【誕生日】
☆ジャック・タチ Jacques Tati (1907.10.09~1982.11.04)
スラップスティック系の風刺喜劇で人間賛歌をうたいあげたフランスの俳優・映画監督です。
額縁屋のロシア人の子息としてパリ郊外のル・ペックに生まれ、学生時代からモノマネを得意として喜劇役者を志しました。
1931年に映画界入りし、若き日のルネ・クレマンの助監督をする一方で俳優として映画出演を果たし、1947年には監督・脚本
・主演のワンマン短編映画『郵便配達の学校』を発表、1949年にはこれを原型にした『のんき大将脱線の巻』で長編監督
デビューを果たしました。1953年には第二作となる『ぼくの伯父さんの休暇』を監督、夏の海に集まった人たちを淡々と
スケッチ風に描き、独特のペーソス溢れるスラップスティック的な喜劇作品に仕上げて注目を集めました。
続く1958年の『ぼくの伯父さん』はフランスの下町の情感を詩的に仮託して描き、ユーモアの中に超近代化に対する風刺を
こめた微笑ましい人間賛歌に仕上げてジャック・タチの本質を表した代表作となりました。
しかし、1967年には膨大な制作費による70ミリ作品の第4作『プレイタイム』で高度な機械文明を風刺しましたが興行的に
大失敗して大赤字となりました。その後は低予算の作品を二本ほど撮ったといわれていますが日本公開はありませんでした。
【主要監督作品】
1949年『のんき大将脱線の巻』Jour de fête【YOUTUBEより】
1953年『ぼくの伯父さんの休暇』Les Vacances de M. Hulot
1958年『ぼくの伯父さん』Mon Oncle【YOUTUBEより】
1967年『プレイタイム』Play Time
☆ミシェル・ボワロン Michel Boisrond (1921.10.09~2002.11.10)
スター主義と商業主義に徹してB級娯楽作品に終始したフランスの映画監督です。
ウエール・エ・ロワール県のシャトーヌフ・アン・ティムレに上院議員の息子として生まれました。中等教育を終えた後に
映画界入りし、ジル・グランジェ、ルネ・クレール、ジャン・ドラノワなどの助監督をつとめ、1955年にバルドー主演の
『この神聖なお転婆娘』で監督として一本立ちしました。その後も有名スターを使って軽いロマンチックなコメディ作品を
撮り続けましたが、フランスの監督としては珍しくハリウッド並みのスター主義と大衆受けを狙った商業主義に徹してB級
娯楽作品に終始し、1970年代後半にはTVに活躍の場を求めました。
【主要監督作品】
1956年『この神聖なお転婆娘』 Cette sacrée gamine
1957年『殿方ご免遊ばせ』 Une parisienne 【YOUTUBEより】
1959年『お嬢さんお手やわらかに』 Faibles femmes
1959年『学生たちの道』 Le chemin des écoliers
1959年『気分を出してもう一度』 Voulez-vous danser avec moi?
1960年『フランス女性と恋愛』 La française et l'amour
1961年『素晴らしき恋人たち』 Amours célèbres
1962年『パリジェンヌ』 Les parisiennes
1962年『若奥様は仮免中』 Comment réussir en amour
1963年『アイドルを探せ』 Cherchez l'idole
1968年『個人教授』 La Lecon Particuliere
1970年『さらば夏の日』 Du soleil plein les yeux
☆フランス・ギャル France Gall (1947.10.09~2016.1.07)
1960年代半ばにシルヴィー・ヴァルタンと人気を二分したフレンチ・ポップスの元祖的アイドル歌手です。
アズナヴールの『ラ・マンマ』などで有名な作詞家のロベール・ギャルを父親としてパリに生まれました。1963年にパリの
シャンゼリゼ劇場で音楽出版社のデニス・ブルジョアのオーディションを受け、フィリップス・レコードと契約し、同年に
"Ne Sois Pas Si Bête" (恋のお返し)で;レコード・デビューを果たしました。
1965年にイタリアで行われた第10回ユーロビジョン・ソング・コンテストにルクセンブルク代表として出場し、セルジュ・
ゲンスブールの作詞・作曲による『夢みるシャンソン人形』を唄って見事にグランプリの栄冠に輝きました。これまでは
フランスではシャンソンが絶対的な主役でしたが、シルヴィー・ヴァルタン、アダモ、エンリコ・マシアスそしてフランス・
ギャルなどの出現によってヌーヴェル・ポップ系が脚光を浴び、日本でも空前のフレンチ・ポップス・ブームが起こりました。
フランス・ギャルも続く『涙のシャンソン日記』『天使のためいき』などのヒットを連発していましたが、1966年にリリース
したのが『アニーとボンボン』で、可憐な歌に思える歌詞の内容はゲンスブール得意のダブル・ミーニングで裏の意味をも
含んでおり、それを伝え知って強烈なショックを受けて長期間寝込んでしまいました。彼女の快進撃もここまでで、このあとは
すっかり人気も陰ってしまいました。
1969年のサン・レモ音楽祭でようやく復活し、ジリオラ・チンクエッティと組んで唄った『雨』が6位に入賞し、その後も
歌手活動を続けたようですが以前のような勢いはありませんでした。
【主要歌唱曲】
1965年『夢みるシャンソン人形』Poupée De Cire, Poupée De Son【YOUTUBEより】
1965年『涙のシャンソン日記』Attends ou va-t'en【YOUTUBEより】
1966年『天使のためいき』Nous Ne Sommes Pas Des Anges 視聴
1966年『すてきな王子様』Un prince charmant 視聴
1966年『アニーとボンボン』Les Sucettes 視聴
1969年『雨』la pioggia 視聴
【ご命日】
★アンジェイ・ワイダ Andrzej Wajda (1926.3.06~2016.10.09)
イエジー・カワレロヴィッチとともに戦後ポーランド映画のカードル派を代表する映画監督。
主な監督作品として『世代』『地下水道』『灰とダイヤモンド』『夜の終りに』などがある。
★ジャック・ブレル Jacques Brel (1929.4.08~1978.10.09)
ベルギーを代表するシンガー・ソングライター、そしてフランスで活躍したシャンソン歌手。
主な歌唱曲として『行かないで』『瀕死の人』などがある。