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公務員制度改革3

2005年03月22日 16時59分05秒 | 行政制度
昨年財務省が三位一体改革の推進の中で総務省に突きつけた地方の不適正支出について、「横暴だ」「地方にも事情がある」などの意見もあったが、必ずしも全てが適正という訳ではないだろう。給与面でも高すぎるということが指摘されていた(前に書いた記事です、お役所体質その1)。おまけに、国家公務員の給与一律引き下げという自らの「出血」を伴った以上、地方公務員にも当然の「出血」を覚悟してもらわねばならないという財務省と、このままでは本当に多くの自治体が破綻し再建団体へ転落しかねないという総務省の意見が一致したのであろう。また、自治体では職員労組の抵抗にあって、地方公務員の改革がなかなか進まないという事態を目の当たりにした総務省が、「こりゃいかん」と中央から支援作戦の展開という面もあるだろう。地方公務員は、中央に比べて危機意識がまだ低い面が見受けられ、切り込み不足というのが総務省の認識だろう。

以下の記事で、改革の開始が出ています。

Yahoo!ニュース - 読売新聞 - 地方公務員の給与総点検、厚遇批判で初の全国調査へ

一部抜粋します。

財務省は「本来は公共事業などの投資に充てるべき財源を給与に上乗せしたと考えられる」と指摘している。経済財政諮問会議も、給与の抑制を求めている。このため、麻生総務相は「大幅な給与カットに努める自治体もあるが、なお、一部の自治体で給与制度や運用に見直すべきところがある」と判断し、28種類の手当を中心に、総点検を実施することにした。この調査結果は、有識者で構成する「地方公務員の給与のあり方に関する研究会」が来年3月までにまとめる改善策の参考資料にも使う予定だ。





遂に全国調査を実施し、「地方公務員の給与のあり方に関する研究会」の資料にするということのようだ。これも、随分と悠長にやってきたのだな、と思う。本来、実態が判っているのだから、自治体の首長や議会が率先して改革に努めなければならないだろう。ところが、職員労組の抵抗だ。再建団体に転落すれば、自分達が貰える給料だって怪しいのに、それでもなお自己利益にしがみつこうとする。


この国には、健全な考えを持つ人間がすごく減ったのだろうか。子供達や若者達に偉そうにあれこれ言うが、改めようともせず、社会利益を考える訳でもなく、自分達の利権だけを守ろうとしたり、犯罪行為を組織ぐるみで続ける「拝金主義」の木っ端役人ばかりじゃないか。大学まで出て、採用試験に合格し、役所勤めを続けて得たものは「拝金主義」にまみれた欲望で、それを満たそうとする輩ばかりであり、組織の自浄作用も持ち合わせておらず、沈み行く船に自分だけしがみつこうとするような連中ばかりだ。こんなことでは、よい社会はできっこない。


地方公務員改革も同時進行でやって、地方財政の健全化と本当の意味で地方分権を推進せねばならないだろう。

一部には、改革推進もありました。お詫びします。以下に記事を。
Yahoo!ニュース - 産経新聞 - 公費ゼロ、宮城県に学べ 大阪市の職員厚遇 知事「今の時代、当たり前」

さすがに改革派知事ですね。情報公開も進んでおり、よいお手本です。


公務員制度改革2

2005年03月15日 16時05分28秒 | 行政制度
やはりマスコミが取り上げれば、効果が出るのは事実ですね。大阪は言うまでもなく、全国自治体の不可解な手当てや互助会組織への補助率是正、施設利用券廃止など幾つかの見直しが行われている。これは当然だろう。優秀な人材を集めて登用したいならば、まずそういう仕組みを考えることですね。それが可能になるのは、「全員一律」の無駄を解消するしかないだろう。のんびりやっていても、一生懸命死に物狂いで頑張っても、給料が同じなら、社会主義的だし失望してしまうからね。
そうか、昔の社会党に何故公務員や教員などの支持母体があるのか、というのは、「横並び」「区別はいけない」「あんまり頑張るな」などの意識が強いので、「社会主義」が好きだったの?「資本主義」とは相容れない関係だから?なのかな。

労組とかはよく知らないし、興味もないけれど、もしも一緒に机並べて仕事していて、自分が一生懸命頑張って仕事しているのに、隣の奴が大して役にも立たずだらりと仕事をしていたら、腹が立つし、そんな奴と給料が同じなら、意欲が失せることも理解出来なくはない。
この前に、一律カットに見舞われた国家公務員の給与体系に多少の救済が・・・(官僚だけですがね)


今日の読売新聞朝刊には、本省勤務の手当て新設の方針と出ていました。
Yahoo!ニュース - 読売新聞 - 若手公務員の流出防げ…人事院、本省手当を新設方針

激務に悩まされていた官僚達は少し報われますね。素直によかったね、と思う。やっぱり、「意見は言ってみる」ものでしょ?でも、それには幾つか前提があることをお忘れなきようにお願いしますね。それは、正しく業務を行うこと、倫理を重んじること(当然遵法精神でお願いします、ってこんなこと言いたくはないけどね、国民全てに言えるし)、向上心とか改善意識を常に持つこと、自律できる高度な組織を目指すこと、真の組織力を高めること、などを達成するために、官僚諸氏の能力を発揮して頂き、その報酬として給与や手当てがあるのですから。


まずは上から下まで、そういう意識改革を徹底しなければ、良くならないですよ。おかしな公益法人とかの「不適切な関係」は、清算して、出直すしかない。国家公務員制度改革の本質は、官僚諸氏の意識改革であり、それに伴う組織改革・組織力アップでしょ?その結果、業務効率は高くなり、不適切なものや無駄がなくなれば、国民にその利益を還元できるのですから。そういう結果ならば、国民だって大歓迎ですよ。おかしなシステムでキックバックしたり、変な天下りして自分だけ稼いだり、そういう変なことや不正がなく、透明性を確保していれば問題ないのに、「隠そう」としたり「こっそり利益を抜く」ことをするからダメなんだよ。正しいことをやっているなら、誰から見られ批判されても、何も恥じることはないでしょ?そういう体制を作らなければなりませんね。


ところで、経済産業省の前係長は、インサイダー取引で捕まっちゃったね。
Yahoo!ニュース - 読売新聞 - 「バレないと思った」インサイダー取引の経産省前係長

情報の公表後に取引したとしても、十分儲けられたんじゃないかと思う。バカだなー。投資が好きな人も官僚の中にいるであろうが、こういう人が出てくると「株はダメだ」みたいに規制されるから、ちょっと可哀想だな。「悪い事」をしなけりゃ、問題にはならなくて済むのに、一部の悪い奴がいるとこういう破目になる。投資自体は正当な経済活動に過ぎないのだが、「自分だけ儲けよう」という悪い心があると、こうなるんだろうな。やっぱりね、考えが愚かなんだよ。勉強はこういうことを教えてくれない、ってことですね。いい学校に入ってみても、こんな程度の人間になってしまうという教育は、どうなんでしょうね。単に個人の資質の問題なのかもしれないが。


中央と地方の格差が出来る、という考えはあるかもしれないが、これが問題とは思わない。だって、業務内容が違う、権限の大きさも違う、それに、監督する上級庁の存在(単にある、なしです)は法的にも責任の有無に違いがあるでしょ?(正確ではないかもしれないが、おそらくそうだろう)

地方組織では決定する範囲が狭く、本省に規定されることが多いのではないかと思うし、多くの判断や決定権は本省にあるのではないでしょうか。ならば、それに見合う報酬であってもいいように感じるが。効率化と単なる人件費削減は直結しないだろう。むしろ、不適正配置とか業務見直しなどの方が必要だと思うが。


何年前か忘れたが、不動産取得税の還付に税事務所(地方組織?なのかな)に行ったことがある。丁度12時よりちょっと前頃だったと思う。目の前にデスクがざーっと並んでいて、一番端っこの受付側(ただのカウンターみたいな仕切りがあるだけですが)に60歳くらいのじいさんが座っていた。一番遠い方に、こちら向きに座っている課長?みたいな人がいた。
「すみません」と言って、じいさんに書類を出したら、「あっ、はいはい」とか言いながら書類を受け取ると、どこか離れたところから女性職員が飛んできて、私の説明を聞いて、「お待ち下さい」と言い残して書類を持ってどこかにいっちゃった。じいさんは書類を取り上げられたのか、初めからやる気がないのか、担当係が違うのか、よくわからなかったが、じいさんが凄く気になった。そこで、待っている間、ずっと観察することにした。

ここからがとても面白い。あのね、じいさんは机の上にある書類を右に動かし、それを今度は左へ動かし、時々「シー、シー」みたいな音を立てて息を吸い込みながら、壁にかかっている時計とにらめっこしてる。要するに「やるべきこと」が全くないのだ。湯のみに手を伸ばし、一口飲むと、また書類を左から右に動かして、時計を見る。「こいつは壁際族か?干されているのか?」などと想像しながら、観察を続けたが、仕事はない様子だった。当時、全面禁煙とかにはなっていなくて、壁には「禁煙協力時間11時~13時」のような張り紙がしてあり、このじいさんの手持ち無沙汰ぶりは哀れであり、こんな時に昔ならタバコをガンガン吸ったりして誤魔化せただろうに、とも思った。役所にも「窓際族」っているの?10分後位(それほどかかってなかったかも)に、先ほどの女性職員が戻ってきて、何某かの説明をしてくれ、私は「はい。わかりました」みたいな感じで、そこを後にすることになるのだが、女性職員が差し出した書類を受け取る時に、そのじいさんは「はい、いいですよ。他はありませんかー」と私に言い、まるで”合いの手”を入れたかのようだった。
何故?あなたは何もしていないでしょ?書類にも関係がなかったでしょ?そこにいるのは私だけで、他に誰も来てないでしょ?じいさんと女性職員と私しかいないでしょ?腹抱えて笑いそうになったが、堪えました。

哀れなり、じいさん。だが、これがお役所仕事なのかーと思いました。こいつらを養う為に税金取られるのか、と思うと何だか釈然としなかった。じいさんは、その後も時計とにらめっこを続け、ジャスト12時にはもの凄い勢いで飯を食うのだろうな、と想像した。その、あと数分が猛烈に待ち遠しかったことだろう。まるで、授業終了間際の学生みたいなもんだな。今は違うのかもしれないが、あんなことをやっていたんでは、業務の効率化など出来っこないだろうな、とも思う。じいさんは定年退職後の延長?の人なのか、臨時職員なのか、正規職員なのか、何だかわからんが、人件費が無駄だろうな。民間では、即クビ(というか、最初から雇わない)だろう。


私は田舎暮らしなので本省に行ったことはありませんし、地方の役所しか見てないから、比べようもないのですが、地方の中でもぼさーっとしながら仕事している所もありますし、テキパキやっている所もある。今まで手続きとか用事で役所に行った時には、必ず観察してました。先の~税事務所、図書館とか各種会館、保健所、税務署、職業安定所(現ハローワーク)、法務局、社会保険事務所等です。窓口などからざーっと見渡すと、どんな風に仕事をしている所か、概ね見当がつく。凄く忙しく働いている所は空気が違うし、人間の一動作の緩慢さが違うのですよ。同じ仕事をさせても、これじゃダメだろうな、という連中もたくさんいる。こうして無駄な人件費が発生するのだな、と国民は感じ取れるように思う。


ダレたお店とかに入った時にも分るでしょ?同じだよ。雰囲気でわかるよ。仮にすし屋に行った時に、「きびきび」してない職人の握りは食べたくないでしょう?ノロノロしてる職人はね、見てりゃわかるし、まずいから二度と行かない。そういうもんです。


是非とも約束を果たせるように、官僚諸氏は頑張って欲しいものです。



公務員制度改革1

2005年03月04日 17時36分47秒 | 行政制度
以前から懸案となっていた国家公務員制度改革について少し考えてみたい。唐突に始まってしまい、なんだろうな、と思われるかもしれませんね(笑)以前の記事をお読み頂ければと思います。

前提として、全て一律に検討することは困難であると思う。本来的には幾つかの職種によって考えるべきと思う。でも、それぞれの部門でどういった問題があるのか、私にはよくわからない。内部の人間が一番問題点を知っているのに、何故か変えられないという現実がある。


昨年のbuuさんとの検討で明らかになったことは、官僚の勤務実態がよくわからず、問題点だけがマスコミなどに取り上げられている傾向があるということです。霞ヶ関のお役人達は、深夜残業がごく普通のような実態があり、国会答弁でも国会議員の質問事項について、省庁で回答文書を作成するのが大変だ、というイヤミ(某民主党議員さん一人へ作成した回答文書が千ページを超えるほどの分量だったとか・・・記事に出てたが詳しく憶えていません)まで飛び出していた。まあ、私も財務省に疑義をメールで問い合わせていますから、人のことも言えないのですが。こうした手間がかかることもあるということでしょう。そういえば、財務省からは返事が来ませんね。予算審議などで忙しいのかもしれませんが、「Yes or No 」だけの質問には、答えられるはずですが。早く返事が欲しいですね。それとも、「バックレル」つもりでしょうか。自分達に都合の悪い疑義には、こっちが根負けするまで「ナシの礫」作戦ということでしょうか?まあ、別な機会に。


深夜残業のタクシー代も自腹、という意見もある。その一方で、NHK(役所ではないが)のように43億円もタクシー代に使うということもある。タクシー代が裏金から支給されたという所もある。また、都内の一等地で格安の賃貸料の官舎に入居しているという批判もあり、逆に官舎に住めないと「本当に死んでしまう」といった若手官僚の意見もある。多分、公務員内部でも、かなりの格差が存在し、一部の不正を働く人々や、特別な優遇を受ける人々だけがいい思いをしているが、その迷惑を他の大勢が被り、特に賃金の高くない層が非常に辛いということのようだ。


専ら補助金によって業務を行う組織や官公庁との取引額が一定以上の特定企業については、天下り禁止にするとか公平な完全入札制のような制度に変えるべきではないか。政府系機関への支出も当然整理しなければならない。怪しげな補助金や随意契約のせいで多くの公費が浪費されるのを防ぐのは、内部にいる自分達しかいないことを知るべきだろう。これをいくつか止めるだけで、かなりの節約になるし、それが人件費や省庁の経費を賄える方法でもある。


インセンティブに問題があるという指摘もあったが、全員一律ということではなく、一定以上のポストについては報奨金を考えてもよいかもしれない。あとは勤続年数によっても、節目ごとに加給するとか。業務評価についての導入は、たまたま結果が出しやすい部署とそうではない部署なども考えられるので(例えばベンチャー育成事業に関わる人と、単に法律の条文草案を考える人では、どちらが貢献したかを判定するのに、前者の方が結果を出しやすそうな気がする)、公平性を保つのが難しい面もあるかもしれない。成功報酬という形が必ずしも有効に働かない場合もありそうで、これを官僚諸氏が自分達で受け入れられるかよく考えてみたほうがよい。


まず、各部署で経費節減の相当の努力をするしかない。本当かどうか知らないが、イトーヨーカドーの社員の机には、明かりを消す紐がぶら下がっている、と何かで読んだ。それくらいの意気込みでないと無理、ということです。官僚諸氏や偉い役職の方々は、そんなこと自分のやるべきことではない、と思っているかもしれませんが、全員で取り組むしかないでしょう。通路の電灯の半分を消すとか、通らないときは消す、トイレも消す、エレベーターの使用回数を減らす、とか(笑)色々あるでしょう。紙は両面使う、カラープリントやカラーコピーを減らして白黒を多くする、とか。本当は、こんなのをセコセコやらずとも、先日報道された会計検査院のシステム契約が30倍もの金額を払っていたように、当たり前のことがきちんとできればそれだけで相当節約できる。出張旅費計算も格安ソフトと人力を組み合わせればよく、裏金にしたりせずに不正なく清算すればよい。こうした意識で全てを見ているかどうかで、かなり変わるであろう。元来頭がよくて優れた人々が多いのだから、工夫すればいくらでも知恵は出てくるように思うが。単にやる気があるか、ないかだけではないか。


こうした努力を全省庁で行って、人員が必要な部署には、適正な配置・人数を考えるべきであろう。官僚と同じ高度な能力を持たなくともできる仕事は、アシスタントのような人件費の安い人員を遣うべきだし(官庁には、こういう職種の人はいるの?よく知らないけど)、重要な決定や新たに考えなければならないことなどは、官僚自身がやればよい。官僚達にサポート人員がついているのかどうか知らないが、そういうチームのような仕組みがないと一人が最初から最後まで全て担当して頑張らなければ出来ない、というのも効率が悪い。通常の会社でもチーム体制になっていることが多いのではないか。徹底して効率化が図られ、その評価が高ければ、誰も文句は言わないだろう。「不公平だ」「おかしいんじゃないか」という声が大きいのは、一般的に「変だな」と思うことが多すぎるからで、その当たり前のことに気付かないお役人さんたちは、よっぽどどうかしているのだろう。こういうのを「役人根性」などと侮蔑される。


実態として「働きやすく」また「働き甲斐のある」職場環境なり、組織なりを作っていかねば何の意味もなく、自分達の組織がこのまま腐っていき、国民からの信頼も失い、「卑怯者」呼ばわりされ、せっかく頑張っても正しく評価されず、給料減額圧力だけが強まるようなことでは、公務員達は立つ瀬がないであろう。これには、根本的に意識改革を行い、かつ透明性を高め、客観的評価が適正であることについて理解してもらわなければ、いつまで経っても良くはならないだろう。本当に困っている部署があっても、誰も信じてくれない。


また、地方公務員には、それなりの無駄が多くありそうだ。大阪の例を見れば一目瞭然だ。他の都道府県や市町村でも、探せばいくらでも出てきそうだな。職員互助会のような福利厚生組織への支出も、限度額を設定(給与総額の何%以下とか)したりしないと、現実には「給与」に該当するような支出が行われている。金券の支給にしてもそうだ。こうした不透明な福利厚生については、適正化を図るのと情報公開するべきである。国家公務員とは違った問題点があるということでしょう。


官僚は制度に負けるのか5

2004年12月05日 23時29分23秒 | 行政制度
buuさんからTB頂きました。こちらの返事が遅くてお待たせしてしまったようです。
途中になってしまった感じで、申し訳ありません。また切れぎれになってしまって・・・。お詫びいたします。

今までは、意見を出し合い、双方の主張の違いや対立点について見てきました。はっきり申し上げますと、最初に「国民にその責がある」という結論にはすんなりと同意できない気がしたので(私のせいだというのか!という短絡的な気持ちがありました)反発心から書いてしまったところが多かったと思います。他の方々からもコメントを頂いたりしましたので、勝手を申して恐縮ですが、私の個人的意見というか感想を述べることとします。

当初は、ブログのサブにもあるように「無能政治家や官僚をメッタ切り」しようと思っていました。これは、政治に対する一個人のあまりの無力さからくる不満以外何ものでもありません。動機としては不純と非難されるでしょう。ですが、過去の投票には殆ど欠かさず投票し(本当は2、3回行っていません)ても、何も変わりません。私がどんなに政策に対する意志表示をしようとしても、当然個人の声など届くものでもありません。かつては自民党に入れていました。何故かというと、比較の問題で社会党や共産党などに入れてもダメとしか思えなかったからです。消去法的に行う投票ですね(でも、あまりに頭にきて自民党よ思い知れ!という思いで共産党に投票したことが1度ありました)。

こうした投票行動は無力と思い知りました。組織票とかにトータルではかないっこないからです。新党旋風や社会党旋風とか言ってみたところで、一瞬の風というだけです。おまけに自民が野党のときの連立政権にしてもまるで役立たずで、結局何も変わらなかった。私の一票なぞ「カス」としか思えませんでした。ですから、「諦め」に陥って、投票するのを止めたこともあります。「政治には何も期待できない」という無力感だけがありました。でも、今は考え方を変えて、少しの希望を持つことにしました。それがブログです。

投票以外に個人で取り組める事は限りがありました。省庁がメールで意見を受け付けてくれるようになってからは、何度かメールしましたが、一度も返事がくることはありませんでした(なので、ここ数年前から出すのは止めてました。通知内容がちょっと変わったこともありましたので、少しは意味があったと思っています)。街頭演説したりビラ配ったり政党に入って活動するほどの時間も気力もありませんでしたし。ですから、「投票という権利行使」がひどく当たり前の答えすぎて、今までの無力さの繰り返しとしか思えなかったのが本音です。これに実効性を持たせるには、かなり多くの有権者の行動に影響力をもたらさなければならないと思ったからです。

一般国民の立場から言わせて頂けば、行政の内容は複雑多岐であり、仕組みについて理解したりすることも難しいです。誰かが基本的な説明をしてくれないとなかなか理解できるものではありません。選挙の時の「消費税反対」というような安易な対立の中でしか理解ができないからです。近年になってようやくマスコミもそうした説明を増やしてくれるようになりました。「年金問題」がいい例ですね。ところが、そのマスコミの視点も「悪代官」のようなイメージをつくることによって、大衆受けする方向にも行ってしまっているということはあると思います。それを象徴していたのは、議員さんたちの「未納問題」ですね。あれは行政側の説明不足とか徴収事務に関する制度上の問題点があったことが主な原因と思いますが、あたかも「悪意を持って払っていなかった」かのような報道でしたから。

このような事態についてはbuuさんが以下のようにご指摘の通りと思います。
『週刊誌やマスコミなどが面白おかしく書き立てていることは事実ではあっても、誇張や、誤解を招くように操作されていることが少なくないように感じます。公務員といっても家族を持ち、弱さも持ったひとりの人間の集合体であり、そこを認識した上で「ではどうしたら良いか」を建設的に考えていく必要があると思います。』

国民の考えるべき方向がこうした誤った方向へと導かれてしまっているということについては、国民の責任でありますし、またマスコミの姿勢についても熟慮しなければならないでしょう。また、前向きな代替案や対策などをもつことこそ、本当に意味のある批判になるということもご指摘の通りと思います。私も反省しています。

もう一つ、国民の責務として、ご指摘になっています。
『「国民が行政についての理解を深める労力を惜しまず、日常から行政の決定に関心を持って正しい判断ができるようになるべきである」、「こうした判断に基づいて投票という権利を行使してほしい」、この内容自体はまさしく僕が考えている通りです』

私たちが政治や行政について考える時の前提として、こうした責務を負うべきであることは当然であろうと思います。こうしたことを考えずに、安易に批判や追及に終始すべきではないという意見には賛同できます。

方法論としては、buuさんの以下のようなご指摘があります。
『当然外圧が必要で、外圧を効果的に働かせるためにはやはり政治に訴えるのが適切でしょう。世論が盛り上がってくれば、政治家にも党横断的な勉強会を設置しようという動きが出てくるかもしれません。何はともあれ、きちんと声が届くくらいに大きな声を出す事が必要です。最近は議員もブログを持っていたりしますから、そういうところにトラックバックをしてみるという手もあります。』

この辺も、私は限界を自分の中に作ってしまっていたのかもしれません。ですが、ブログによって考える機会をつくること、意見を聞いてみることには意義がありました。まだ、具体的な国家公務員制度の改革方針とういうか考えがまとまらないので、制度改革自体についての意見は出せない状態です(すみません、今までのやり取りはなんだったんだ、というお叱りを受けるかもしれません)。私は不正や非効率的な部分に目を向けていたし、倫理の問題ではないか、あるいは現行制度上の権限行使過程での評価機能が不十分であることが問題なのではないかというスタンスでしたので。

この点で、buuさんのご指摘では
『自浄作用も発揮されつつありますが、根幹にあるのはもっと大きな構造的問題だと思います。』ということで、実情は厳しい状況のようです。このための改革が必要であるということでしょう。
また記事をお読み頂いた方からのコメントには「官尊民卑の風潮」や「情報開示とインセンティブの問題」というご意見も寄せられています。国民としてはそうした構造的問題と見られる部分も感じておられるということですね。
多くの国民に理解を求めて世論形成につなげるための適切な説明や情報公開(行政もマスコミも)、国家公務員制度の抜本的改革を求めるならば国民がその意思表示をすること、具体性のある改革案を提言すること、というところでしょうか。

最後に少しだけお話しておきたいと思います。人間ですから弱さもありますし、いくら高潔といっても「霞」を食べて生きていけるわけでもありません。私にはやや幻想を抱いていたところがあったのかもしれません。優秀な人達が能力を自分のために使うのではなく、持たざるもののために使うことを期待しすぎていたと思います。また、集団というのは秋刀魚などの魚群と同じで、先頭の数匹に大多数が後ろからついていってしまいがちですから、国家の政策に携わる人々はその先頭で正しい方向性を示してほしいということもそうです。本来政治家がやらねばならないことなのですが。

私の知人に大学病院の若手医師がおります。彼らは、大学病院の正式なポストがないので、籍を置くために研究生のような立場で大学に授業料を払っているそうです。給料は正式には出ないようです。民間病院の当直のアルバイトをしなければ生活出来ないそうです。被用者保険も厚生年金もないので国民年金や国民健康保険に加入しなければならないそうです。地方に出張バイトにでることもあるそうです。重病の患者がいて何日間も家に帰れないことも珍しくないそうです。医師といえども世間一般で考えられているほど裕福で恵まれているのではないのだな、と気の毒に思いました。何年も前だったと思いますが、救急とかの制度が行政政策として十分確立される以前に、当直のアルバイトに出ていた若手医師が、搬送されてきた患者の救命ができず業務上過失致死罪の刑事責任を問われ有罪となった事例があったと記憶しています。当時の医療水準に鑑みて過失が認定されたようです。国家試験に受かっている以上、力量不足というのは許されないということです。その後は世間の非難もあり、行政側の施策として医師の救命救急研修が義務化されたようです(正確ではないかも。麻酔科研修でもよかったかもしれません)。行政とはこのような状況であり、そこに身を置く国民は法令の縛りを知らないうちに受けながら、その重大な責任も個人が負わなければなりません(そのような事態を受けて政策が考えられていくのです)。経済的・労働環境的に恵まれているとはいえないところで、ひたすら実力をつけるようなトレーニングを積み重ねるしかありません。怠れば、刑事・民事・行政責任を問われるリスクを常に負わねばならないのです。今年未経験の手術で過失があったとして3人の医師が逮捕された事件がありました(病院名忘れました)が、判断の誤りは許されるものではないということです。こうした過酷な研鑽や大きなリスクに比して医師の報酬が高いか安いかということは判断が難しいですし、高給取りの医師ばかりではない現実もあるのです。世の中には非常に厳しい環境におられる人々がいるのだな、と思い、私個人としては尊敬に値すると考えています。官僚諸氏が楽をしているとは思っていませんし、立派な人もたくさんおられるでしょう。それは常識的に分かることですが、責務の重大さとか自分の有する権限の意味するところについて、皆さんが心に留めて頂きたいと願っています。今医療制度改革についての記事が途中になっていますが(3で止まっています)、このようなこともいずれ書いていこうと思っています。


ちょっと時間があまり取れずに断片的な意見となってしまって、すみません。buuさんの改革案については、私の意見が現在まで関係したところは、その他の事項(4-1)だけ?ですね。役に立ってませんね、私。


官僚は制度に負けるのか4

2004年12月04日 13時54分02秒 | 行政制度
続きです。あまり時間が取れなくて遅れてしまいすみません。
少ししか進めませんでした。


不正について

buuさん
・一つ目には給料が安いこと。二つ目には評価の幅が少ないこと(やってもやらなくても一緒。またキャリアとノンキャリの身分差別も関与しています)。三つ目として公務員も人の子であるということ。四つ目が社会環境がそれを許してきたこと。
・犯罪のない社会などはこの世にはほとんど存在しないわけで、全てが正当に、というのは無理
・公務員だけ体質改善、これはかなり難しい
・厳罰をもって対処する


・仕組みを悪用すれば色々な不正・不当行為をすることも可能
・組織体質というか風土なのではないか、そして業務評価(執行された結果の)が正しく行われないからではないのか

内部の意見としては、ちょっと驚きました。問題の根が深いということでしょうか。現状では自浄作用に期待するのが困難ということであるということなのでしょうか。体質改善は期待できない、ということのようです。あとは、職業倫理を守れない人も中には存在するようなので、それを内部的に指摘して(ひどければ告発するとか)改善できないものなのでしょうか。私は原因論的に考えていましたが、原因除去という立場からではうまくいかないのかもしれません。検査機能という視点からでは、無くすことが困難ということでしょう。


例えば検察官、裁判官、旧国立病院の医師や国立大学の研究者等は給与体系に多少違いがありますが同じように国家公務員でした(国立病院・大学は独立行政法人になってしまいましたが)。彼らが、飛びぬけて高い報酬を得ていたとは考えていません。教育水準も高いですし個人の能力としても優れた人達であろうと思っています。そういう人達が、給料が安いという理由で官僚ほど不正を働いているとは思っていません。出現頻度を調べたわけではないので、分母が違うのかもしれませんが。

「給料が安い」ことを第一の理由に挙げておられますが、通常40歳の検事や国立病院医師がおっしゃられているようなレベルの高給取りとは言えないでしょう。国立大学の教授になれるのは、一部署だけで見ると15~20年に1人くらいの割合と聞いたことがあります。国立病院長といえども年俸3千万円などということはないでしょう。報酬が自分の考えよりも安いからといって、不正な権限行使をする人達が多いとは思っていません。それとも官僚の方が志の低い人の割合が高いということでしょうか?

そういう自分の報酬の多寡によらず、正当に遂行しようとする意志と信念を持ち、人々のために役立っておられるからこそ、尊敬でき信頼できるのであろうと思っています。当然ながら皆が聖人君子とも思ってはいませんが、少なくとも私の中では政治家や官僚に比べるとはるかに信頼できる人達であると考えています。

もしも、一般論として官僚達は、自分の能力が優れているにもかかわらず、それが正当に評価されないばかりか薄給にあえいでいるので、業務を正当に行う動機を失う、というご意見ならば、官僚達の特権階級的意識が強いと思うし、多くの国民に理解されるものではないと感じます。真に個人が考える能力に見合った妥当な報酬を求めたいならば、最初から官僚を選択しなければ済む事です。

私の意見としては、官僚の意識改善を図ってもらうことが最も効果的だと考えます。特別な制度や仕組みも必要なくできますし。個人の意識が変われば組織としても変わっていけるのではないかと思っています。


官僚は制度に負けるのか3

2004年12月04日 09時46分02秒 | 行政制度
buuさんからのTBがありました。また記事に書いてみます。


今までの印象では、官僚経験を有しておられるということで内部からの視点というように感じます(当たり前なんですが)。
私は部外者というか一国民として危惧しているというだけですが、buuさんは実情を知る者として単なるバッシングではなく意義のある制度改革を政治的手段を用いて行うべきである、というような意志であろうかと思います。これに賛同できないというものではありません。私の過去の記事に書いてきたことは、現在ある国家公務員制度の中で、官僚に組織改革―主として意識改革ですね―を求めるものであったし、個々の事例について検討してきました。今回のような意見交換によって、制度自体というか行政の持つシステムについて考える機会になったことは意味があります。


どのように書くのがいいのか判りませんが、今まで自分の主張を書いてきましたから、少し整理してみようと思います。


今までの記述に基づいて、いくつか論点を整理してみます。


行政に関する訴訟

buuさん
・国民の「面倒だから行政に関する訴訟をしない」という考え方の延長線上に今の日本が存在する
・個々で訴訟する必要がなく、NPOをつくることもできる
・少なくとも自分はやらない、細かい不正にそれほど興味を持っていないから

私  
・行政側が行う決定そのものの正当性について、一般人は調べられないし検証することもできず、方法論としては、やはり訴訟以外ありません
・訴訟に関わる個人的労力よりも行政の一件の決定についての法的評価を優先すべし、ということが本当に一般国民に認識されているとは思わない
・裁判所に出廷するため仕事を休んだり、訴訟費用を結審まで払い続けたりは到底できないので、私はしない
・オンブズマンとか多人数の原告団とかが訴訟を起こしていることを知っているが、国民がぞれぞれ裁判所での判断を仰ぐことは非効率的である
・国民が個々に訴訟する以前に、会計検査院という行政上の検査システムが存在する

訴訟に関しては主張が異なっております。

私の意見は、一般個人が正当性の検証をするには訴訟という手段しかないが、現実には無理であろうと考えており、本来その役割は検査院が担うべきものである、というものです。

buuさんの主張は文脈から見て、「個人で行う必要はないが、NPO等の組織をつくりそこから訴訟を提起し行政が行う決定についての正当性を検証すべきである」、ということであろうと解釈しますが、違っていたらお考えになっている訴訟に関する見解を記して頂きたい。

網羅的に訴訟するのでしょうか。例えば、補助金適正化法第7条第2項規定の適用事業か?、農業用水路整備事業の工事についての単価は合理的価格設定か?、年金保険料の徴収システムの契約額は適正か?、~~村に対する基地周辺対策費は適正額か?、~~協会への補助金事業は正当か?、~~事業に関する調査費は必要か?、~~センターの建設費は適正額か?、~~薬の保険適用外は正当か?、等々たくさんあると思いますが、検証は容易ではありません。相当の専門的知識を有していて開示請求すべき文書を知っており、かつ開示された情報を検討し、不当事項を探して訴訟となるわけで、現実的には多くの国民は実行できないのではないかと予想します。

オンブズマン等の市民団体やNPO組織に殆どの有権者は参加して行動すべきである、という主張でしょうか。仮にbuuさんが提訴するとしたならば、「細かい不正」ではなく何についての訴訟なのでしょうか?

勝手な解釈を付与するとすれば、「国民が行政についての理解を深める労力を惜しまず、日常から行政の決定に関心を持って正しい判断ができるようになるべきである」、「こうした判断に基づいて投票という権利を行使してほしい」というような趣旨ではないかと思いますが。



行政の権限について

buuさん
・立法府の能力不足
・省庁から立法業務を奪うことに異論はありませんが、その時の代替案はあるか?



・実質的には省庁内で法律に基づき各種の決定を行い、自分達でそれを運用し、不当かどうかを自分達で決めているようなもの
・評価がない為に、業務に関わる決定権等の権限を有する官僚達個人が権限を誤って行使したとしても、正されることがないか不正を働いて見つかってしまうことがあるかぐらい
・法令の解釈・運用・決定(適用)の全ての権限を省庁の官僚が有するという状況が、業務の効率性や正当性の評価がなされないまま行政が執行されていく要因となってしまっている

この点に関しては、buuさんの指摘や主張が少ないので真意は図りかねますが、「立法府の能力不足」は間違いないということでしょう。具体的にどの様な点について改善すべきかは主張がないのでわかりません。議員個人の能力についてなのか、制定される法律の不備なのでしょうか。

私は、権限行使の評価がないことが不備であると考えています。法令解釈に関しては官僚が有することは容認できますが、それに関しても最終的な決定後に正当性について評価する必要があると思います。

主張にズレがありますが、対立点は見出せません。もし、違う主張であればご意見をお願いします。



検査システムについて

buuさん
・費用対効果の問題
・公務員の不正を監視するためにかなりの努力を払っていた(所属していた所では)
・行政府の機能不全を防ぐ役割は当然立法と司法で実施すべきで、同時に「世論」という手段もあるが、きちんとした情報収集と理論武装が必須


・会計検査院が検査を実施しているが、当然全てを網羅できるわけではない
・問題を放置している内閣に問題があるのか、提出された検査院報告を安易に承認する立法府である国会(議員さんたち)の能力不足なのかはわからない
・現実問題として検査院が全てを検査することは困難で、省庁間との信頼関係に依存する部分が当然ある

効率的に検査を行うことは難しい問題ですが、私は検査院の機能に期待したいと思います。評価機能を有していることと、憲法に制定されているようにその存在と職権は非常に有効であると考えます。ですが、実行となると現実は厳しい面がありますから、人員増を図るとかが必要かもしれません。他には、信頼関係に期待することくらいでしょうか。

buuさんは立法、司法に実施させるとして、どのような方法をお考えなのでしょうか。世論とはいわゆる「批判」というニュアンスなのでしょうか。判決のような公的権力の行使でしょうか。


まだ途中ですみませんが、残りはまた書きたいと思います。


官僚は制度に負けるのか2

2004年12月03日 18時03分47秒 | 行政制度
buuさんからTB頂きました。拙文をご紹介頂いて有難うございます。
個人の方に向けて記事を書くということは初めてですが、コメント欄では確かにうまく書けませんので、記事に書いてみたいと思います。


まず、私の当初からの目的は、社会保障制度の抜本的改革を考えるべきであるということです。これは時系列で記事を読んで頂きたく(下らない文章も多数存在しますから、嫌とおっしゃられるかもしれませんが)、国家公務員共済の謎シリーズにおいてもこの制度にどの様な問題点があるのかについて考えたものです。勿論個人的感情によって書かれている部分も多数ありますが。非難を受けるのはいたしかたがない部分もあります。これらは、国家公務員制度について批判すべきこととして書いた訳ではありません。私のような素人が考えられる、非常に局所的な部分について取り上げたものですね。他の不正ものについても、現存の官僚制度や法曹制度等について総論的な制度そのものの批判を行っている訳ではないことは記事をお読み頂ければ明白であろうと思います。



ただ、現在の行政制度を考えると、一般国民の感覚として社会的に許容しにくい部分も含まれていると思うのです。これは当然のことながら政治家や官僚等の専門家集団によって運営されている行政が、不正を生み出す構造を有しているということです。この個々に事例についてはメディア等の報道を通じて一般国民は知るわけですが、これを改善していくにはどうしたらよいのでしょう?ということになると、私個人の持てる力量では具体的に良い方法は見つかりません。思いついたことと言えば、ブログに書く事だけです。後は少しでも解る範囲で調べたり省庁に疑義照会のメールをするくらいですね。これが、私の精一杯の努力なのです。それでは国民の責任を果たしていることにはならないというご指摘をうけるやもしれませんが。


国民として行政裁判や住民訴訟の権利を有しているのではないか、とのご意見もあると思いますし、現実にそのような行動をとられておられる方々が存在することも知っております。法的な権利ですから、当然行使すべきである、と言えなくはないでしょう。ですが、心の底から「国民が個々に訴訟を起こし、行政に深く関わりを持つべき」という意見だとするならば、非常に残念に思います。訴訟に関わる個人的労力よりも行政の一件の決定についての法的評価を優先すべし、ということが本当に一般国民に認識されているとお考えなのでしょうか。本当にご自身でもそれを実行してゆくお考えなのでしょうか。私ならば仕事がありますし、何度も裁判所に出廷するため休んだり、訴訟費用を結審まで払い続けたりは到底できません。そのような財産的基盤も持ち合わせておりませんしね。たとえ訴訟で勝訴であったとしても、非常に大きな決定事項について(そういうのは多くがオンブズマンとか多人数の原告団とかが訴訟を起こしていると思いますが)ならまだしも、たった一件の旅費返還請求であったり一千万円の補助事業の正当性についてであったりしてみたところで、「国民がぞれぞれ裁判所での判断を仰ぐべし」ということがいかに非効率的であるか容易に判断できると思います。


また、現在の法体系に基づいて行政が行われているわけですし、本来ならばこの行政システムでもほぼ正しく機能できるようになっているはずです。勿論完璧ではないことはあると思いますが。例えば、行政が執行する予算については会計検査院が検査し判断することになっています。この会計検査院法第20条は次の条文です。

第20条
会計検査院は、日本国憲法第90条の規定により国の収入支出の決算の検査を行う外、法律に定める会計の検査を行う。
2 会計検査院は、常時会計検査を行い、会計経理を監督し、その適正を期し、且つ、是正を図る。
3 会計検査院は、正確性、合規性、経済性、効率性及び有効性の観点その他会計検査上必要な観点から検査を行うものとする。

これにより、本来ならば行政が執行する補助金事業であるとか全ての支出にわたって、合規性、経済性、効率性及び有効性の観点その他会計検査上必要な観点から検査しなければなりません。これは行政の評価としては、かなり厳格なものといえますし、「経済性」「効率性」「有効性」についての評価も含む訳ですから、事業の性格や妥当性についても当然審査されると考えられるのです。ですから、国民が個々に訴訟する以前の問題であって、このような検査が正しく実施されていれば多くは改善できうるものなのです。これが本来持っている行政のシステムであるのですね。ところがこのようなシステムがあっても十分機能していないという面があります。これは、検査院の人員数の問題であるとか各省庁との力関係や検査に対する抵抗(警察庁は「検査マニュアル」を配布していたという報道がありました)などが要因としてあるのかもしれません(推測ですが)。



この機能不全を防ぐためにはどうしたらよいのかということになりますと、ご指摘があるようにこうした問題を放置している内閣に問題があるのか、提出された検査院報告を安易に承認する立法府である国会(議員さんたち)の能力不足なのかはわかりません。どこにどうアプローチすると改善されるのかは、専門家ではない私個人にはわかりません。


翻って、このような機能を有している行政府ではありますが、現実問題として検査院が全てを検査することは困難ですから、あとは省庁間との信頼関係に依存する部分が当然あると思います。もしも官僚が全員「善良な管理者」であって個々の能力を適正に発揮するならば、部分的に指摘される事項があったりするかもしれませが、多くは適正に運営されるのではないか、と思っているのです。それは、行政府の業務を担う各個人が、全員「悪意の管理者」であるとは考えていないからで、大多数は優秀な良き人々であることは想像に難くない。そうであるが故に現在のシステムで不正を生じてしまうことが残念であるし、一般人としては疑問に思うところなのです。何故起こってしまうのか?以前の記事にも書きましたが、それが組織体質というか風土なのではないか、そして業務評価(執行された結果の)が正しく行われないからではないのかな、と。

官僚達全てが正当に業務に携わるなら、国民との間にも信頼関係が築かれる可能性は高くなると思いますから、批判は少なくなるでしょう。ですから不正をなくすことから始めるべきではないかと思います。次に国家公務員制度の問題点があれば改善する方がよいでしょうし、また検査院も含めて業務を正当に評価する仕組みをどのようにするかとか、個人の能力についても評価をどうするかとかという議論をしていくべきではないかと思うのですが。方法論とかは様々な意見もあるでしょうし、内部事情が判らない私のような人間では難しい問題も多いですからそういう点では専門家が検討する必要があると思っています。私は不当な業務委託などによって利益を生じている公益法人とか外郭団体とかとは手を切るべきであると考えていますし、不必要な組織はなくすべきであるとも思っています。こうした政策は政治的決着が必要な部分もあるでしょうから、政治家を選出している国民にも責任があると思います。政官業が天下り先や利権をせっせと作り上げてくることを看過していた、と言う意味においても同様と思いますが。


最後になりましたが、私の名前は変なんですが一応「まさくに」ということにしてあるので、呼びかけて頂けるときはこの名前でお願い致します。それと、国家公務員の不正が起こってしまうのは立法府の能力の問題であって、ひいてはこのような議員さん達を選出した国民に責があるので、国家公務員の批判などする資格はないとおっしゃられるのでしたら、残念ながらいくら議論しても平行線をたどるだけであろうと思います。官僚の不始末の責が官僚達にあるのではなく国民にあるのだという結論ならば、過半数を超える有権者が同じように変わらない限り、状況は何も変わらないという結論になってしまいますので。そしてその有権者たちが選出する国会議員の多くが賢明であって現状の行政を改善してくれることが必要ということです。



官僚は制度に負けるのか

2004年12月02日 18時07分28秒 | 行政制度
木村氏のブログに書いてみようと思い、あれこれ批判をまた書いてしまいました。勿論国家公務員を憎んでいるわけではありません。何度もお世話になっていますし・・・。優秀な人々の集団である官僚達はなぜ一般凡人の感覚とは異なるのか考えてみました。




業務の評価や動機付けという点で、人事制度の問題という側面があることは同意できる。組織の硬直性もそうした中から出てくるという指摘も理解できる。しかし、行政の業務を執行するにあたり、根本的な制度上の問題があると考えている。


現在の政治の仕組みは誰しも知っているように、民主主義です。国民が議員を投票によって選出し、国会で法律などを決定します(実質的には政権与党が決めることになります)。法律は、ある程度細かく決まっているものもありますが、政令や省令等でさらに細かい決まりを作ったりすることもあります。もっと細かい部分については、通知・通達によって行政側が決定します。あるいは、こうした通知・通達がない事項についても行政側に決定権があると考えられています。


法律は概略決まっていますが、全てを規定することは出来ません。それより詳細事項についての実務上の決定権は殆どが省庁に委ねられていると言えます。一般人はこの決定内容を全て知ることはできません(文書開示を請求すればよいという意見もありますが、この権利を行使しても当然のことながら全てを知ることができないのはご存知でしょう。行政側にも是認される合理的理由があれば拒否できるからです。開示請求を巡って裁判となることもありますが、庶民の一個人が時間と労力をかけて取り組むには難があります。また開示請求するべき文書の種類や存在を知らなければ請求できませんね)。

行政側が行う決定そのものの正当性について、一般人は調べられないし検証することもできません。方法論としては、やはり訴訟以外ありませんね。法律に基づいて業務遂行のために省庁が出した決定は、裁判所が判定する以外ないということです。予算の執行については会計検査院が検査を実施しておりますが、当然全てを網羅できるわけでもありません。抜け所はいっぱいですね(ひどい喩えを用いるなら「ザル」以下で、引っ掛かりのほとんどない筒かもしれません)。


三権分立などといくら奇麗事を言ってみても、実質的には省庁内で法律に基づき各種の決定を行い、自分達でそれを運用し、不当かどうかを自分達で決めているようなものです(やっている以上、不当などという評価は決して下さないでしょうけど)。この評価がない為に、業務に関わる決定権等の権限を有する官僚達個人が権限を誤って行使したとしても、正されることがないか不正を働いて見つかってしまうことがあるかぐらいでしょう。


例で考えることにします。国家公務員の旅費に関する規定です。これは「国家公務員等の旅費に関する法律」によって規定されています。当然法律ですから、議員さん達が決めたものですね。この議員さん達を選んだのは私たち国民です。民主主義に基づいてますね。

さて、通常この法律に従っていることが殆どですが、中には詳細規定を別に定めている部分もあります。これについては財務省令によると定められていますし、警察庁に関しては「警察庁旅費取扱規則」という総理府令(旧ですね)があります。

読売新聞に掲載されていた記事によれば(手元に資料がないので正確ではないかもしれません)、この旅費計算システムを公益法人に発注しており、各省庁によって価格がバラバラで3割くらい開きがある場合や、安価な市販ソフトと人力で対応し十分の一くらいのコストでやっている省庁もある、とのことでした。この決定権が各省庁の担当者にあるため、実質的には現場の官僚が決めることになり、この決定が妥当かどうかは評価されません。そのためこのような違いを生じるのです。

また、実際の旅費支給に関しては経理上必要な書類等の資料があって、これに基づきかつ法令に従って支払われるのですが、この決定が正しいかどうかは評価を受けることは少ないのかもしれません。一時期旅費支給に不正が見られる(いわゆるカラ出張でしょうか)ということが話題になったことがありますが、一般国民が一件一件調査するのは実質的に無理ですね(警察裏金問題でも旅費が不適切な支出となっていることが指摘されています)。

最初に示した法律の条文には次の規定があります。

第13条
旅費(概算払に係る旅費を含む。)の支給を受けようとする旅行者及び概算払に係る旅費の支給を受けた旅行者でその精算をしようとするものは、所定の請求書(当該請求書に記載すべき事項を記録した電磁的記録(電子的方式、磁気的方式その他人の知覚によつては認識することができない方式で作られる記録であつて、電子計算機による情報処理の用に供されるものをいう。)を含む。以下この条において同じ。)に必要な資料を添えて、これを当該旅費の支出又は支払をする者(以下「支出官等」という。)に提出しなければならない。この場合において、必要な資料の全部又は一部を提出しなかつた者は、その請求に係る旅費額のうちその資料を提出しなかつたため、その旅費の必要が明らかにされなかつた部分の金額の支給を受けることができない。

要は必要な正しい資料を提出しないとその部分の旅費は支給しませんよ、という意味です。この規定は現場の担当者が決定することになり、この決定が正しいかどうかは会計検査院の検査とかがないと評価できませんね。

旅費支給という事項に関して一連の流れで考えると、法律は決まっているが省庁は別な法令を付与したり、計算システムの発注権限を行使したり、法令で規定されている支給規定を自分達で解釈し運用して支給決定する、ということです(社会保険庁のシステム発注も似たようなもので、妥当性については評価がないままでしたから106億円もの契約外の無駄が指摘されることになるわけです)。
カラ出張であるとか13条規定とかの適用は実質的に担当者が決定してしまうので、通常はこの決定の正当性は会計検査院に検査されるか、裁判によってこの決定について争うかしかありませんね(たとえこのような行政システムであっても、各個人が正当な業務を行い権限を適正に行使すれば正常に機能し得ると思いますが)。


こうして、法令の解釈・運用・決定(適用)の全ての権限を省庁の官僚が有するという状況が、業務の効率性や正当性の評価がなされないまま行政が執行されていく要因となってしまっているのではないでしょうか。
この例では旅費について見てみましたが、補助金などでも結局似たような仕組みになっています。このような仕組みを悪用すれば色々な不正・不当行為をすることも可能なのです。最近のいい例が「監修費」ですね。
これらの悪用が果たして人事制度の不備に依存するようなものなのかは不明です。また、権限を行使する各個人の資質によるものかも判りません。私は行政制度の研究者でもありませんし、官僚経験もありませんので。専門的知識を有しない愚民の1人ですから。


国会議員は官僚出身者や法曹出身者が多いそうです(一般社会の存在割合に比べてということでしょう)。そーですよね、優秀な人材が揃っていて、一般人よりも頭も良く難しい試験に合格した人達しかいない訳ですから、私どものような一般の愚民とは当然違います。そういう立派な賢い人達だから国民の信任を得て多数国会議員になられているのでしょう。
本当に賢く誠実で正義感や責任感溢れる人達ならば、実情に詳しい官僚出身者の議員の方々が悪しき人事制度があるために行政の著しい障害や不正の温床になると認識するでしょうし、彼らが率先して議案をつくるなり、抜本的改革のための法律や政策を作っていくべきでしょう。それができないような無能な官僚出身者の議員を選挙で多数選んだのは国民が愚かだから、国民がその責任を有するのかもしれません。或いは上述した仕組みのどこにも客観的評価ができる法律なり制度を作れない立法府が役立たずということでしょうか?それとも会計検査院が全てを検査していないことが悪いのでしょうか?業務を担当している個人の資質依存性に、人事制度の壁によって倫理観を喪失させられて不正を働いたり、非効率的業務を平気で許容できるように変わっていくのでしょうか?私にはさっぱりわかりません。

国家公務員の改革法は確かに出来ましたが、これで霞ヶ関は「良くなるね」と思っている現職の官僚達はどれほどいるのか聞いてみたいです。

本当にこうした改革が実効性を持つには、一般国民はどう考え行動したらよいのでしょうか?
全然わかりません。