1年位前に書いた記事を一応載せておきます。
デフレ期待は何故形成されたのか・3
金利とインフレ率
後で、もうちょっと言いたいことを追加しようと思います。
にしても、池田氏はかなり飛ばしてますね。「釣り」です、とかもハッキリ言ってるし(笑、コメント欄ですけどね)。意外にお茶目といいますか、長年の「ネット住人」なんですね。それと、私は掲示板とかの歴史なんかも知らないし、読む必要も興味もない訳ですが、過去のバトルといいますか、遺恨試合みたいなのが未だに続いているかのようです。
「~という策が有効だったかどうか」というのは、結構後付けの理屈っぽい面があるので、何とも難しいわけですが(過去に戻って試せる訳ではないので)、やるべき方向性というのと、具体的な策としてどうなのか、というのは、これまた判断が難しい面があるかもしれません。
追加です。
また重農主義のケネーの世界みたいで申し訳ないですが、ご容赦を。だって、人体の血液循環の仕組みと経済(お金)活動のイメージが似ているんだもの(笑)。
一般によく知られる心臓の病気に、狭心症とか心筋梗塞などがありますね。狭心症というのは、簡単に言うと心臓の筋肉(心筋)にエネルギーや酸素を供給する為の血流が減少して、心筋が苦しがる状態(虚血)の病気です。多いのは心筋に血液を送る冠動脈(たくさん途中で枝分かれしてるけど)の狭窄(血管が狭くなる)が進むと、流れる血液が減少して胸が苦しくなります。心筋に酸素やエネルギー供給が追いつかず、心筋細胞がそれ以上働けなくなるので、運動負荷などで苦しくなるのです。それでも、心臓の負荷が解除されれば、苦しくなる前の状態に戻りますので、少なくなっている血液でも酸素供給が可能になりますから、症状は感じなくなります。
心筋梗塞というのはもっと酷い状態で、心筋に血液供給が途絶えてしまって、心筋細胞が壊死(死んじゃう)してしまい、心臓の一部分が全く機能しなくなってしまうのです。急性心筋梗塞の場合には、致死的状況ということも多々あり(致死率は高く、代表的な心臓死の疾患です)、必要な手を尽くさねばなりません。壊死した心筋組織は、元に戻ることはないので、たとえ死を免れたとしても、その後の心臓機能は低下してしまったままです。狭心症と心筋梗塞というのは、おおよそこういう疾患なのです。
で、経済の話に戻りますが、日本のバブル崩壊後の状況というのは、こうした狭心症や心筋梗塞の病態にやや似た感じがするのです。それをなぞって見ていきたいと思います。
92~93年頃というのは、バブルが崩壊したと言っても、日本経済の明らかな異常というのは、それほど明確になってはいませんでした。つまり、ショックの大きさというのはこれまでにも経験した程度の不況期、という程度だったのではないでしょうか。勿論株価や地価の下落というのは相当程度あったわけですが、「致死的」という状況をもたらすほどのダメージではなかったでしょう。それは経営サイドの心理的悪化もさほどではなかった、という時期だったと思われます。理由としては、バブル崩壊後であったにも関わらず、新卒採用の為の求人というのは増加しており、失業率も後に5%超となるような最悪期に比べれば全然低かったでしょう。2~3%程度であったように記憶しています(間違ってたらゴメンなさい)。93年春の大卒新規採用者たちは、90年よりも多かったのですよね。当時は売り手市場であったという側面もあって、青田買いが卒業1年前どころか2年くらい前から「採用予定」というような、半ば「約束」みたいなものがあったのかもしれません(それほど大卒新人を確保するのが困難だった…思えば凄い時代だったのですよね…)。なので、直ぐには新卒採用数を削るというわけにはいかなかったのかもしれないです。
でも、その後の氷河期を考えれば、当時はダメージはまだまだ小さかった。この95年くらいまでの間に、適切な対処が行われていたならば、その後のショックの大きさは軽減できてたかもしれませんね。当時の金利水準(公定歩合しか知らないけど)は、まだまだ下げ余地があったのですから。つまり、バブル崩壊のショックで、挽回可能な代償期であったわけです。そこでの金融財政政策で適切な運営がなされていたならば、まだ救うこともできたのではないかと思えます。この時代には、政治的に不利な部分があった。一つは日本の政治の混乱です。新党ブームだの、政権交代だの、頻繁な混乱を招いてしまっていた。政党分裂も起こった。つまり、政治的な政策推進という面においては、一貫性が失われ、日銀に対しての強い要望・姿勢というものも、殆ど意味をなさなくなっていたのではないでしょうか。頭の挿げ替えが頻繁に起こるわけですから、経済政策面までは政治家たちの目も行き届くわけもなく日銀任せということになっていたのです。もう一つは、クリントン政権が誕生してしまったことでしょう。それは日米経済交渉という「決戦の舞台」で常に戦うことになってしまったこと、米側の強い要求を突きつけられそれを呑んでしまった(呑まざるを得なかった?)ことが、結果的に日本企業の歪な変化をもたらしてしまって、後々のダメージを深刻にしてしまった可能性があるように思えます。
なので、95年くらいまでの挽回チャンスに経済政策を適切に行ってさえいえれば、その後の最悪期を迎えることは阻止可能であったかもしれないです。先の例で言えば、心筋梗塞になっていなくて、まだ狭心症で心臓が苦しくなることがあった程度であった、ということです。連鎖的なノンバンク破綻に陥る前に、適切な処置をしておけば、重大な壊死組織(巨額倒産・不良債権)を生ずることはなかったでしょう。こうしてノンバンクにツケが回り、遂には銀行にもそのダメージが広がっていくことになるのですが、ここから先は物価面でのデフレというのが顕在化していきます。97年後半以降、現在に至るまでの間、長い長いデフレ期間に突入となっていったのです。
塞栓症のような場合には、急速な血管閉塞を生じ、急性心筋梗塞に至ることもあるのですが、多くは血管内壁にゴチャゴチャとくっついて血管を段々と狭めていき、遂には完全に血流遮断が起こります。完全に詰まるまでには、時間があるし自覚症状というのも出てくるのですよね。何度も言うようですが、この時期に適切に処置しておくことが必要だ、ということなのです。それをやれば、壊死に至らずに済むのですよ。ゾンビ企業はこうした壊死組織と似ているのです。壊死組織に血液を供給しても(=追い貸し、資金供給ということ)、既に死んで動かない心筋なので意味がないですね。それはそうです。でも、壊死に至らせないような処置が必要だった、と言っているのですよね。壊死しなければ、企業は大量にゾンビにはなったりしませんからね。
壊死組織というのは、細胞が壊れるのでタンパク分解酵素やカリウムイオンなどの有害物質を大量に放出することになり、周囲組織にもどんどんダメージを与えていきます。壊死範囲は広がるのです。これは企業の連鎖的な倒産にも似ているのですよね。しかも、他の生き残っている企業のバランスシート悪化も招くので、倒産をまぬかれていても不良債権化してしまったゾンビは、残っている企業に悪影響を及ぼすというのは理解できます。それでも、回復させるような手を尽くすべきだったろうと思えるのです。
人体というのは、中々不思議な機構を備えています。肺は呼吸によって二酸化炭素を吐き出して、酸素を取り入れますよね。このガス交換は小さな肺胞という部分で行われますが、肺胞には血管がたくさんあって血液中の二酸化炭素が肺胞内に放出され、酸素を取り込むことができます。肺という組織はちょっと不思議で、場所によって酸素濃度が違っていたりします。どの肺胞でも酸素濃度が一様である、ということはないのです。すると、ガス交換の効率に違いを生じます。酸素を豊富に含む肺胞では、そこを通過する血液の酸素化は「良く」なりますが、逆に酸素濃度の低い肺胞では、酸素化は「悪く」なるのです。肺に病気などなくても、こうしたことは起こってしまいます。で、一定基準よりも「悪く」なっている場所では、どうなるかというと、酸素の少ない肺胞を通過する血液の量を減らし(=血管収縮が起こり血流を減らす)、酸素の多い肺胞の方に多く血液を流すように配分を変えるのです。これは、hypoxic pulmonary vasoconstriction(HPV)と呼ばれる反応です。酸素濃度変化によって、自動的に起こる血管反応なのです。つまりは、酸素化効率の悪い部分には血液を少なく送ることで、肺全体の効率を高め、酸素化効率の良い部位に優先的に血流を配分するのです。
経済活動も似ていて、効率がよく成長する分野にどんどん資金供給を優先した方がいいですよね。
でも、心臓の場合だと、こうした血管反応は生じないのです。たとえ若干「動きの悪い部分」があるとしても、そこへの血液供給を減らしたりすれば狭心症のような症状が出るでしょう。更に血液を減らしていけば、壊死に陥る心筋細胞が出てくるかもしれません。肺ならば全体効率を高められるのに、心臓で同じ事をやってしまうと良くない面もあるのです。狭心症のような症状が出れば、逆に冠血管を拡張する(=血流を増やす)ような薬剤を投与せねばならないのです。経済活動で言えば、資金供給を潤沢にする、ということと同じような意味合いです。代表的な薬剤は「ニトログリセリン」ですね。冠血管の拡張作用があるので、狭心症症状は改善されます。
薬物を投与すれば、副作用も生じてしまったりしますね。たとえば、冠血管系以外の他の血管も拡張してしまって、血圧低下を招いたりすることになります。また、先のHPVも抑制されてしまいます。心臓を「助けよう」と思えば、ニトログリセリンを投与するのは当然であっても、他の良くない現象をも引き起こしてしまうのは止むを得ないのです。更に、血管拡張をもたらす薬剤でありながら、狭窄病変のある部位の血管を拡張したいのにも関わらず、狭窄部位の拡張があまり起こらないで健康血管が主に拡張し、健康部位にばかり血液が盗られてしまうというスティール現象ということが考えられる場合もあります。これはまるで肺で見たようなHPVと似たような現象になります。経済活動で言えば、苦しんでる部分(=瀕死の企業、不良債権になるゾンビ企業)はどうせダメだから資金供給を絶って死なせ、残った健康部分に多く血流を流せば良い、というような発想に似ていますね。これは心筋梗塞を招き、壊死組織が大きくなることでどんどん悪化していくかもしれないのではないかと思えますね。
狭心症で苦しむならば、
・冠血管を拡張する薬剤を投与
・その副作用として、血圧低下や酸素化効率低下が起こる
・スティール現象に注意が必要
・他の症状に対しては、それに合わせた別な対処が必要
ということになると思います。
日本経済が深刻なダメージを受ける前の状況(大体95年くらいまでかな?)は、まさしくこの時期であり、壊死(不良債権)がそれほど大きくはなっていなかったでしょう。つまり、主病因に対する適切な処置(=金融政策)、残りは個別に政策を割り当てていくべきであったと思われます。例えば、金利を早く引下げ緩和を実施、為替は外貨を大量購入、雇用対策や財政出動を合わせて実施、などというのが考えられた(いい加減ですけど)かもしれないです。何よりも、「壊死に陥らせない措置」(=心筋梗塞に陥らせない)というのが最優先課題であったでしょう。
ところが、的確な手を打たずに放置してしまった為に、壊死組織は広がっていきました。つまりは、後戻り可能な狭心症の状態から、急性心筋梗塞へと悪化してしまった、ということです。それが96年以降に起こり、大々的に壊死したのが97年ということになるでしょうか。見通しが甘かったのですよ。日銀の診立ても全然ダメだったのですよ。一端壊死に陥れば、もう心筋細胞は元に戻れないのですから。こうして97年ショックを迎えることになってしまったのです。不良債権処理云々というのは、壊死に陥りそうな組織には血流を遮断すべき、「今ある血流で生き延びられる組織だけを助けることを考えるべき」というようなことなんですよ。それが最悪の悪循環を招いてしまったのです。
つまり、
壊死が広がる→周囲の生きてる心筋細胞もダメージ→心臓の動きは悪化→血流全体が減少→減った血流に見合った心筋だけ救え→更に壊死が拡大→もっと広い範囲の生きてる心筋細胞にダメージ→心臓の動きはもっと悪化→もっと血流が減少→救える心筋はもっと減少→以下最悪ループ…
というようなことです。こうして弱い部位は続々と壊死していったのです。アジアに吹き荒れた通貨危機も、日本の体力を大幅に奪っていきました。これも大きなショックとなってしまいました。
それでもITバブル期には、脱出チャンスが訪れました。人々は恐る恐るながらも、考え方を変えてみようかな、とちょっと思い始めたのです。90年代後半から、社会の大きな変革時期を迎えたからでした。それは携帯電話とネットの普及、急拡大があったからです。この時に、金融緩和策をガッチリ実施し、「明るい兆し」を感じ始めた人々の自信を取り戻してさえいれば、その後の最悪期を迎えることは防げたハズです。しかし、日銀は引き締めを断行、ゾンビは「逝ってよし」政策(=不良債権処理等)を推進することなったと思います。こうして日本経済は瀕死の状態に陥りましたが、基礎体力がまだ残されていたのと、偶然外部の(主に米中経済の)活況が訪れて、運良く生き延びたのですよ。誰かが正しい治療法を選択して助けてくれた訳ではありません。政府や日銀が救ってくれたのではないですよ。自分の力で、元々持っていた回復能力で、「自然に」回復軌道に乗ってきたに過ぎません。治療が奏功したかどうか、治療法の選択が正しかったかどうか、それは全く不明だと思いますよ。日銀や政府のとった策がなくても、もっと早く回復出来た可能性すらあるのです。これまで何度か書いたが、日銀のとった策というのは、自らが自然に回復しようとする力を妨げることでしかなかった可能性の方があるくらいです。余計な手出しをしてくれたお陰で、逆に病状は悪化して、回復までの時間が延長したようなもんです。昨年の量的緩和、利上げや今年の利上げ騒動などを見れば、そうとしか思えませんよね。
デフレに至るまでの間に打てる手を尽くさなかったこと、ゼロ金利になって金利政策は効果がないとしても、他にやるべきありとあらゆる手を尽くさなかったこと、そうした責任はあると思うのですよね。自分が死にそうになった時、「こうなってしまっては、もうニトロは効かないから、お手上げです。他の手は自信ないから何もできませんね」とか言う医者が担当だとしたら、どう思いますか?(笑)
助けようという決意も責任感もなさ過ぎる、って言ってるんですよ。無責任な対応に終始していたような連中は、是非とも「アナタはもう手遅れですから、逝ってよし」とかハッキリ言われてみた方がいいと思いますね。