ギリシャ問題に端を発して、色々と揺れているEUですけれども、ユーロという通貨についても様々な意見があるようですね。
確かに、国が寄り集まって同じ通貨を用いても、政府や財政政策は異なっているし、金融政策が難しいということはある。
だけど、米国の大きさと比べて、ユーロがそんなに不利かというと、どうなのか分からない。米国の州政府だって別々だし、財政政策も異なるし、税収や経済基盤も異なるんじゃなかなと。だけど、単一通貨だし、金融政策も同じですよね。州ごとに通貨とか金融政策をバラバラに用いるわけじゃない、ということです。
日本でも、都道府県ごとの格差みたいなのは、かなりありますよね。欧州との比較で考えれば、ブロック単位に分けてもいいくらいでは。けど、単一通貨ですもんね。
細かい最適な調節というのは、できるかぎり小さい単位になっている方が有利ではあるだろう、とは思いますね。だけど、何らかの突発的変動・ショックが起こったりすると、あまりに小さいと変動を吸収する(受け止める)余地が少ないので、倒れ易くなるんじゃないかな、と思ったりする。
ため池の水、みたいなものかな。大きさがある程度あれば、水がカラになる確率は抑制されるが、あまりに小さいと調節はしやすいというのはあるものの日照りが長く続いてカラになる、ということが起こるかもしれない。琵琶湖くらいに大きいと、そういうことは滅多なことでは起こりません、というようなこと。
似たようなことは、以前に書いた。
>GDPギャップは「-4.3%」
ヤカン、風呂桶、プール、という風に大きさが異なれば、その調節性も容易さに違いがあるだろう、というようなことですね。大きい方が、巨大な変動リスクに対しては抵抗力が増すはず、ということです。アイスランドみたいに小規模であると、モロに受けやすいというようなことかな。
日本でも都道府県単位で通貨にすると、金融政策は地域の水準に合わせて行えるので、理屈の上ではより最適度はアップするだろう、ということですけれど、やたらと弱い通貨とかがボロボロ誕生してしまうことになるね、と。
どの程度の大きさならいいのか、というのは一概には言えないのでは。
イギリス程度とか、カナダやスイス程度とか、そういう大きさに区分するなら、アメリカやユーロや日本もそうすべきだ、ということになるかどうかは分からない。ならば、ユーロは昔みたいにドイツマルクにせよ、とかっていうことになるよね。アメリカも州ごととか、連銀のある数と同じブロックに区分とか、そういうことになるかな。小さい方がいいかどうかは、どうなんでしょう?
今回のギリシャ問題について、非常に単純化して書けば、次のようなことなんじゃないのかな。
単一通貨を持つ日本とか米国というのは、大体似たような(いや全然違う、と中の人たちは言うだろうけど、あくまで比較の問題なので)国民性とか社会的背景(法、慣習、社会制度等々)を有している、ということであれば、まあ、そんなに大事にはならなかったのかも。
だけど、そういう同質性に比べてEU加盟国間の違いというのは、結構大きいということでは。
で、怒るかもしれませんが、あくまで単純化した話ですので誤解なさいませんように。
本件の主役となっていたのは、ドイツの対応ということでした。
ドイツ人は、日本人にちょっと近くて、几帳面なんだろうと思うんですよ。日本人主婦が家計簿をつける、というのと同じく、ドイツ人も帳簿なんかをつけていたりする。しかも細かく、金の出納を管理する。書き込む鉛筆は当然芯を舐める(笑、冗談です)。オーバーですが、そういう気質だということです。一言でいえば「ケチ」と(これはあくまで例示です。現実にそうだという指摘ではありません)。
◎ドイツ人 →きっちりしている
こういうのはモノ作りにも顕れているでしょう?
一方、ギリシャ人ですが、毎日毎日床屋政談と論争しているばかりで、悪く言えば屁理屈は達者だけど「稼がない」と(あくまで例示です)。金の管理もドイツ人に比べると、かなりルーズ。しかも、悪いことに、ドイツにはギリシャ系移民とか出稼ぎ労働者がかなり来ている。そういう姿を常々見てしまっているので、ドイツ人の中には「ああ、こんなだからギリシャ人は貧乏なんだ」といったような偏った評価があったりするんじゃないのかな。そもそも出稼ぎに来るくらいの人たちって、本当に底辺付近の貧乏な人たちが多いだろうと思うので、余計にそういう評価に拍車をかけてしまう、と。
◎ギリシャ人 →あんまり稼げてない、金にルーズ
そうすると、ドイツ人は「やっぱりな」とか考えてしまうので、「俺らの税金がギリシャに投入されちゃって、ギリシャ人はきっと返さない(返せない)つもりだ」というような感情を抱くので、ドイツ国内からは不満の声が上がるのでは、と。税金というわけではないんだけど、ドイツが一生懸命輸出とかで稼いでユーロの地位と価値を高めてきたって、足を引っ張るヤツラ(ギリシャ、…以下略)がいて、稼ぎをフイにしやがった、みたいな。元からして、昔のドイツマルクが強い通貨というのに慣れているので、価値が上がるのは当然だ、と。
なのに、彼らは、と。そういうのを甘やかしてはいけない、という意見が出るのも分かる気がするよね、と。
(日本国内でも、「東京は頑張って稼いで収益を挙げているのに、北海道とか沖縄とか大阪とかの地方がおんぶに抱っこじゃないか、地方交付税なんか配るとか公共事業配分なんかするからダメなんだ」論というのにも近いかも。そんな論があるかどうかは知らないが。)
だって、ギリシャ支援に必要な額なんて、そう大した額じゃないですからね。
だけど、ドイツ人的気質からすると、額の多寡ではなく、許し難いという部分があるのであろうな、と。
いや、その気持ちは分かる。
例えば目の前に杜撰な経営の会社社長がいて、あなたが経営状況を診断したり会計検査するという特別な立場にあるとしますか。すると、この放漫経営社長は、自分の好き勝手に金を高級車につぎ込んでしまっていたり、不必要な事業に手を出して失敗していたり、稼げもしないくせに無駄に高級デスクに座っていたり、と本当に杜撰のオンパレードだとすると、この会社に「経営が傾いているので支援してくれ、ちょっと融資金を回してくれ」とか言われたら、そりゃまあ怒るわな、普通。笑
支援の前に、まずその無駄なお前の給料を削れ、とか忠告してしまいますよね。
ギリシャの財政がそうだということではないですが、常々(ドイツ人には)そういう風に見えていた、というのがあったが故ではないのかな、ということです。
確かに、国が寄り集まって同じ通貨を用いても、政府や財政政策は異なっているし、金融政策が難しいということはある。
だけど、米国の大きさと比べて、ユーロがそんなに不利かというと、どうなのか分からない。米国の州政府だって別々だし、財政政策も異なるし、税収や経済基盤も異なるんじゃなかなと。だけど、単一通貨だし、金融政策も同じですよね。州ごとに通貨とか金融政策をバラバラに用いるわけじゃない、ということです。
日本でも、都道府県ごとの格差みたいなのは、かなりありますよね。欧州との比較で考えれば、ブロック単位に分けてもいいくらいでは。けど、単一通貨ですもんね。
細かい最適な調節というのは、できるかぎり小さい単位になっている方が有利ではあるだろう、とは思いますね。だけど、何らかの突発的変動・ショックが起こったりすると、あまりに小さいと変動を吸収する(受け止める)余地が少ないので、倒れ易くなるんじゃないかな、と思ったりする。
ため池の水、みたいなものかな。大きさがある程度あれば、水がカラになる確率は抑制されるが、あまりに小さいと調節はしやすいというのはあるものの日照りが長く続いてカラになる、ということが起こるかもしれない。琵琶湖くらいに大きいと、そういうことは滅多なことでは起こりません、というようなこと。
似たようなことは、以前に書いた。
>GDPギャップは「-4.3%」
ヤカン、風呂桶、プール、という風に大きさが異なれば、その調節性も容易さに違いがあるだろう、というようなことですね。大きい方が、巨大な変動リスクに対しては抵抗力が増すはず、ということです。アイスランドみたいに小規模であると、モロに受けやすいというようなことかな。
日本でも都道府県単位で通貨にすると、金融政策は地域の水準に合わせて行えるので、理屈の上ではより最適度はアップするだろう、ということですけれど、やたらと弱い通貨とかがボロボロ誕生してしまうことになるね、と。
どの程度の大きさならいいのか、というのは一概には言えないのでは。
イギリス程度とか、カナダやスイス程度とか、そういう大きさに区分するなら、アメリカやユーロや日本もそうすべきだ、ということになるかどうかは分からない。ならば、ユーロは昔みたいにドイツマルクにせよ、とかっていうことになるよね。アメリカも州ごととか、連銀のある数と同じブロックに区分とか、そういうことになるかな。小さい方がいいかどうかは、どうなんでしょう?
今回のギリシャ問題について、非常に単純化して書けば、次のようなことなんじゃないのかな。
単一通貨を持つ日本とか米国というのは、大体似たような(いや全然違う、と中の人たちは言うだろうけど、あくまで比較の問題なので)国民性とか社会的背景(法、慣習、社会制度等々)を有している、ということであれば、まあ、そんなに大事にはならなかったのかも。
だけど、そういう同質性に比べてEU加盟国間の違いというのは、結構大きいということでは。
で、怒るかもしれませんが、あくまで単純化した話ですので誤解なさいませんように。
本件の主役となっていたのは、ドイツの対応ということでした。
ドイツ人は、日本人にちょっと近くて、几帳面なんだろうと思うんですよ。日本人主婦が家計簿をつける、というのと同じく、ドイツ人も帳簿なんかをつけていたりする。しかも細かく、金の出納を管理する。書き込む鉛筆は当然芯を舐める(笑、冗談です)。オーバーですが、そういう気質だということです。一言でいえば「ケチ」と(これはあくまで例示です。現実にそうだという指摘ではありません)。
◎ドイツ人 →きっちりしている
こういうのはモノ作りにも顕れているでしょう?
一方、ギリシャ人ですが、毎日毎日床屋政談と論争しているばかりで、悪く言えば屁理屈は達者だけど「稼がない」と(あくまで例示です)。金の管理もドイツ人に比べると、かなりルーズ。しかも、悪いことに、ドイツにはギリシャ系移民とか出稼ぎ労働者がかなり来ている。そういう姿を常々見てしまっているので、ドイツ人の中には「ああ、こんなだからギリシャ人は貧乏なんだ」といったような偏った評価があったりするんじゃないのかな。そもそも出稼ぎに来るくらいの人たちって、本当に底辺付近の貧乏な人たちが多いだろうと思うので、余計にそういう評価に拍車をかけてしまう、と。
◎ギリシャ人 →あんまり稼げてない、金にルーズ
そうすると、ドイツ人は「やっぱりな」とか考えてしまうので、「俺らの税金がギリシャに投入されちゃって、ギリシャ人はきっと返さない(返せない)つもりだ」というような感情を抱くので、ドイツ国内からは不満の声が上がるのでは、と。税金というわけではないんだけど、ドイツが一生懸命輸出とかで稼いでユーロの地位と価値を高めてきたって、足を引っ張るヤツラ(ギリシャ、…以下略)がいて、稼ぎをフイにしやがった、みたいな。元からして、昔のドイツマルクが強い通貨というのに慣れているので、価値が上がるのは当然だ、と。
なのに、彼らは、と。そういうのを甘やかしてはいけない、という意見が出るのも分かる気がするよね、と。
(日本国内でも、「東京は頑張って稼いで収益を挙げているのに、北海道とか沖縄とか大阪とかの地方がおんぶに抱っこじゃないか、地方交付税なんか配るとか公共事業配分なんかするからダメなんだ」論というのにも近いかも。そんな論があるかどうかは知らないが。)
だって、ギリシャ支援に必要な額なんて、そう大した額じゃないですからね。
だけど、ドイツ人的気質からすると、額の多寡ではなく、許し難いという部分があるのであろうな、と。
いや、その気持ちは分かる。
例えば目の前に杜撰な経営の会社社長がいて、あなたが経営状況を診断したり会計検査するという特別な立場にあるとしますか。すると、この放漫経営社長は、自分の好き勝手に金を高級車につぎ込んでしまっていたり、不必要な事業に手を出して失敗していたり、稼げもしないくせに無駄に高級デスクに座っていたり、と本当に杜撰のオンパレードだとすると、この会社に「経営が傾いているので支援してくれ、ちょっと融資金を回してくれ」とか言われたら、そりゃまあ怒るわな、普通。笑
支援の前に、まずその無駄なお前の給料を削れ、とか忠告してしまいますよね。
ギリシャの財政がそうだということではないですが、常々(ドイツ人には)そういう風に見えていた、というのがあったが故ではないのかな、ということです。