【誕生日】
☆ナンニ・ロイ Nanni Loy (1925.10.23~1995.8.21)

『祖国は誰のものぞ』でネオ・リアリズムの再来と評価されたイタリアの映画監督です。
サルデーニャ州カリャリに生まれました。1948年にローマの 実験映画撮影センターを卒業後にルイジ・ザンパなどの助監督を
つとめ、ジャンニ・プッチーニとの共同で2本の作品を撮り、1959年に喜劇映画 "Audace colpo dei soliti ignoti" で一本立ち
しました。1961年にはパルチザンがナチによって処刑される "Un giorno da leoni " (ライオンの日) で話題を集め、1962年には
『祖国は誰のものぞ』を監督しました。この作品はナチに対するナポリ市民の蜂起をあえて既存の俳優をできる限り使わずに
群衆を主人公としてドキュメンタリー・タッチで描いたもので一時衰えていたネオ・リアリズムの再来と高く評価されました。
しかし、その後は風刺的な「イタリア式コメディ」に戻りました。
ただ、1970年までに日本で公開された作品は『祖国は誰のものぞ』のみで、彼の真価については測ることができません。
【主要監督作品】
1962年『祖国は誰のものぞ』 Le quattro giornate di Napoli
☆ジェラール・ブラン Gérard Blain (1930.10.23~2000.12.17)

ちょっと暗めの二枚目ながらそれほど作品に恵まれなかったフランスの俳優です。
パリに生まれ、16歳の時に演劇を志してガブリエラ・フォンタの下で演技修業をし、その後ジャン・ルイ・バローの劇団に
入って初舞台を踏みました。1953年頃から映画の端役など数本の映画に出演していましたが、1956年にデュヴィヴィエ監督に
出会って『殺意の瞬間』の重要な役どころに起用されてスターの道を歩み始め、ヌーヴェルヴァーグ作品などで脚光を浴び
ました。特に『いとこ同志』で重要な役どころを演じてその後の活躍を大いに期待されたものの作品に恵まれずに終わり、
やがてはヨーロッパを中心に国際的に活躍の場を求めました。また、1971年からは監督業にも乗り出したようです。
【主要出演作品】
1954年『洪水の前』Avant Le Deluge
1956年『殺意の瞬間』Voicile Temps Des Assassins
1956年『罪と罰』Crime Et Chatiment
1958年『美しきセルジュ』Le Beau Serge

1958年『あこがれ』Les Mistons

1959年『いとこ同志』Les Cousins
1960年『汚れた英雄』Il Gobbo

1960年『太陽の誘惑』I Delfini

1962年『ハタリ!』Hatari!

1964年『いっちょう頂き』La Bonne Soupe
1966年『殺し屋専科』Objectif Hambourg Mission 083
☆マノス・ハジダキス Manos Hadjidakis (1925.10.23~1994.6.15)

ギリシャ音楽の理論家でピアニスト、楽団指揮者、作曲家、そしてギリシャを代表する映画音楽家です。
弁護士の父親のもとにギリシャの クレタ島の小村に生まれ、4歳頃からピアノ、バイオリン、アコーディオンの音楽教育を
受けました。1940年から1943年の間に高度な音楽理論を研究すると同時に大衆的なものとして軽視されていたギリシアの
ポピュラー・ソング「レベティカ」の見直しを図り、ギリシア映画や国立劇場等のために数多くのスコアを書きました。
なかでも戦争でトルコからギリシャに引き上げてきた移民たちの民謡「レベティカ」の影響を大いに受けて1960年には
ジュールズ・ダッシン監督の映画『日曜はダメよ』において民族楽器のブズーキを使った軽快なトレモロによる主題歌の
”Ta Paidia Tou Peiraia”を作曲・演奏して一躍世界に認められました。
その後、ギリシャのパパドプロス軍事独裁政権への反対のために国外に出て多くの映画音楽を書き、ギリシャに戻ってからは
アテネ国立オペラの副総監督、ラジオ番組の製作責任者、アテネ国立管弦楽団の終身総監督などを歴任するなど、国内でも
テオドラキスと並ぶ音楽家ての巨匠として君臨しました。
また、ブレンダ・リーやパーシー・フェイス楽団でおなじみの『淋しくって』”All Alone Am I” は、1959年のギリシャ映画
『To nisi ton genneon』の挿入歌としてハジダキスによって作曲されたものでありました。
【主要映画音楽作品】
1955年『ステラ』 Stella
1960年『日曜はダメよ』Never on Sunday【YOUTUBEより】
1964年『トプカピ』Topkapi
1964年『アメリカ アメリカ』America, America
1968年『血と怒りの河』Blue
↓はパーシー・フェイス楽団の『All Alone Am I』 【YOUTUBEより】
☆アリダ・ケッリ Alide Chelli (1943.10.23~ )

カルロ・ルスティケッリの愛娘で『死ぬほど愛して』の大ヒットで輝いたイタリアの歌手・俳優です。
イタリアを代表する映画音楽家のカルロ・ルスティケッリの愛娘としてローマに生まれました。15歳の頃から、演劇学校に
通いながらテレビ映画にも出演していましたが、卒業まではプロ活動禁止という校則に違反したとの理由で退学させられます。
しかしその後、女優兼歌手として本格的にデビュー、1959年のピエトロ・ジェルミ監督の映画『刑事』で、父親の作曲による
『死ぬほど愛して』が爆発的なヒットとなりましたが、その後は意外に恵まれず、女優としても1959年から10年間に8本の
映画に出演していますが、日本で公開されたのは1965年の『大追跡』のみという淋しい結果に終わっています。
↓はアリダ・ケッリの『死ぬほど愛して』 【YOUTUBEより】
↓はアリダ・ケッリの『鉄道員のテーマ』 【YOUTUBEより】
【ご命日】
★オスカー・ウェルナー Oskar Werner (1922.11.13~1984.10.23)

ウイーンの名門「ブルグ劇場」の一員で国際的にも活躍したオーストリアの映画俳優。
主な出演作品として『突然炎のごとく』『勝利者』『愚か者の船』『華氏451』などがある。