・自然崇拝
ある国で白熊の赤ちゃんが瀕死の状況で発見され、動物園に保護された。その白熊の母熊は、不幸にして出産直後に死んだようであった。赤ん坊の白熊は母熊が死んだことを知る由もなく、傍にうずくまっていたのだった。そこを通りかかった漁師に運良く発見され、命が救われたのであった。
しかし、「自然を尊びそれを受け入れるべきだ」という運動を展開している自然保護団体のメンバーが動物園にやってきて、こう主張したのだった。
「あなた方は間違っている。人間の手で育てられることこそ、熊本来の権利を侵害しているのだ。自然な状態が一番良いのであり、母熊が死ねば赤ちゃん熊も死ぬ。これが自然の摂理なのだ。あなた方はそれを受け入れるべきだ。人間の主張を優先しようとする態度こそ、人間至上主義的な思い上がりに過ぎないのだ。自然のままに放置してあげることが、赤ちゃん熊にとって一番良い状態なのであり、正しいのである。自然こそ生命の尊厳の象徴なのである」
動物園の飼育係は困ってしまった。今、この赤ちゃん熊を自然界に戻せば、間違いなく死ぬ。それを選択することが本当に正しいのであろうか?赤ちゃん熊の命を奪う結果になったとしても、自然状態が一番良いのであろうか?本当にそれが正しいことなのか…?
迷う飼育係に団体のメンバーの1人は、更に追い討ちをかけるように、こう言った。
「あなたは目の前のたった一つしかない、小熊の尊い命を奪うことを考えて躊躇っていますね?でも、あなただって、1つの命を何の躊躇いもなく奪うことに、日常的に加担しているではありませんか。牛は確実に死にますよ?子羊のうまい肉だって、1つの命なのですよ?何も違いなどないのです。なのに、この小熊は躊躇い、牛やブタや羊を躊躇わないというのは、単なる偽善でしかないんですよ」
飼育係は目の前が真っ暗になり、どう考えてよいのか、何と返事をしたらよいのかわからなくなった。グルグルと、頭の中で何かが回っているような気がした。団体メンバーの言い放った言葉の一つひとつが、鋭く突き刺さってきた。小熊を胸に抱えたまま、体が凍りついた・・・・。
・デスマスク
ついてない一日の終わりの最悪の出来事は、病院で聞いた告知であった。
ガンだった。
彼女は元モデルで、自分の美しさにはそれなりの自信を持っていた。今は結婚して夫と二人で暮らしていた。夫婦生活は割と楽しく過せていたし、やりがいのある仕事にも満足していた。
だが、つい数ヶ月前くらいから目の奥の方に疼くような痛みを感じるようになった。初めのうちは、疲れているのかなと思ったりして、あまり気にもしていなかったが、痛みがはっきりと感じられるようになった。何となく、鼻が詰まったような、息苦しいような、そんな感じもあった。仕事が忙しかったから我慢していたのだが、いよいよ病院に行かねばと決心をして受診したのだった。
この日は朝からついてなかった。出勤の電車の女性専用車両の中で後ろのオバサンにカカトを踏まれたし、会社に届いているはずの書類は先方が送ってくるのを忘れていたし、珍しくミスって上司に呼び出されたし、本当に良くないことばかりだった。午後に病院の予約を入れておいたのだが、約束の時間よりも30分遅れて駆け込んだのだった。そこで聞かされたのが、ガンであった。
彼女は自分の聞いた言葉が、何かの間違いではないかとしか思えなかった。
「本当にガンなんでしょうか」
「そうなのです。珍しいのですが、顔面部にできる悪性腫瘍です。既に、鼻の奥から目の下までガンが広がっています」
「治る方法はあるのですか」
「手術と、放射線治療との併用ということになるかもしれません・・・が、治る見込みは何とも・・・」
「手術って、顔を切るのですか」
「恐らく右目を摘出することになるでしょう。頬の辺りも大きく取ることになるかと思います・・・が、正確にはもっと調べてみないと何とも」
彼女は、この世で一番恐ろしいものを生まれて初めて知った。
それは、死の恐怖よりも恐ろしいものであった。
彼女にある決心をさせるには十分であった。
それから4ヵ月後、彼女は遺書を残して自殺した。
夫は、突然の妻の死にショックを受けたが、その遺書を読んで初めて彼女の病気を知ったのだった。夫には、ガンだとは一切告げられていなかったのだ。彼女は自分の中に全てをしまっていたのだった。
彼女はガンの治療をして、たとえ手術が成功したとしても、美しい自分の顔が切り刻まれ見るに耐えない姿になってしまうくらいであれば、「生きてなんていたくない」と本気で思っていたのであった。彼女にとって生きることとは、自らの変わり果てた顔を曝すことなどではなかった。それは自らの生きる意味を奪うことと等しかったのだ。そのような選択をするくらいなら、死んだ方がマシだと考えていたのであった。遺書には夫に託された唯一の願いが書かれていた。
「私の生きていた証に、デスマスクを作ってほしい」
・「お金持ち」なら助かります
ある客船が事故に遭い、沈没しそうな状況になった。救命ボートに乗れるのはあと1人しかいない。だが、残っているのは10人だ。さてどうしたものか。そこに経済学に詳しい学生がいた。彼はこう提案した。
「救命ボートのイスを公平にセリにかけよう。10人の中で最も多くの費用を払ったものが乗れることにしよう」
10人は自分の持ってる全財産を数えた。
1人が言った。「私は10万ドル払えるぞ。これだ」
他の連中は全員押し黙ってしまった。そんな大金を払える人は滅多にいなかった。
別な1人の紳士が言った。
「他の人はもういないのかい?ならば私は11万ドル払おう。ここにある」
彼は分厚い小切手帳を手にしていた。彼の書き入れる金額を超えられる者など誰もいなかった。
先の経済学に詳しい学生は言った。
「やっぱりお金で決めるのは、間違ったやり方かもしれない」
紳士は言った。
「いやいや学生さんは正しいのだよ。仮に他の誰かが生き延びるとして、私の生み出す富以上を稼ぎ出すことなど誰もできないだろう。私の命の値段はこの中で一番高いのだよ。それは裁判所だって認めてくれる。法的にも正しい考え方なのだよ。もしも君が私を車で轢いて死なせたりしようものなら、逸失利益は莫大になるんだ。君たちの中で、誰も払えやしない。君たちの誰かが生きて社会に戻ったとしても、私が戻る場合に比べて、社会にとってはプラスにはならないんだ。私が戻ることが社会にとって一番良いのだよ。それは社会が求めている、ということさ。これは経済学的に考えて正しい結果なのだよ」
人口1万人のある孤島で謎の感染症が広がり、助かる為にはワクチンを接種する以外にないことが判った。この島にやってきた救助の特別医療チームの班長はこう言った。
「ワクチンは1人分しかない。これをたった今使わねば命は助からないだろう。そこで、このワクチンを販売することにした。さあみんなで値段を付けてくれ。この収益は国庫に納付されるので、安心してくれたまえ」
人々は値段をレイズしていった。初めから諦めているものも当然いたのだが。
「1億円出す」
「私は2億円でもいい」
「じゃあこっちは3億円だ」
「上には上がいるんだよ。3億5千!」
「4億!」
・・・・
班長は言った。
「あなたに決まりましたか。良かったですね。では6億8千万円は国庫に納付させて頂きます。他の方々は残念でしたね。お金を払わないと、助かる命も助からなくなるのが現実ですね。これは大事なことですから、よく覚えておいて次の機会に生かして下さいね」
「100万ドル用意してもらえれば、きっと移植手術ができるはずです。娘さんの命を助けることができます。世界でたった一つの命ですからね。最愛の娘さんを助けたいでしょう?たとえ100万ドルかかっても、命を救えるのですから」
男はそう言われて、100万ドルを募金活動で集めた。
募金した人々は「大切な1つの命を救う為に協力しよう」と思って、募金してくれたのであろう。尊い志だ。
しかし、その募金活動を見ていた外国人男性が抗議にやってきた。彼は世界の中でも最も貧しいクラスに分類される国から来た男であった。彼は言った。
「100万ドルあればあなたの娘さんの命が救われるのかもしれない。だが、もっと貧しい国にその100万ドルをくれるなら、1万人が助かるのです。私の国にその100万ドルを寄附してもらえませんか。それがあれば、1万人の子どもたちを救うことができるのですよ。どうかお願いします。それとも、あなた方は自分さえ良ければいいと言うのですか。金持ちだけが医療を受けられることが正しいと思っているのですか?貧しい1万人の子どもたちを見殺しにせよ、と?1人の金持ちのわがままを優先して、1万人を見捨てるのが本当に正しいやり方なのですか?」
・負けない自分
彼は長年に渡る介護を続けていた。自分の母親が植物状態になってしまったからだ。しかし彼は、延命治療を止めてくれとは決して言わないと固く心に誓っていたのだった。母親にしてあげられることはどんなことも厭わない、という覚悟ができていた。
母親は自分で体を動かすことも、何かの反応を見せることも全くなかった。常時眠ったような母親がどんなことを考えているのか、彼の話しかける言葉が聞えているのか、何も判らないままであった。しかし、彼にとっては母親の面倒をみていくこと、決して諦めずに介護をしていくことが、彼の使命なのだと確信していた。
ある時、彼の友人の紹介で、とてもよく当たるという霊能者に会う機会があった。彼は常々気になっていたことを是非聞いてみたいと思い、思い切って霊能者に尋ねた。母は今、どう思っているのか、何を考えているのか、と。霊能者は言った。
「お母さんは、ずーっと前から早く楽になりたい、今のような状態から一刻も早く開放されたい、そう思っていたようです。お母さんにとっては、辛いだけなのです。この世に存在している意味を何も感じることができないのです。息子は可愛いし、愛してもいますが、声も聞えず、一切の感覚を奪われ、言葉も失い、何かを整理して考えることもできず、ただただ重く苦しい真っ暗闇の中で死への感覚だけが続いているのです」
息子は衝撃を受けた。これまで母のことを大切に思い必死で介護を続けてきたが、母にとってはそれらの全てが無駄であったのかと思うと、言いようのない徒労感と虚脱感に襲われた。しかし、彼は思い直して、霊能者の言葉を俄かには信じられないと伝えた。自ら率先して死にたいと考える人などそういるはずがない、とも言った。すると、霊能者は彼に諭すようにこう言った。
「お母さんの介護を続けるあなたは、他の誰よりも立派です。しかし、あなたは自分の為に介護を続けているのです。自分を納得させる為に。自分の心を救済する為に。放棄するという呵責から逃れる為に。絶対に諦めないという自分を肯定する為に。そういう負けない自分を愛しているのです。そういう自分を続けることで、お母さんから死を奪っているのです。死期を悟った象が群れを離れて静かに死を迎えるでしょう。死への恐怖を回避したいとか、何とか死を迎えずに済むようにもがき苦しんだり、生へ固執したりはしないのです。それが死の形なのです。あなたはそうした死の形を、お母さんから取り上げてしまっているのではありませんか?」
彼に言葉はなかった。
自分は大きな誤りを犯してしまったのか。これまで良かれと思ってやってきたことは、自分の為だったというのか。死を望むものなどいないと思っていたが、死ねないことの苦しさを考えてこなかったかもしれない。生きていることが、何よりも価値があり大切なことなのだと確信してきたが、それは間違いだったというのか…。
彼には、答えが見つからなかった。