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デフレ論争とは何だったのか~無能の証明 その2

2015年01月12日 18時36分30秒 | 経済関連
当方がデフレ問題に関心を抱くようになったのは05年からである。当時、ネット上では既にリフレと称する人々を目にするようになっていた。
あの当時から見た過去の時点での議論を見たわけだが、90年代終わり頃にあった言説の多くは、所謂「不良債権問題」と言われたものであった。日銀がどんな手を打とうが、銀行の機能不全状態が続いているのだから、効果が得られない、といったようなものだった。

不良債権が解消されないとデフレは抜け出せない、と主張していた人々は、その後絶滅したらしい。何故なら、メガバンクなどが空前の利益を生む状況下になっても、やっぱりデフレのままだったからだ。

「不良債権問題」というのは、マスコミを賑わすには都合のよい言説であったのだ。90年代半ばから、ずっと幾度となく同じことを言い続けてきたわけである。何故なら、大蔵解体と監督官庁の分離、金融機関や保険会社を弱体化させるのには、まことに都合のよい説だったからだ。


日銀や日銀擁護派の中でも、デフレを解消できないのは日銀のせいではなく、金融システムとか銀行機能といった「トランスミッション問題」として、言い訳の理由に用いるのに便利だったのだろう。エンジン=日銀には責任がない・政策上は何ら問題ない、ということを主張したかったのだ。あくまでトランスミッションとかそこから先の問題なのだ、と。

デフレは、そういう理由ではなかった。にも関わらず、金融庁検査の厳格化と称して、更なる貸し剥がしが行われたというわけである。あの、悲惨な02年をもたらした、ということである。


結果的に、不良債権説はほぼ全敗に近かったのではなかったか。にも関わらず、マスコミでも政府内や金融カンファレンスなどでも、そういう主張をしていた学識者たちは大勢いたのである。これら妄言を吐いていた連中は、自らの誤りについて反省などしていないのであろう。


拙ブログでは、06年時点でのデフレ原因というものについて、一定の見解を書いている。中でも賃金要因について、それまで主流であった説よりも重視する立場を取っている。


06年>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/c640ecd176eedbab5497ec396510067a

06年>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/dc1a1ab02f8b84677dd1c719df392dd5

(再掲)
ただ、今までの幾つかの記事にも少し書いてきましたが、社会全体の現象で見れば、
・賃金水準は97年以前とそれ以後で異なり98年以降低下
・非正規雇用が拡大
・ULCは98年以降低下(連続でマイナスに)
・企業の借入残高は減少傾向
・設備投資の減少
ということが観察されるので、当たらずと言えども遠からずなのではないか(笑)と思います。
なので、価格上昇圧力をULCの低下などで吸収してきたのではないか、ということです。何故価格転嫁しないのか、というと、消費者達の求める「低価格達成」とか、競合他社との価格競争に勝つことが「企業の生き残り戦略」だと信じていたから、などであり、世の中全体に「もっと価格は下がるだろう」という期待予測が醸成されていったからではないか、と思うわけです。
物価の下落期待というのがこれほどまでに定着したキッカケは、中国製品輸入であった可能性があるのではないですか、ということです。多分、あまりに刺激が強すぎたのかもしれません(笑)。


========


こうした輸入物価の低下は、デフレ要因の一部になっていたのではないかと述べたら、多くの自称「経済学通」?的な人たちは、一般物価と間違っているだとか、輸入依存度は低いから関係ないとか言っていたはずでは。
だが、昨今の円安局面では何と言っているのだろうか?


輸入物価が上がった―殊に原油やLNG価格上昇―という影響で物価上昇をもたらしている、といった説明は珍しくないのでは?
「りふれは」の言う輸入物価なんて関係ねーという言説は、現実世界においてどうなのか?


確かに輸入価格水準がダイレクトに物価に反映されるというものではないかもしれない。けれども、企業のプライシングにおいては、無関係ということはないはずなのだ。それを全く無視するかのような姿勢というのは、やはり自省すべきなのではないのか。



日銀を批判していた「りふれは」と称する人々は、実際に具体的解決方法などを提示できていたかと言えば、そうでもなかったろう。


まず、「りふれは」たちの言い分は、殆どが「インタゲしろ」ということだけだった。反対派がそれを見て、「宣言しただけで物価が上昇するのか」とツッコミを入れていた。
しかも量的緩和というのは、流動性の罠で「無効である」と盛んに日銀を攻撃していたのではなかったのか。日銀の当座預金残高を増やしても意味がない、と言ってきたのは、「りふれは」ではなかったのか。


それが今では、マネタリーベースを増やせ、とか言い分を変えたのではないのか。「ケチャップでも買え」ということの意味合いについて、本当によく考えたのか?いくら日銀券を増刷しても、金庫の中に眠っているだけでは何ら変わらない、という問いに対して、きちんと答えていた「りふれは」なんていたか?

>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/6890b766733008cae666b26deca52197


刷ったお金を使う、ということについて、真剣に考えていたとは到底思えない。政策的にコストカットを推進したら、それは結果的にデフレ的効果をもたらす。財投資金であろうと地方交付税交付金だろうと、一般政府歳出を削れば需要減少効果となろう。だから、拙ブログでは「2相性のデフレ」と呼んだのだ。02年以降の成長率プラス期間においてでさえデフレが続いたのは、賃金低下+政策によるデフレということだったろう。


いずれにせよ、インフレターゲット政策を実施するとして、具体的に何をどうすべきか、ということを言わない限り、日銀だって政策実行なんかできないのである。

残念なことに、当方ですら約1年くらい資料を読んだりすれば考えつきそうなことを、何故か大勢の高学歴で優秀な経済学に精通している人たちが大勢揃っているのに、満足に考えたり解決法を提示したりできない、ということだった。



「りふれは」たちもまた、日銀を批判する割にはそんなに役立ったわけでもなかった。学術面で、政策実現の為に説得的な意見を出していた人は、果たして誰がいたであろうか?例えば「日銀券ルール」に対して、何かの論説で経済学理論に則った有効な意見を述べたのか?


要するに、経済学に無関心で疎い一国民の立場からすると、日銀であろうと「りふれは」だろうと、大した違いなどなかったということである。


拙ブログでは、最低賃金も段階的に引き上げるべき、という主張をしてきたわけだが、「りふれは」とかの経済学理論に精通しているという人たちは反対してきたはずだ。上限金利規制の時もそうだし、賃金水準についてもそうだ。頭から「規制はするな、禁酒法を知らないのか」といったレベルのことしか考えられないのであろう(自己破産が数百万人だか1千万人級で出るとか言ってませんでしたか?)。


09年12月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/99e9c190457dba2c705e38e02ca1da5a


「りふれは」とやらが主張していたことは、本当に正しかったのか?
当方には、とてもそうとは思えないわけだが。



デフレの要因として、賃金の重要性に当方ですら辿り着けたというのに、何故多くの学識者たちはもっと早くからそれを主張し続けなかったのか?

ようやく今頃になって、政府与党からも賃金引き上げを求めるようになったわけだが、デフレ期間がここまで継続してはじめて知る、みたいなことだろう?


90年代後半から始まって、あんなに口角泡を飛ばして罵り合ってきたのに、満足な答えも解決策も提示することなく、06年に拙ブログで書いたようなことが2013年になってようやく理解されるようになる、というのは、一体全体どういうことだと思いますか?


経済学無知のド素人ですら1~2年程度で考え得ることが、知識階層や政策決定の影響力を持つエリート層に理解されるのに、これほど時間がかかるというのは、どうしてだと思いますか?


無能な人間にこそ、より大きな発言力、影響力や権限があり、そういう人間のせいで大勢の国民が被害を蒙る、ということなのだ。



そういえば、前に白川前日銀総裁の弁を書いたことがあった。

13年10月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/b3eb998d5d58a417e703e758b7a50cf3


増税するのではなく、むしろ逆に「ヘリマネ」的に個人へのサポートをしておけばよかったのだ。インフレ率上昇による実質賃金低下を補う、という意味においても、だ。しかし、政府は逆のことをやった。更に個人消費の芽を摘んだのだ。
だから、失速したのだ。


愚かというのは、本当に死ななければ治らないものなのか。



上の方が揃ってバカである場合、普通の国民はどうしたらよいのでしょうか。母親が「危ないから、ストーブに触っちゃダメ」とわが子に注意を促すのと同じく、増税は危険だと言っているのにやってしまって、案の定火傷するのを見ると、これ以上どうしてあげればいいのか分かりませんね。




デフレ論争とは何だったのか~無能の証明 その1

2015年01月12日 14時09分36秒 | 経済関連
異次元緩和が始まって、2年になろうとしている。

黒田日銀がバランスシート拡大に努めた結果、遂に300兆円規模にまで膨らんだ。当預残高も178兆円、日銀券は93兆円と空前の規模に拡大。マネタリーベースは12月末残で275兆円となっている。さすがに、この規模まで増大することは、当方でも考えてはいませんでした(笑)。


さて、これまでの金融政策の効果としては、どうだったのだろうか。
少なくとも、持続的な物価下落の流れというのは止まった。11月以降の減速はあるが、それでもプラス圏に保っている。マイナス圏での推移が当たり前だった時代とは異なり、プラス圏を維持してはきた、ということである。


>http://www.stat.go.jp/data/cpi/sokuhou/tsuki/pdf/zenkoku.pdf


さて、かつては「何も起こらない」とか「ハイパーインフレになる」「国債が暴落する」と言っていた人たちは、この状況をどのように説明してくれるのだろうか。


事実は、マネタリーベースを拡大したら物価は上昇した、ということではないかな。消費税増税の影響を除いたとしても、増税以前から物価上昇が観察されたこともあるし、プラスには作用したと理解している。
すなわち、デフレ脱却には無効ではなかった、というのが拙ブログでの見解である。


ただし、消費税増税というのが失敗だった。減速をもたらした要因としては、増税のインパクトが大きかった、ということであろう。
大体、財務官僚というのは、税収をもぎとることだけを考えており、運営のバランス感覚なんか持っていないのだ。どうせ引き上げるんだから、さっさと5%でも上げろ、という分捕り思想しか持っていないのだろう。もしも一気に5%も上げていたなら、更なる大きな失速を招いたことは想像に難くない。


日銀の金融緩和の目的というのは、デフレ脱却なのだから、まずはその効果を確かめ地盤固めをやるのが先決であろう。増税は、勢いがそこそこついてから、というのが調節・運営を考える人間の発想だろう。だから、拙ブログでは以前から予告しておいたのだ。


2010年3月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/181df2a32c66b7a04527c140651037b4


(再掲)

①名目成長率が4%(とりあえず、この水準ということで)を達成したら、消費税を毎年1%ずつ引き上げ(乃至2年毎でも可)。引き上げ開始は、半年以上前に事前に予告。
②最低賃金を年率1~2%程度、毎年引き上げる。
③日銀はコアCPI(それともコアコア?とか)が2%以上を複数年連続で持続できるまで国債買入償却を現行水準のまま継続する。
④インフレ率がX%を超過しないよう、金利引き上げを考慮する(Xに入る数字は議論があるかもしれない。最近の話題はむしろ4%をキープ、というものだ。日本ではどうであろうか?)。



早すぎたのだよ、増税のタイミングが。しかも、上げ幅も大き過ぎたのだ。風呂釜もコントロールできない連中には、経済の見立てなどできない、って何遍も言ってきたでしょう?


増税を決める前の時期にも、警告したはずだ。

2012年2月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/bcfe436d4f0e157f7c9ac45675961539


増税には条件がある、って言っているのを聞かずに失速を招いたのだ。これは明らかな失敗なのだよ。しかも、十分に予想できたものだった。防ぐことのできたミスだ、ということ。何故、日本の経済運営担当者たちというのはこれほどまでに愚かでいられるのか、不思議でならない。



拙ブログを始めた2004年10月より以前には、当方は経済学なんて全く知らなかった。ましてや金融政策の論争なんてものも、知る由もなかった。ただ、ネット上でのやり取りを目にする機会があって、日銀と所謂「りふれは」たちの罵りを知ることとなったわけである。


この過程において、確信に至ったことがある。
それは、日本の経済学者と称する人々の、あまりの無能さを知った、ということである。経済学を名乗っていても、多くは理論を知らないとか、実務を考えたこともないとか、現実の経済政策について有益な考え方を持っていない、といったことである。一体、何の為の学問や知識なのであろうか。


同時に、経済評論家とかエコノミストとか、そういう周辺の肩書を有する人々の無知無能についても知る処となった。時流のネタに飛びつくだけで、政治に近い人々たちですら、満足な解決策を提示するということがなかった。

政治家たちも同様であった。策を授ける人間がダメなのだから、それも仕方のないことなのかもしれないが。財務省とか内閣府の官僚たちについても、日銀の人たちについても、やっぱり圧倒的無力であった。

マスコミはより一層無知無能であったのは言うまでもない。伝播力が強い分だけ害悪の方が大きかった。ウソを広め、間違った知識を植え付けるという、マイナス面ばかりが目立った。


日本が何故これほどの長期に渡ってデフレに苦しみ続け、経済沈没の憂き目に遭ったのかと言えば、揃いも揃って間違いを言い続ける無知無能たちにより支配されていたから、ということである。普通の庶民が悪いのではなく、政策決定の周辺にいる「高学歴の、頭のいい、高給取りの偉い人たち」が全く役に立たなかった、ということなのである。当方が何となく思い描いてきたエリート層への信頼のようなものは、全くの幻想に過ぎなかった、ということを思い知らされたのである。

そして、現実世界の事に対しては、経済学という学問の人々が日本においては殆ど役に立たないのだ、ということに驚かされた。たぶん、よく知りよく考えて、きちんとやってくれているのだろう、というような漠然とした信頼感は、完全に裏切られたのだ。
これほど無能な人々が政策決定に関わり、何となくやっているだけなんだな、と。偉そうに能書きを垂れる連中の多くも、やっぱり間違い続けてきただけなのだな、と。

ブログを書き始めたお陰で、日本国民は、こういう無知無能な連中に振り回され、苦しめられてきたのだな、という事実を知った。
これは原発事故の対応でも同じ構図だった。学者連中の多くは役に立たないこと、多分きちんとできるだろう・やっているだろう、というのは単なる幻想でしかなかったということだ。

(つづく)