今年もあっという間に過ぎた1年だった。個人的な面では、悪い事もなく、大きな心配事もなく、安穏に過すことができたので、良い1年であったと思う。あっ、腰痛になった。40過ぎだと、肉体的な変調が訪れるのかな、やっぱり。数日前に行ったボーリングの後の、筋肉痛(弱すぎですか?そーですか、恥)がまだ続いているし。スコアも散々だったのだけれど。
ところで、今年変わったことは、ハイブリッド車を購入したことがあった。冬の燃費はこれまでに比べても、格段に向上するだろう、とか予想していたのに、全くの逆であった。これは予想ガイだった。理由としては、寒い為に暖房が必須であるため(ガラスが凍ってしまうため、視界が確保されるまでアイドリングが必要になってしまうのだ・・・!)その分エンジンの駆動時間が長くなるのと、ブレーキングでのロスが大きいのだろうと思う(回生システムが効きにくい)。凍結路面では摩擦係数がかなり低い為に、ブレーキによってタイヤの回転が止まりやすいはずで(ロックしやすい傾向ということ、実際はABSがある為ロックはしないけれども)、タイヤと路面での熱エネルギーとしてロスが大きくなるのではないかな。タイヤの回転力からエネルギーを回収する回生システムのメリットが減殺されてしまうだろう。なので、夏場だと12~13km/L程度だった燃費は、今のところ10km/L程度に落ちている。気温が低ければ低いほど落ちている。これからの数ヶ月間は、結構損した気分ではあるものの、以前の5.5km/Lくらいであったことを思えば、格段に向上したことは確かなんですけれどね。SUVの選択についてだが、多分車がスタックして動けなくなることがあると考えられないような乏しい想像力の人もいると思うが、そういう人は「何故ハリアーを選択したか」ということが直感的には理解できないかもしれない。普通の車なんかだと、自分1人で脱出するのが難しい場面というのがあるものなのですよ、本当に。そういう感覚は自分の生活環境によるのだろう。大抵は、かなり実用的な面での選択意図があるものなのです。
あと、今年のブログのことを一応振り返っておこう。
まず思うことは、やっぱり頭のいい人たちはたくさんいるのだな、ということかな。当たり前なんだけど。仮に18歳時点での成績上位側から3万人程度(恐らく有名国公立や私立大学の入学者を合わせると2~3万人くらいではないかな?)だけ考えても、過去30年(つまり48歳まで)分で90万人も存在することになる。その全員がブログをやっているわけではないだろうが、10%が書いているとしても9万人!もいることになる。ブログ数で9万となれば、それだけで自分1人では読めない程の数だ。つまり、そういう頭の良い人たちが書いているであろうブログは、かなりたくさんあっても不思議ではないのである。で、自分が目にするのは、そのまた数百分の一とか数千分の一程度なんだろうと思う。まだ見ぬ凄いブログは、まだまだあるんじゃないかと思う。
みんなが好きな内容とか、注目する中身とか、そういうのは棲み分けられてきているかもしれない。大衆に届くことが最も必要で、それが現実世界での出来事にも繋がっていくだろう。ブログの女王だか、新女王だか言われたりするが、そういうのを読みたい人たちが多いのだから、ブログというのはそういうものなんだろうと思う。ただ、自分が書く時には、そういうことよりも、自分で考え直す時の確認や整理とか、意外なことを知ったとか、下らない世間話とか、頭の中から零れ落ちてくる「何か」を書いておくことが多いように思う。なので、大衆への影響力は無いね。
大衆への影響力ということで言えば、マスメディアについて感じることがあった。いい面も、悪い面も、だね。
不確実なことを断定的に書くとか、記者の感情を織り込みすぎとか、煽り過ぎとか、そういった批判をしてきた。テレビに対しても、色々と批判したけれど、やっぱり大衆への影響力があるのは、こうしたテレビ、新聞や雑誌なので、できるだけ質を高めてもらえれば、と思う。
特に感じたことを挙げると、第一には、やっぱり読売新聞の頑張りだったんじゃないだろうか。私自身が取っているからとか、何かの利害関係者であるとか、そういうことでは全くないですが、それなりに評価できる部分はあったと思う。最も良かったのが「戦争責任検証シリーズ」だった。政治の舞台裏を丹念に取材し、人間中心で描き出していたシリーズなんかも良かった(判断や決定に至る過程で違った視点が窺えると思う)。ナベツネの他紙登場というのも、象徴的な出来事だったのではないか。他社系の論壇誌や一般紙といった枠組みを超えて行くことは、言論世界では重要ではないかな、やっぱり。組織としての利害関係に言論が封殺されるようなことがあってはダメだろうと思う。テレビ業界なんかだと、未だに古い慣行とかあるのかもしれないが、新聞や雑誌なんかは危機感が結構あるせいなのかもしれない。今後存在意義を問われる場面はやってくるだろうと思うので、生き残れる為には質を高めることが重要だろうと思う。
自分たちの先祖が過去にどのようなことをしたり考えたりしてきたのか、過ちはどうして起こったのか、そういうことをようやく冷静に考えてみることが可能な時期に来たのだ、ということだと思う。過失責任はあった。過ちへと先導した人々も、それにつき従っていった人々も、それを止めることが出来なかった人々も、時代を突き進んでいった。そういう過去を今の国民も「ともに背負う」ことが、犠牲になられた尊い命に対する弔いであろう。だからこそ、戦争は絶対に回避せねばならないし、最大限の努力で危機に対処せねばならないのである。そういう手段や方法を常に考えることが、過去の失敗を繰り返さない為に必要なのである。
行政の無駄遣いにしても、読売新聞はよく探し出して記事に書いてくれた。オンブズマンのような団体の人々も、地方議員なんかの不正を地道に調べ、証拠固めを行っていたと思う。こうした労力は大変なものなのだが、ある意味無駄な労力ではある。そもそもそういうことをやってなければ、調べる必要性などないのだから。知事をはじめとする地方自治体や地方議会の不正、佐田議員の政治団体の問題などで感じることは、省庁のように決算資料をネット上で公表するようにした方がいい、ということだ。国に比べて情報公開が遅れている部分が相当あるし、調べる側にとっては情報公開請求なんかでしか資料を手に入れられず、効率が悪いと思う。もっと政治から「金・利権」を遠ざけられるようにするべきだし、そういう流れで政党助成金だの公設秘書だの、税金を投入しましょう、となっているのでしょ?いつまでも「政治ゲーム」と「権力構造末席への参列」みたいなことをやっている連中が政策を真剣に考えたりできるものなのだろうか。そういう「政治ゲーム」は止めにして欲しい。
それから、貸金業法改正関連では、広告費関係なんかもあって、モロに利害関係にあったメディアであったが、その壁をよく乗り越えてくれたな、と思っている。勇気のいることだったろうが、言論を掲げるならば、やはり言及するべきであろう。報じ方には批判もあったし、扇情的な面がなかったとは言えないが、それでも私は評価している。特に毎日新聞のシリーズは勉強になったし、本当のところ実態をよく知らなかった私の貴重な情報源となった。モリタク先生や、NIKKEI NET「プロの視点」シリーズの太田康夫編集委員が書いた論説も、大変有り難かった。大竹先生の論説については、基本的な経済学での考え方が示されていた。こういう言説を広く示すことがメディアの役割であると思う。
ライブドアの一件や、新聞の特殊指定問題なんかもあったので、メディア自身も試された1年だったのではないか。これまで以上に、メディアについて大衆が考えたり、メディアの中の人たち自身が考えたんじゃないかと思う。
ちょっとバタバタしていて時間がないので、年明けにもうちょっと書こうと思うが、とりあえず今年の最後の記事としたい。
皆様、よいお年を迎えられますよう、また「上げ潮な新年」(by 中川秀直、笑)でありますようにご祈念申し上げます。
今年一年、ありがとうございました。
ところで、今年変わったことは、ハイブリッド車を購入したことがあった。冬の燃費はこれまでに比べても、格段に向上するだろう、とか予想していたのに、全くの逆であった。これは予想ガイだった。理由としては、寒い為に暖房が必須であるため(ガラスが凍ってしまうため、視界が確保されるまでアイドリングが必要になってしまうのだ・・・!)その分エンジンの駆動時間が長くなるのと、ブレーキングでのロスが大きいのだろうと思う(回生システムが効きにくい)。凍結路面では摩擦係数がかなり低い為に、ブレーキによってタイヤの回転が止まりやすいはずで(ロックしやすい傾向ということ、実際はABSがある為ロックはしないけれども)、タイヤと路面での熱エネルギーとしてロスが大きくなるのではないかな。タイヤの回転力からエネルギーを回収する回生システムのメリットが減殺されてしまうだろう。なので、夏場だと12~13km/L程度だった燃費は、今のところ10km/L程度に落ちている。気温が低ければ低いほど落ちている。これからの数ヶ月間は、結構損した気分ではあるものの、以前の5.5km/Lくらいであったことを思えば、格段に向上したことは確かなんですけれどね。SUVの選択についてだが、多分車がスタックして動けなくなることがあると考えられないような乏しい想像力の人もいると思うが、そういう人は「何故ハリアーを選択したか」ということが直感的には理解できないかもしれない。普通の車なんかだと、自分1人で脱出するのが難しい場面というのがあるものなのですよ、本当に。そういう感覚は自分の生活環境によるのだろう。大抵は、かなり実用的な面での選択意図があるものなのです。
あと、今年のブログのことを一応振り返っておこう。
まず思うことは、やっぱり頭のいい人たちはたくさんいるのだな、ということかな。当たり前なんだけど。仮に18歳時点での成績上位側から3万人程度(恐らく有名国公立や私立大学の入学者を合わせると2~3万人くらいではないかな?)だけ考えても、過去30年(つまり48歳まで)分で90万人も存在することになる。その全員がブログをやっているわけではないだろうが、10%が書いているとしても9万人!もいることになる。ブログ数で9万となれば、それだけで自分1人では読めない程の数だ。つまり、そういう頭の良い人たちが書いているであろうブログは、かなりたくさんあっても不思議ではないのである。で、自分が目にするのは、そのまた数百分の一とか数千分の一程度なんだろうと思う。まだ見ぬ凄いブログは、まだまだあるんじゃないかと思う。
みんなが好きな内容とか、注目する中身とか、そういうのは棲み分けられてきているかもしれない。大衆に届くことが最も必要で、それが現実世界での出来事にも繋がっていくだろう。ブログの女王だか、新女王だか言われたりするが、そういうのを読みたい人たちが多いのだから、ブログというのはそういうものなんだろうと思う。ただ、自分が書く時には、そういうことよりも、自分で考え直す時の確認や整理とか、意外なことを知ったとか、下らない世間話とか、頭の中から零れ落ちてくる「何か」を書いておくことが多いように思う。なので、大衆への影響力は無いね。
大衆への影響力ということで言えば、マスメディアについて感じることがあった。いい面も、悪い面も、だね。
不確実なことを断定的に書くとか、記者の感情を織り込みすぎとか、煽り過ぎとか、そういった批判をしてきた。テレビに対しても、色々と批判したけれど、やっぱり大衆への影響力があるのは、こうしたテレビ、新聞や雑誌なので、できるだけ質を高めてもらえれば、と思う。
特に感じたことを挙げると、第一には、やっぱり読売新聞の頑張りだったんじゃないだろうか。私自身が取っているからとか、何かの利害関係者であるとか、そういうことでは全くないですが、それなりに評価できる部分はあったと思う。最も良かったのが「戦争責任検証シリーズ」だった。政治の舞台裏を丹念に取材し、人間中心で描き出していたシリーズなんかも良かった(判断や決定に至る過程で違った視点が窺えると思う)。ナベツネの他紙登場というのも、象徴的な出来事だったのではないか。他社系の論壇誌や一般紙といった枠組みを超えて行くことは、言論世界では重要ではないかな、やっぱり。組織としての利害関係に言論が封殺されるようなことがあってはダメだろうと思う。テレビ業界なんかだと、未だに古い慣行とかあるのかもしれないが、新聞や雑誌なんかは危機感が結構あるせいなのかもしれない。今後存在意義を問われる場面はやってくるだろうと思うので、生き残れる為には質を高めることが重要だろうと思う。
自分たちの先祖が過去にどのようなことをしたり考えたりしてきたのか、過ちはどうして起こったのか、そういうことをようやく冷静に考えてみることが可能な時期に来たのだ、ということだと思う。過失責任はあった。過ちへと先導した人々も、それにつき従っていった人々も、それを止めることが出来なかった人々も、時代を突き進んでいった。そういう過去を今の国民も「ともに背負う」ことが、犠牲になられた尊い命に対する弔いであろう。だからこそ、戦争は絶対に回避せねばならないし、最大限の努力で危機に対処せねばならないのである。そういう手段や方法を常に考えることが、過去の失敗を繰り返さない為に必要なのである。
行政の無駄遣いにしても、読売新聞はよく探し出して記事に書いてくれた。オンブズマンのような団体の人々も、地方議員なんかの不正を地道に調べ、証拠固めを行っていたと思う。こうした労力は大変なものなのだが、ある意味無駄な労力ではある。そもそもそういうことをやってなければ、調べる必要性などないのだから。知事をはじめとする地方自治体や地方議会の不正、佐田議員の政治団体の問題などで感じることは、省庁のように決算資料をネット上で公表するようにした方がいい、ということだ。国に比べて情報公開が遅れている部分が相当あるし、調べる側にとっては情報公開請求なんかでしか資料を手に入れられず、効率が悪いと思う。もっと政治から「金・利権」を遠ざけられるようにするべきだし、そういう流れで政党助成金だの公設秘書だの、税金を投入しましょう、となっているのでしょ?いつまでも「政治ゲーム」と「権力構造末席への参列」みたいなことをやっている連中が政策を真剣に考えたりできるものなのだろうか。そういう「政治ゲーム」は止めにして欲しい。
それから、貸金業法改正関連では、広告費関係なんかもあって、モロに利害関係にあったメディアであったが、その壁をよく乗り越えてくれたな、と思っている。勇気のいることだったろうが、言論を掲げるならば、やはり言及するべきであろう。報じ方には批判もあったし、扇情的な面がなかったとは言えないが、それでも私は評価している。特に毎日新聞のシリーズは勉強になったし、本当のところ実態をよく知らなかった私の貴重な情報源となった。モリタク先生や、NIKKEI NET「プロの視点」シリーズの太田康夫編集委員が書いた論説も、大変有り難かった。大竹先生の論説については、基本的な経済学での考え方が示されていた。こういう言説を広く示すことがメディアの役割であると思う。
ライブドアの一件や、新聞の特殊指定問題なんかもあったので、メディア自身も試された1年だったのではないか。これまで以上に、メディアについて大衆が考えたり、メディアの中の人たち自身が考えたんじゃないかと思う。
ちょっとバタバタしていて時間がないので、年明けにもうちょっと書こうと思うが、とりあえず今年の最後の記事としたい。
皆様、よいお年を迎えられますよう、また「上げ潮な新年」(by 中川秀直、笑)でありますようにご祈念申し上げます。
今年一年、ありがとうございました。