港町のカフェテリア 『Sentimiento-Cinema』


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『5月14日』

2019-05-13 16:19:42 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆ボビー・ダーリン Bobby Darin  (1936.5.14~1973.12.20)



37歳の若さでこの世を去ったアメリカの作曲家、ポップシンガー、エンターティナー、そして映画俳優です。
未婚の母のもとにニューヨーク・ブロンクスに生まれ、母方の祖母を実母、本当の母を姉だと思って育てられた。
ハンター・カレッジ卒業後にCMソングの作詞家となり自作の歌を唄っていた時にスカウトされて、1956年にプロ歌手として
デビュー、1958年にリリースした『スプリッシュ・スプラッシュ』が全米3位のミリオン・ヒットとなりました。
続いて翌1959年には自作の『ドリーム・ラバー』が全米2位、同年の『マック・ザ・ナイフ』は全米No.1となり、一躍人気
歌手になりました。その後もヒット曲を連発する一方で俳優への意欲も高く、1960年に『ペペ』のゲスト出演で映画デビュー
すると、翌年には『九月になれば』 の準主役で出演、この映画で共演したサンドラ・ディーとゴールインしました。
全てが順調と思われたのですが、8歳の時にかかったリウマチ熱で心臓を痛めて生まれつきの病弱であり、1967年の離婚騒動と
1968年には出生の秘密を知るなどの出来事が続き、かなりのショックでさらに病状が悪化したともいわれています。
1971年に人工心臓弁の手術を受け、さらに1973年に再手術を受けたのですが麻酔から覚めることなく敗血症で波乱万丈の
短い生涯を終えてしまいました。

【主要歌唱曲】
1956年『ロック・アイランド・ライン』Rock Island Line  視聴
1958年『スプリッシュ・スプラッシュ』Splish Splash 全米3位  視聴
1959年『ドリーム・ラバー』Dream Lover 全米2位  視聴
1959年『マック・ザ・ナイフ』Mack the Knife 全米1位

1960年『ビヨンド・ザ・シー(ラ・メール)』Beyond The Sea 全米6位  視聴
1960年『いとしのクレメンタイン』Clementine 全米21位  視聴
1961年『おんぼろ汽車ポッポ』Oo-Ee-Train  視聴
1961年『恋のかけ算』Multiplication 全米30位 (映画『九月になれば』の挿入歌)  視聴
1961年『ネイチャー・ボーイ』Nature Boy  視聴
1962年『ホワッド・アイ・セイ』 What'd I Say  視聴
1962年『さびた手錠』 Jailer Bring Me Water

1962年『初恋の並木道』Things 全米3位

1965年『黄昏のベニス』Venice Blue  視聴


他に演奏として映画で組んだバンドによる1961年の自作『九月になれば』がヒットしています。
↓はボビー・ダーリン楽団の『九月になれば』 【YOUTUBEより】



【主要映画出演作品】
1960年『ペペ』Pepe
1961年『九月になれば』 Come September

1962年『ステート・フェア』 State Fair
1962年『突撃隊』 Hell is for Heroes!
1962年『電話にご用心』 If a Man Answers

1963年『ニューマンという男』 Captain Newman, M. D.
1964年『若さでブッ飛ばせ!』 The Livery Set
1965年『おかしな気持』 That Funny Feeling


【誕生日】【ご命日】

☆★シドニー・ベシエ Sidney Bechet (1897.5.14~1959.5.14)



多数のジャズ・ミュージシャンに多大な影響を与え、フランスに移住した黒人のジャズ・クラリネット奏者です。
アフリカ系米国人の子息としてルイジアナ州ニューオリンズに生まれました。6歳頃に兄のクラリネットを吹き始め1908年頃
からルイ・アームストロングなど多数ミュージシャンと共に活動し、シカゴ、ニューヨーク、ニューオルリンズと活動拠点を
次々に移しました。1939年に録音した『サマータイム』は後にブルー・ノートの礎を築くヒットとも言われています。
1949年にパリのジャズ・フェスティヴァルに出演したのを機にそのままフランスに移住、1952年に再婚した妻の誕生日記念に
捧げるために『小さな花』を作曲しています。この曲は当時はあまり注目を集めていませんでしたが、後の1959年に英国の
クリス・バーバー楽団が取り上げて世界的なヒットになっています。
ベシエがアメリカからフランスに移住したのは人種差別に嫌気がさしたのがその理由とされています。確かに当時の米国は
有名人であっても有色人種差別はかなり厳しかった時代で、逆に音楽の歴史の深いヨーロッパでは黒人ミュージシャンにも
寛大に尊敬する慣習があり、好きな音楽活動を続けて行きたい一心で暖かい歓迎を受けたフランスに移住したとのことです。
1958年に胃ガンが発覚し治療を続けていましたが、奇しくも誕生日と同じ日にパリでこの世を去っています。

↓はシドニー・ベシエの『サマータイム』 【YOUTUBEより】


↓はシドニー・ベシエの『小さな花』 【YOUTUBEより】


【ご命日】

★マウロ・ボロニーニ Mauro Bolognini (1922.6.28~2001.5.14)



社会問題に鋭いメスを入れる佳作で知られるネオ・リアリズム精神を継ぐイタリアの映画監督。
主な監督作品として『狂った夜』『汚れなき抱擁』『狂った情事』『ビアンカ』『堕落』などがある。


★フランク・シナトラ Frank Sinatra (1915.12.12~1998.5.14)



20世紀を代表するアメリカのポップシンガー、エンターティナー、そして映画俳優。
主な歌唱曲としてとして『セプテンバー・ソング』『恋のひとこと』『夜のストレンジャー』『マイ・ウェイ』などがあり
俳優としての主な作品に『地上より永遠に』『黄金の腕』『夜の豹』『オーシャンと十一人の仲間』などがある。