・「汎用コンピュータ」としては、世界最初のコンピュータとされる、「エニアック」(ENIAC)が
米国ペンシルベニア大学で1946(昭和21)年2月14日に初公開。
それから約9年後の1955(昭和30)年10月2日に運転を停止した。
(画像クリックで拡大)
↑1946年2月14日発表当時の「ENIAC」コンピュータ
・その頃、日本のオフィス(と呼ばず、ジムショと言っていた)では「ソロバン」と
タイガー計算機製「手回し式計算機」が使われていた。
※昭和50~60年代に書かれたコンピュータ関係の入門図書の多くが
「世界最初のコンピュータ・ENIAC」と記述していたように記憶。
・1939(昭和14)年にアイオワ州立大学で開発されたABC(Atanasoff-Berry-Computer)が
デジタル式コンピュータの最初とされている。
(画像クリックで拡大)
裁判で専用コンピュータで先発者の「ジョン・アタナソフ」と「ベリー」に提訴され
敗訴している。
「ENIAC神話の崩れた日」最相力(bit 共立出版, 1992年5月 Vol.24 No.5 pp472-479)に
詳しく紹介されている。
この度ブログを投稿する前に確認し「汎用コンピュータとして」と断り書きを付けるべき、
と知る。
・そして、1995(平成7)年8月24日「Windows95(英語版)」が発表された。
同年6月3日「ENIAC」開発者のひとりジョン・エッカートが、76歳で亡くなった。
ストアードプログラムの「Windows OS」がグローバルスタンダードになって
行くところを見ることもなく・・・。
・ENIACに戻る。
ENIACは17,468本の真空管、70,000個の抵抗器、10,000個のコンデンサ等で構成されていた。
幅24m、高さ2.5m、奥行き0.9m、総重量30トンと大掛かりな装置で、設置には倉庫1個分の
スペースを要した。消費電力は150kW。開発費の総額は49万ドル。
当初、軍用目的(アメリカ陸軍の大砲の弾道計算)につくられたが、完成時には「第二次大戦」は
既に終結していた。
・プログラムは人手により、大昔の電話交換台のようにケーブルをその都度配線する
ことにより行われた。
・これは現在のコンピュータの仕組み「ストアード・プログラム」
(半導体メモリやハードディスクなどの各種保存メディアによるプログラム内蔵)方式とは
もっとも異なる部分である。
・ENIACを開発したペンシルベニア大学が同機と、ほぼ同じトランジスタ数を極小のチップに
収めたCMOS「ENIAC-on-a-Chip」を公開した。
(画像クリックで拡大)
※「ENIAC」発明50周年の記念事業の一環として、1997(平成9)8月27日に公開。
サイズ:7.44mm × 5.29mm
トランジスタ:174,569個
線幅:0.5μ(ミクロン)
CMOS technology / triple metal layer 三層構造
※1999(平成11)年7月22日にさらに、アップデートされた。
・面白半分に、コンピュータのサイズについて単純比較の無理を承知で試算した。
(性能比較は、どだい無理な話と思うから・・・)。
ENIAC・・・・・・・・約54㎥(立方メーター)
ENIAC-on-a-Chip・・・約0.0032㎥(立方メーター)
実に 1/16,900となった。
※チップのサイズではなく、今年の秋冬モデルの売れ筋ノートパソコン(価格.com)に
組み込んだものとして本体サイズで概算比較。
■ENIACを作ったエッカートとモークリーは大学を離れ起業し「UNIVAC」
コンピュータの開発に携わることになる。
多くのコンピュータが市場に出てきたがほとんど「XXAC」「YYAC」と名称の
後ろに「AC」(Automatic Computer)をつけていた。
日本では、日立:HITAC / 東芝:TOSVACなど。
世界的な汎用コンピュータのし上がった「IBM」は、この例に倣っていないと思う。
“忠太”の勝手な邪推だが、すでに1911(明治44)年には、パンチカードによる
データ処理機器を開発していたIBMの前身
「ザ・コンピューター・タビュレーティング・レコーディング・カンパニー
(C-T-R : The Computing-Tabulating-Recording Company)としては、先発メーカの
後塵を拝するのは我慢ならず、それが同社のネーミングに影響した。
と勝手に想像している。
「三途の川」を渡ることなった時、創設者の「ワトソン氏」にお聞きしようと思う。
IBM創生期のトップについて「トーマス・J・ワトソン・シニア」についても、
諸説があるようだが、お家騒動には関与しないことにしている。
米国ペンシルベニア大学で1946(昭和21)年2月14日に初公開。
それから約9年後の1955(昭和30)年10月2日に運転を停止した。
(画像クリックで拡大)
↑1946年2月14日発表当時の「ENIAC」コンピュータ
・その頃、日本のオフィス(と呼ばず、ジムショと言っていた)では「ソロバン」と
タイガー計算機製「手回し式計算機」が使われていた。
※昭和50~60年代に書かれたコンピュータ関係の入門図書の多くが
「世界最初のコンピュータ・ENIAC」と記述していたように記憶。
・1939(昭和14)年にアイオワ州立大学で開発されたABC(Atanasoff-Berry-Computer)が
デジタル式コンピュータの最初とされている。
(画像クリックで拡大)
裁判で専用コンピュータで先発者の「ジョン・アタナソフ」と「ベリー」に提訴され
敗訴している。
「ENIAC神話の崩れた日」最相力(bit 共立出版, 1992年5月 Vol.24 No.5 pp472-479)に
詳しく紹介されている。
この度ブログを投稿する前に確認し「汎用コンピュータとして」と断り書きを付けるべき、
と知る。
・そして、1995(平成7)年8月24日「Windows95(英語版)」が発表された。
同年6月3日「ENIAC」開発者のひとりジョン・エッカートが、76歳で亡くなった。
ストアードプログラムの「Windows OS」がグローバルスタンダードになって
行くところを見ることもなく・・・。
・ENIACに戻る。
ENIACは17,468本の真空管、70,000個の抵抗器、10,000個のコンデンサ等で構成されていた。
幅24m、高さ2.5m、奥行き0.9m、総重量30トンと大掛かりな装置で、設置には倉庫1個分の
スペースを要した。消費電力は150kW。開発費の総額は49万ドル。
当初、軍用目的(アメリカ陸軍の大砲の弾道計算)につくられたが、完成時には「第二次大戦」は
既に終結していた。
・プログラムは人手により、大昔の電話交換台のようにケーブルをその都度配線する
ことにより行われた。
・これは現在のコンピュータの仕組み「ストアード・プログラム」
(半導体メモリやハードディスクなどの各種保存メディアによるプログラム内蔵)方式とは
もっとも異なる部分である。
・ENIACを開発したペンシルベニア大学が同機と、ほぼ同じトランジスタ数を極小のチップに
収めたCMOS「ENIAC-on-a-Chip」を公開した。
(画像クリックで拡大)
※「ENIAC」発明50周年の記念事業の一環として、1997(平成9)8月27日に公開。
サイズ:7.44mm × 5.29mm
トランジスタ:174,569個
線幅:0.5μ(ミクロン)
CMOS technology / triple metal layer 三層構造
※1999(平成11)年7月22日にさらに、アップデートされた。
・面白半分に、コンピュータのサイズについて単純比較の無理を承知で試算した。
(性能比較は、どだい無理な話と思うから・・・)。
ENIAC・・・・・・・・約54㎥(立方メーター)
ENIAC-on-a-Chip・・・約0.0032㎥(立方メーター)
実に 1/16,900となった。
※チップのサイズではなく、今年の秋冬モデルの売れ筋ノートパソコン(価格.com)に
組み込んだものとして本体サイズで概算比較。
■ENIACを作ったエッカートとモークリーは大学を離れ起業し「UNIVAC」
コンピュータの開発に携わることになる。
多くのコンピュータが市場に出てきたがほとんど「XXAC」「YYAC」と名称の
後ろに「AC」(Automatic Computer)をつけていた。
日本では、日立:HITAC / 東芝:TOSVACなど。
世界的な汎用コンピュータのし上がった「IBM」は、この例に倣っていないと思う。
“忠太”の勝手な邪推だが、すでに1911(明治44)年には、パンチカードによる
データ処理機器を開発していたIBMの前身
「ザ・コンピューター・タビュレーティング・レコーディング・カンパニー
(C-T-R : The Computing-Tabulating-Recording Company)としては、先発メーカの
後塵を拝するのは我慢ならず、それが同社のネーミングに影響した。
と勝手に想像している。
「三途の川」を渡ることなった時、創設者の「ワトソン氏」にお聞きしようと思う。
IBM創生期のトップについて「トーマス・J・ワトソン・シニア」についても、
諸説があるようだが、お家騒動には関与しないことにしている。