非難轟々ということになるかもしれないが、率直に書くことにする(コメントスクラムはやめてね、笑)。
前にも書いたのだが(格差社会5)、格差、格差ってのが本当に疑問だ。
よく聞くのは、親の所得格差が子供の教育格差に繋がっていて、しかも、「下層階級」の子供は既に諦めてしまって学業を頑張ろうと思わないそうだ。希望を失っている、ということも同じなんだと。親が金持ちじゃなけりゃ、「行きたい学校にも行けず」、ありとあらゆる「競争が不平等」で、「機会も不平等、結果も不平等」で、子供は勉強の出来ない子になってしまい、まともな仕事にも就けないようになってしまうんだそうだ。貧乏人は貧乏人のまま、世代を超えて階層固定されるんだって。そう言えば、内閣府の報告にはニートも低所得層が増加している、とか書かれてたしな。
じゃあ、そういうことを言う大学教授は、どうしたらいいと思ってるんだ?どうやって解決するのか言ってみてくれ。本当の根本的解決策はあるんだろう?現実には実施できないとしても、元々の「理想の答え」というのがあって、その通りやったら解決できるんでしょ?現実的な解決としては次善策を目指すか、それに極力近づけるような政策を考えればいい。是非とも「理想の答え」を聞かせてくれ。そして、それができた時の世の中を想像してみてくれ。全員が高給取りになってるのか?(爆)
希望格差も所得格差も無くなっているから、全員勉強が出来るようになるし、医者・弁護士とか大企業とかのような現在の「勝ち組」と言われるような仕事に就いている人しか存在しなくなって、全員が金持ちの安定した豊かな生活が約束されるんでしょ?その「理想の方法」を実行できたとしたら。安い給料の仕事に就く人達が誰もいなくなるから、外国人のメイドとか労働者だらけになってしまうな(笑)。
勉強が出来ることがそんなに偉いのか?給料が高けりゃ、立派な人間なのか?大学教授さまは偉いから、「貧乏人というのがまたバカな貧乏人を生み出す」とか思っているんだろう?「勉強だけが人生じゃない」って言ったりするのは、下層階級の貧乏でバカな子供だけだってんだろ?格差がそういう子供を生み出すと言いたいんだろ?一体何なんだ。そんなことが幸せなのか?
既に他界した有名な一流企業の創業者は、奥さん以外にも何人も女性がいて、認知した何人かの子供達に遺産相続をしたそうですよ(数億円も貰えたそうだから、全然下層階級じゃないですね。さぞ、誰しも羨む幸福だろうよ)。そういうのが「本当に立派な人だ」と思っているなら、そういう人生を目指せばいいでしょう。何億だか、数百億だかの遺産を残せるような企業創業者にしたって、立派な行いばかりなんかじゃないんですよ。
それとも普通に表現してみましょうか?「愛人が何人もいるような大金持ち」というのが立派な社会人であり、「配偶者以外に子供を何人も産ませる」というのが、立派な大人になる、ってことですか?(爆)
もしも、そういうのが正しい、っていう学者がいたら是非会ってみたいね。そういう大金持ちが何故非難されないかと言えば、社会的な地位と金があるからだ。それだけだろ。金のない「怪しげな教祖」や「ジゴロ気取り」が何人もの女性に子供を産ませると、逮捕されたりしてしまうこともあるけど(笑)。こういう大金持ちで一流企業を創業した人間は、貧乏だが真面目で道徳的な人間よりも偉い、って言ってみろよ。後者のような人間は、「所詮”下層”階級であり、その子供も下層階級になりがちだ」って言ってみろ。学者たちがこれを宣言できるのなら、下層とか格差というものの意味が、私にも少し理解出来るかもしれないな。
格差を謳ってる学者は何を平等と考えてるのか分らない。所得格差が子供の能力を変えるのか?私立中学に行く子と行けない子には格差があるのか?そういう意味?学習塾に行ける子と行けない子も?家庭教師の付けられる子と付けられない子も?じゃあ、どうしろと?貧乏人を根絶しろとでも?クソみたいな塾に通い、私立中学だかを受験して合格して、その後も大学受験して、そういう道を多くの連中が進んで、中にはクソみたいな末路を辿る人もいるんではないですか?
子供に大金をかけられることが幸せだなんて思っているんだったら、そりゃ大間違いだ。子供の人生にそれが最も大切だ、と思っているんなら、全然違うと思うよ。勉強の成績は、格差のせいなんかじゃない、って(笑)。別な教育の問題だろ。公立の学校だけしかなくたって、ちゃんと教育はできるはずだろう。家庭教育の質にも違いがあると思うし。今なんて、工夫すれば色々方法はある。たとえ貧乏でも、何か方法を探せるはずだ。そういうことにこそ意味がある、ってもんだろ。
デフレの影響を受けて失業率は増加した。これは個人の能力や考え方には無関係なことだ。確かに仕事に就けないことの理由の一つではあるかもしれないが、現実には多くの若者が就職して、数はずっと減ったがそれでも官僚も誕生しているし、大企業にも就職してるし、「勝ち組」とかもてはやされる人々も実際にいるじゃないですか。そういうのを目指したい人たちは、その競争に敗れたんですからしょうがないですよね。別な道を探すことがあってもいいでしょ。大工になったって、左官屋になったっていいではありませんか。
有名私立みたいないい学校(笑)に入れないのは、「機会が不平等」だからですか?実力を見る試験の成績ではなくて?それとも、貧乏人は金がないので有名私立には入れないから、これも不平等だと?私立というのは、元来金持ちだけを相手にするサービスなんだから、それでいいでしょ。わざわざ大金払ってまで行きたい奴らだけが行けばいいじゃないですか。そういう学校に行った人々は全員幸せになっているんですか?皆いい会社に入ったり、素晴らしい人生を送れたりしているんですか?(笑)貧乏人は知恵と度胸で勝負、でいいではないですか。ないものねだりをしても仕方がないでしょ。親が「あれはウチでは買えないんだよ」というものが世の中に沢山あって当然だっての。もしも初めから下層階級と認定されているんだったら、もっと「落ちていくリスク」が少なくて有利かもよ?どうせ下からの出発なんだったら、それでいいではないですか。
塾もなければ私立もない所なんて、全国には沢山あると思いますよ。東京の平均給与よりはるかに安いところなんて沢山ありますよ。確かに給料は安いかもしれないし、携帯電話を持っている中学生もかなり少ないかもしれないが、そういう地域の人々は下層階級で固定されて不幸せな人生をみんな送っているとでも言うんですか?いいじゃないですか、塾や私立学校に行けなくたって。主に大都市圏での問題なんじゃないの?田舎もそうなの?
そもそも教育を研究している学者たちが間違えてきたから、今のような惨状を産んだのではないのか?教育とはこうしていくべきだ、ということって、人間の営みなんだからそんなに直ぐに変わったりはしないと思うけど。
当然ながら、学校の教科書の範囲とか内容は色々変化はあると思うが、そんなことは根本的な問題ではない。親が「教えること」ってそんなに大きく変わるのか?動物は大体一緒だろ?人間様だけがそんなに違うの?
人間が生きていく上で教しえられるべきことは、そんなにしょっちゅう変わるものではないと思うけど。根本を変える連中ってのは、大体大間違いを犯してきたんだろうな、と思う。ギリシャ哲学の時代と現代とで、人間の根本的生き方は変わってないように思えるけどね。「このように生きるべき」ということは、大体同じだろ?殺戮しまくるのが、素晴らしい生き方だ、とかって言われてたのか?他人を騙して陥れたりすることがいいと言われてたのか?違うでしょ。ならば、教える方だって昔と同じく教えるんじゃないのか?根本を見失うと、時代に流されたりして、その時々に間違いを犯すのさ。特に大間違いを犯しやすいのは本当のバカではなくて、むしろ「浅知恵」をつけている連中さ。タダの頭でっかちの、クソ知識を詰め込んでる連中さ。書物などに書いてあるものとか、情報をよく取り入れたりするのが、逆に間違いの元になってしまうのさ。戦前を思い浮かべればわかるだろう?どういう連中が先導して、間違えた方向に突き進んだのか。
今は生き方を教えないで、教科書に書いてあることばかり教えようとするし、子供にもそれを要求する。バカな親は、テストの点数が良ければ「いい子」だと思っている。受験に合格したら「いい子」だと思ったりするんですよ。そんな訳はないんですよ。それは単なる付録に過ぎない。
だが、学者も一緒になって、こういう生き方を推奨している。教育投資に金をかけるのが良くて(=教育にはお金を沢山かけるべき)、貧乏人にはそれが出来ないから下層階級を固定化させてダメなんだ、意欲も希望もないんだ、ということですな。
貧乏なりに、できることをやればいいじゃないか。それの何が悪いというのだ。
前にも書いたのだが(格差社会5)、格差、格差ってのが本当に疑問だ。
よく聞くのは、親の所得格差が子供の教育格差に繋がっていて、しかも、「下層階級」の子供は既に諦めてしまって学業を頑張ろうと思わないそうだ。希望を失っている、ということも同じなんだと。親が金持ちじゃなけりゃ、「行きたい学校にも行けず」、ありとあらゆる「競争が不平等」で、「機会も不平等、結果も不平等」で、子供は勉強の出来ない子になってしまい、まともな仕事にも就けないようになってしまうんだそうだ。貧乏人は貧乏人のまま、世代を超えて階層固定されるんだって。そう言えば、内閣府の報告にはニートも低所得層が増加している、とか書かれてたしな。
じゃあ、そういうことを言う大学教授は、どうしたらいいと思ってるんだ?どうやって解決するのか言ってみてくれ。本当の根本的解決策はあるんだろう?現実には実施できないとしても、元々の「理想の答え」というのがあって、その通りやったら解決できるんでしょ?現実的な解決としては次善策を目指すか、それに極力近づけるような政策を考えればいい。是非とも「理想の答え」を聞かせてくれ。そして、それができた時の世の中を想像してみてくれ。全員が高給取りになってるのか?(爆)
希望格差も所得格差も無くなっているから、全員勉強が出来るようになるし、医者・弁護士とか大企業とかのような現在の「勝ち組」と言われるような仕事に就いている人しか存在しなくなって、全員が金持ちの安定した豊かな生活が約束されるんでしょ?その「理想の方法」を実行できたとしたら。安い給料の仕事に就く人達が誰もいなくなるから、外国人のメイドとか労働者だらけになってしまうな(笑)。
勉強が出来ることがそんなに偉いのか?給料が高けりゃ、立派な人間なのか?大学教授さまは偉いから、「貧乏人というのがまたバカな貧乏人を生み出す」とか思っているんだろう?「勉強だけが人生じゃない」って言ったりするのは、下層階級の貧乏でバカな子供だけだってんだろ?格差がそういう子供を生み出すと言いたいんだろ?一体何なんだ。そんなことが幸せなのか?
既に他界した有名な一流企業の創業者は、奥さん以外にも何人も女性がいて、認知した何人かの子供達に遺産相続をしたそうですよ(数億円も貰えたそうだから、全然下層階級じゃないですね。さぞ、誰しも羨む幸福だろうよ)。そういうのが「本当に立派な人だ」と思っているなら、そういう人生を目指せばいいでしょう。何億だか、数百億だかの遺産を残せるような企業創業者にしたって、立派な行いばかりなんかじゃないんですよ。
それとも普通に表現してみましょうか?「愛人が何人もいるような大金持ち」というのが立派な社会人であり、「配偶者以外に子供を何人も産ませる」というのが、立派な大人になる、ってことですか?(爆)
もしも、そういうのが正しい、っていう学者がいたら是非会ってみたいね。そういう大金持ちが何故非難されないかと言えば、社会的な地位と金があるからだ。それだけだろ。金のない「怪しげな教祖」や「ジゴロ気取り」が何人もの女性に子供を産ませると、逮捕されたりしてしまうこともあるけど(笑)。こういう大金持ちで一流企業を創業した人間は、貧乏だが真面目で道徳的な人間よりも偉い、って言ってみろよ。後者のような人間は、「所詮”下層”階級であり、その子供も下層階級になりがちだ」って言ってみろ。学者たちがこれを宣言できるのなら、下層とか格差というものの意味が、私にも少し理解出来るかもしれないな。
格差を謳ってる学者は何を平等と考えてるのか分らない。所得格差が子供の能力を変えるのか?私立中学に行く子と行けない子には格差があるのか?そういう意味?学習塾に行ける子と行けない子も?家庭教師の付けられる子と付けられない子も?じゃあ、どうしろと?貧乏人を根絶しろとでも?クソみたいな塾に通い、私立中学だかを受験して合格して、その後も大学受験して、そういう道を多くの連中が進んで、中にはクソみたいな末路を辿る人もいるんではないですか?
子供に大金をかけられることが幸せだなんて思っているんだったら、そりゃ大間違いだ。子供の人生にそれが最も大切だ、と思っているんなら、全然違うと思うよ。勉強の成績は、格差のせいなんかじゃない、って(笑)。別な教育の問題だろ。公立の学校だけしかなくたって、ちゃんと教育はできるはずだろう。家庭教育の質にも違いがあると思うし。今なんて、工夫すれば色々方法はある。たとえ貧乏でも、何か方法を探せるはずだ。そういうことにこそ意味がある、ってもんだろ。
デフレの影響を受けて失業率は増加した。これは個人の能力や考え方には無関係なことだ。確かに仕事に就けないことの理由の一つではあるかもしれないが、現実には多くの若者が就職して、数はずっと減ったがそれでも官僚も誕生しているし、大企業にも就職してるし、「勝ち組」とかもてはやされる人々も実際にいるじゃないですか。そういうのを目指したい人たちは、その競争に敗れたんですからしょうがないですよね。別な道を探すことがあってもいいでしょ。大工になったって、左官屋になったっていいではありませんか。
有名私立みたいないい学校(笑)に入れないのは、「機会が不平等」だからですか?実力を見る試験の成績ではなくて?それとも、貧乏人は金がないので有名私立には入れないから、これも不平等だと?私立というのは、元来金持ちだけを相手にするサービスなんだから、それでいいでしょ。わざわざ大金払ってまで行きたい奴らだけが行けばいいじゃないですか。そういう学校に行った人々は全員幸せになっているんですか?皆いい会社に入ったり、素晴らしい人生を送れたりしているんですか?(笑)貧乏人は知恵と度胸で勝負、でいいではないですか。ないものねだりをしても仕方がないでしょ。親が「あれはウチでは買えないんだよ」というものが世の中に沢山あって当然だっての。もしも初めから下層階級と認定されているんだったら、もっと「落ちていくリスク」が少なくて有利かもよ?どうせ下からの出発なんだったら、それでいいではないですか。
塾もなければ私立もない所なんて、全国には沢山あると思いますよ。東京の平均給与よりはるかに安いところなんて沢山ありますよ。確かに給料は安いかもしれないし、携帯電話を持っている中学生もかなり少ないかもしれないが、そういう地域の人々は下層階級で固定されて不幸せな人生をみんな送っているとでも言うんですか?いいじゃないですか、塾や私立学校に行けなくたって。主に大都市圏での問題なんじゃないの?田舎もそうなの?
そもそも教育を研究している学者たちが間違えてきたから、今のような惨状を産んだのではないのか?教育とはこうしていくべきだ、ということって、人間の営みなんだからそんなに直ぐに変わったりはしないと思うけど。
当然ながら、学校の教科書の範囲とか内容は色々変化はあると思うが、そんなことは根本的な問題ではない。親が「教えること」ってそんなに大きく変わるのか?動物は大体一緒だろ?人間様だけがそんなに違うの?
人間が生きていく上で教しえられるべきことは、そんなにしょっちゅう変わるものではないと思うけど。根本を変える連中ってのは、大体大間違いを犯してきたんだろうな、と思う。ギリシャ哲学の時代と現代とで、人間の根本的生き方は変わってないように思えるけどね。「このように生きるべき」ということは、大体同じだろ?殺戮しまくるのが、素晴らしい生き方だ、とかって言われてたのか?他人を騙して陥れたりすることがいいと言われてたのか?違うでしょ。ならば、教える方だって昔と同じく教えるんじゃないのか?根本を見失うと、時代に流されたりして、その時々に間違いを犯すのさ。特に大間違いを犯しやすいのは本当のバカではなくて、むしろ「浅知恵」をつけている連中さ。タダの頭でっかちの、クソ知識を詰め込んでる連中さ。書物などに書いてあるものとか、情報をよく取り入れたりするのが、逆に間違いの元になってしまうのさ。戦前を思い浮かべればわかるだろう?どういう連中が先導して、間違えた方向に突き進んだのか。
今は生き方を教えないで、教科書に書いてあることばかり教えようとするし、子供にもそれを要求する。バカな親は、テストの点数が良ければ「いい子」だと思っている。受験に合格したら「いい子」だと思ったりするんですよ。そんな訳はないんですよ。それは単なる付録に過ぎない。
だが、学者も一緒になって、こういう生き方を推奨している。教育投資に金をかけるのが良くて(=教育にはお金を沢山かけるべき)、貧乏人にはそれが出来ないから下層階級を固定化させてダメなんだ、意欲も希望もないんだ、ということですな。
貧乏なりに、できることをやればいいじゃないか。それの何が悪いというのだ。