次女のまるちゃん(21歳)の話。
まるちゃんは、ずいぶん前から決めていた夢があって、それはもうとっくに叶えてしまった。
…なんと!それを決めたのは保育園時代に遡る…
(親としては、夢が叶った、よかったね
と言いたいところだけれども、それはまた別の話。)
さて、叶ってしまった夢は、継続させなくてはならない。
大概の人は、そこにやりがいを感じるとか、思っていたものと違うとか、その人なりの結果論がついて回って、結局またそれを土台に新しい夢や目的に向けて動き出すわけだが、、、
いろいろ考えてしまうから、躊躇いや迷いが生じるわけでしょう?
でも、まるちゃんは揺るがない。
いつもそうなのだ。
高校を辞める時もそう。
どんなに社会的に不利な立場に追いやられるかもしれないよと、大人(親であるワタクシが主に、笑)が忠告しても、頑なであった。
「将来のことを考えてみなさいよ」
と言えば言うほど
「私は今を生きているから、ママみたいに明日や明後日、数年先の未来まで考えられません」と、きっぱり言うのだ。
その度に、なんて!浅はかな!と、気が遠くなりそうだった。
胃もおかしくなり、ハゲそうだった。
思えば、ここに面白おかしく、まるちゃんのことを書き記していた時はよかった。
その後、まぁまぁ大変な事態に色々と巻き込まれて、それはそれは家族にとって試練だったわけだけれども、だから私にとっては、高校を辞める決断をしたまるちゃんは
「全てに見放されてしまった」と大袈裟に思っていたが、
まるちゃん曰く、「その日常を自分から捨てた時は、清々した」そうです。
私は情報や何かに振り回されることが常々だと思っているが、この躊躇いのない感覚は、
ほんとに我が子ながらあっぱれである。
でも、たまに聞くまるちゃんの経験談は、怪談よりも怖い😱
ただ、数年前には社会的にそれはダメじゃない?と思われたであろうことが、今は普通になってきていて、あれ、じゃあまるちゃんは、間違えてなかったのか?
と、私自身が訳が分からなくなっている時があって、ものすごい時代が変わっていってるなぁって思うのです。
先の見通しが立たない気がする時さえあるが、かつての「まるちゃん、今日も行く!」のテーマ通りに、現在のまるちゃんも、昔と同じように、突拍子もなく動き回っているのです。
そうやって、この15年もの間に私は、子育てを通じて本当に勉強させられました。
そして、時代がまるちゃんみたいな子についてきてる気さえする。。
それにしても。
まるちゃんは、もうすでに次の夢を決めている、らしい。
でも、私にはもうあれをしたい、これをしたいという夢の話をあまりしない。
いろいろ私に言われることが嫌なのだ。
子どもがどうなるのか…道を外してはならない、もしそうなったら、それは親の責任だろうと考えていた頃が、私は1番苦しかった。
自由?我儘?履き違えてるのでは?とかとか。
結局、それは「お母さん」という自分の問題だったんだよね。
娘らは、3人とも勝手に自分で道を作っていった。
よく、生徒さんのお母さん達が、子育ての悩みや迷いを私に話してくれるんだけれど、私は自分の経験談しか話せない。
専門家ではないけど、聞くだけなら出来る。
職業柄、たくさんの子どもたちと接してたくさんの親子関係も見てきて、もうほんとにケースバイケースだからアドバイスのしようもない気もする。
ただし、1つ言える事は、大概のことは「大丈夫だった」ってこと?
私は楽観的に「大丈夫、だいじょうぶ」って言ってるように聞こえるかもしれないんだけど、ほんとにそうなのよ。
ところがね、人ってなかなか「大丈夫」って言ってくれないのです。
それは大変ね、お気の毒、とは言わないが、そう顔に書いてある、って察した事、たくさんあって、その表情が私に突き刺さって、
でもそんな中で唯一、経験豊富な方たちが、大丈夫よーと言ってくれて、
その一言がその時の私を支えてくれた。
そして、困った困ったと、私がまるちゃんのことをうっかり人に話すたびに、まるちゃんは、
「ママは一体何に困ってるんだ?」と思っていたようである笑。
今だって、何かの伏線で、これから先はどうなるかわからないけど、「ママ、考えすぎだよ。」
と、そう言ったあの日のまるちゃんの声がたまに聞こえてくる。
取り留めもなくなりましたが
たまにまるちゃんて今どうしてるんですかって聞かれるので、書いてみましたよ。