸人』の映画化を企画していたトニー・リチャードソン監督に
ローレンス・オリヴィエがアルバート・フィニーを推薦、これによって映画デビューを果たすことになります。
以後は、カレル・ライス監督の『土曜の夜と日曜の朝』、トニー・リチャードソン監督の『トム・ジョーンズの華麗な冒険』
などの怒れる若者たち作品で俳優としての実績を積み上げていきました。
【主要出演作品】
1960年『寄席芸人』The Entertainer
1960年『土曜の夜と日曜の朝』Saturday Night and Sunday Morning
1963年『トム・ジョーンズの華麗な冒険』Tom Jones
1963年『勝利者』The Victors
1967年『いつも2人で』Two for the Road
☆キャンディス・バーゲン Candice Bergen (1945.5.09~ )
ハリウッド生まれで知的な現代娘として人気を博した女優、そして写真家、文筆家です。
父は腹話術師のエドガー・バーゲン、母は一流モデルのフランセス・ウェスターマンという芸能一家のもとハリウッドの
ビヴァリー・ヒルズに生まれました。しかし、当のキャンディスは芸能界に興味がなく、14歳の時に単身でスイスに留学し
帰国後はペンシルヴァニア大学で美術史と絵画を専攻して将来は写真家になるつもりでした。その在学中にカメラを買う
資金を稼ぐためにモデルをしたところ、映画『グループ』を企画中のシドニー・ルメット監督にみそめられ、半ば強引に
契約書にサインさせられて映画界に入りました。デビューと同時に大型新人登場と騒がれ一躍人気スターとなり、以後
『パリのめぐり逢い』や『魚が出てきた日』で知的な現代娘として活躍していましたが期待の大きさに沿えなくなって
俳優としてのイメージが徐々に劣化してしまいました。
その一方で、1965年からはフォト・ジャーナリストとして二足の草鞋を履くようになり、「ライフ誌」に写真とエッセイを
寄稿するなど初志を重んじるようなライフワークへと進んでいくことになります。
【主要出演作品】
1966年『グループ』The Group
1966年『砲艦サンパブロ』The Sand Pebbles
1967年『パリのめぐり逢い』Vivre pour vivre
1967年『魚が出てきた日』The Day the Fish Came Out
1970年『ソルジャー・ブルー』Soldier Blue