先生になりたての頃、子どもの扱いもわからず、
どうやって教えたらいいのかわからなくて、
いろんな本を読みあさっては、様々な人が言う「やり方」を当てはめていった。
本になるくらいの先輩先生の意見は、どれも「ふ~ん」と心から納得し、
これなら大丈夫、と思えるやり方だったから、安心してやってみたけれど、
うまくいった場合と、まったく効果なかった場合と。。
教えるって難しい、と挫折した、っていう話ではなく、
教えることの「奥深さ」に私は心底驚き、
てこづらされる度に「じゃぁこれならどうだ!」と
あの手この手を使ったりして、その楽しさに気付いたのです。
結局、15年経ってみて、思うことは
どの子もみんなあまりに違うので、ケースバイケース。
こうすれば、うまくいく、とされるひとつの方法がどの子にも当てはまる、
ということはほとんどなかった。
「やり方」よりも、その子の性格を知る。
知って先の見通しを立てる。
成長する過程で、「こうしてあげよう」というそれぞれの成長案をその都度修正し、
それぞれにとって一番いいタイミングでいろんな経験をさせてあげること。
という結論に至った。
個人のお稽古が合う子もいれば、グループのお稽古向きの子もいる。
それも、時期によって、個人がいいときとグループがいいときと様々だ。
それでどちらも取り入れることで、どちらのいい面も体験でき、
結果、とても音楽的自立に効果的に働いていることがわかった。
同じ課題を渡していても、その取り組み方もねらいもそれぞれで違う。
だから、「○○ちゃんは今あそこまで進んでいるのに」なんてことを思うのは、
まったくもって、野暮なこと、だと思います。
小さいときにぐんぐん弾いてくる子が、大きくなっても変わらぬペースで
ぐんぐん弾いてるかっていうと、必ずしもそうでない。
伸び悩む時期も必ずあり、そのときにそれを打開するためのいい方法を
どう伝えるか、というところが
先生の腕の見せ所、なんだと思います。
ピアノクラスの新年度が始まって、約1ヶ月。
生活面でも、新しい学校、クラスにちょっと慣れて、
ちょうど疲れが出てくる頃かもしれません。
明後日の小学生リトミックでは、体と脳をフルに使って、
リフレッシュできるメニューを考えてます。
どうやって教えたらいいのかわからなくて、
いろんな本を読みあさっては、様々な人が言う「やり方」を当てはめていった。
本になるくらいの先輩先生の意見は、どれも「ふ~ん」と心から納得し、
これなら大丈夫、と思えるやり方だったから、安心してやってみたけれど、
うまくいった場合と、まったく効果なかった場合と。。
教えるって難しい、と挫折した、っていう話ではなく、
教えることの「奥深さ」に私は心底驚き、
てこづらされる度に「じゃぁこれならどうだ!」と
あの手この手を使ったりして、その楽しさに気付いたのです。
結局、15年経ってみて、思うことは
どの子もみんなあまりに違うので、ケースバイケース。
こうすれば、うまくいく、とされるひとつの方法がどの子にも当てはまる、
ということはほとんどなかった。
「やり方」よりも、その子の性格を知る。
知って先の見通しを立てる。
成長する過程で、「こうしてあげよう」というそれぞれの成長案をその都度修正し、
それぞれにとって一番いいタイミングでいろんな経験をさせてあげること。
という結論に至った。
個人のお稽古が合う子もいれば、グループのお稽古向きの子もいる。
それも、時期によって、個人がいいときとグループがいいときと様々だ。
それでどちらも取り入れることで、どちらのいい面も体験でき、
結果、とても音楽的自立に効果的に働いていることがわかった。
同じ課題を渡していても、その取り組み方もねらいもそれぞれで違う。
だから、「○○ちゃんは今あそこまで進んでいるのに」なんてことを思うのは、
まったくもって、野暮なこと、だと思います。
小さいときにぐんぐん弾いてくる子が、大きくなっても変わらぬペースで
ぐんぐん弾いてるかっていうと、必ずしもそうでない。
伸び悩む時期も必ずあり、そのときにそれを打開するためのいい方法を
どう伝えるか、というところが
先生の腕の見せ所、なんだと思います。
ピアノクラスの新年度が始まって、約1ヶ月。
生活面でも、新しい学校、クラスにちょっと慣れて、
ちょうど疲れが出てくる頃かもしれません。
明後日の小学生リトミックでは、体と脳をフルに使って、
リフレッシュできるメニューを考えてます。