【誕生日】
☆シャルル・アズナヴール Charles Aznavour (1924.5.22~2018.10.01)
独自の世界感に誘わせてくれる20世紀が生んだフランスの偉大なシャンソン歌手、そして映画俳優です。
アルメニア系フランス人で、歌手兼レストラン勤務の父親と女優兼パートタイマーの母親との間にパリで生まれました。
両親は子供たちにも幼少時から舞台などに出演させる努力をしていたこともあり、9歳からダンサーとして姉と共に活動、
子役のエキストラとして多数の映画出演し、また歌手活動も始めました。
1946年にエディット・ピアフに認められて彼女の前座をつとめて以来脚光を浴び、本格的に音楽活動を始めました。
ただ、1940~50年代にかけては日本では「歌手・アズナヴール」の認知度は低く、1960年前後から頭角を現わした映画俳優
という認識の方が強かったように思えます。
俳優業としては、数他の作品に出演していましたが、日本では1959年のジャン・ピエール・モキー 監督の『今晩おひま?』
で本格的に初お目見えとなり、1961年公開のアンドレ・カイヤット監督の『ラインの仮橋』に主演して凡人で実直な人柄の
捕虜兵士を演じ、この作品がヴェネチア映画祭で絶賛されたことから一気に知名度が上がりました。次いで1963年にATG配給
されたフランソワ・トリュフォー監督の『ピアニストを撃て』でワケアリの小心なピアニストを演じ、異色の映画俳優として
強い存在感を示しました。
歌手として日本で認知されたのは、1965年前後に起きたフレンチ・ポップス・ブームによるものでした。
シルヴィー・ヴァルタン、サルヴァトーレ・アダモ、エンリコ・マシアス、フランス・ギャルなどがヒット曲を連発して
一大フレンチ・ポップス時代に突入し、すでに中堅であったシャルル・アズナヴールもこの波に乗って『想い出の瞳』や
『ラ・マンマ』などで一躍人気者になりました。そしてその歌唱力と深い意味合いの歌詞によって独特の存在感を示し、
他のポップ・シンガーとは一線を画す本格的なシャンソン歌手として認識されていきました。
特に、『ラ・ボエーム』などにみられるように、過ぎ去りし日の悲しみをドラマチックに唄い上げて自らを悲劇の主人公に
仕立て上げるパターンはまさにアズナヴールの真骨頂です。
俗にミュージシャンやシンガーを「アーチスト」と軽く呼ぶことがありますが、私個人としてはこれらの人たちをやみくもに
「アーチスト(芸術家)」と呼ぶのに大きな抵抗感があり、まことの芸術家と対等に位置してはならないと思っております。
しかしながら、アズナヴールこそ「アーチスト」と呼ぶにふさわしい別格の存在なのかもしれません。
【主要出演作品】
1959年『今晩おひま?』 Les Dagueurs
1960年『ラインの仮橋』 Le Passage du Rhin
1960年『ピアニストを撃て』 Tirez sur le pianiste
1960年『オルフェの遺言』 Le Testament d'Orphée
1961年『ヒッチ・ガール』Les Petits Matins
1962年『アメリカの鼠』Le Rat d'Amérique
1962年『地獄の決死隊』 Un Taxi Pour Tobrouk
1962年『フランス式十戒』 Le Diable et le Dix Commandements
1963年『アイドルを探せ』 Cherchez l'idole
【主要歌唱曲】
1960年『二つのギター』 Les deux guitares 視聴
1962年『コメディアン』 Les comédiens 視聴
1963年『想い出の瞳』 Et pourtant 【YOUTUBEより】
1963年『ラ・マンマ』 La mamma 【YOUTUBEより】
1963年『キ? 』Qui 視聴
1964年『イザベル』 Isabelle 【YOUTUBEより】
1964年『帰り来ぬ青春』 Hier encore 【YOUTUBEより】
1964年『哀しみのヴェニス』 Que c'est triste Venise 【YOUTUBEより】
1965年『じっとこうして』Reste 視聴
1965年『ラ・ボエーム』 La bohême 【YOUTUBEより】
1966年『八月のパリ』(Paris au mois d’out) 視聴
1974年『忘れじの面影』Tous les visages de l'amour (She) 視聴
☆ローレンス・オリヴィエ Laurence Olivier (1907.5.22~1989.7.11)
シェイクスピア劇の第一人者として舞台や映画で活躍したイギリスの俳優、映画監督です。
牧師の子としてサリー州ドーキングに生まれました。9歳の時にロンドンの新教系の合従楽団に入り、1922年の15歳の時に
シェイクスピア劇『じゃじゃ馬ならし』の娘役キャサリンを演じてシェイクスピアに強い関心を持つようになりました。
1925年にセントラル演劇学校に入った後バーミンガム・レパートリー劇団で舞台の修業を積み、1930年に独・ウーファ社の
『The Temporary Widow』にて映画デビュー、ハリウッドでも数本の映画に出演していますが話題になりませんでした。
1933年に帰国し舞台活動を続けていましたが、1936年のパウル・ツィンナー監督の映画『お気に召すまま』の好演が認められ
シェイクスピア劇の少壮スターとして人気を得るようになりました。
その後は映画『ヘンリー五世』『ハムレット』『リチャード三世』などの主演・監督で、シェイクスピア劇の完璧な映画化と
絶賛されてシェイクスピア劇の第一人者と言われる存在になりました。しかしこの時期が最盛期で、1957年の『王子と踊子』
の失敗を最後に監督業から足を洗い俳優に専念しましたが期待に沿えることもなくなってしまいました。
【主要出演作品】
1935年『勇気ある男』 Moscow Nights
1936年『お気に召すまま』 As You Like It
1939年『嵐ケ丘』 Wuthering Heights
1940年『レベッカ』Rebecca
1941年『美女ありき』That Hamilton Woman
1945年『ヘンリー五世』Henry V
1948年『ハムレット』Hamlet
1952年『黄昏』Carrie
1953年『三文オペラ』The Beggar's Opera
1955年『リチャード三世』Richard III
1957年『王子と踊子』The Prince and the Showgirl
1960年『寄席芸人』The Entertainer
1960年『スパルタカス』Spartacus
1962年『可愛い妖精』Term of Trial
1965年『バニー・レークは行方不明』Bunny Lake Is Missing
1965年『オセロ』Othello
1966年『カーツーム』Khartoum
1969年『素晴らしき戦争』Oh! What a Lovely War
☆ケニー・ボール Kenny Ball (1930.5.22~2013.3.07)
トラッド・ジャズの「夜は更けてシリーズ」で有名になったイギリスのジャズ・トランペット奏者、楽団指揮者です。
英国エセックス州イルフォードに生まれ、15歳から複数のバンドに参加して活動、1958年に英国風のデキシーランド・ジャズ
「Kenny Ball & His Jazzmen」 (ケニー・ボールと彼のジャズメン) を結成しました。1961年に "I Still Love You All" が英国で
ヒット、翌1962年には旧ソ連がオリンピックに対抗して開催したスポーツ祭典「スパルタキアード」第六回大会(1957年)の
記録映画のワンシーンに使用された楽曲をデキシー風にアレンジした『モスコーの夜は更けて』が全米2位の大ヒットと
なりました。次いでモーツァルトのピアノソナタ第11番第3楽章 トルコ風ロンド (通称・トルコ行進曲)をアレンジした
『ウィーンの夜は更けて』をリリース、1963年には英国で放映されたTV番組「Crane」のテーマソングの "Casablanca" を
「夜は更けてシリーズ」の第三弾となる『カサブランカの夜は更けて』としてリリースしましたが、日本ではヒットには
繋がらず「夜は更けてシリーズ」も打ち止めとなり、そのうちケニー・ボールの動向も耳にしなくなってしまいました。
【主要演奏曲】
1962年『モスコーの夜は更けて』Midnight In Moscow 【YOUTUBEより】
1962年『ウィーンの夜は更けて』Turkish Delight 視聴
1963年『カサブランカの夜は更けて』Casablanca (Theme From Crane) 視聴