西日本を襲った記録的な豪雨により多くの命が犠牲になった。一方で、一度は死を覚悟しながら名も知らぬ人に助けられた夫婦や、危機的な状況から九死に一生を得た家族もいる。無事だった人々は命の重みをかみしめつつ、周囲の犠牲者に思いを寄せている。

 堤防が決壊し2400人以上が一時孤立した岡山県倉敷市真備町地区では、複数のボートが住民を助けて回った。「困った時はお互いさま」。名乗ることもなく救助に奔走した無名の人々に、住民たちは「一言でもお礼が言いたい」と感謝の思いを募らせている。

 7日午後、同地区の親族宅に避難していた天辰(あまたつ)義輝さん(78)は、2階で親族4人と肩を寄せ救助を待っていた。激しい雨の中、目に障害のある三女(44)と足の不自由なおい(54)を連れて避難することはできなかった。

 そこに水色のボートに乗った3人組の中年男性が現れた。「助けてくださーい」。天辰さんが懸命に手を振ると、ボートが寄ってきた。ただ、周囲には助けを待つ高齢者がたくさんいた。「そちらを先に」と頼むと、日焼けした一番年長の男性は「見捨てたりしないから心配せんでいいよ」と励ましてくれた。再びボートが現れ、救出されたのは午後5時ごろ。「あの人たちがいなければ、私たちはここにいない。感謝してもしきれない」と話す。

 7日早朝に平屋建ての自宅の天井近くまで水につかった野瀬達雄さん(85)は、妻と天井裏に逃げ込んだ。高さ1.5メートルの隙間(すきま)に腹ばいになって救助を待ったが、誰も来ない。「もう終わりじゃな。今生のお別れじゃ」。妻につぶやいたその時、天井裏の小窓から、黄色のゴムボートが近付いてくるのが見えた。「助けてくれー」。声に気付いた登山帽をかぶった50代くらいの男性2人が、窓から助け出してくれた。男性らは岡山市から来たと話したが、連絡先を聞く余裕もなかった。野瀬さんには2人に伝えたい言葉がある。「ありがとう。命の恩人です」