■1911(明治44)年10月20日、「VAN」生みの親「石津謙介」が生まれた。
・紆余曲折を経て、戦後ファッションメーカー・レナウンに勤務した後1951(昭和26)年に
独立し、「VAN」ブランドとして知られる「株式会社ヴァンヂャケット」を設立。
特にブレザーとボタンダウン・シャツをベースとした学生のファッションスタイルを
「アイビールック」として紹介し、若者のファッション文化に改革をもたらした。
さらに銀座の「みゆき通り」を、それを着た若者で埋め尽くす「みゆき族」まで登場した。
ファッションのみならず、音楽、ライフスタイル、思想に至るまで、日本の戦後文化に
大きな影響を残した人物。
↑懐かしのロゴマーク(クリックしても大きくなりません)
■興味のある方は石津謙介大百科で。
★クリックで画面が変わったら[ENTER]をクリックして入場しましょう★
■大先輩である(関係ないか)それはともかく、忘れられない逸話を・・・。
・順風満帆のように見えた「ヴァンヂャケット」も時代の流れに乗りきれず、
1978(昭和53)年、負債総額500億円で経営破たん(その後、再建されたが・・・)。
・戦後の文化に多彩な影響を与えた石津さんだが、会社経営は苦手だったようだ。
しかし、約3000人の社員全員の再就職を支援、見届けた後に身を引いたと、
ラジオ放送で聴き、放漫経営の果て個人資産を隠匿し海外逃亡を図ったりする
無責任社長が多いなか、何と責任感のある人かと感激したものだ。
こんな政治家はいないものかな~ぁ。
・2005(平成17)年5月24日、肺炎のため病院で死去。
ファッションに最期までこだわり続け、寝たきりになっても、パジャマを着ることを
拒絶し、三宅一生デザインのシャツを着たまま、波乱に満ちた93年の人生の幕を引いた由。
■1978年の出来事
・3月30日 - 東洋工業(現マツダ)がスポーツクーペ「サバンナRX-7」を発売。
(画像クリックで拡大)
・4月4日 - キャンディーズが後楽園球場でのコンサート「ファイナルカーニバル」をもって解散。
・5月21日 - 新東京国際空港(現成田国際空港)開港。
・10月16日 - 青木功が世界マッチプレー選手権で初優勝。
などなど・・・。
・紆余曲折を経て、戦後ファッションメーカー・レナウンに勤務した後1951(昭和26)年に
独立し、「VAN」ブランドとして知られる「株式会社ヴァンヂャケット」を設立。
特にブレザーとボタンダウン・シャツをベースとした学生のファッションスタイルを
「アイビールック」として紹介し、若者のファッション文化に改革をもたらした。
さらに銀座の「みゆき通り」を、それを着た若者で埋め尽くす「みゆき族」まで登場した。
ファッションのみならず、音楽、ライフスタイル、思想に至るまで、日本の戦後文化に
大きな影響を残した人物。
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■興味のある方は石津謙介大百科で。
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■大先輩である(関係ないか)それはともかく、忘れられない逸話を・・・。
・順風満帆のように見えた「ヴァンヂャケット」も時代の流れに乗りきれず、
1978(昭和53)年、負債総額500億円で経営破たん(その後、再建されたが・・・)。
・戦後の文化に多彩な影響を与えた石津さんだが、会社経営は苦手だったようだ。
しかし、約3000人の社員全員の再就職を支援、見届けた後に身を引いたと、
ラジオ放送で聴き、放漫経営の果て個人資産を隠匿し海外逃亡を図ったりする
無責任社長が多いなか、何と責任感のある人かと感激したものだ。
こんな政治家はいないものかな~ぁ。
・2005(平成17)年5月24日、肺炎のため病院で死去。
ファッションに最期までこだわり続け、寝たきりになっても、パジャマを着ることを
拒絶し、三宅一生デザインのシャツを着たまま、波乱に満ちた93年の人生の幕を引いた由。
■1978年の出来事
・3月30日 - 東洋工業(現マツダ)がスポーツクーペ「サバンナRX-7」を発売。
(画像クリックで拡大)
・4月4日 - キャンディーズが後楽園球場でのコンサート「ファイナルカーニバル」をもって解散。
・5月21日 - 新東京国際空港(現成田国際空港)開港。
・10月16日 - 青木功が世界マッチプレー選手権で初優勝。
などなど・・・。